1 わんこのおんがえし

どうやら俺にはしっぽがはえていたようだ。



わふわふわふ。目の端に、何やら動くものが映っていた。これはなんだろう、と思い、体を動かす。すると不思議なことに俺が動いた分だけそれも動くのだ。白くてふさふさしていて、なにやら気になる。わくわくと胸の中で本能が踊りだす。みなぎるあああああ!!!!「わふううううううんんんん!!!」 近くで犬の鳴き声が聞こえた。

まったく! しつけのなっておらん犬だ! と俺は憤慨した。「わっふふ、わふわふわっふん」
犬の声は俺に倣うように並んで聞こえる。器用な犬である。人を馬鹿にしているのか。なんでござるか、なんでござるか。俺はふんふん鼻息荒く歩こうとしたときに気付いたのだ。
この真田幸村、四足である。


いや落ち着こう。もっと端的に述べようではないか。俺は息を吸い込んだ。そして確認した。

この真田幸村、肉きゅうである。


(……な、何事でござる……!?)
肉きゅうである。俺の手に肉きゅうがついている。ぷにぷにである。いいや手全体が真っ白い毛に覆われていた。いいやいいや、よくよく見れば、体全体が真っ白ふさふさで、視界の端っこに映っていたふわふわしている物体は俺のしっぽだ。
(こ、これは……!)

もしや伊達殿、俺に幻術やら何やらをかけたのか……!

なんていう姑息な手を! と俺は呟いた。しかし口からは「わっふーん」と緊張感が抜ける声しか聞こえない。佐助! 佐助はどこでござる、お館様! 幸村はここにござる!! 俺はひとしきり、わふわふその場を回転した後、いやこの程度のこと、他人に頼らねばならぬなど、真田家男児の恥だと気付き、俺はちょこんとお座りの体勢を取った。

とりあえず、落ち着こうではないか。そう、落ち着くのだ。そうすれば、おのずと道は開かれてくる。甘いものでも食べて気合を入れなおしたいところだが、現在俺が持っているものと言えば、首にかけられた六文銭のみである。俺のふわふわの首元にうまるように、六文銭がむなしく跳ねた。

俺は昨夜の行動について思い出す。何かおかしなものでも食べたのだろうか。佐助から食べ過ぎだと叱られるので、隠し持っていた団子を口にした以外、普段と何もかわらぬはず。
「わふーんん……」

ところでこの声は我ながら気のぬける。なんとかならぬものか。ならぬのか。
俺はお座りをしたまま、周りの状況をよく観察してみることにした。武将たるもの、日頃からの周りへの観察力がものを言うのでござる。「わっふーん……」 だからこの声、なんとかならんのか。

まずはじめに座っておる地面。何やら硬い。土ではなく、木でもない。見たことがないものだ。そして犬となってしまったからか、周りよりも視線が低い。これはしょうがない。しかし、この光景は一体なんなのだ。妙な形の建物がずらりと並んでいる。小さいくせに、なんと強固な城だろうか。見たこともない材質だ。噂に聞く南蛮人は俺などが想像もつかぬような技術を持っていると聞く。これもその一つなのか。

俺はうんうんと唸りながら、その建物の前をうろうろとうろついた。何だ。これはどうやって中に入るのだ。大きな鉄の塊がある。恐ろしい武器でござる。一つ二つなだまだしも、ここら一体には形は違えど、同じような鉄の塊が溢れかえっている。恐ろしい。これは一体。俺が犬になってしまったというのは、こいつらの見知らぬ技術によるものなのだろうか。恐ろしい。今すぐお館様にお知らせせねば!!「わおおおおおおおん!!!!!」 おやかたさむぁああああああああ!!!!!

