は特にいつもと変わりなく、過ぎ去った任務を思い返しながら、頬へとこびりついた泥を手の甲でぬぐっている最中だった。
疲れた顔をした彼の同僚は、こちらも汚れたフードを指の腹で押し、「とれねぇなぁ」と苦笑と共にへと目を向ける。そしてぎょっとしたようにへと声をかけた。
「なに持ってんだ、お前」
「ン」
長いトレンチコートのような探索服へとつけられた腰元少し下の大きなポケット。そこから一つまみ取り出し、はにっこりと笑いながら「種」
小さな茶色い粒のようなそれで、ポケットを僅かに膨らませながら、彼はポンとそれを手の平ではじく。
何でそんなものを、とでもいうように、僅かに表情を濁らせた同僚へと、は苦笑するように、言葉を取り繕う。
「落ち着くんだよネ、これ」
それは彼の背後から、声が掛かることと、同時だった。
「すまないね、まだ休憩もとってなかったろうに、呼び出して」
「いーえー。室長にも都合のいい時間ってのがあるデショ」
相変わらずはにっかりと笑みを口元へと貼り付け、パタパタと軽く手のひらを振る。ごちゃごちゃとした足の踏み場もなく忙しない喧騒が響く、落ち着きとは無縁の場所だったのだが、彼はそれでも朗らかに微笑んだ。
室長、コムイ・リーは僅かに肩を落とし、その頭へとちょこんと乗っけた白いベレー帽が彼のめがねへとずり落ちる。「おっと」
親近感があふれるような態度ではあるが、彼は一応、この教団の責任者とも言える。
「それで、君を呼び出した理由なんだけど」
コムイは少々言い辛いように、円を回るように足を動かした。は静かに彼の言葉を待つ。
「希望を、訊いておこうかと思ってね。探索部隊とペアを組む、エクソシストの。もちろん希望だけどね。必ずじゃない」
「ウハー、それ、全員に訊いてるんですか?」
「いいや、若い子から訊いていこうと思えば、君が一番初めになっただけさ」
エクソシストと探索部隊は、ある種一方的な一蓮托生だ。イノセンスを捜索、保護を目的とする探索部隊は、アクマを破壊する能力はない。ただの人間が2度アクマと遭遇し、生き残る可能性はほぼ0に近い。3度残れば、それは奇跡だ。
そのためにエクソシストが投入され、彼らにより部隊の命運がかわる。思い残すことのないように希望を訊くこと自体はおかしなことではない。
けれどもは苦笑を繰り返す。彼は、わかっているのだ。
「次死ぬなら、俺だからですか」
コムイもまた、否定をすることもなく、眉を寄せ、机へと乗せていた、暖かな湯気が立つコーヒーへと手を伸ばし、一口飲み込む。事実を口にすることを、ためらった証拠だった。
・はすでに6度、アクマと遭遇していた。
とっくの昔に奇跡を越えた彼は、いつこの世から消え去ったとしてもおかしくはない。もちろん、100パーセントでもない。もし、7度の遭遇を果たしても、彼は生き残るかもしれない。
けれどもそれは確立の問題だった。
サイコロの数字を、何度も連続して1を出し続けることは可能だろうか? 最初はたかが6分の1の確立。次は36分の1、また次は216分の1、1296分の1。
ただの人間が、ただの偶然を繰り返す。それは必然ではない。
「…………、時々、いるんだよね、君みたな子が。妙にひきが強いっていうか、繰り返して1を出し続ける人間が。フォームでも、さいころの問題でもない。法則性はないんだ。必然だと勘違いしてしまいそうになる。けれども結局、いつかは違う目を出すんだよ」
そしてそれが、の最期だ。「正直僕は、君が一番最初に死ぬものだと思っていた。小さな子供が混じってるってさ。それがどうだい、蓋を開けて見ればびっくりだ」
わざとおちゃらけたように、彼はぶんと両腕を振り上げ、天井を仰ぐ。
そして僅かなため息を落とした。
は知っている。この男は、決して人の死を笑える人間ではない。上に立つ人間のくせに、優しすぎるのかもしれない。けれども彼は、自身の妹のためにこの黒の教団本部にて、室長であり続けるだろう。
「俺、できることなら 」
それは理解しているからこそ、は通常はだらしなくたれている口元を、すっと閉ざし、瞳を細く、剣呑な顔つきで、コムイを見つめる。吸い込んだ息は重く、肺へと突き刺さる。これは、彼自身へと降りかかる重要すぎる問題だった。
けれども、ぱっくりと開かれた唇に、迷いはない。
「最期はカワイー女の子に看取られたいので、リナリーちゃんがいいナ!」
「はい却下」
「アッレェ!?」
希望を訊くっていったくせに! とわめくを聞かないフリをして、「他には?」と背後に般若を背負うシスコンへと肩をすくめ、「それならカンダで」 拍子抜けするほどに、あっさりと吐き出された台詞に、コムイはまた苦笑いを繰り返し、「一応訊いておこうか、理由は?」
はへらりと、幸せそうに笑う。
「すごいから」
カタンッカタンッカタン……………
振動に体をまかせ、ゆっくりと首元を起こした。かぶったままの白いフードがわずかにずれ、小さな窓から映る外の景色が、すばやく細い、ラインのように移動する。
空けた窓からは、吼えるような息を吐き出し、白くそまる煙が入り込み、は僅かに咳き込み、すぐさま閉めた。
任務は、すでに頭の中へと叩き込んでいる。
「……………マテールの亡霊、かぁ」
無人化した街に住む、一体の亡霊。なんとも奇怪な、けれどもスタンダードなお話だ。
吐き出したため息と共に、はあたりを見回した。
同じくそろいの服を着込み、大小さまざまな人間が、席へと詰め込まれている光景は、何度見てもシュールだな、と一人ごちる。
「お前、若いな」
の隣へと座り込んだ、彼よりも少々上の年齢らしい男が、にっと笑う。「見た目どおりか? それともただの若作りか?」「見た目ドーリですヨー」
へらりと笑うに、今度は手前の男はぱんっ彼の頭を叩いた。アイタ、と呟きながら前のめりとなる彼へと大仰に笑い、「それじゃあ、優先はお前だな」「まさか」
「アンタに家族は?」
「いるよ、嫁が一人」
「じゃあそこのアンタ、友人は?」
「いるさ大勢」
「それじゃあみんな同じだ、死にたくないネ」
「オイオイ、何ふぬけたこといってやがんだ」
会話へと割り込んだ、黒ぶちめがねの口ひげ老人が年齢に見合うことなく、獣のように喉を震わせ笑う。
「俺たちゃ死ねたらラッキーだ、生き残っちゃアンラッキー。生き残るなよ腑抜けども。一人残らず死んじまえ」
それはただの、恒例なだけの台詞だった。アクマへと対抗するイノセンス発掘の調査といえども、大抵はただの空回り。けれども彼らはイノセンスを探しているのだ。たとえアクマが付きまとうことになろうとも、イノセンスを見つけるために、その体をはっている。
だからこそ、「オウ!」と重ねられた声に暗いものはない。
はその光景を微笑みながら、ポケットへと手をつっこんだ。僅かに膨らむ、大きなポケット。ざらり、と指先で、その感覚を遊ぶ。そして誰に気づかれることもなく、彼は表情を曇らせた。
「………………俺たち、今回ラッキーかもね」
呟いた台詞と共に、はまた、窓の外を見つめた。7度目の、賽が投げられる。
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2008.12.27
もちろん捏造ですよ!
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