1 story
地を這うペンギン少年に会う
パチッと私は目を覚ました。快適な朝だなぁと、んいーっと手を伸ばす。そしてクワクワあくびを繰り返した後、おかしな感覚に気付いた。私の髪の長さがなんだか違う。ベッドもおかしい。こんなに広かったっけとバタバタ手を動かしながら、めがねめがね、とベッドの脇へ手を伸ばして眼鏡を探そうとしたけれど、そんな必要もない。はっきりくっきり見えている。パチッと私は自分自身の顔を片手で鷲頭かんだ。
「ぼっちゃーん?」
遠くて聞き慣れない男の人の声が聞こえた。坊ちゃんとな。それじゃあまるで、どこぞのマクドール家のご子息のお名前ではないか。ハハハ、いるもんだなぁ、ぼっちゃん。今朝がたピコピコ握っていたコントローラーを思い出す。ぼっちゃーん?
このまま寝てしまおう、と私は考えた。めんどくさい。頭の中がオーバーヒートだ。よっこらせーい、とごそごそお布団の中にもぐりこんだ瞬間、バタンと大きく扉が開いた。ぬっとあらわれた影はお玉を持ち、エプロンをつけた頬に十字傷のある男性である。「坊ちゃん朝だって言ってるでしょう!」「ぐぐぐぐぐぐぐグレミオオオオオ!」 今世紀最大の叫びであった。
ごはんがおいしい。
カチャカチャテーブルマナーを気にしつつ、テレビ画面の向こうでよく見た服へとそっと目を向けた。見事なる赤である。ごくっと私は生唾を飲み込み、パンを一緒に口の中に放り込んだ。おいしい。夢オチではない。いや、味がある夢だって見ることだってあるし……!
「坊ちゃんどうしたんですか? お口に合いませんか?」
「いやいやいや! 天にも昇る勢いな美味しさですね!」
「グレミオはとっても嬉しいですが、昇天はなさらないで下さいね」
「おうともよー!」
「お行儀が悪いですよ坊ちゃん」
すみません……としゅんとうなだれながら、なんとなく拒否させていただいたバンダナの存在を思い出した。坊ちゃんのトレードマークを自分をつけるのはもぞもぞした気持ちになったのだ。もぐり……とパンをもう一回口にほおばる。うまい。グレミオさん、シチューだけじゃなかったんだなぁ、当たり前だよねぇ……ともそもそ口の中で素晴らしいパンとバターのハーモニーを反芻しつつ、脳内へと浮かんだ疑問を思い起こす。訊いていいことなのかどうか、結構躊躇われる。「あのう、グレミオさんグレミオさん」「なんですか坊ちゃん改まって」「あのですねグレミオさん」「いつものようにグレミオとお呼びください」
「……グレミオ、なんで私、坊ちゃん呼びなの?」
お嬢様とかではなく?
グレミオはハッ、と顔を瞬かせた。そしてふいと顔を背ける。訊いてはいけないことだったか。ふるふるとグレミオは首を振る。「…………なんででしたっけ?」「あ、あれぇ!?」 それはなくね!?
なんとなく坊ちゃんとなっているお嬢様の私のクローゼットを開けさせてもらったが、見事なまでに男ものがひきしめられていた。もちろん、ここはマクドール家坊ちゃんのお部屋なのだから当たり前だ。こそこそ下着の方も探らせてもらったが、見事なまでにトランクスである。ところでこの世界、下着はトランクスだったのか。とってもどうでもいい発見だ。申し訳ない申し訳ないとヘコヘコノートに頭を下げまくった後、坊ちゃんの日記を読ませてもらった。けれども真っ白で何も書かれていない。
「これじゃあ何がなんやらわからないよ」
ふへー、と悲しいため息を一つ吐いた。テオ様は遠征へと出かけ、それにクレオとパーンもついていっているらしい。そんな訳でこのお屋敷には私とグレミオの二人っきりだ。あらやだ素敵な青年と二人っきりドキドキ! なんてボケる余裕もない。一体どうすれば。ガーン! と思いっきり頭を壁にぶつけたところで頭が痛いだけで素敵なアイデアが降ってくる訳ではない。なんぞこれ。どういうことぞこれ。
(…………あれ)
痛みのショックだろうか。そうだ、忘れてはいけない人のことを思い出した。「ぐれみおぐれみおぐれみおー!!!」 私は激しく駆けた。彼は予想通りにお鍋の前でぐるぐるとシチューを回している。「ちょっと待ってください坊ちゃん、今がポイント、シチューの命なんです。決して決して邪魔をしないように」「こしょこしょこしょ」「ほほほほほあー!!!」 なんてバカなことをしている場合ではない。
「グレミオ、テッドは!?」
熱く拳を握りしめた私を見て、「はて? はて? はて?」とグレミオは首を傾げる。「坊ちゃんテッドって誰ですか?」
問題発言その1
「ここは幻想水滸伝の世界ではない!」
わかったぞ! と叫んでは見たもののいやいやいや、と再び私は居間に座り込んでみた。並べられた調度品に、健全一般ピーポーな私は尻ごみをしそうである。なので一番中心の席に座らせてもらったのだが、これって主賓席な気がする。ああなんだか偉い人になった気分だなぁー。なんて和んでいる場合ではない!
