子狐、こんこん
つまり気づいたら俺は昔に来ちゃってて、親父が弱くて弱くてくそよわくて、俺のことを知らなくって、なんだかそれがむちゃくちゃむかついたリ悲しかったりで、そんな自分も意味わかんなくって、俺は妖狐の葛葉で親父の子どもで、なのに言えなくって、なんでか家にみんないなくて。「俺、どこに行ったらいいんだよう、ばあちゃーん」 こーんこんこん、とおばばの足元で丸くなってしくしく泣くと、おばばのくせにピンクのくるくるふわふわ髪のばあちゃんは、ずずず、とお茶を飲んだ。そしてビシッと俺を足蹴した。
「男がうじうじ泣いてるんじゃないよ、みっともない」
「うあああん、ばあちゃんはばあちゃんのままだよおー」
ばあちゃーん、と背中に飛びつこうとしたら、勢い良く尻尾を踏まれて泣くかと思った。というか、すでに泣いていた。
***
「あんたが蔵馬の息子ねぇ……」
まあ、あたしもあいつのことはよく知らんがね、とずるずるお茶をすすりっぱなしなばあちゃんは、まだ親父と知り合いという訳じゃないらしい。でも幽助のことは知っていた。
病院で親父から逃げ出してから、俺はすぐさまばあちゃんの寺に駆け戻った。だいたい、俺はばあちゃんの寺に遊びに行って、それで戻ってきたらこんなことになっていたのだ。ばあちゃんなら、オババのミラクルパワーでなんとか全部が解決しそうな感じがしたのだ。けれどもやっぱり俺は元の場所に戻ることができなくて、ばあちゃんの隣に仰向けに寝そべって、パタパタ尻尾を振っているのはいつもどおりのことなのに、やっぱり違う。
とにかく俺は、全部を説明することにした。俺は多分、数年後の未来からやってきて、大盗賊の蔵馬の息子で、魔界からやってきた妖狐の子どもだ。結界を通り抜けてやってきたということかい、あんたの妖力じゃちょっと難しいんじゃないかい、とばあちゃんは訝しげな目をしたけれど、未来じゃ人間界と魔界の結界はスパッとなくなっちゃったんだ、というと、さすがにちょっとだけ驚いたような顔をしていた。俺が未来からやって来たっていうのには驚かないのに、なんだよくそう。
俺が全部を説明し終わったとき、ばあちゃんが何を言ったかというと、「まあ、そんなこともあるかもしれないね」 ただそれだけだ。
「ばあちゃん、それだけぇー?」
「それだけさ。あたしにはよくわからん。まあでも、もし本当に結界がなくなったってんなら、こういうこともあるだろうさ」
それってどういうことだよう、と俺がバタバタ両手を振ると、だからこういうことさ、と湯のみを片手に台所に行って、ぱかっとヤカンの蓋を開ける。「結界という名の蓋がなくなれば、誰でも通りぬけができるようになる。ヤカンの中にあるのは茶だが、別にそれだけが出し入れできる訳じゃないだろ。お茶の葉でも、水でも空気でも」「……どろ団子とか?」 殴られた。
誰も入れるなんて言ってないじゃん……と俺が頭を押さえてぶるぶるしていると、ばあちゃんはヤカンの蓋を閉めて、とぽとぽと湯のみにお茶をそそいでいく。
「蓋がなくなっちまったんだから、それ以外の何かがやってくる可能性だってある訳さ」
つまり、結界は妖怪とか、人間とか。そんなやつらの行き来が出来るんなら、時間だって移動できるかもしれない。そんな訳である。俺はううん、と考えた。考えて、考えて、「やっぱ意味がわかんねーよーばーちゃーん」 もうちょっとわかりやすく説明してくれよう、と足にすがりついたら、びしっと片足ではじかれて、
「別に茶が飲みたいから、適当言っただけだよ。あたしだってよくわからん」
「俺の人生ばあちゃんの茶以下かよ!?」
俺、ちゃんと元の場所に戻れるかなぁ、と弱音を吐いたら、ばあちゃんはさあね、と適当に返事をした。そんなこと、あたしが知る訳ない。でもまあ、来た道があるんなら、帰る道もあるんじゃないかい。ただそれだけだ。
ここに住むかい、とばあちゃんは訊いた。狐らしく、そこらのお山にでもこもればいい。あたしはあんたの面倒なんてみないけどね。俺はぶるぶると首を振った。ここはたしかにばあちゃんの家で、ばあちゃんはやっぱりばあちゃんだった。でも、やっぱりどこか違うし、同じなのに違うことが寂しかった。
俺はパタパタ街の中に飛び出した。帰ることができなくっても、たった数年待てば、あのときの親父になる。妖怪の俺にとったら、きっと時間なんてあっという間だ。でも数年待って、たとえ親父が親父になったとしても、何かが違う気がした。俺はあのときの親父達に戻って欲しいんじゃなくって、俺を知ってるみんなに戻って欲しいのだ。だいたい、もしその数年後に、また俺がやって来てしまったらどうするんだろう。俺が二人になってしまったら、どうしたらいいんだろう。こんこんうるさい、と親父にほっぽり出されてしまう。
