魔界から子狐やってきた






「おー、おかえり秀兄―」
「おっかえりー」

家に帰ると、見知らぬ子どもと義理の弟が食卓についていた。「……ああ、うん。母さんは?」「父さんと一緒に遅くなるってさ」「ってさー」  こだまのように声を返して、うひゃひゃひゃ、と笑いながら、その子はテーブルに座って、足をパタパタさせている。どうやら自分が帰るのを待っていたらしい。ちらりと横目を向けた後に、自室に帰り制服を脱いだ。そしてまた食卓に着く。

いただきます、と手を合わせて、母の作りおきに箸を伸ばす。「んー、んー、んんー」「こらー、きたないぞー」「んんー」「スプーンの方がいい?」「んんー」 義理の弟と、隣の子どもの会話を見て、よく会話が成立するものだなと思った。うん、と頷き、たくあんをポリポリ咀嚼した後、「秀一」「ん? 何秀兄」「その子は?」

我関せず、と言った顔で、ごきゅごきゅお茶を飲んでいるその子に目を向けた。見かけだけで判断するのならば、小学校、中学年くらいだろうか。見かけだけで言えば。その子どもが、「ぷはーっ」と満足気な声を出した。そしてまた、お茶をついで、ごきゅごきゅと、飲み始める。お茶が少なくなったな、沸かさないと、とぼんやりと考えていたとき、義理の弟は、心底不思議気な顔で、言ったのだ。

「何言ってんだよ。じゃん、俺のとこの、従兄弟の

こないだから、ずっと家にいるだろ? と言う弟の台詞を聞き、なるほど。と蔵馬は頷いた。なるほど。「ぷはーっ」




「で、どうしたいの?」



え? ええ? うえええ? とその子は手のひらをモジモジさせて、蔵馬の服の裾をくいくい、と引っ張る。「お、おトイレぇ……」 秀一はテレビを見て、ケラケラと笑っていた。「宿題は?」「あとあと」「トイレぇー」 くいくい。

「一人で行ったらいいんじゃないかな」

まあ、あれだけ水分をとれば、トイレもしたくなるだろう、と思いながら、蔵馬がしごく当たり前の返事をすると、は泣き出しそうに眉を八の字にさせた。彼はきゅっと唇を噛んで、ちらちらドアを見つめる。「くらい……」 一人では廊下が暗くて怖い、と主張したいらしい。なるほど。

「秀一、宿題ちゃんとやりなよ」
「やるやる」

けらけらけら、と笑う弟の背中を見送りながら、蔵馬は彼の誘いに乗ることにした。「で、どうしたいの?」
なにが? と自身の服に手を伸ばしながら、子どもは首を傾げた。そんな姿を冷ややかに見下ろしながら、軽くため息をつく。「きみ、妖怪だろう」
一体全体、こいつは何がしたいと言うのか。


***

妖怪と人間界の結界が開封されたのは、つい先日のことである。
人間を妖怪から守るため。そんな大義名分を持ちながら、長く続けられてきた体制が堕れ落ちるのは一瞬だった。悪さをする妖怪なんて、“意図的“に作り出された幻想妄想、気づけばホイホイと魔界から人間界に、人間界から魔界へと足を運べるようになってしまったのだが、蔵馬としては、いちいち結界に穴を開けることも、妖気を押さえる必要もなく、便利になったものだな、という感想しかない。
なるものはなるし、ならないものはならない。という訳でもないと思うのだが、そこら辺は自身が考えるべきことでもなく、こちらはこちらの生活がある。


と、適当に考えていた面があると、否定はしないのだが。



さて、目の前の子どもはどうだろうか。明らかにプンプンと妖気を匂わせ、人間への記憶の改ざん、不法侵入、ついでに言えば、勝手に飯を食べていたので無銭飲食もプラスして、現在の魔界の法律では立派な犯罪者である。ただの面白半分の愉快犯か。それとも蔵馬個人に、何らかの恨みがある妖怪か。可能性から言えば、後者の方が高い。恨まれる覚えは腐るほどあるが、いちいち相手に付き合うほどの趣味はない。

