dis-fine
ちっ、と一つ、舌打ちをした。
くるくると、手のひらの中で風が踊る。「めんどうだな」
小粒の砂が、柔らかく円を描き、静かに彼から離れていく。かと思えば、ぱちりと一つ反発する。
「やりづらい」
(きみならできるだろう)
訳知り顔の軍主は、へらりと笑った。(きみにしかできない)
体よく人を使おうとする。
ぱち、と風の魔力がはじけた。ぱち、ぱち、と複数の、小さな薬の粒に交じるそれが、はじけ飛んでいる。
「さっさと終わらせる」
***
「、お前、馬には乗れないんだな」
はは、とからりと笑うフリックに、しょうがないことです、と肩をすくめた。「根本的な問題でして。足の長さが足りません」 乗れはするでしょうが、あなた方のように器用に駆けまわるには無理がある、と頷くと、珍しくフリックは吹き出すように笑った。「馬に乗れる男はもてるぞ」
笑うべきか、と僅かに考え、「なるほど」 頷くことにした。「……冗談だ」「わかっています」
彼なりに、和ませようとしてくれたんだろう。
「心配は無用です」
薬師が必要である。そう判断された。リュウカンは後方に、怪我人の指示を。私は前線にて薬の具合を把握する。不都合があるのならば、すぐさま弓矢での応戦を。ミルイヒの城は、紋章師が多い。ならばこちらは弓だ。
本来であるのならば、薬師としての知識を持つもので、私以上に適任は多い。けれども、私が一番の適任でもある。(特別製の薬だ)
この薬を、しこたまばらまいて欲しい。そう言われて受け取ったルックは、ひどくめんどくさげに眉をひそめた。『あんただろ。水の匂いだ』 水を風に運ばせるだなんて、いい根性してるよ、と溜息をついて、私よりも僅かに高い背で、じろりとこっちを見下ろした。
一つ、あんたの知識をこの老いぼれにも教えてくれないものかい
ただの、今では失われた方法だ。
薬そのものに、紋章を練りこませる。水でも、炎でも、風でも、なんでもいい。けれども火を練り込むには乱暴すぎたし、土をしようにも、風ではこませるのなら、足に根がついているものはよくはない。それに毒には水だ。毒消しがなければ、たらふく水を飲んで中和させる。水は毒を流し出す。
薬に紋章を混ぜるには、少々コツがいる。根無し草の自分には、今まで紋章球は手が出せなかった。久しぶりだ。「うまくいくかどうかは、少し不安でした」「……それを他のやつの前でいうなよ」
もちろん、と頷きながら、身動ぎする馬の上で居ずまいを直した。
「ところでお前、そのローブ、暑くないのか?」 私の体の横に腕を乗せながらの言葉に、「みなさんの武具ほどでは」「なるほど」
どちらかといえば邪魔だが、仕方がない。
ぽくぽくと、馬の足音が響く。後方にも複数。ときおりフリックは振り返って、軽く指示を飛ばす。私はそのままうずくまった。がいる。器用に馬を操り、軍師の言葉に軽く頷く。
ぐいと締められた首を思い出した。彼はあのことを、どう考えているのだろう。あれから、言葉は交わしていない。もともと、そう会話があった訳でもない。(気まずく思っているのだろうか)なぜだか私が気まずくなった。(どうでもいいのに)そう思わなければいけないのに。
(テッドは……)
生きているのか、それとも死んでいるのか。何度も考えたことだ。(認める)
生きていて欲しい。テッドには、生きていて欲しい。
自分の紋章だけではない。彼がどうしているのか、どこにいるのか知りたかった。そのために、わざわざ彼の、の傷をえぐった。(ガキだ)消えてしまいたい。
ときおり、とは視線が合わさった。数秒だ。「あの、フリック」「うん?」「馬から、降りても」
ぱかぱかぱか、と馬の蹄が地面を蹴った。ぱちりと瞬く。
「まあ、別にいいが」
「失礼」
ちょい、と馬上から飛び跳ねた。ざらついた土の感触が足に残った。それから駆け足と足踏みを繰り返し、よいせと馬の間を通り抜けた。「マクドールさん」 少し、声が大きくなりすぎた。軍師が細い目つきで私を見下ろすものだから、思わず視線を逸らした。
「用?」
近づかない方がいい。そう過去に言われた。端的な言葉のわりには、そう拒絶はされていない。そう感じた。
