はらがへった




そう呟くのは、俺の声じゃない。ずくん、ずくん、と膨れ上がる。転がっていたはずの花瓶は、気づけば元通りに居住まいを直している。(夢だったのだろうか) ちがう。赤い花が一本、ちりりと姿を見せていた。
ベッドの端に座り込んで、冷たい壁に背をのせた。(ぼっちゃん)

大丈夫です、大丈夫ですよ。そう笑う彼を喰うと、ああ、と右手は喜んだ。あまりにも嬉しくて、嬉しくて、くってやったと腹をすかせた餓鬼のように右手が叫んだ。(なんで、こんなものが) 夢ではないのだ。
そうだ、夢ではない。


ひゅうひゅう、と風がなっている。グレミオは死んだ。重苦しい扉の向こう側で、坊ちゃんの声が、もう聞こえませんねえ、とほんの少しさみしげな声を出して死んでいった。(ちがう)そうじゃない。俺が考えるべきことはそうじゃない。もうすでに死んている。大勢の人が消えた。戦争をしている。オデッサが、いや、俺が。大勢の人を殺した。直接ではない、けれども、直接殺したこともある。俺だけじゃない。

(もっとくいたい)
そう、手のひらが呟いた。
俺ばかりが、身内を殺された訳ではない。俺ばかりが、苦しむことはおかしい。そもそももういない。もういないんだ。でも俺がくった。俺の右手がくった。俺が。(殺したんじゃないか?)


小さな子どもの首をしめた。けほり、とその子は咳をついて、申し訳がない、と喉の奥で、静かに詫びた。(なにがだ)手を伸ばしたのは俺だ。(きみは、一体なんなんだ)分からない。けれどもどうでもいい、と体を丸めた。痛む傷はどこにもない。すっかりと治りきった。(どうでもいい)そう思おうとした。そう思わなければ、思い出してしまう。ぞっと黒々しい何かが腹のうちから埋もれいてく。グレミオは殺された。(誰にだ)俺か。

俺だ。
彼の魂は、ひどく馴染んだ。
今まで、他人のように同居していた右手が、近づいていた。ひたりと、俺の魂に絡みついていた。(ちがう、俺じゃない)確かにこれは呪いだ。親しいものを殺す呪いを持っている。逃げられない。逃げられやしない。そう考えるから、何か逃げ道を探す。腐った薔薇の匂い。(あいつが)
グレミオを殺した。毒々しい花の匂いをちらつかせて、濁りきった瞳のままミルイヒは笑った。殺さなければならない。俺はあの男を殺さなければならない。そう思うと楽になった。ひゅるひゅると、風の音が優しい。そう、殺せばいい。あいつはグレミオを殺したのだから、そうし返してしまえばいい。そうすればきっと収まる。


     ぼっちゃん

だからこの声は気のせいだ。目の前に金の髪の男が、困ったような声を出して俺の前に立っている。どうしましょうか、と首を傾げる。いたずらをして、らくがきだらけになった部屋を見て、坊ちゃんも一緒にお掃除をするんですよ、とぷんぷん口元をとがらせている。まだ頬に傷がついていなかった、その頃だ。(うん)

坊ちゃん、と静かに頭を撫でられた。



   ***



後悔ばかりしかしていない。いいようなんて、いくらでもあった。けれども私は別に、彼に対して好感を持って欲しいわけでもなく、ただ、情報を引き出したかった。それだけだ。それだけなのに。(馬鹿なんだろう)私がに決まっている。

心を硬くしようと思った。そうしようと、強く強く薬を潰して、いぶして、ときおり、の言葉を思い出した。親友からもらった。そう、彼はソウルイーターを称した。(親友なんて)なんだかおかしい、と笑い出しそうになる気持ちを押さえた。彼が勝手にそう言っているだけかもしれない。けれども、そうでもないかもしれない。俺は一生、友達なんかつくらない、とパチパチと爆ぜる焚き火の前でむっつりとした顔をしていた少年の声を思い出した。
(どうなんだろうな)

