子狐、こんこん
名前は。職業狐、もっと言えば、妖怪狐。かっこよく言えば、妖狐のキツネ。
父親は蔵馬で、会ったばっかり。認知はされず、でも公認。
おやじー、おやじー、と人間には見えない尻尾をパタパタ振って、得意の術を使って、親父と同じ名前の弟とか、父さん母さんを騙して、俺は親父のイトコってことになってる。
親父はあんまり相手にしてくれないし、ラーメン屋の店主はこっちの方が年上なのに、あんまり敬わないし、ムカッとすることは多いけど、寺のばあちゃんとゲームしたりして、案外楽しくやっている。
初めは親父をコテンパンにする気だった。一応ほんとに、そんなつもりだったのだ。でもやっぱり、そういうのはめんどくさいし、俺はそういうことをしたい訳じゃなかったような気がして、毎日もりもりご飯を食べて耳をピクピクさせながら、「おかわりー」とお茶碗を両手に上げた。考えるのはあんまり好きじゃないし、ご飯がおいしいし。
親父は呆れたようにため息をついて、親父のお母さんがにこにこ笑ってお茶碗の中にご飯をよそってくれる。親父の新しいお父さんが、パサッと新聞を開いて、「くんは、元気だなぁ」 よく食べる子と、よく寝る子はたくさん育つね、と嬉しそうに笑っていた。
俺はなんだか恥ずかしくなったような気がして、ひょいと顔を下に向けて、親父にしか見えない尻尾をぱたぱた振った。「ほんと、ちっちゃいのによく食べるよなぁー」とからかうような口調の親父の弟に、「秀一、お前もゲームばっかりしないで、ちゃんと食べて勉強しなさい」 うぐっ。秀一が痛いところをつかれたという顔をして、顔と茶碗をひょいと逃した。
そんな中で、親父はちょっとだけ嬉しそうに口元を緩めていた。
俺はそんな親父を見ていたら、なんだか自分も嬉しくなって、また尻尾がぱたぱたと揺れていた。ハッとしたのだけれど、親父以外に見られてないんだから、別にいい。でもやっぱり恥ずかしいかもしれない。俺は尻尾をたらんと垂らして、でも気づいたら、パタパタまた振ってをくりかえして、もぐもぐお茶碗からご飯を食べた。
もぐもぐ。
ぱたぱた。
もぐ、ぱたぱた。
それが、俺の彼らに対する最後の記憶である。
ぱちっと目を開けて、気がついたら小さなポシェットを抱きしめていた。
親父の母さんがくれて、弟の秀一が、いっつも中にティッシュとハンカチを入れてくれる、小さなポシェットだ。「うん……?」 きょろきょろ、と辺りを見回してみる。街の中だ。
俺は木の上にひっかかって、ぼんやりと眠っていたらしい。慌てて太陽の位置を確認して、ホッとした。あんまり遅い時間ではないらしい。この間、うっかり時間を忘れて家に帰ってみたときのように、親父に怒られるのは勘弁だ。いや、親父は怒らない。ただ無言で、ちらりとこっちを見る。それがあんまりにも怖くて、俺はぶぶぶ、と尻尾が太くなる想いである。ちらり、とこっちを見て、とことこ俺の隣を通り過ぎる。最後にまた、ちらり。ぶぶぶ。
だいたい、俺は大人に怒られたことがないのだ。
大人だけじゃなくって、誰かに叱られたことなんてない。母さんは気づけばすぐに死んでしまったし、周りに妖狐なんて一人もいなかった。俺はすぐに村を飛び出して、父さんと同じ、盗賊まがいのことをして暮らした。大盗賊の妖狐の伝説はたくさん聞いたけれど、俺は多分親父のようにうまくはいかなくって、毎日焚き火の前で、もぐもぐ肉を咀嚼して生きてきた。
よくよく考えれば、こんなに誰かと一緒にいることは、初めてかもしれない。
俺はパタパタ尻尾を振って、街の中を歩いた。ふと、何かがおかしいような気がした。ずっと心の中に、違和感があったのだ。だいたい、俺はなんで木の上にいたんだろう。魔界にいるときは、いつも木の上で眠っていた。そのときの癖が出てしまって、勝手にのぼってしまったんだろうか。全然覚えてない。
周りの景色が、少しずつ違う気がした。ぽつぽつある家の場所は同じなのに、お店の場所がちがったり、看板の位置も変わっていたりする。俺はなんだか不安になって、早歩きになった。どんどん足が速くなって、最後には全速力で走った。どうしよう、わからない。どうしよう。
家がある場所についても、そこには誰もいなかった。違う、この家は違う。親父と、親父の父さんと、母さんと、弟の秀一がいる家じゃない。別の人の家だ。