「いえ、特には」
「持ち場にもどれ、と言った方がいいんだろうね、一応俺の立場として」
「ええ、戻ります」
大股に走りながら地面に目を向けて、もう一度と彼を見上げた。「非礼はわびます」 偉そうだ。と思った。うまい言葉を使って、適当に場を収めることにはもう飽きた。と、言えば格好はつくが、適当な言葉を並べて、都合がいい風に流れてしまうことが嫌だった。「それは、俺のセリフだと思うんだけど」
怪我はなかった、と呟くように尋ねながら、ちっともこちらを見もしない少年の後ろ髪を見つめた。「少々打ち身ができただけです。だいたい……」 死ぬことは怖くない。そう言おうとして、そんなことはないかもしれない、とぱたぱたと走る。死んだら、もしかしたらそれはもう私ではないかもしれない。
「俺には近づくなと言ったけれども」
「そもそも、軍主のあなたにふらふら近づけるほど、私に立場はありません」
今だけですよ、と言えば、ぽくぽく馬を歩かせながら、または軍師といくつかの会話をこぼしていた。素知らぬ顔だ。
「別にいいよ」 ついでとばかりにぱちん、と軽く綱を叩いて、彼は薄く瞳を伏せた。「別にいい、別に、近づいても、近づかなくても、どちらでも」
「俺はもう、誰も殺さない」
必要ではないものは、と付け足した言葉は仕方のないことだ。「そう誓った」 今は右手のみつけた皮の手袋の下は、あいも変わらず黒い死神がぐるぐると渦巻いている。「そうですか」 何度も人はそう誓う。真の紋章を持った人間は、殺して、死んでいく人を見て、してたまるかと拳を握る。けれどもやはりいつも誓いは崩れて、けれどもまたと歯を食いしばる。彼はおそらく、その途中なのだ。
(彼の年は、いくつなんだろう)
少しだけ気になった。
「でもそうだな、あれはやめて欲しい」
「……あれですか?」
「マクドール」
なんのことだ、と考えた。マクドールさん、と呼びかけようとして、なるほどと頷いた。「すみません、さん」 今までも、少々意地悪が過ぎたと思う。「どうも、くん」
鼻をならすように返事をする彼は、わざと顔を緩めないようにと口元をひっぱっているのかもしれない。
「ところできみ、テッドの知り合いなんだろ。今度、その話でもしれくれないか」
考えて見れば分かることだ。
私は彼の紋章を知っている。彼の紋章も、私を知っている。そうですね、と言葉を濁した。ガチャガチャと腰に下げた薬がこすれて音をたてる。苦いような、温かいような、そんな味がした。「ごめんなさい」 漏れた言葉は、苦笑みたいなものだ。「実は、まだ一度も会ったことがないんです」
はきゅっと瞳を見開いた。けれどもそうだ。間違ってはいない。
この体になってからは。
たんっ、たんたん、とリズムのように炎の矢が空高く打ち上がる。
合図が来る。
吐息を飲み込んで、見晴らしのいい地平線の向こうへと瞳をこらした。遮蔽物のないこの場所では、風がよく通る。
暗闇の中での闇討ちはやめた。隠れる場所がないというのならば、即効だ。互いに予告し合った位置で身を硬くして目頭をこする。「坊主、緊張してびびってるのかい」 まあね、と軽口で肩を竦めれば、静かな笑いが響いた。
(ルックさん)
うまいことしましたね、と緑の、不機嫌そうな顔をした少年を思い出した。「失敗ってんなら、すぐに合図だ。フリック隊長がうまいことしてくれるさ」 俺たちゃ合図するだけだ、と弓矢をつがえる数人の男に、静かに頷いた。「もう飽き飽きなんだよ。さっさとンなこと終わらせてえ」
緊張しなけりゃ死んじまうと呟きながら、弦を弾く様を見つめ、ローブのフードをひっぱった。
「面白くもない話です」
なにかいったか、とのっしりと上から声をかけられた。「同感です、と答えただけです」「だろ」
二発目。
打ち上がる火花とともに響く鯨波に息をついた。毒々しい花がぐるりと城にまとわりつき、じわりと広がる花弁はなにか別の生き物であるかのようだ。(……あれは紋章だな) 口元に指をのせた。ぷっと頬を膨らませる。三発目だ。
じとりと首元にかいた汗を拭うことを忘れた。
静かに、息を吐き出した。
2014/09/06