「考え事かね」

無心になれるかい、と頭上から響いた声に、ふと顔をあげた。白いひげに隠された口元は、なにを考えているかわからない。「すみません」「謝らんでもいい」 リュウカン、という名であることは知っていた。スカーレティシアの城に根付く毒の花を枯らす薬を作ることができる、ただ一人の男だ。が、彼をつれてきた。グレミオは帰ってはこなかった。(人は死ぬ)それに、特別なんてどこにもない。

けれども何故だろう。昔よりも、ずっとその事実が苦しくなった。「なんでこんなところにいる」 リュウカンが、ぽとりと静かに落とした声に、全てを見透かされた気がした。そうしたあとで、そうではないと気づいた。自分のこの見かけの年で、この城にいることは珍しくはない。けれども、薬師のまね事をしているものは私一人だ。

「ただの手伝いです。もともと、そういった役割で解放軍に入りましたから。私よりも、もっとしっかりした知識を持つ方々が来たあとでも、ここにいるというだけの話です」

自分なんて、大したことはない。持つ知識は古い上に、生きていた場所も違う。気候が違えば、生える薬の種類も、使い方も違う。ふむ、とリュウカンはひとつ頷いて、よっこいせと私の隣の座り込んだ。
「わしはもう、薬は作りたくはなかったんじゃが」

だから、一人隠居とひっこんどったんだがのう、と静かに言葉を落とす翁の横顔を覗いた。なぜ、と問い掛けるほど幼くはないつもりだ。ごりごり、とくすりを潰す音ばかりが響く。「でもまあ仕方がない。患者の声をきくとな、やらなきゃいかんと体が動く。わしには治せん病があると気づいたのに、治せるものがあるのならと声が出る」

苦しむもんは、少なけりゃ少ないほどいい、と呟いた声をきいて、そうですね、と頷いた。「ひっぱり出されたもんはしょうがない」 老人は静かに暮らしたいもんなんだが、と呟いた言葉に苦笑した。「そうですね」 そう笑った後に、これは失礼な態度であったと少々恥じた。

リュウカンは、くつりと笑った。「ところであんた、面白い作り方だね」
ごりごり、とくすりを潰す手が、一瞬止まった。

「随分古い作り方だ。よければ一つ、あんたの知識をこの老いぼれにも教えてくれないものかい」



   ***




「さて、薬は出来たが……」
こいつは信じれるもんなのかい? と太い指で小さな袋をつまみながら、ふらふらと動かすビクトールに、ごつりとフリックの鞘が飛んだ。石の壁は冷たい。こほん、と軍師が咳をつきながら手のひらの指示書にペンを書き込む。

「事実、毒を受けた患者には効果があった。ただ、軍場でどこまで通用するか、ということはわからないな」

一発本番というわけだね、と呟く少年の声は、前よりもすっきりとしていた。ふと、彼と目があった。一、二秒の間見つめ合って、ぱちりと互いに視線を逸らした。「できることは、させてもらいましたがな。ちょっとした特別製じゃよ」 目の前の患者には、どうにもわしは弱くての、とこつこつと杖を地面で叩く音がする。

「毒をもらえば、それを飲めば、ある程度は軽減しますがな。ただ戦となれば、広い範囲にばらまかねばならん」
「そこは問題ない」

我関せす、という顔をする少年へとちらりとが目を向けた。相変わらず顔をそむけたまま腕を組んで、不機嫌な顔で茶髪を揺らしている。「あちらの準備は万端だろう。俺たちが薬の特効薬を近々持ってくることぐらいわかりきっている。これ以上時間を与えないに越したことはない」

事実、という言葉の変わりに、ぱたりと軍師が本を閉じた。人が敷き詰めた会議室に、僅かに熱気がこもっている。すん、と鉄くずの匂いがした。自分の手のひらだ。薬の匂いよりも、ときおり、そちらの匂いが強くなる。(懐かしいな)
戦いの場だ。

「俺達は、進まなければならない」





2014/08/31