一瞬、俺だけ放おって、みんなどこかに行ってしまったんだろうかと思った。でも違う、そんな訳ない。俺は、術をみんなに使って、嘘ものの家族になっているのだ。例えうそんこだとしても、あの人達が俺のことを忘れる訳がなかった。もしかしたら、術が解けてしまったのだろうかとぶるぶるして、両手で印の字を作って、手のひらの中に木の葉を取り出した。大丈夫、解けてない。緑の葉っぱの文字には、くるりと黒い筆で書かれた文字が綴られている。術が解ければ、この文字だって消えてしまう。
ぱしゅん、と木の葉を握り締めるように消して、俺は再び木の上にのぼった。すんすん、と鼻をならして匂いをかぐ。魔界と違って、人間界はたくさんの匂いがあふれていて、何が何だかわからない。けれども親父の匂いならわかる気がした。同じ妖狐の匂いなら、ぴんとくるものがある。パッと俺は飛び降りた。ここじゃない。でも、近くにいる。
走った。俺はごろごろ転げ回りながら走った。そしたら大きな病院についた。前からあった場所で、俺が鼻風邪気味になったときに、無理やり親父の母さんにつれていかれた怖い場所だ。注射はいやあ、と先に部屋で入った子どもの泣き声がして、思わず俺も涙目になって、うあー、と俺まで一緒に泣いてしまった。チューシャってなんだよう、こえーよう。俺、なにされちゃうんだよう、とうあー、となっていると、あらあらくん、と親父の母さんは困ったように笑って、俺の頭をよしよしと撫でた。
俺はそのときのことを思い出して、多少ビクビクとしながら、どうしよう、と玄関の前をうろうろした。たくさんの車が来て、患者が出て、お見舞いの人が入っていく。うろうろ、うろうろ、と八の字に歩いていると、人間の大人に話しかけられたので、俺はぴゅっと逃げた。植え込みの中に入って、また顔だけ出して、今度は隠れてうろうろする。ここに親父がいる気がした。
どれくらい待ったのかわからない。あんなに高かった日は、とぷんと暮れて、中に入る人も、出ていく人も少なくなっていく。その中に、赤髪の男がいた。俺はパッと飛び出した。「お、おやじっ」
どこに行ってたんだよう、と文句を言おうとそいつを見上げた。けれども俺は、ぽかんとして首を傾げた。親父はパチリと瞬いた。「…………どこの子かな?」
親父じゃない。
でも親父だ。
俺はいつも親父を見上げていたけれど、それがいつもより、ちょっと小さい。体のサイズが変だということは、別にそこまで気にならない。親父だって狐なのだから、何かそんな術でも使っているのかもしれない。
けれども一番俺が混乱したのは、親父の妖力がちっちゃくって、ちっちゃくって、本当にちっちゃいことなのだ。
もしかしたら、親父がわざと隠しているのかもしれない。けれども違う、全然違う。これじゃあまるで人間みたいで、本当に妖怪なのかと疑ってしまいそうになる。
俺がパクパクと口を動かしている間に、親父は、「迷子かな」と俺に問いかけた。けれども瞳だけ剣呑に俺の耳と尻尾を見ている。俺はハッとして耳を隠した。
どうやら、親父は俺の耳を、あんまりはっきりと見えていないようだった。だから俺が妖怪かどうかはよく分かっていないようで、さてこれはどっちだろうと言うように、探るような目付きで俺を見下ろしていた。親父の考えていることは、この頃なんとなくわかるようになってきていた。
俺は急いでぶるぶると首を振った。「あ、あの、おれ、その、間違いです、ごめんなさい、ばいばい!」 ぴゃっと俺は背中を向けて走った。どういうことだろう、と何度も考えて、走り抜けた。
どこに行けばいいのかわからなかった。親父は俺のことを知らないし、体が小さくって、妖力が弱くなっている。これじゃあまるで、と一つの言葉が思い当たったのだけれど、まさかそんな訳ないじゃないか、と首を振った。
違う、絶対に違う。だって、そんなこと、ありえない。
でも、ありえてる。
(ど、ど、ど、どうしよう)
もしかして、俺って、
俺は植え込みの中に飛び込んで、ぶるぶると震えた。尻尾が葉っぱだらけになったけど、そんな場合じゃなかった。(も、もしかして) それはない、きっと幻術か何かだと思うのに、俺が得意の幻術に騙される訳がない。ぶるぶると震えるまま、考えた。ほんの少しだけ考えて、唇を噛んだ。
だて、これじゃあまるで、
まるで、過去かどこかに、来ちゃったみたいじゃないか