俺が思わず遠吠え(なのだろう)をしてしまったとき、城の中から子どもの声が聞こえた。「おかーさーん、犬の声が聞こえるよー」 まだまだ小さな童だ。ガチャリと音を立てながら戸をあける。そして俺を不審げな目つきで睨む。なんと俺は軽率なのだ。いいやこの子は童ではないか。問題ない、いやしかし。

俺は睨むように、すぐさまその場を動けるような体勢で固まる。童は城の中へと顔を再び顔を入れ、「おかーさーん、すっごい大きな野良犬がいる、やっべぇこえー」と部屋の中の母に向かって声を投げかけた。

野良犬だと! 俺は呆然としたように童を見た。なんということだろう。俺が野良犬だと。何やら胸の中に衝撃がはしり、体を固まらせていると、童の母が戸から顔を出し、「きゃあ! 大きい!」と悲鳴を上げた。そんなに怖がらなくてもいいだろうに、と思った瞬間、彼女は俺に靴を投げた。驚きつつもそれをよけると、「シッシ!」と言いつつ、もう一発。「きゃうんっ!」 慣れぬ体を動かすことに失敗して、俺は頭からごつんとぶつかる。「シッシ!!」 何故なのだ。俺は分からず、その母子から逃走した。これは逃げではない。逃げではないのだ。お館様、一体ここは何でござろうか?




腹が減った。口が勝手にハアハアと息を出し、追いかける人間から逃げ惑う。恐ろしい。ここの住民は恐ろしい。二輪の乗り物に乗りながら、恐ろしい速さで進んでいく乗り物やら、先ほど見た鉄の塊がごおんごおんと信じられぬ速さで通って行く。
次第に俺は悲しくなった。武将たるもの、これしきでなんという体たらく、ときゅーんと尻尾が下がっている。見る人間人間、俺をぎょっとした目で見た後に物を投げるわ、追いかけてくるわ、何やらほけんじょというものに目の敵にされているわ、佐助風に言うのならば「俺様凹んじゃうわー」という感じだろうか。

さすがの俺も、少々気が滅入ってしまったのかもしれない。ぐるぐるぐる。腹がなる。まさか一生この姿のままではあるまいな、と考え頭をぶるぶると振った。いいやそのようなことがあるはずがない。俺は歴とした人間である。そんな馬鹿なことが起こるものか。

「あおーん……」

お館様……。と呟いたはずの言葉は、ただの小さな犬の鳴き声だった。涙を流そうにも、犬の体ではそんなものが出そうにない。一体どれくらいさまよっていたのか。俺は脚をふらふらさせながら、その場に倒れこんだ。何やら道の真ん中だろう、ということは理解していたのだが、地面は硬く、見たことがないくらいに真っ黒だ。「あ、犬だ。大きい」 そんなとき、背後からおなごの声が聞こえた。俺は耳ばかりをピクピクと動かしながら、手足を投げだしたままだった。






犬を見つけた。結構大きな犬だ。ゴールデンレトリバーくらいある。真っ白な犬のくせに、ところどころ薄汚れている。これはまずいなぁ、と、私は学校帰りで鞄を肩にかけたまま考え込む。どう考えても野良犬だ。それでこんなに大きい。殺されてしまうかもしれない。
私はそっとその犬を覗き込んだ。犬は瞳を閉じていて、耳ばかりがぴくぴく動き、生きている証拠だと言うようにふこふこお腹が動いていた。

よいしょっと言うように私は犬を後ろから抱き抱えた。制服に毛がついてしまっただろうけど気にしない。
「そうそう、丁度犬を飼いたかったんだよ」と、自分自身に言い訳のように呟いてほんの十数メートル先の自宅まで引きずっていく。犬は不思議と怒らなかった。犬なんて飼ったことがないから分からないけど、こんなものなのだろうか。けれども少しだけ抵抗してバタバタ暴れた。それだけだった。

「よしよし、おいでー、おいでー」

それだけ繰り返して、私はえっちらおっちら、ガニ股のように歩きながら、この重い荷物であるワンコを引き連れて家に持って帰ったのだった。


 

2010.11.30