ポケットの中には、種がいくつか。一瞬のうちに終わらせてしまえばいい。けれどもこいつは、すでに弟と接触していた。何らかの策がはられている可能性も捨て切れない。蔵馬は表情をどこかに捨て去り、小さな子どもを見下ろした。

(偽名ではないのであれば)と名乗った少年は、なんだろう、とでも言うように、おどおどとこっちを見上げていた。「秀兄ちゃん、こわいよう」と言いながら、部屋の廊下で、両手で顔を覆いうつぶせる。にまり。手のひらに隠されない口元が、奇妙に弧を描いている。「なんちゃって」

ぱちん、と家の電気が消え失せた。


何を、と蔵馬がうめいた瞬間、はしゅるりと小さな体を飛び跳ねさせた。ぽんぽんぽん、と宙に飛び交う青白い炎に、蔵馬はパチリと瞬きをする。
     いただく。

どろどろと辺りに響く、静かな珍妙な、ひどく恨めしげな声が、幾重にもこだまする。ひゅん、ひゅんひゅん、と拳大の炎が蔵馬の周りをぐるぐる回り、声は響く。
     その首、いただく!


襲い来る小さな刃に、蔵馬はサッと手刀を振り下ろした。「きゃんっ」 まるで子犬のような声を出して、ぽてりと廊下に転げ落ちたの首根っこを掴みながら、ううん、と蔵馬は首を傾げた。「…………狐火?」 あの小さな、しょっぼい炎は。

「秀兄ー、停電大丈夫だったー?」
「ああ、そっちは?」
「テレビが消えた」
「宿題しろってお告げだろ」

で、この子狐、どうしよう。





「へー、まあそういう感じで、なんかちっこいのがくっついてる訳ねー」
「そうなんですよ」
「そいつ、尻尾が見えてっけど」
「普通の人間には見えないと思いますよ」

ふーん、上手く化けたもんだなー、と顎をこりこりひっかく桑原が、蔵馬のズボンにくっつきながら、小さな歩幅を必死に大きくしているに「よっす」と言うように片手をひらつかせた。見かけどおりではないが、予想通りに子ども好きなのだろうか、とふと蔵馬が考えたとき、フシャー! とは毛を逆撫でる。何なんだ。「おおっ、そんなびびんなよ」「フーッ! フーッ!」「悪いって、悪いって!」

小さい手のひらで必死にバタバタ桑原を遠ざけるだが、一体これはなんなのか。(……俺の首を狙って来たんだよな?) 個人的な恨みがあるのか。それともただの力試しの名声を手に入れようとしたのかは分からないが、好かれるいわれは恐らくない。というか、これは好かれているのだろうか。「く、蔵馬、一体なんなんだよ、こいつ」「それは丁度俺が考えていたところで」

別に、めんどくさくなったのなら、さっさと殺せばいい話なのだが。
(あんまりにも弱すぎて、やる気も失せると言うか)
それにこの狐、力の方は今ひとつだが、術の方は中々らしい。父母弟、ついでに言えばご近所さんまで、こいつをすっかり従兄弟の子どもと信じこんでしまっている。用意周到なことこの上ない。下手に殺して術の解除もままならないとすれば、一つ面倒なことになる。別に今は軽く片足が重いだけで、特にそこまでの不便はないと放おってはいるのだが。「おいお前、リーゼント!」「…………やっぱ俺だよな?」

オメーだ、オメー!! と狐の小僧はビシッと桑原に指をさす。「子ども扱いはやめてもらおうか。これでも貴様の何十倍も生きているんだぞ。このひよっこリーゼントが! もっと気合をいれんか!」「……おい蔵馬」「まあ、事実だと思いますよ」 多分。妖怪と人間は寿命が違うし。

「まったく。中途半端な長さのリーゼントをしやがって。伸ばすからにはフランスパンくらい目指してみたらどうだ」
「蔵馬こいつ殴っていいか?」
「お好きにどうぞ」
「あいよ」

ぼこっ
「うきゃんっ」

うおおおうおおう、と、尖ったきつね耳をペタンと下ろして、ついでに先っちょをプルプルさせるを見下ろし、「フランスパンは普通に無理だろう」と蔵馬は静かに呟いた。それはちょっと、通行の邪魔になりそうだろう。満員電車とか。「で、蔵馬。お前こいつになんかしたのかよ?」「さあ? 覚えは全然ありませんけど」「めちゃくちゃこっち見てるけど」「電柱の影に隠れましたね」 ブルブルしてる尻尾が見える。

