「あ? と会ったん?」
面倒臭気に、片手を隠した少年は頭をかいた。オレンジ髪のブックマン。ブックマンJrだ。教団のエクソシストのくせをして、妙にどこか、足を踏み外しているような、そんな印象を持つ男だった。ラビは耳の穴に人差し指を入れて、長くため息をついた。「ええ、丁度近くに任務で来ていたみたいで」「うっげ。まじかよ」
べろり、と眉をひそめて舌を出すラビを相手に、アレンはパチリと瞬いた。「……なんだか、珍しい反応ですね?」 天真爛漫を絵にかいた男だと思っていた。ある意味、それは間違っていない。ラビは鼻からため息をつきながら眼帯をなおして、「別に」 靴の先で石を弾いた。「あっちが勝手に俺のこと嫌ってんだよ」 それもなんだか珍しい。
「まあそもそも、俺もあいつのこと嫌いなんだけどなー」
頭の後ろに手を置いて、ぶらぶらと足を踏み出すラビを見ながら、つまりは相性が悪いのだろうか、とアレンは考えた。今のラビと同じように、腹を立てたように、舌打ちをするを想像してみた。似合わない、というか。(想像できないなあ)
いつもどこか口元を緩めていて、ときおりわずかに瞳を細める。でも大抵笑っている。あはは、と変わった発音を泳がせていて、ひどく猫背だ。
怒ったり、泣いたり、怒鳴り狂ったり。
そんなことを、彼はしたりするのだろうか。
(まあ、そりゃあするかな)
僕が知らないだけで。
***
は片手を握った。首から吊り下げられた白い布を見つめ、眉をひそめた。ぐるぐると包帯にまかれた指先を動かす。ぴくり、と人差し指が動いた。それに合わせて中指が揺れる。ぴくり、ぴくり。瞳を強く閉じた。ため息をついた。それからぽとりと座り込んだ。長く長く、息を吐き出す。(エクソシストか……) アレンに出会った。実のところを言うと、少しだけビビった。幾度か足踏みを繰り返して、ヤア、と声をかけた。大丈夫だ。あちらに何がわかるわけでもない。
少々、今の自分は臆病すぎるのかもしれない。右手で左腕をさする。また腹の底からため息が出そうになって、思いっきり飲み込んだ。
はたり、と静かな風が吹いた。おっこちそうになるフードをひっぱり、鼻から息を吹き出す。「お兄ちゃん、どうしたの?」 小さな少年の声だ。「具合でも悪いの?」「問題ない」 チャイニーズで返答すると、現地の子どもが困ったように口をへたつかせていた。「あ、あ」 喉を叩いた。懐かしい言語だから、少しニュアンスを間違えた。
「大丈夫だヨ。心配ありがとう」
にかりと笑うと、黒髪の少年も嬉しげに頬を緩めた。そうした後に、不穏に息をひそめた。はわずかに眉をあげて彼の顔を見つめた。怯えるように顔を白くさせた少年が、ふと指を空にむけた。「なにあれ」 は振り返った。空が黒く覆われている。「…………AKUMA」 ぷつぷつと、地上から見ればあまりにも小さなアクマ達が群をなして空を飛び回り、埋め尽くしている。「なにあれ!」 子どもは叫んだ。「ねえ、なにあれ!」
ひたり、とアクマがこちらに目をむけた。いや、そんなこと、わかるわけがない。こちらからの距離は、あまりにも遠すぎる。けれどもは動いた。即座に子どもの腕を鷲掴み、腹に抱えた。轟音が響く。何万匹もの羽虫の羽ばたきが折り重なったような音がキンキンとそこいらから聞こえる。民家が崩れ落ちた。「家が!」
は抱きつく子どもの背を右手で撫でた。カシャン、と皿が割れるような音をたてて、瓦が地面に落ちる。閉じた瞳を、恐る恐ると子どもは開いた。そうして口を開けた。「怪我はない?」 彼らをかばうように、太い幹が倒れようとする家を支えている。彼からすれば見慣れない旅人が、その幹を左手で撫でていた。そうして彼からの問いを思い出し、こくこくと何度も頷いた。「ここ、きみの家?」「うん……」「お父さんたちは」「仕事に」 わかった、と少年の背を軽く叩く。「逃げよう」
少年を掴む腕は、左側だった。
「おにいちゃん」
震える声を押さえながら、彼は、静かに問いかけた。「左手、怪我してるのに、いいの……?」
「うん」 白い探索着をはためかせて、は前を見据えながら答えた。「もう、治った」
***
あのとき確かに、自身の左手は潰れていた。
