第4話 日吉 呆れ顔の少年がこっちを見つめている。「え、あ、日吉……?」 もう一度、確認するように、鳳は瞬いた。そんな彼を見て、日吉は鼻の頭に皺を寄せるように彼らを睨んだ。 「何ぼんやりしてるんだ。さっさと戻るぞ」 「え、えっと」 もしかして、日吉、探しに来てくれた? と鳳は高い背をかがめながら、ポリポリと頭をかいた。とりあえず、彼女について教室に戻るだけ。そう思っていたから、彼らに説明することなく、ミーティングには参加せず、こっちに抜け出してしまったことを思い出したのだ。相変わらず日吉は不機嫌そうに、鼻から息を吐いて、「たまたまクラスに用があっただけだ。部長からお前たちがいれば、さっさと戻れと声をかけろと言われてはいたけどな」 日吉と鳳のクラスは別だ。自身のクラスに向かう最中に人の気配がしたものだから扉を開けようとした。おそらくはそんなところだろう。 「日吉……わかったけどな、声くらいかけてくれや……」 「はあ?」 意味がわからない、と彼は彼は深く眉をひそめた。「……それより」 じろり、と瞳を移動させる。「なんでもいるんだ」 長い前髪の下の瞳が、妙に鋭い。「なんや自分、ちゃんと知り合いか」「一年のとき、同じクラスだったってだけです」 妙に言葉は冷たいが、別に彼女に対して特別という訳ではなく、これが彼の常である。 「あ、その、私が教室に忘れ物をしちゃって、それで、鳳くんも一緒にって」 ごめんなさい、とは即座に頭を下げた。けれども日吉は吐き捨てるようにため息をついて、腕を組んだ。「お前が忘れ物をして、それでなんで鳳が出てくるんだ。その上、忍足さんも一緒の意味がわからない。制服にも着替え終わってないし、さっさと部室に戻ってください」 取り付く島もない。 すまんすまん、と流されるままに忍足は頭を下げたが、そんな場合ではないとばかりに、ハッと顔を上げた。「日吉、お前、変なもん見いひんかったか?」「……変なモノ?」 慌ててが付け足した。「不審者が、出たんです」 こっちの言葉の方がわかりやすい。そう思ったのだ。 けれども相変わらず日吉は眉をひそめたまま、「……つまり?」 鳳と忍足、は顔を合わせた。代表するようにと鳳が口を開く。「その、俺達、一階の廊下で、変なもの……いや、多分学校に侵入した何かを見たんだ。日吉は何も見なかった?」 どうにも容量の得ない言葉になったが、仕方がない。鳳自身にも、さっぱりと理解ができていない。わかっていると言えば一人であるが、彼女は口を挟むことは躊躇した。 「……いや、俺は何も見ていない。ああ、それで鍵をかけて、部屋に閉じこもってたってことか?」 「そう」 やっとお互いの意思が通じたことに、パッと鳳は嬉しげに笑った。ふうん、と日吉は鼻の頭を触った。嫌な予感がする、とは瞳を伏せた。一人二人ならまだしも、三人となると誤魔化し辛くなる。特に日吉のことは、一年間同じクラスであったから、ある程度の性格も知っている。 そんなことを言って、信じる人間がどれくらいいるのだろう。信じる方が変に決まっている、ということくらい理解できる。だから彼らにも通じやすいように、“不審者”と言葉を変えたのに、人が多くなれば、人間心の余裕が生まれてくる。それじゃあいけない。考える余地ができてしまえば、あっと言う間に、矛盾やほころびに気づかれてしまう。 「……学校の警備には電話したか?」 「あ、いや、俺は、ジャージのままだし、携帯は持ってなくて」 「俺もや」 ちらり、と視線を向けられたものだから、は慌てて自分の携帯を出した。「あの、ごめんなさい、学校の番号は入ってないから」 それに多分通じない。こういう場所では使う方がよくないことが起こりやすいので、あえてそのことには触れないようにしていたのだ。それに学校の番号が入っていないことも事実だ。 日吉は軽く眉をひそめた後、自身のポケットから携帯を取り出した。慣れた手つきで番号を出し、プッシュする。出ないらしい。数秒ののち、携帯を閉じた。「……盆の時期だし、先生方もいないんじゃないかな」「教師はそうだが、警備の人間はいるはずだ」 日吉の言葉に、鳳はなるほどと頷いた。 