「ほら、なんか理由があって来たんだろ? おーい、だっけ?」
「ばか! あほ! リーゼント!」
「だから尻尾震えてるぞ」
「さぁ……? 興味がなくて訊いてないんで」
「お前結構ひどいやつだなぁ」
「あほ! ばか! なすび!!」
「なすびらしいぞ」
「今日の夕飯は田楽とかいいですね」






「俺は!! お前の!!! 息子だー!!!!」


衝撃の告白に、蔵馬はぼんやりお玉を握っていた。味噌汁ぐるぐる。「無視すなー!!」「今ちょっとあっためてるから。秀一、おい手伝えって」「あとでー」「後でってお前」 しゅういちー、とかちかちコンロの摘みをいじる蔵馬の背後で、「無視すなぁー!!!」とはバタバタ暴れた。床にごろごろ転がった。埃がつくぞ。

「もおおおおお、いっつまで経ってもお前が理由を訊かないから、俺から告白しちまっただろうが! ちくしょう! ちくしょう! かっこわるいちくしょう!!」
お箸並べといて」
「並べるから聞けよう、聞けよう、相手しろよう」
「ご飯食べたらね。しゅういちー!」
「いまいくー!」

取り敢えずもごもごご飯を頂いて、蔵馬の部屋のベッドをバフバフ叩きながら、は叫んだ。開陳した。曰く、子狐は、蔵馬の息子である。


    母親はいない。とっくの昔に死んでしまった。父親は蔵馬。大盗賊の妖狐の蔵馬。顔を見た訳でもないけれど、母親がそう言っていた。いい男だったわ。危ない男よ。ひどく危ない男だった。そこがいいの。そこに惹かれてたまらないの。どこか世間知らずで、享楽的で、虚無的で、放埒な、奇妙な人で、寂しい人でもあった。生きているときと同じく、気づけばぽっくり死んでいた。


    一体蔵馬とは、どんな男か。
気になった。気になって仕方がなかった。母を放って、自身も捨てて、ただひたすら悪道にはしるその男の背を想像した。いつしか、蔵馬は人間界に降りたと噂で聞いた。自身の力が弱ければ、そっちに行くこともできただろう。小癪な霊界の人間に張られた結界に閉ざされ、男の顔を拝むことは無理と悟った。しょうがない。そう、思っていたが、ある日突然、結界はなくなった。

奇妙なトーナメントで、魔界の首領が決まったらしい。別に、それはいい。抑えつけるのではなく、手を取り合う。人間界に迷惑をかけないように。それとこれとが、どう結界がなくなるのか、よくわからない。いや、関係がないかもしれない。どうでもよかったから、よく知らない。問題は一つ。邪魔な結界がなくなってしまったということ。
父親に、会うことができるということ。


「だから! 俺はお前に会って、ぶっとばすって決めてたんだ! よっくも長い間ほっぽり出してくれたなテメー!!」
「うん? あ、ごめん終わった?」
「え、うそ聞いてない? 聞いてなかった? うそあのちょっと」
「きいてたきいてた。うんうん、どうしようかな、ここの内容」
「ペンを置いて!! 本を閉じてー!!」

このくそおやじー!!!
うあーん、と小さな子狐の泣き声が響き渡った。こんこん。






は狐である。
妖狐である。
まだまだ修行中だけど、結構妖力も強い。
どっちかというと術の方が得意。
そして一番重要なことは。



「俺は、蔵馬の息子だー!!」

ビシッと指をつき出しながら、ちゃぶ台に足を乗っけたを、がごっと幻海がどついた。確かに人様の家に来て、テーブルに足を乗っけるのはいけない。涙目になりながらも、は言い直した。「俺は、蔵馬の息子だぁ……」

