*幻水5の原作中、幻水1のだいたい5年前
はじけた水しぶきが頬にあたった。塩っぽい風に鼻をひくつかせて、手の甲で頬をぬぐう。
「嫌がらせだろ……」
軽い貧乏くじだ。まさか、自身が選ばれるとは思いもしなかった。波を分け入りながら進む船の中で、はぽつりと呟いた。「嫌がらせだ……」「くん、よい旅日和ですね」 隣では、薔薇を頭にのせた音が、優雅に紅茶をすすっている。ひらり、ひらりと花弁が落ちるたびに拾い上げ、ゴミ袋にいれた。若干悲しい気持ちになった。
「どうですくん、海の旅は」
「中々興味深くはあります」
「ええ、旅は心を豊かにさせる。できることならこの船にも、わたくしの専属の楽師達を呼び寄せたかったのですが
」
「嘘でしょう……」
「ええ、さすがに遊びに行く訳ではありませんし、こちらを受け入れるファレナの国にもご迷惑がかかってしまいますからね」
さすがにそれは遠慮させていただくことにしました、と優雅に微笑む花将軍、ミルイヒ・オッペンハイマーの言葉に、は若干頭を抱えた。なんだか会話の方向性が違う気がする。
(まあ、でも仕方がない)
せめて、国の恥をさらすことのないようにしなければ
言うなれば、自身は赤月帝国の代表である。
「ファレナの地まであと数日。さて、優雅な旅といこうではありませんか、くん!」
***
ファレナ女王国が、新たな女王を迎える。
遠い彼の地の伝令を受け取ったのは数日前。幼き小さな女王を祝福すべく、催される祝典への参加のためと、五将軍が子息、・マクドールと、ミルイヒ・オッペンハイマーは旅だった。ミルイヒはこれでいて社交的な男である。他国への外交を差し出すにも申し分のない略歴を持ち、貴族のお遊びにも優雅に付き合ってやれる。
慶賀使節としての彼の派遣は一二の言葉もなく決まったものの、その数日後、彼の従者が鼻風邪をひいてしまったことは、少々予定外のことであった。
旅をする間に、治るに違いないと楽観視をしたい気持ち半分、万が一にもファレナの女王の前で、鼻水を垂らす事態は避けたいところだ。そう話し合われた結果、に白羽の矢が立ったというわけだ。ある程度の作法ができ、武術も見目も考慮され、ついでにミルイヒとは知らぬ仲というわけでもない。
たとえ花将軍を相手に、薔薇と紅茶の香りが溢れる日々が決定付けられようとも、彼には断る権利などどこにもなく、これは名誉なことである、と溜息をついて遠い地平線を眺める毎日だ。
「ファレナの地は、現在いくつかの勢力に分かれて争いが行われています」
カチャリと陶器のカップを皿に置き、ミルイヒは船内の個室で微笑んだ。「一つはファレナ第一王子が率いる“反乱”軍。そうして、今回祝典に招かれているファレナの姫君、つまりは殿下の妹君ですね、リムスレーア様の女王軍。その他細々とした派閥もありますが、まあこの二つが主と言ってもいいでしょう」
はミルイヒの正面に座り、同じく出された茶を見つめた。
「本来ならば、王子殿下が女王軍に討伐されれば済む話なのですが、話はそう簡単ではない」
「と、いうと?」
「王女は囚われの身でもあると噂されています」
赤月帝国とファレナは、海を境にて、大きな隔たりが存在する。遠い南の地だ。流れる噂はどこまで事実か。井戸端の会議と最たる差異のない話であるが、興味深くはある。「リムスレーア様はこの祝典を、王子殿下との離反を望んではいらっしゃらない。彼女は王宮の操り人形として、祭り事にのしあげられようとしているとか」
そもそも、とミルイヒは瞳を落とし、唇を紅茶でわずかに湿らせた。
「そのような時期に即位式を執り行うなど、おかしな話です。前女王、アルシュタート陛下の喪があけたとは、なんともとってつけた理由ではありませんか。王宮の人間たちが、リムスレーア様を扱いやすくする基盤づくりに励んでいる最中というわけです」
「なるほど」
どこの国の人間も、国造りにはお盛んだ、と声を出そうとして、さすがに苦笑で終わらせた。自身、継承戦争の最中、父と母を、家をなくした。その渦中にいたミルイヒに向かい言葉を吐くには、いささか嫌味すぎる台詞である。「それで、赤月の国は、ファレナをどう扱おうと?」 そのリムスレーアをおもちゃに糸を操るものたちを、逆賊と捉えたわけではあるまい。そうであるのならば、わざわざ式典に出席する言われはない。
「リムスレーア様自体は、正式なファレナ女王国の姫君です。赤月は彼らを認め、現在の国情は、“ただの内乱である”と何も訊かず、見ていないふりをすることになりますね」
「ははあ。面倒くさいお話はごめんということで」
「そのとおり。おそらく多くの国はそう判断するでしょう」
つまらない話だ、と舌を打つのは、心の中だけにしておいた。「前女王は、その内乱の最中に亡くなられたと?」 ふと気づいた疑問だ。ミルイヒは静かに紅茶をすすった。何か違和感があると瞳を細めてみたものの、二十歳を過ぎぬ少年には、残念ながら手だれの将の機敏を察知するには、少々未熟すぎた。
「ミルイヒ様?」
「いえ、まあ、そうでしょう。彼女の死が引き金であった。そうとも捉えられますが。……わたくし達があれこれ机上を探ったところで、何が出てくるわけではありません」
正論だ。は肩をすくめて返事をした。「さて、くん。時間はまだまだたっぷりあります。せっかくですから、わたくしの優雅な趣味の数々をあなたにご紹介いたしましょう!」「……まあ、その、つつしんで」 嫌です。なんて言えない立場である。
悲しいことに。
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2013/03/09