とりあえず幻水の世界ではないと考えるのは楽観視しすぎではないだろうか。色んなものが足りなかったり変だったりするけれど、あのグレミオはどう考えたってグレミオだし、このマクドール家だってどう考えてもお貴族様の家だ。んー、と唇に人差し指を持って行って私はテーブルに膝をついた。そしてそのままひんやりテーブルにぴったりお顔をつけさせていただいた。いくら考えたって分からないことがこの世にはある。きっとこれがその一つだ。しかし放置という訳にもいかない。
そもそもこの状況というのがもやもやする。なんてったって私はここのお宅の坊やではないのだ。というか男の子ですらないしね! 他の人がいるべき場所に私なんかが居座っているのはおかしいし、そういう問題以前にもとの世界に戻りたい。こんな命がいくつあっても足りないような場所に、しかもその主人公格にだって絶対いたくない!
主張しよう。
私は拳を握った。私は別人なのだと誰かに言いたくて仕方がない。よっこらせっと席を立ちあがり、そろそろお部屋のお掃除ですねぇ、と箒を取り出したママン役のもとへと向かう。そして彼の背中をつんつこつん、と人差し指でつついてみる。
「グレミオグレミオ、私は実は坊ちゃんじゃなくてだね、っていう女の子なんだよ」
「何いってんですが坊ちゃんはずっと坊ちゃんじゃないですか」
「え!? あ、あれ! 名前も私のまんまなの!?」
っていうかそれで坊ちゃんってやっぱり変だよー!
なんだか色々悲しくなってきて、外の世界へと飛び出すことにさせてもらった。
部屋の中にいてはどこまでもマクドール。自分の存在がいかに異質で変なのかが思い知らされて泣きそうになってしまう。「グレミオちょっと出かけてくるぅー!」と半泣きで主張させてもらえば、グレミオは「坊ちゃん危険ですのでほら武器をお持ちくださいね?」とトレードマークの棍をお渡しくださった。
思わずその真っ黒い武器を見つめながら、街中ですらもこんな殺傷能力の高そうな打撃武器を持たなければならないとは……と遠い目をした。とりあえずグレミオ! 君の気持ちは今、私の背中に背負われているよ! 心強いよ! とは思いつつ、多少恥ずかしい気持ちになる。武器を持って街を歩くだなんて、一生に一度体験できるかどうかだ。というか体験したくない出来事だ。
ゲーム通りの街並みなくせに、細かいところがよくできている。もちろん、今は現実世界だから当たり前の話なのだけれど、しゃーっと王宮前で流れる噴水の水の輝きやこぼれる滴をこの目で見て、パチパチと瞬きを繰り返してしまった。
憲兵と思わしき人達や、どこぞの貴族のお嬢様を見てどきーんと胸が高鳴る。自分がいてはいけない場所に、こっそり忍びこんだ侵入者だ、と分かっているくせに、物珍しさとわくわく感が止まらない。すごい、これはすごい。お店一つを取ったとしても、素朴な出来栄えかと思えば、きらきらはなびやかな宝石をちりばめられたドアも発見してしまった。取られないのだろうか? さすがに私は小心者だからできないけれど、お金に困ってどうしようもないというのならばこっそりドアの前でカリカリ指先を動かしてしまうかもしれない。「すっげー」
「やーね田舎者も来るようなこの街もおしまいだよ」 ぽそっと聞こえた声にはっと顔を動かした。私だ。今確実にお口をぽかーんとしていた。やばいやばい、とお口をチャックした瞬間、からころころーん! と大小のおけが見事に私の横を通り抜けていった。今度はぽかんとマヌケに口を開く前に体が勝手に反応した。さっと足を延ばしてカンカンカン、と器用にも桶三つをからめとっていく。おかしい。自分の体にしては動きがいい。まさかこれは、坊ちゃん効果……とぞわーっとした気持ちを押しこめて、桶を手で拾い、桶がやってきた方向を目で追った。「ああー、そこのお坊ちゃん、ありがとおー!」
巨体のおかみがとてとて足を一生懸命動かし、私の前へと滑り込む。「ああよかった。うっかり手をすべらせちまってね。年かもしれないねぇ」と困った顔をした彼女の顔にどこか見覚えがあるなぁ、と私は目をぱちぱちさせた。そして彼女もそう思ったのか、「あれま、マクドールのお坊ちゃんだったかい。まあ真っ赤だしね」「あ、マリーさん」 そうだ、宿屋のおかみさんだ!
