| こんにちは。なにやら売られてしまったさんです。こんにちは。 再び頭の中でこの台詞が流れた。『ってキャッチセールスとかすぐ捕まりそうだよね気をつけてー』 そう漫画を片手にゲラゲラと肘をついて笑っていた友人を、ほんの少し思い返した。 ごめんねごめんね。キャッチセールスとかそんなレベルじゃなかったみたい。人身売買ですかこれ。労働力無料提供ですかこれ。 けれども朝から晩まで死ぬ気で働いて、船の大部屋みたいな場所で二段ベッドを重ねて眠りについて、何故だか大きな大浴場まであっちゃうこの場所って中々いいじゃん! とか思っている自分に、何故だか涙がこみ上げた。だってだって、お風呂なんて赤髪さんと一緒にいたときには滅多に入れなかったんだよう。ばっちくてごめんよう。 結局私は、売られたはずの赤髪さんの事を、たいして恨んでもなにもないって事なのだ。 それどころか、やっぱりちょこっと感謝してしまっているかもしれない。よく分からない異国の地(たぶん)へと来た(寧ろ降ってきた)女を衣食住の衣以外の面倒をみてくれたのはあの人だ。意味が分からない言葉だったけれども、時々「メシ」と話しかけてくれた。 ここでは誰も話しかけてくれない。いいや正確にいえば、話しかける内容なんてものはまったくないし、話しかけられても、日本語でしか返す事ができない。 毎日毎日お芋の皮むきと皿洗いだけさせられて、私の体はどんどん重くなっていくのを感じた。周りの飛び交う言葉も、全部全部、日本語じゃない。何語なんだろう。そもそも、ここは何処なんだろう。あのオカマっぽい料理人さんの名前って何ていうんだろう。微妙に気になる。 そんな訳で与えられた休憩、正確に言えば、お芋の皮をむききって、お皿も洗いきって、暇になった時間帯を、ふらりと厨房から抜けだしただけだけの休憩にふらふらと建物の中を歩き回っている状況だ。 時計なんてもの持っていないけれども、なんとなく人の混み具合で分かるのだ。あ、今休憩していいタイミング! みたいな。今のところ誰にも文句を貰っていないので、問題ないと思う(多分注意されても分かんないだろうけど) (………ここは、本当に、一体どこなんだろう) 壁に設置された、窓というよりは監獄の囚人の気分になってしまう鉄格子に指を添えると、冷たくひんやりとした感覚に、ぞくりと一瞬目眩がしてしまった。 ガラスの窓なんてない。鉄格子の間からゆっくりと伸ばした腕の先には、真っ白い空気が捕まって、ふわふわと通り抜けた。多分ここ全体が大きな塔なんだと思う。私自身、この場所から出たことがないからよく分からないけれど。緑につつまれたその先には、何もない。あるのは崖だけ。 隔離されてしまった、島か何かなのだろうか、と考えてもみたけれど、時々人が出入りしている様子をみると、そんな訳でもないと思う。 私はくるくるとなる腹時計を基準にして、談話室(だと思う)のモノクロツートンカラーのソファーにぼすんと腰掛けた。(なんだかここ、黒いデザインが多いのなんで?) 伏せった頭の中に、ぐるぐると色んな事が回る。私は一体どうなるんだろう、とか、ここの場所のことなんて、実は二の次だった。 話したい、誰かと話したい、言葉を交わしたい。ふ、と脳裏に横切った赤髪さん。よくよく考えたら私は彼の名前すら知らない。彼だって私の名前を知らない。 話したい。赤髪さんに、「メシ」っていわれたい。 彼は、最後に何ていったんだろう。「なんとかなんとかクロスなんとかかんとか」 せめて名前くらい知りたかった。クロスってなんですかクロスって。十字架ですかバッテンですか。 よっぽど深く、私は何かを考えこんでしまっていたんだろうか。