奥様からの、電話を頂いた。
受話器は俺がとった。



>>さようなら愛しい人



真っ直ぐに、執事室の前へと立つ。ゴトーさんを中心に、日が暮れた森をじっと見詰めた。遠くで歩く人間の姿が大きくなる度に、腰の後ろへと回した手が、微妙に汗ばむような感覚が分かる。1、2、3。カナリアをのぞいて三人。見覚えがなく、面白いくらいに大中小の彼らを、俺達はお客人として扱う事になった。ゴトーさんのこめかみへと僅かに浮き出た血管が、ひくひくと音を立てている事が分かる。俺は顔の皮膚が、ずきずきと痛い。正確にいえば、キル様に傷つけられた耳と、腹と、臓物と、全部が痛い。

ピンッ、と元気よく立ち上がった黒髪の少年は、顔半分をはらし、ガーゼで応急処置をされている。少し前の自分を思い出して、隣に立つカナリアが、時々申し訳なさそうに彼を見る事で、ああそうか、と一人勝手に頷いた。

ソファーに座る彼の隣で紅茶を静かに入れるとき、「それ、カナリアにやられたの?」 ちょんちょん。頬を指す。「いたそうだね」
少年は、きょとんとした顔のまま、「お兄さんもね」
無垢な答えに、少しだけ笑いそうになり、俺は胸を張る事にした。

「や、これ俺の自慢だからさ」

うん、ホントに。




朗らかに笑うキルア様をというのを、俺は初めて見た気がする。いつも面倒くさげな表情で、「ばぁーか」と単語を一言投げかける彼は、ゴンと呼ばれる黒髪の少年と、その他二人に向かい、元気よく駆けだした。

「いいか、おふくろに何いわれてもついてくんなよ!」

とキルア様は、俺とゴトーさんを見詰め、へこりと二人して頭を下げる。その隣ではしっかりとゴトーさんが「承知しました、いってらっしゃいませ」と答えた。
そのままふいと顔をあげると、彼は「ふんっ」と鼻をならして、「おい、」と何か言葉をいいかけた。多分俺にだろうな、と考えて、「はい」と静かに返事をする。
暫くの間の後、キルア様は軽く視線を揺らせ、別にいい、と踵を返す。銀の髪が、暗闇の中で揺れた。
ゴンとゴトーさんの会話を、隣で聞き流しながら、4つに並ぶ彼らを、じぃっと見詰める。

「いいのか」

不意にゴトーさんが呟いた。
腰の後ろで軽く結んだ手をほどき、俺はゆっくりと顎をさする。べこべこと、凹凸のある顎を、何度も往復しながら触った。「………なにがですか?」

「奥様に、キルア様についていけといわれたんだろう」
「そうですね」
「じゃあ何故見送る」
「だって、キルア様に釘さされちゃいましたもん」
「お前なら、喜んでついて行くんだと思ったんだが」
「あっは、うん、そうスね」

今度は俺は、左の耳をなで上げた。さきっちょがない。
あれだけ彼がいなくなり、ふてくされていたくせに、とでも言いたげにゴトーさんは目線を下ろした。それを俺はあっは、と笑った。

「うーん、キルア様の邪魔したくないんですよう」
「殊勝だな」
「そうス。大人ですもん。……いなくなっちゃおうのは、寂しいし悲しいですけれど」
「執事は雇用主に対し特別な感情を抱いてはならない」
「だってゴトーさん、」


随分前にも、俺はゴトーさんと同じような会話をした事を思い出し、また少しの含み笑いをした。小さくなる彼らの背中を見送り、隣のゴトーさんを見上げる。「ゴトーさん」「なんだ」「喜びましょ」

「喜びましょう。キルア様に、行ってらっしゃいって今いえるのは、俺たちだけなんですから」

俺たちは、真っ直ぐ彼らを見据えた。名残惜しげに耳をひっかき、手のひらを後ろへと回す。ピンッと背筋を伸ばし、そのまま真っ直ぐ、頭を下げた。いってらっしゃいませ。呟いた言葉に、もう一つ付け加える。「お気を付けて」

どうか、お気を付けて。



いってらっしゃい。キル様。
(我慢は身体によくないらしいから、待つのに飽きたら、ちょっとくらい、邪魔してもいいかもなぁ)(大好きですよ、って言葉は、飲み込んだ)


さようならなんて、いいません。


1000のお題 【866 この道の行き先】


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2008.10.04

終了

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