そうした後に、今度は警察の番号を押したらしい。プッシュが3つの数字であるので、訊かなくてもわかる。一度電話を切った後、複数回かけ直す。けれどもやはり意味がない行為だった。さすがにこれはおかしい、と4人に沈黙が流れた。 「…………通じない」 「えーっと、警察の人も、忙しい、とか……」 「いや、鳳。そりゃ、あらへんやろ。ちょっと怠惰すぎるんちゃうか?」 「ですよねぇ」 若干、鳳の声が上ずった。 は何も言わず、彼らを見つめた。「…………こうなったら、さっさと外に出た方がいいな。校舎に閉じこもっている方が危ない」 それじゃあいけない。みすみす危険に足を踏み込むようなものだ。は慌てて壁掛けの時計を確認した。3時12分。じわじわと、嫌な時間が近づいてくる。 「あの、でも、教室の外に出て、いきなり襲われちゃったりしたら」 困ったように声を出す彼女の声は、見ず知らずの不審人物を恐れているようにも聞こえたかもしれない。の隣に立っていた鳳が、彼女を慰めるようにぽんと肩を叩いた。大きな手のひらだ。「んん、さすがに男が三人もおるし、大丈夫やとは思うけどなあ」 日吉と言葉を交わすことで、段々と気持ちが元に戻ってきたのかもしれない。忍足が明るい声を出した。「でも」 は声を小さくさせた。 「そうだな、じゃあ窓から出たらいい。二階からなら、降りられないこともないだろう」 「あの、私は、無理で」 「俺が下で受け止める」 日吉の言葉に、慌てて鳳が手のひらを上げた。「い、いや日吉じゃなくて、俺が!」 ぶはっと忍足が吹き出した。はそんなことよりも、と日吉を見上げた。「でも日吉くん、鍵は閉まってて、開かないから」「…………閉まってて開かない?」 何をいうんだ、とばかりに日吉は窓の鍵に手をかけた。動かない。 ガチャガチャと無意味に鍵が動く音が響く。 そんな声が聞こえる。は唇をかんだ。さきほど、が鍵を確認した。鍵は何者かに細工をされ、施錠されていて動かない。窓は開かない。彼女はそう説明した。けれどもそんなことはありえない。鍵の仕組みは単純だ。ただくるりと銀の取手を動かして、かちゃんとひっかける。ただそれだけ。それだけなのだから、細工があるとすれば、見ればすぐに分かる。けれども、見えない何かにひっかかったように動かない。その違和感に日吉は気づいた。 (ごまかせない) 適当に彼らの思考を誘導しようとした。けれども、どうにも彼女にはその役割は重かった。なるべく彼らをこの教室にとどめておきたいというのに、うまくいかない。(…………でも、外に出た方が、いいのかも) 自分だって、少しだけ奇妙な気配が分かるというだけだ。何ができる訳でもない。反対に夜まで閉じこもって、事態がよくない方向に進むということはないだろうか? 動かなければいい。そんなことを言っていいのは、砂漠で遭難したときだけなのかも。 ふと、兄の声が聞こえた。 気づいたらあかんで。見ぃひんふりし。なんにもないふりをせなあかん。 (でもお兄ちゃん、私、見てもうた。どないしたらええん?) 分からない、と言葉が小さなときに戻ってしまった。もうずっと前に変えたはずの言葉が、ときどきふと戻ってくる。そういうときは、自分に余裕がないときだ。(見ないふりって、いつもと同じようにするってこと?) だったら、日吉がいうように、この教室から出て、さっさと別の場所から校舎の外に出た方がいいのだろうか。(ちがう) 窓は施錠されていた。おそらく、入り口のドアも開きはしない。バタン、と大仰な音を立てて閉まった扉を思い出した。確認する価値はある。けれども、結果はわかっている。 中途半端だな、とは眉をひそめた。窓を閉める。逃げ道をなくす。“彼ら”はきっとそうしたいに違いない。けれども、本当に達を逃したくないというのであれば、この教室のドアだって開きはしないはずだ。(……反対に、教室に閉じ込められた?) 違う。よくないものがあれば、には分かる。ここは安全だ。そのことだけは、はっきりと理解できる。 (動いちゃだめだ) ここは、確実に安全だ。彼らには彼らのルールがある。 (怖い……) カチリ、と歯の根が合わなかった。自分は知っている。彼らは生きているものではないと、わかっている。(怖い) ただ自分は、彼らが何であるか知っているだけだ。何にもできない。私はお兄ちゃんじゃない。こんなの何の訳にも立たない。少しだけ知っているだけで、だからこそ怖い。 きゅっ、とは唾を飲み込んだ。口から妙にすっぱい唾が込み上がる。大丈夫、吐いてもいいよ、鳳はそう言った。けれども、口元からせりあがるものを、必死に飲み込んだのだ。今度も大丈夫、頑張れる。 けれども、はぺたりと地面に腰を抜かした、ふりをした。 「さん?」 「ちゃん、どないしたんや」 鳳と忍足の言葉に、ふるふると首を振る。「あの、腰がぬけて」 動けません。とは小さな声を出した。だから、ここは動けません。 そう言えば、彼らをここから出さずに、なんとかできると思ったのだ。 慌てたように鳳が座り込んだ。心底心配しているその顔を見て、少しだけ胸が傷んだ。だから彼から目を逸らしてみると、日吉はめんどくさ気な顔で息をついている。わかっていたことだ。「だったら、鳳、お前がをかついだらいい」「えっ」「わかった、まかせて」「えっ、えっ」「乗り心地はええはずやからな。ま、安心し、ちゃん」「えーっ!」 わ、わ、わわ、と必死に首を振ったのに、気づいたらひょいと鳳の背に担がれていた。なんてことだ。ぱたぱた、とが足を動かすと、鳳は「うわ」と慌てたように声を出して、耳を赤くさせた。けれどもそんなこと、は知ったこっちゃない。「あの、おろして」「大丈夫、さん、軽いし」「そういう問題じゃ」 こんなところで、すったもんだしている場合じゃない。 「ほんなら鳳はちゃん係やな。俺らは、そうやなあ」 ガタガタ、と忍足が掃除用具入れをあさっている。ホウキを二本取り出して、一本は自分に、もう一本は日吉にと渡した。「…………なんですか、これ」「武器やろ、武器。心強いわー」「…………」 納得はしたらしく、日吉はホウキの棒を握った。 なんだか違う。間違ってる。だというのに、「さん、安心してね」 だなんて鳳の言葉に、は困ったように唸った。 「とにかく、ダッシュで入り口やな。先頭は……」 「俺が行きますよ」 「おっ、さすが古武術ボーイは意気込みがちゃうなあ」 「意味がわからないことを言わないでください」 こんこん、とホウキの柄で肩を叩きながら笑う忍足を日吉は睨んだ。「そしたら、俺とさんは、最後ということで」「鳳とちゃんって言うか、鳳プラスちゃんって感じやけどな」 忍足の軽口を無視して、かちゃん、と日吉が鍵を外す。はぴくりと顔を上げた。 「鳳くん」 「ん?」 「おろして」 「でも」 「おねがい、大丈夫だから」 彼女の声に、ゆっくりと鳳はを地面に下ろした。日吉が一歩外に出る。続いて忍足。その次に鳳。はためらうように足を踏み出した。ぞっと背筋を何かに舐められた。慌てて目の前の鳳の手のひらを掴んだ。驚くように鳳は振り返ろうとしたが、は彼の背を押した。「走って」「え?」「みんな、走って!」 ぺた、ぺたぺたぺた、ぺた 音が聞こえる。腐敗した匂いがする。一瞬振り返る日吉と忍足の背を、思いっきりに押した。「走って! はやく! 逃げて!」 まるでさっきと同じく押されるように彼らは走った。叫び声が聞こえる。誰の叫び声だかもわからない。階段を駆け下りようとした。けれどもその先に、ひょいと白い足が立っていた。けんけん、と歩きづらそうに片足を動かして、階段をのぼる。靴下も、靴も何もはいていない、ただピンク色の切断面のみが綺麗に見える足が、ずるずるとこちらに上ってくる。 ただ無言で日吉はホウキの棒を振るった。ゴツッと当たる音がする。くるくると足は階段を転がり落ちた。けれどもまたペタリとこちらに目を 日吉の服をひっぱり上げる。逡巡もそこらに、日吉は階段を駆け上った。 携帯の着信音がなっている。誰のものだろうか。そうは不思議に感じた。自分ではないのだから、きっと日吉に違いない。そう思うのに、ただ涙ながらに叫ぶ光景はどうにも遠くて、鳳に握られた手のひらのみが、彼女の意識の内にあった。 ← ■ → 2012/07/14 |