トントン、と誰かに肩を叩かれる事で、思わず顔を上げた。もしかして邪魔だったんだろうか。それなら申し訳ない。立ち上がった私に、肩を叩いたその人は、にかっ、と笑った。赤髪だった。 「赤髪さん」 不意に言葉を呟いてしまったけれど、この赤髪さんは、あの赤髪さんと違う。外見だって全然違うけれども、この赤髪さんの髪は、ぱっ、と明るいどちらかというとオレンジさんだけど、あの赤髪さんは深い色合いのワインレッド、というヤツだった。 どちらかというとオレンジさんは、右目を覆った眼帯と反対側の瞳をパチパチと瞬きさせた。私もこのオレンジさんに、思わず呟いてしまった言葉に、ちょっと恥ずかしくなった。なんていうんだろうか、学校の授業中、先生を間違えてお母さんといってしまったような気分だ。 赤髪さんがお母さん。うん、ちょっとシュール。 恥ずかしくなったので、そそくさとその場を退散しようとしたら、オレンジさんは私の真っ白いだぶだぶなものだから腕をまくったコックコートをひっぱった。つん、と伸びた服の皺に、思わずビックリして振り返ってみると、いたずらっ子のような表情をしたオレンジさんが、いくらかの言葉と一緒にぽんぽんとソファーを叩く。 『ってキャッチセールスに』という言葉がまた頭の中で囁いたけれども、オレンジさんの友好的な態度とか、久しぶりに誰かと話してみたいとか、そんな事が私の中でぐるぐると渦巻いたのかもしれない。ゆっくりと、私はソファーに腰掛けた。さっきまで私が座っていた場所なのに、もうひんやりとしてしまっている。 オレンジさんは、その隣へと、さも当たり前の顔をして座り込んだ。 オレンジさんは、とっても饒舌な人だった。大抵の人といえば、私が言葉が通じないのを理解してしまうと面倒くさそうにどこかへと去ってしまうのだけれど、オレンジさんはなんだか違った。 くるくると面白いくらいに表情が変わる彼に、なんとなく私も嬉しくなって、うん、うん、と分かりもしない言葉に相づちを打つ。うん、うん。 腹時計の時間が、休憩時間は終了だよ、と教えてくれる。戻らなきゃならない。立ち上がった私に、オレンジさんも立ち上がって、垂れた瞳で、にっこりと微笑んだ。なんだかちょっと格好良かった。 「あの、私、戻らなきゃ、いけないんで」 通じるはずなんてないんだけど、日本語をゆっくりと口にする。オレンジさんは、さっきの私みたいに、うん、うん、と頷いて、ゆっくり、ゆっくりとした口調で、言葉を口にした。 「アイ アム ラビ」 一つ一つ区切って。英語というよりは、カタカナに近い発音に、一瞬ドキリとして、言葉を頭の中で訳す。大丈夫。これくらい分かる。彼は人差し指を自分から、私へと移動させた。するすると動く長い指先に、思わずじっと見詰めてしかったけれど、彼が、「ユー?」と、またのんびり発音してくれたおかげで、何となく分かった。 「!」 自分の名前を口にしたのは、本当に久しぶりだと思う。うんうん、と笑ったラビさんは、ほんの少し、私と違う発音で、「」と口にした。嬉しくて、私も「らびさん」と口にした。 さん、と付けたところで不思議そうな顔をらびさんはしたけれど、まぁいいかとでも言いたげに、右手をすいっ、と私へと差し出す。 なんだろうこれ。 「handshake」 呟いた彼の言葉は分からなかったけれど、もしかして、またお話しましょうって意味なのかもしれない。なんだかもの凄く、私は嬉しくなって、うん、うん、とやっぱり頷いて、彼の右腕を、ぎゅ、と握った。 そっか、これ握手だ。 ぶんぶんと力一杯振って、暖かい彼の体温に、私まで、ちょこっと暖かくなったような気がした。 BACK HOME NEXT 2008.07.15 |