「あ、どうぞマリーさん」
「んん? 坊ちゃんが素直に渡してくれるだなんて怪しいねぇ……なにかたくらんでやしないかい?」
「た、たくらんでませんよ!」
「ああわかった。またグレミオにいたずらして家に帰りづらくなったんだろう。いいよ、うちの宿屋に来な」
「ちちちちちがいますよー!! いたずらならしましたけど!」
「そらみてごらん」
カラカラマリーさんは笑った後、まあ坊ちゃんありがとうね、と桶を私から受け取った。バイバイ彼女の背中に手を振りながら、いたずらっ子坊ちゃん……となんとも言えない気持ちで坊ちゃんの性格をはかりかねたのだった。うーん、そういやゲームでそんな台詞もあったような、そうじゃないような。
「グレミオー私も手伝うよー」
「いいですってば坊ちゃん。これはグレミオのお仕事なんですから」
「いやでも、悪いし」
「いったいなんの風の吹き回しですか?」
もう、と怒りながらも、グレミオはどこか嬉しそうに頬を緩ませた。いたずらっ子坊ちゃん……という昼間の言葉を思い返しながら、私はにやーっと笑って、「いやいや花嫁修業だよ」と言ってみる。けれども照れてしまって最後はちょっとどもった。言うんじゃなかった。グレミオはきょとん、とした表情をした後に、カラカラと楽しそうに笑いながら包丁を動かした。「坊ちゃんそんな、花嫁修業だなんて、女の子みたいな」 「グレミオ、女の子みたいじゃなくて、私は女の子だよ?」
そんな当たり前な、と返答した瞬間、グレミオはちょっと表情をどこかへ落とした。そしてもう一回パチパチ瞬きを繰り返した後、「そういえばそうでしたね」と不思議そうな声で呟いた。
この世界は、ちょっと変だ。
「坊ちゃん、今日はテオ様がお帰りになられる日ですよ」
「あ、そ、そうなんだー!」
「あれ? 嬉しくないんですか?」
「嬉しいよ! うれしいうれしい」
なんてグレミオには返答してしまったが、内心ちょっと複雑だ。なんてったって父親かもしれない人との対面だ。相変わらず私は一体何なんだろうという疑問は抜けない。ふんぐおーふんぐおー、と頭を思いっきりひっかいた後、気合を入れた。しょうがない。逃げてばっかりはいられないのだ。根性だ、さんよ! ぱちーん! と思いっきり頬を叩いたので、真っ赤になった頬を見て、グレミオが目をぱちくりしていた。「坊ちゃん、その、ほっぺが真っ赤ですよ?」「…………照れているんだよ!」 もうちょっといい言い訳をしたかった。
「あ、坊ちゃんテオ様ですよ、お馬に乗っています、かっこいいですねぇ」
「ほんとだ。あれ、グレミオ、もう一人、乗ってるよ?」
「あれ。本当ですね、誰でしょうか?」
テオ、取りあえず現在の父親役の彼の背中には彼よりも小柄な少年が見えた。馬が動くたび、体が上下に移動して頼りない。何故だろう、と思う反面、ああそうか、とわかってしまった。
テッドが来る日なんだ。
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