の頭と尻尾には、銀色ふさふさな耳と尻尾がぱさぱさ動いている。「……いや蔵馬、おめーもすみにおけねーなー」 まっさかすでに父親だったなんてなぁー、とポマードをつけて後ろになでた頭を面白げにぷるぷる振るのは浦飯幽助。の耳をちょいちょいといじった後に、耐えかねたのか床に転がり、ゲラゲラと笑い始めた。そんな様子を呆れたように桑原が見つめ、幻海は無関心にポチリとゲームの電源を入れる。ちなみにここは玄海の自宅である。

「……まさかそんな、集まらなくても」
「あほか! これが面白がらずにいられるか! 本当なら飛影もコエンマも陣も凍也も鈴木(略)も呼びたかったんだけどな! 集まったのは暇人だけだ!」
「略すなよ。あと俺は暇じゃねーよ」
「おいクソ弟子ぶっとばすぞ」

人んちに勝手に来てなにが暇人だオラ、と言いながら、彼女のコントローラーが火を吹いている。ウィナー! あっちはあっちでテレビ向こうに夢中らしい。「まあでも黄泉には便りを出しといたから」「……勘弁してくださいよ……」「俺は息子だぞー!」

うおー! とハイテンションで拳をふるい続ける息子を見て、蔵馬は軽いため息をついた。「さっきから、妙に元気だなぁ」 複数人の気持ちを代返して、桑原がつぶやくと、蔵馬はどうでも良さげに「俺が全然話を聞かなかったから、誰かに主張できて嬉しいんじゃないですか?」「いやさすがに聞いてやれよ」 鬼畜な父親だなテメー。

はきょろきょろ辺りを見回した後、最終的にと幻海の隣へちょこんと座った。ピコピコ光る画面を見て、なんだこれはと眉を寄せる。「ばあちゃん、これどこが面白いんだ」「黙ってな子狐」 怒られた。

「で、蔵馬。母親はどうなんだって?」
幽助の言葉に、ああ、と蔵馬は頷いた。「死んだそうですよ」「はー、ちっこいのに可哀想に」「桑原くん、こないだも言ってましたけど、妖狐の寿命は長いので、こっちの年齢に換算すると桑原くんより年上ですから」「いや、分かってはいるんだけどよ」

幻海のコントロール捌きに、ウオウ、と叫びながら尻尾を太くさせる狐は、どう見たって小学生だ。「フーン、蔵馬ちゃん、ほんっとすみにおけねーよな、で、母親は?」「だから死にましたって」 そうじゃなくってよう、とわかってねぇなぁ、と言いたげに、幽助はぶるぶる頭を振った。見ててちょっとむかつく。「どんな美人さんだったかって訊いてんだよ、この色男」

ふむ、と蔵馬は腕を組んだ。虚空を見つめ、瞼を閉じる。「思い辺りが多すぎて、ちょっと分からないんですよ」 ぶばっ、と若輩二名は唾を吹いた。

「っていうかそもそも」 蔵馬はテレビ画面を必死で見つめる子狐に向かって、首を傾げた。「きみ、本当に俺の息子?」 まさかの。

「む、息子じゃわい! 息子じゃわい!!」 とごろごろ床でダダをこねる息子(仮)を見下ろしながら、「ま、なんでもいいか」と父親(仮)は言葉を漏らしたのだが、「どうでもよくねー!」 認知しろー!! と小さな叫びが響き渡った。こんこん。





「ばあちゃん、ばあちゃん、親父が認知してくれないんだけどどうしたらいいと思うばあちゃんばあちゃん」 こんこんこんこん。ごろごろごろ。
ばあちゃんばあちゃん、とは幻海の周りをごろごろ転がる。床の畳の埃掃除のごとく、銀色の尻尾が埃まみれになっていく。ばふばふばふ、と尻尾を振ると、キラキラ埃が宙を待った。そして再びごろごろごろ。幻海はピコピコピコ。画面の中で大仰な男と小柄な少女がバトルしている。

一体どこが面白いんだろう。わからない。見ているこっちはつまらない。というか、どうやって動かしているのだろう。不思議である。つまらない。「ばあちゃあーん」 肩にくっついてガクガクしていると、幻海はそのまま一瞬のけぞり、勢いそのままにの顎へ、頭をジャストミートさせた。「静かにせんか! いい加減にしないとその皮ひっぺがした後で狐鍋にするよ!!」「!!!??」 子狐、ぴんち。



