第5話 教室の中 呼び出し音が聞こえる。 何度目かはわからない。もう一度、と着信の履歴からそれを探し、もう一度ボタンを押す。繋がらない。「……チッ」 どこにいるんだ、あいつらは。 くしゃりと髪をかき上げて、ため息が出た。イラつく。「跡部ぇ、ミーティングはじめねーの?」 両手を頭の後ろに組んで、足をぶらつかせるおかっぱを思わず睨んだ。「お前の相方がいねーんだよ……」「なー。鳳もいねーし」 めずらしい、とお気楽にも口笛を吹いている。 あの関西弁、と苛立ちながら跡部は携帯を制服のポケットにしまった。どうせ妙なちょっかいをかけて、鳳にくっつていっているのだろう、と探しに行かせた日吉までもこれだ。何か違和感があった。それからふと、片眉を上げた。 空を見れば、おかしな天気だ。雨でも降ってくるのだろうか。 「…………何やってんだ? あいつらは……」 まさか直接殴り飛ばすとは思わなかった。それに意味があることなのかどうか分からない。ごろん、ごろん。転がし落ちて行く音がひどく生々しく響いていたことを思い出して、ぞっとした。 階段を駆け上がり、少しでも遠くと廊下を駆ける。鳳達はにとって、あんまりにも足が速かった。は鳳に引っ張られるのがせいぜいで、とにかく必死で見知らぬ教室の中に隠れた。鍵がかかるのは幸いだ。ただ教室に数学の宿題を取りに来ただけなのに、なぜこんなことになってしまったのか。 「ごめん、さん、俺、必死で」 ふらつくの体にやっとこさ気づいた鳳は、彼女の背をそっと撫でた。大きな手のひらだ。大丈夫と頷くことしかできない。 「うっかりしたわあ……。ここ、三年の教室やんか。反対やわ。階段を降りなあかんかったのに」 目的地の出口とはまったくの逆方向だ。「なんちゅーか、まあ、悪戯にしては」 おどけた口調で忍足はひきつる口元を笑わせた。「本格的やな?」 バシン、と返事をするように教室が震えた。 思わず鳳はをかばうように抱きしめた。ただ、彼女はしっかりと瞳を見開いたまま、部屋の真ん中を見つめる。誰のものか分からない机が勝手に倒れた。入れっぱなしの中身がからころと転がってぴたりと止まる。小さな消しゴムだ。 「…………あかん、ちびる。はよ逃げたい」 誰も返事ができない。 そのくせ、すっくと日吉が立ち上がった。片手にはホウキの棒を握っている。「日吉くん、やめよう。それはだめ」 気づけば鳳の腕の隙間から逃げ出して、日吉の左腕をきつく握っていた。ふと、彼は細い目で振り返った。ガシャン。もう一つ、机が倒れ込む。は小さな肩を跳ね上がらせる。教室は鍵をかけている。これでは逆にすぐさま逃げられない。「鳳」 忍足の言葉に鳳が頷く。「だめ、鳳くん。今はまだだめ」 また一つ、机がはね飛んだ。 ここにはいない。 何故だろうか。そうわかる。ただどこからか、ふいと遊んでいるだけだ。数えて3つ、机が跳ね跳んで、それで止まった。どれほど息を吸っていなかったのだろう。ひどく瞳が乾いていた。瞬くことも忘れていた。「止まり、ましたね……」「止まったな」 誰のものだかわからないが、倒れ込んだ机の中に置かれた教科書達が床の上に散らばっている。 「ほんまに、本格的やわ……」 今度こそ、何も起こらない。ほぅと息をついた。そんなの様を、じっと日吉は見つめていた。彼はあのとき、“何”かを叩いた。ぶんと、力強く。あれは確かに人の肉の塊だった。硬いくせに、柔らかい。肉の内には骨があった。生々しい感触が叩いたホウキを伝わった。「お前、何か知ってるのか」「え」 ふとした疑問だった。けれどもその問いに、ひどく彼女が狼狽していることがわかった。「あいつらの仲間かなにかか?」 これはひどく悪質な嫌がらせだ。