やばいなぁ。と私はため息をついた。
ほとんどその場のノリだった。丁度犬が飼いたかったんだ。そう思いこんで、えっちらおっちらやってきたのだ。現在母親と父親は親戚の結婚式で出かけてしまっている。なのでお家は使いたい放題な訳だけれど、こんな大きな犬を見たら、両親はお目目が飛び出すほどにビックリするんじゃないだろうか。私だったらする。弟だってそうだろう。しかし。
わんころはぼへーっと真っ白いお腹を見せて、玄関に転がっていた。何やら体力の限界だったらしく、死んだように眠っている。「……どうしたらいいんだろ」自慢じゃないが、私は小学生のときに飼っていたハムスターしか世話をしたことがないぞ!
しかしながら、このままこのワンコを放置しておく訳にはいかない。私は急いで台所からお皿を取り出し、その中にお水をたっぷり入れる。こぼさないように廊下を歩き、わんころの前へとコトリと皿を置いた。「おおーい、わんころー」 お飲みなさるか?
わんころは、自分がわんころだと認識しているのか、パチリと瞳を開けた。そして私が玄関へと置いた、お水がたっぷり入った深皿を見ると、「ワオーン!!」と激しい咆哮を繰り返した後、ぺろぺろがぶがぶと水を飲みだす。「おおおお……」いい飲みっぷりである。「おかわりいる?」「フンフンッ! フンフンッ!」「持ってまいりまする!」
私は即座に台所へと引き戻し、蛇口をひねった。そしてまた真っ白犬のところに戻って行く。
わんころはぶんぶん尻尾を振ってお座りをしている。ふんふんとせわしげに鼻を鳴らして、再びがぶがぶ。「……喉が渇いてたんだねぇ……」 じゃあもしかして、お腹も減っているんだろうか。私はわんころに問いかけてみることにした。
「お腹減ってますか?」
「わふんっ」
か、かしこい……!
なんて訳もなく。
多分人懐っこい犬なだけだろう。しかしながら、このわんころさんが空腹であるという可能性はなきにしもあらずである。ええっとー、ええっとー、と私は冷蔵庫の中をがさごそあさった。犬って何食べるんだっけ。雑食だったっけ。取りあえず肉なら問題ないか! と魚肉ソーセージをつかんでワンコの前でふらふらさせる。がぶり。「ふぎゃっ!」 私の手を噛みちぎらんばかりに食い寄ったぞこいつ!
「お、恐ろしい犬め……!」
「わふっ? ふーん、ふーん」
「あ、愛くるしい犬め……」
ふんふん真っ黒なお鼻をならす仕草がとても可愛い。
私はほっこり瞳を細めながら、ええい、父母知ったものか。とにもかくにも、彼らが帰ってくる数日間くらい、このワンコと一緒に過ごすではないか。と決意したのだ。
「まあ暫くは、うちにお泊まりなさいな、わんころくん」
「お、恐ろしい犬め……!」
「わふっ? ふーん、ふーん」
「あ、愛くるしい犬め……」
俺はふむ? と首を傾げたあと、ハッとした。
真田幸村、なんたること。たとえ犬畜生に変わったとしても、出された食物を、何の疑いもなく食べてしまうとは武田の将失格である。が、しかし。このおなごはどこをどう見ても、伊達の刺客のようには見えぬ。着ている衣は妙であるが、それはここの文化であり、某が異質なのであろう。このおなごだけではなく、他の人間も彼女と同じく、見覚えのない衣をはおっていた。
うむ、と俺は頷く。
食ってしまったものは仕方がない。心優しい村人からの施しだ。ちからゆくまで噛みしめ、味あわねば失礼と言うものである。俺はふごふご不思議な味のする、ぐにぐに柔らかいピンク色の物体を食した。中々美味である。美味であるぞ! ありがとうだわん! 「………ワフッ!?」「……どうしたの?」 どうしたもこうしたもない。なにがありがとうだわん、でござるか! 俺はただいま心まで犬畜生と変わっていただわん! 「…………ワフッ!?」「だからどうしたの」 また言ってしまったでござる!
まったく。この状況は一体なんたることか。理解が出来ぬ。俺は悔しさのあまり、ぶんぶんと首を振った。首が中々にもこもこしていて振りづらい。悲しくなった。
……しかしまあ、いかなる幻術とて、一晩眠れば元に戻ろう。何やらこのおなご、俺に一宿の宿を提供してくれるそうだ。ありがたく、その心遣いを頂こうではないか。まったく、食糧から宿まで、頭があがらん。この幸村、元の姿に戻れば存分に礼を返そうぞ!
おなごはニコニコと微笑みながら俺を見下ろしていた。
おなごに見下ろされるとは、なんたる奇妙な体験だと感じたが、今現在、俺は犬畜生であるので仕方がない。「……うーん、かわいいなぁ」 武士に向かって可愛いとはなんだ! とワフンと抗議の声を上げようとした瞬間、柔らかなおなごの手のひらが、俺の頭をなでた。「……もこもこー」「…………くぉおおおおん!!!」「うおっ!?」
まさか自分の口から、あのような情けない声が出るとは思わなかった。
俺は慌てて頭をぶんぶんと振りまわし、そそくさと扉の前まで逃げる。なんたることだ。なんたることだ。女が男の頭をなでるなど「(破廉恥でござるー!!)ワワワワォーン!!!」
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