「……ああ、だっからビビって尻尾が膨らんだままなんだな?」
うぐ、うぐ、と半泣きなままにはラーメンの汁を飲み込んだ。目の前のあんちゃんは、気合の入ったポマード頭にぐるんとハチマキにしたタオルを巻いていて、「へいらっしゃい!」とお客さんに元気な声をかけている。は自身には大きなサイズの箸を少々扱いづらそうにしながら、もぐもぐラーメンを口にふくんだ。

「っていうかお前、前々から気になってたんだけど、その尻尾と耳、犬みたいなもんなの?」
「い、犬だと! てめえ、崇高な俺様の尻尾と耳を犬だと!? あんなただのワンコ畜生と一緒にするな!」
「はいはいすんませーん」

やる気のない返答に、「聞けよぉー!」とは両手をばしばし屋台に叩く。この頃これがデフォルトの口癖である。ちょっと悲しい。ラーメンを食べた。「ふぐっ!?」 口の中を火傷したので、舌を出してひーひーする。痛い。「で、なんだっけ?」「親父に認知させる方法だよう。お前、悪知恵働きそうだろー!」「それが人に物を頼む態度か」

ただラーメンまで食いやがって、との目の前に小さな椀を出して、ついでに割り箸をぼきんと小さく割った。そんなかに入れて使え、という意味である。は幽助から箸をもらい、麺をうつして冷ましながらもぐもぐした。「ほら、桑原から聞いたぞ! 何でも屋! 力を貸せ! 俺は客だぞ!」「あのね坊主、金を払わんやつは客って言わんの。お前の場合はタダ飯ぐらい。わかったらパパのお家に帰んな」

シッシ! と片手を振る幽助に、「馬鹿にするな」とはプッと頬をふくらませた。横にかけたポシェットをごそごそいじくり、ころりと銀色硬貨を台に出す。500円玉である。「…………木の葉じゃねーだろーな?」「そんな前時代的なものをつかう狐なんぞおらん!」 前時代的らしい。

「弟の秀一のお手伝いを毎日してもらった、正当な報酬だ。受け取りやがれ!」
「お前……いや、なんでもない」

さすがにちょっと空気を読んで口を閉ざし、「うーん」とうなりながら、幽助は硬貨をつまんで持ち上げる。「まあとにかく、認めさせりゃいいって話だろ?」 ラクショーラクショー。にまーっと人間? 魔族? は口元を緩ませた。




「おやじーぃ! おやじーぃ!」

一体全体何事か。どよっと高校の制服を着た生徒たちが、ざわついた。小さなお子ちゃまがぴこぴこ歩きながら、片手にお弁当を持って手のひらを振っている。振り返すべきか。否か。幾人かの真面目な生徒達は頭を悩ませ、結論から言うと振り返した。ぱたぱた。振り返してぱたぱたニコニコ。 「すみませんが、おやじを知りませんか!」「親父? 先生?」「んーん」 ぶるぶるぶる、と首を振って、子どもはお弁当をアピールする。

「三年のせいとの、南野しゅういち、です!」


にっこり。




「…………つまり南野、これはえーっと」 さすがの教師も頭を抱えて、目の前の優等生へと口元を曲げる。その足元には、「おやじー、おやじー弁当持ってきたようおやじー」 職員室には異様な空気が流れていた。大して、おやじ(仮)は涼しい顔をして、「ありがとう」と言いながらお弁当を受け取る。

「み、南野、おやじというのは……」
「親父ですね」
「目玉の……」
「親父ではありませんね」

だよなぁ、と彼は涙目で生徒を見上げた。まさかこんな。自身の生徒に不祥事が。頭の中で今月の給料を換算して、貯金額を思い出す。クビになったらカーチャンごめん。「それで、その……きみ、名前は?」 そんなこと訊いてる場合じゃないだろう、と思いつつも、震える指で子どもを指さす。「です!」「お、おかあさんは……」「しにました!」