どういう仕掛けかは分からないが、少なくともこの教室には爆発物を仕掛けてある。迂闊に動くことは危険だ。彼女は怯えている。そう見えるはずなのに、何か分かっているような、そんな口調であった気がした。 「あの、う」 「知っているんだな」 声をひそめているのに、次第に突き詰める口調が鋭くなる。 日吉、と鳳にたしなめられた。日吉こそ、そんな確信があるわけでもない。日吉にとって、はそうまで強い印象はない。氷帝は生徒の数こそ多いが、男女が深く関わる行事があるわけでもない。そこまで目立つ姿でも、性格でもない彼女を、たかが一度同じクラスになったという程度で深く理解できるはずもない。けれども、違和感はあった。彼女はこうも強く、人に言葉を言える人間だったろうか? (日吉くん、やめよう。それはだめ) 日吉は知らない。どれほどの勇気がいるか。にとって、どれだけの勇気を振り絞らなければいけないか。カチリコチリと時計の針が進んでいく。彼らにとって、一番の時間が近づいてくる。不審者であると、そう納得してくれればいいのに。「おばけが」 見たらあかんよ、と兄が言う。「おばけが、いるんです……」 初めて、他者へ口にした。 バカバカしい、とでも言うように日吉はを一瞥した。それだけだ。言葉にしなければよかった。ひどく耳の裏が熱かった。「まあまあ、ほんまにその通りやわ。おばけ。いるんちゃうか。俺なんかちびりそうやったしな?」 くすりと鳳が笑みを落とした。それから、大丈夫だとに言い聞かせるようにの頭を大きな手で撫でた。「大胆やな、鳳」 呟いた忍足の声は、おそらく聞こえていない。 「それよかここは危険やわ。はよ外に行くことがまずは重要やしな。それにちゃんは女の子やで。わかったり。めっちゃ怖いやろ、こんなん。お前やってなんかおばけの話、好きなんやろ?」 「……なんで知ってるんですか、というか今それは関係ないでしょう」 「それよか日吉、お前さっきケータイ鳴ってたやないか」 誰からや、と忍足が首を傾げる。外から音が鳴っていた。つまりは外から救援を呼べる。彼自身もひどく動揺していたらしい。ホウキを脇ではさみ、携帯の履歴をさぐる。「……部長、ですね」「おお!」「通じないようですけど」「おおー……」 いくらボタンを押したところで、電源が切れているとアナウンスしか流れない。 「電波の障害でも起きてるのかな……」 「そりゃ、大規模やな」 からからと笑いながら、忍足は慎重に教室を見回した。おばけ。そんなものは信じていない。けれども何かある。それは事実だ。さきほど机が跳ね跳んだ。忍足たちがこの教室に入ることを誘導されていたのかもしれないし、もしかすると他の教室にも同じように何かが仕込まれているのかもしれない。 それにしては随分とセキュリティが甘く、また入念に仕込まれている。 ここは三階だ。けれども、逃げられない距離ではない。まして、彼は自身の運動神経を知っている。「これ、持っといてんか」 鳳へ自身も持つホウキを一本渡した。まあ別に後生大事に持つ必要もなく、またどこかの教室で仕入れればいいだけだが。「もうどこも爆発せえへんな」「わかりませんけどね」 後輩の嫌味ったらしい台詞も、今は可愛らしく感じる。「ほな、あとで証言してくれや」 さっさとこうしておけばよかった。 何をですか、と問いかける暇もなく。 忍足は近くに置かれた椅子の背に手をかけ、振り上げた。 重い物がぶつかり合う音が聞こえる。「…………おかしいやないか」 椅子がガラスにぶつかり落ちて、ごとりと床に転がった。「うちの学校は、強化ガラスでも使っとるんか?」 変なとこ、しっかりしとるなと傷一つもつかないそれを見て、忍足の口の端が、勝手に引きつった。 ← ■ → 2016/10/10 |