
1 主人公A
私は若菜結人という人間が好きじゃない。いっつも教室の真ん中でげらげら笑っていて、何をする訳でもないのに、気づいたらクラスの中心になっている男。別にそれくらいならいい。私は端っこの方でひっそりするのが好きだし、あーあそこの軍団、うるさいなぁ、と思う程度なのだ。なのに若菜結人はわざわざ私の前の机へとやってきて、「美術シスター、宿題みーして」「嫌」 即答させていただいた。
だいたい、美術シスターという呼び方が嫌いだ。私の兄はこの学校の美術教師で、美術部の顧問をしている。だからそこから美術シスター。もっとひねってくれ! いやそういう問題じゃないか! 私には立派な名前があるのだ。それを無視して美術シスターとはなんたることか。どこぞの協会にいそうな名前じゃないか。せめてもっとこう……「エレガントな呼び方にしてくれない?」
私の机でノートを出して、勝手に私のノートをぺらっと開いて、ガリガリシャープペンシルを動かしていた若菜結人は、眉尻を下げながらこっちを見た。情けない顔つきだ。「難しいこというなよ……俺英語苦手なんだって……」 ちなみに今、彼が一生懸命うつしている内容も英語である。私はハーッとため息をついた。
「あんた将来サッカー選手になるんならある程度勉強しといた方がいいと思うけど」
「あッ、ごめん、今俺ちょっと耳が聞こえないからー」
「今日の私のお弁当プチトマトが入ってるんだけど両耳に詰めてあげようか」
「こわいこと言うなよ」
「聞こえてますがな」
気の所為、気の所為、と若菜結人は整った顔付きをにんまりゆがめてノートを見つめる。ガリガリ。私はしらーっとした顔付きで彼を見つめながら「あっ、ちがうちがう。若菜、そこ書き間違えたんだよ」「え? どこ?」「そこ、問3のヤツ」「これな」「それそれ。そこの答えはね、ユーアーバカ」「ユーアー? ごめんつづりは?」「You
are BAKA」「オッケーオッケー……ってお前なめとんのか!!」 気づくのが遅い。
ハハン! と私は鼻で笑ってやった。人様の答えを写そうとしている報いである。むっきい、と若菜が口元をひんまげていた。けれどもペンを動かす手は止まらない。丁度若菜の後ろを通った委員長が、「おい若菜、宿題くらい自分でしろよ」と不機嫌そうな声を出した。けれども若菜は「これが俺の精一杯」とパタパタ片手を振っていた。腹が立ったので、彼の頭のチョップしてやった。「いてーよ」「いたくしたんだよ」
チャイムがなって、若菜が「サンキュ」と短くお礼を言いながら去っていく。英語教師に本日の宿題を提出し、その放課後に返ってきたノートを見て、私はきょとんと瞬きをした。問3 (I
am BAKA)× ←一体どうしたんですか?
教師からのコメントつきである。「ワカナァー!!!!」 私は自分のノートをぐるりと丸めて彼の背中へと駆けた。若菜結人はゲラゲラ笑いながらくるりと体を反転させた。そして「おーにさん、こっちらー」なんてへらへら笑いながら自分の鞄を背負って廊下へと駆けだす。私も全力で彼の後を追った。陸上部なめんな。
とか思ったけれども、想像以上に若菜の足は速かった。
彼は余裕ぶってくるりと回転し、ぺーんぺーん、と自分のお尻をたたく。あっかんべー。なめとんのか。「コノヤロー!」 持っていたノートを水平に彼へと投げつけた。それは見事なコントロールで若菜結人の後頭部へとスコーン! と見事にヒットする。「ぎゃー!」「ヨシッ!」 腕まくりをして拳を握った瞬間、後ろからポンッと誰かに肩を叩かれた。
「……お前、何してるんだ?」
そこにはいかつい顔をした理科教師が、片手を白衣の中へと入れながら、思いっきり眉をひそめていたのだった。いやちょっと、若菜の馬鹿が、と言うとしてこの教師は若菜結人のことをあんまり気に行ってないことを思い出したのだ。「ちょ、ちょっと青春を謳歌して……」「廊下は走るな」「すみませーん」
まるで若菜結人のことをかばってしまった見たいで悔しい。「おーい、シスター」 窓の外から、ひょうきんな間抜け声が聞こえたので窓の外を見てみると、若菜結人が間抜けヅラでこっちを見て指差している。「ばーか!」 窓から顔を乗り出しながら叫ぶと、若菜結人はゲラゲラ楽しそうに笑っていた。「宿題やってこいよー!」 若菜結人は苦い顔付きをしながら、パタパタと片手を振る。そして、「そんじゃあ」と口を動かしてそのまま去って行った。
私は彼のその後ろ姿を見ながら、結局あいつは宿題をやってこないんだろうなあ、と苦いため息をついたのだった。
わかなゆうとの日常、主人公Aより
2011.06.02