それはそれは、ご愁傷様です……と頭を下げると、「いえいえ、お気になさらず」と少年は首を振る。「よくできたお子さんで……」 いや、そんなこと言ってる場合じゃないし。自身の生徒は、そんな自分がうろたえる様をじっと見つめていた。そっちがそんなに冷静になられると、反対にこっちが困ってしまう。「み、南野、このことは、お、親御さんは」「知っています」「そうか、それなら、それならいいんだ」 いいのか。いやよくない。

「南野、説明してくれぇ……!」

まるで死んでしまいそうな声を出しながら叫ぶ担任教師に向かい、蔵馬はしゃあしゃあとうそぶいた。「この子は再婚相手側の従兄弟で、幼くしてご両親を亡くしたので、今はうちで引き取って、俺が父親代わりになってます」「ん?」「先生、考えてみて欲しいんですが」 ぺしっとの頭を、叩くように撫でた。「この子が俺の子どもだったら、逆算すると、一体いつの子なんですか?」「…………あっ」




「うらめしー! うらめしー!! 金返せー!!」
「なんだよいきなり。やったもんを返せなんてガキじゃあるまいし」
「うるせぇ! てめえ、このボッタクリ!!」
「おいコラ店先でろくでもないこと叫ぶなコラ」

幽助に口を押さえられてモゴモゴしつつ、は暴れた。カウンター越しに暴れるものだから、他の客が何事かとこっちを見ている。「あ、ワリー、気にしないで……あいたぁ!?」 こいつ噛みやがった!
「あほっ! あほっ! なにが周りを認めさせりゃー、認知してくれるだ! あほ! なんか可哀想な子を見る目で可愛がられたわ!」「よかったじゃねーの」「うるせぇお子ちゃま扱いされて、何が嬉しい! 屈辱だわ!」

超屈辱だわ! とバシバシ必死にカウンターを叩くだって妖怪である。「こらこら壊れる壊れる」 壊れたら蔵馬に弁償おっかぶせてやる、と思いながらも、あーあ、と幽助はため息を吐いた。「だってお前、しょーがねーだろ」「何がだよう!」「年齢的に、どーかんがえたって無理だろ」 お前もうちょっと小さく化けられんの? 赤ん坊くらい、との頭をぐいぐい押す幽助に、むっきいと猿のような声を上げて再びは暴れ始める。「この! やくたたず!」

金返せぇ、俺のお手伝いのお金返せぇ、と声がどんどん涙声になってきた。ゆうちゃん子どもいじめちゃだめでしょ、と常連にたしなめられながら、幽助はハーア、とため息をついて、小さな椀を取り出した。ぼきんっ、と割り箸を小さく折って、「ほらよ」 さっさと食って、お家に帰んなさい。

はずるっと鼻水をすすり、ポシェットからごそごそティッシュを取り出し、鼻をかむ。「ん」「……おいかんだ紙こっちに投げんなよ」「捨てとけって意味だよ」

隣の見知らぬおっさんに頭をなでられながら、ずるずるラーメンをすするに、「お前、蔵馬の首獲りに来たんでなかったの?」 なんで認知コースなんだよ。「うるさいわい」 とじろっと睨まれたけど、別に全然怖くない。「冷まさねーと、また火傷すんぞー」「しねーわい。あちゅふっ」 駄目じゃん。





ラーメンを食べて家に帰ったら、夕飯が食べられなくなるだろうと怒られた。
怒られた。別にすねてねーし、と尻尾をヘタヘタさせながら、ごろんとはソファーに転がる。「しゅーいち。秀一にーちゃんは?」「さー。この頃父さんの会社手伝ってるみたいだからなー」 秀兄、大学どーすんだろ。と首を傾げながら、ピコピコ携帯ゲームをいじる秀一の背中を見て、「ふーん」とつまらなさ気に返事をする。

そんなに、秀一はちらりと目を向けた。「って、秀兄大好きだよなー」「なぶあっ」 秀一には見えない耳と尻尾をピーンと立てて、は顔を真っ赤にしてソファーから飛び上がった。「な、なにをいう!」「うわ、ちょ、背中乗るな、背中!」「何をいう! 何をいう! 何をいうー!!!」「あばれるなー! マリオが死ぬ!」