うーん、うーん、と俺は頭を抱えながら、ごそごそ大きなゴミ箱の中に頭をつっこんだ。そのままよいしょ、とゴミ箱の中に入ったら、そのままバタンとゴミ箱が倒れた。「きゃんっ!?」 びっくりした。そっか、こうしたらよかったのか、と俺は倒れたゴミ箱の中からビニール袋のひもをほどいた。ごそごそご飯を探して、持っていた袋にパンをつめこんで、にこにこパタパタ尻尾を振る。人間界はあっちと比べて、楽だなぁ、とうんうん頷いた。
ゴミ箱を元通りに直して、スーパーの袋を両手に抱えて、俺はとことこ街の中をかけぬけた。親父の家にいたときよりも、なんだかめんどくさくはなったけど、別にそこまで辛くはなかった。魔界にいたときの方が、よっぽど色々めんどくさかった。狐の術を使えば、どこぞの家に忍び込むことができるとわかってたけど、なんだかそれは違う気がしてやめておいた。
公園の中でごろごろ遊んでいたら、「坊主、さっさと家に帰れよ」と俺と同じくずっと公園にいっぱなしなおじさんに怒られた。「親父が思い出してくれたらね」と返したら、なんだかよくわからないような顔をされて、「そうかあ、色々お前も色々大変だなぁ」とベンチに二人並んでご飯を食べた。
ときどき幽助の屋台がある場所に行ったけど、知らないやきいも屋さんが通るばかりで、俺は静かにぱたぱた尻尾を振った。
「……きゃうんっ!?」
バタッと倒れた。
またやってしまった。人間のふりをしようとしたら、なんだか加減が難しいのだ。俺はウーウー唸ってゴミの中からごそごそと顔をのぞかせたら、知らない女の人が、ぼんやりこっちを見つめていた。タバコをかかえて、呆然とこっちを見てる。ぽとっと赤いタバコの頭が地面にこぼれて、その人はハッとしたように俺の首根っこを抱えた。「あんた、ちっちゃい子が何してんの!」
さっさとお家に帰んなさい、と言われたから俺は困ってぶんぶんと首を横に振った。「あーあー、汚れちゃってぇ」と気づけばその人はタバコの火を消した。そして俺のほっぺたをゴシゴシ片手でこすって、眉毛を八の字にして口元をぐぐっとへの字にした。俺はごしごし顔をこすられながら、めんどくさいことになったぞ、と思った。人間界じゃ、子どもがそこらをふらふらしてたら変な風に思われる。それくらい俺だって知っている。
だからひゅっと手のひらで印の字を作って、ぽぽんとだまくらかしてやろうとした瞬間、俺は即座にお腹まわりをつかまれた。「ひえっ!?」「あーもー、こんなんじゃ全然綺麗にならないわー」 この瞬間気づいたのだけれど、この人は随分お酒の匂いをぷんぷんさせてる。見上げてみれば、目が座っている。確実に酔っている。
その人は思いっきり俺を脇の横に抱えながら、全速力で駆けていった。ガラガラッとお家の扉を勢い良く開けて、ついでにお風呂のドアの向こうに俺を放り投げて、すぽんと服を脱がせた後に、自分も腕まくりをしてシャワーの元栓をきゅきゅっと開ける。びしゃあ。「うぎゃー!! つめたいー!!!」「あ、間違えた水だったわ」 その人はよいしょと今度はお湯の取っ手をひねる。「うあー! またつめたいよー!!!」「古いからお湯が出るまで時間がかかるのよねー」
のよねー、じゃねー!! と酔っ払いに付き合わされながら、俺はごしゃごしゃと頭を体を洗われて、精一杯に逃げ出そうとしたのだけれど、「まあまあ遠慮しないでよ」と見当違いの方向にとられ、再び首根っこをつかまれて、びしょびしょにされた。つらい。
なんなんだよう、なんなんだよう、と俺は両手を動かしながら、その変なおねえさんを見上げた。おねえさんはどこからか火もつけてないタバコを取り出して口に咥えてぴろぴろさせながら、俺を力いっぱいタオルで拭いた。
うー、うー、うー、と俺は目をしょぼしょぼさせて、がんばろうと両手と両足の指先をもにょもにょ動かしたけど、だめだった。俺は頭をごしごしされながら、うとうとしてきた瞳を伏せて、体育座りのまま膝の間に顔を置いた。うとうとする。
なんなんだよう、この人は、と思考の中で必死に抵抗して、そういえば、家に入る前の表札に、浦飯と文字が描かれていたような気がするなぁ、とぼんやり考えながらころんと寝っ転がって、眠ってしまった。