腹に枝を埋め込まれたアクマから、は必死で逃げた。キルクの死体をひっぽって、ひたすら逃げた。アクマは一体だけではない。瓦礫の中で、うずくまりながら、幾度も額を拳で叩いた。そうして、歯を食いしばらないと何も出来なかった。痛みなんてとっくの昔に麻痺していて、残り少ない銃弾だけが頼りだった。泥水みたいな体になって逃げ切ったとき、の左腕は潰れていた。
瓦礫か何かの中に下敷きになったんだろう。ぽかりと中指と、人差し指部分の空間を見て、自分が何を思ったのかはよく覚えていない。べろべろに爪も剥がれていて、関節が奇妙に折れ曲がって、嫌な肉の色が見えた。
しばらく、探索部隊への復帰は困難である。そう本部から判断をされたものの、は首を振った。一般的な探索部隊としては無理でも、そうでない仕事ならやまほどある。本人からの希望は受理され、エクソシスト探索の任を得たものの、なぜそうまで意固地になったのか、にもわからない。左腕を包帯で巻いて、怪我をしたはずの足を引きずるふりをして、は逃げるように教団を去った。
いつの間にか、指がある。
気づくと、ゾッとした。宿屋の部屋で、恐る恐る包帯を外して、自身の腕を見つめ合った。ぐるりと、植物が指を覆っているような気がした。なぜそう思ったのかわからない。一瞬瞳を閉じて、また開けた。ただのなんのへんてつもない腕が膝の上に置かれていた。目尻が震えた。
「いいかい、あっちに逃げるんだよ」
怯えるように震える少年の肩を、は強く押さえた。「ごめんな、兄ちゃんはちょっと、やらなきゃ駄目なことがあるんだヨ。お母さんたちはあっちにいるんだろ? 大丈夫、まっすぐ逃げたらいいから」
アクマの軍勢は、何かを目指している。それが何かはわからない。だから、その中心と反対方向に彼は逃げたらいい。幾度か子どもは足踏んだ。けれども、ぐっと唇をかんで、力強く頷いた。「ヨシッ!」 パシンっ、少年の背中を、押し出すように叩いた。小さな腕を振り上げながら、子どもが逃げていく。必死に走って、消えていく。(俺もそうだった) 不安で、不安で仕方がなかった。だからは、教団へ足を踏み入れた。今度はが反転した。そうして、彼とは背中合わせに走った。人々とは反対方向に、肩をぶつけあい、ときおり怒声をぶつけられながら走る。
(やることがある、ネ)
本当にそうなのだろうか。
一体、自身に何ができるというのか。
邪魔な包帯と布を放り投げて、は息を喘がせ、走った。何もできない。できる訳がない。
それこそ、エクソシストでないのならば
一体のアクマがこちらを向いた。「ニンゲンがいるゾォ」 甲高い、不自然な子どものような声を震わせ、仲間内に叫んだ。「黒い? 黒い?」「白い。ただのニンゲン」「じゃあ潰そうぜ」「賛成」
まるで遊びの約束をする子どものようだ。はわずかに苦笑した。そうした後に後悔した。今更ながらに足が震えて、心臓の音が耳まで響いた。「ヤア」 かっこつけて、声をかけてみた。アクマ達は、礼儀正しく「ヤア」と両手を振って、返事をしてくれた。レベル2。人語を解し、アクマ達の個性が現れる。「こんにちーわあー!!」 挨拶代わりに、わっ、とアクマが黒ずんだ口を押し開き、地面を凹ませた。円上にヒビ割れた地面から、はすかさず逃げた。“丁度、タイミングよく体を曲げていた”木の幹を駆け登って、屋根の上にジャンプする。幾枚かの瓦がはじけ飛んだ。
「こいつ、ちょこまかしてるゥ!」
腹がたつぞ! と三本腕をアクマが振るうと同時に、一面が燃え上がった。は唾を飲み込み、足踏みを繰り返した。そうして、ハッと視線を上げた。一瞬にして枯れた木の葉達が、風の中で転がるように移動し、代わりとばかりにその体を燃やし、炎を消した。「なにしたの?」 ひらひらと、飛び散った燃えカスを太い指先で拭って、アクマ達はきょとんと首を傾げる。「さあ」 やる気のない返答だ。
「丁度、誰か助けてくれないカナ? とは思ってたけど」
どんぴしゃりだ、と苦笑する。
(俺は、エクソシストなのかねェ)
もしかすると、と心の底では考えていた。だからこそ、は教団へ向かった。そうして、イノセンスの検査をした。結果は白で、はただの人間だった。まだ小さな子どもだった。その答えを聞いて、自身はどうしたのだったか。
おそらく、泣いていたと思う。
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2013/04/06
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