家出をすることにした。



そう。自身は蔵馬の首を獲る為、今まで自分をほっぽり出していた報いを償わせるために人間界へとやって来たのだ。こんな人間と一緒になって、ちゃらんぽらんの毎日を送るためにやってきたのではない。夜の街に飛び出した狐は、こんっ、と一声鳴いて、飛び跳ねた。

くるりと体を反転させて、木の枝に飛び乗り、また次へ。(ここは、建物ばっかだ) 人間界って変だ。何だか慣れない。きゅっと木の幹を抱きしめ考えた。どうしよう。これからどしよう。浦飯のところに行ってもいい。けれどもあれだけ啖呵を吐いて帰ってまた戻っていくのはかっこ悪い。桑原のところ。あそこはなんだか得意じゃない。家族みんなに尻尾をひっぱられて、お尻が痛くて仕方がない。幻海。皮をひっぺがして、狐鍋って言ってたし。

「むぐ……」
なけなしのお金も、浦飯に払ってしまった。あのぼったくりめ、と心の中で毒づいて、まあいいか。とは考える。取り敢えず、ここにいればいい。運がいいことに、今日は腹が膨れている。下の世界ではパラパラ奇妙な音を出しながら元気にバイクが飛んでいく。夜だってのに、眠くないのかな。

「うむ……」 寝ることにした。やることがないのなら、それが一番。こうして家出をして、取り敢えずあいつらを心配させて……「な、何を考えてるか」 っていうかよくよく考えたら、家出って言葉もおかしい。俺はあそこに術を使って忍び込んでるだけで、本当の子どもでもなんでもないのだ。しまった、術を解いてから来りゃよかった、と思ってもいまさら遅い。「ま、後で解き直せばいっか……」「何がだ?」「ぎゃあ!」

目の前に、反対になった顔が落っこちてきた。ぴーん、と尖った耳を見て、目の前の男はヘラヘラ笑いながら指を伸ばす。「おお? なんだ? 俺の耳みてーにツンツンなるだか?」「だ、だだだ」「おい陣、びびってるぞ」「うお?」

隣の木の上に、男が立っていた。その肩には、小さな妖怪がちょこんと乗っかっている。「かっこつけてねーで鈴木もこっちゃこいよー」「かっこつけてんじゃねぇ! 折れるだろうが! 落っこちるだろうが!」 なんだかアホっぽい。けれども二人とも、いいや二人と一匹とも、自身の妖力よりも、何倍も上なことくらい、見ればわかる。そうでなければ、魔界では生き残れない。ぶぶぶ、と膨れる尻尾を意識しながら考えた。「き、狐なべ……」「「狐鍋!?」」


二人と一匹は、どうやら蔵馬の知り合いらしかった。陣と鈴木、ついでに死々若丸。
公園のベンチに挟まれ、はぶるぶる震えた。激こわい。「なーるほどなー。凍也も来りゃよかったのに」 ピンと耳がとんがってて、八重歯が見える陣に向かって、「せっかく幽助から面白いこと教えてもらったってのに、まったく興味がないって顔してたもんなぁ」と鈴木が夜空を見上げた。死々若丸はめんどくさそうに着物の袖に腕を通しているだけで、特に何を話そうともしない。


事情を説明すると、案外フレンドリーに対応してくれる彼らに驚いたのだが、こそりと陣を窺うと、彼も同じくを見下ろしていたらしい。ふんふん、と鼻を動かし、「こりゃマジモンの息子だな」「わ、わかるの!」「おう。風が似てる。おめーの方は、まだちっちゃいし、若々しい感じがするがよ」 風って一体なんのこと。

「ふーん、風ねぇ……」と眉を顰める鈴木も、びしっとの額に指を突き刺した。「ん、んんん、眉辺りが……似てるような……似てないような……」 どっち。「まあ、蔵馬にもわかってんだろ。妖気の感じがすっげー似てっしよう」「妖気くらい、レインボーに変えられるぜ?」「そりゃお前の特技だろうが」とやっとこさ口を開いた死々若丸が、ビシッと鈴木のほっぺたを蹴り飛ばし、鈴木に首根っこを掴まれてぷらぷらしていた。

「お、親父もわかってる……?」
「おうとも。蔵馬だしなぁ」
「蔵馬だし」

うんうん、と頷く彼らの基準はよくわからないが、そうか。そうか、とは指をもぞもぞさせた。耳がぴくぴく動いている。ぱた、と動いたの尻尾を見て、陣がぎゅっと尻尾をつかんだ。「ひぎゃう!?」「あ、ワリー」「お前動くもの見たらすぐ捕まえる癖やめとけよ」「思わずやっちまうんだな」

まあとにかく、安心して家に帰んな、と鈴木に頭をなでられつつ、は頷きそうになったのだが、そんな彼に活を入れるように、死々若丸は叫んだ。「甘い」「ん?」「おう?」「はい?」「ぬるい。ぬるすぎるぞお前ら!!」 一体何が。


「親父の首を獲るんだろう!! だったらそんなぬるいお遊びはやめて、命がけで挑め!!!」


ビシィッ! と死々若丸はの何倍も小さい指先をつんと伸ばしたのだが、「お行儀が悪いぞ。メッ」と鈴木にたしなめられて、再び首根っこを掴まれた。再びぷらぷらする様はちょっとかわいそう。しかし。「そ、そうだよな……」 生半端な気持ちではいけない。確かにそうだ。

ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ、と何度も自身の手のひらを握り、見つめる様を見下ろして、陣と鈴木は目を合わせた。鈴木の代わりと、今度は陣が、ごしごしとの頭を撫でる。ついでに耳をつんつんいじくる。「あのよー」 うん、まあ、うんうん。と自分の口の中で何度か話し、じっとの目を見つめた。「別に、素直になりゃいーと思うだがなー」

一体彼は、何を言っているのか。



息子に会えたし、いっちょ幽助にでも会ってくるかー! と元気に背中を向けて去っていった二人+一匹を見送って、はちょこちょこと辺りを徘徊した。どうしようか、と同じ場所を行ったり来たりを繰り返し、時々ぴくっと耳を動かし、また尻尾をしょぼんとさせる。
とてとてとて、といい加減自分の足音を聞くのも嫌になってきたとき、聞き覚えのある声がした。「?」「お、おう、おやじっ」

こんな夜中に何をしてるの、と鞄を抱えて帰宅途中の彼を見て、何でここにとおどおどさせたものの周りの景色を見れば、なるほど彼の帰宅経路だ。寧ろ、何で自分がこんなところに、と考えて、自分がこそこそやって来たからだ、と気づいて、なんだか耳が真っ赤になるような気がした。銀色ふさふさだけど。

「で、何してるの?」
「べ、べ、べつに……」

家出、とは言えない。がもにょもにょ声をごまかしていると、「ほら」と蔵馬は手のひらを伸ばした。どういうことだろう、と考えて、もう一回、ちょいちょいと動く指先に気づき、慌てて手のひらを握った。「秀一が心配するだろ。そろそろ母さんたちも帰って来るし」「お、おれ、でも、妖怪だし……」「あっちにとったら、お前は普通の子どもだろ」

そうか、と口元をもごつかせて、じゃあ親父は。と声を出そうとしてやめておいた。もし、期待と違う言葉が返ってきたら、何だかすごく、ショックを受ける気がして、ぎゅ、と手のひらを握った。
      まあ、蔵馬にもわかってんだろ。妖気の感じがすっげー似てっしよう

ふと、顔を見上げた。
「でもおれ、親父の子だから、大丈夫だよ」

暫く言葉は返って来なかった。不安になって、もう一回手を握った。ちらりと目が合った。「そうだね」 短く聞こえた言葉に、はパッと笑った。そしてすぐさま顔を引き締めた。ムッとしたような顔を作って、じいっと目の前を見つめる。
ぱたぱたぱた。

大きく振られる尻尾を見て、蔵馬は僅かに笑った。「、尻尾」「お、おうっ」 ぴん、と尻尾が伸びて、しょぼりとお尻の後ろにたれたのだけれど、すぐさま、また、パタパタ動いた。うわっ、と思ったけど、しょうがない。たぶん、しょうがない。

別に。
ちょっと。実は。
少しだけ、実は。
(嬉しいから)

じんわり、指先があったかくなったので。
しょうがない。
ぱたぱた。