ひねりあげられた腕を見ながら、彼女はパチリとすみれ色の瞳を瞬いた。「なんだ貴様は」 あごひげばかりが目立つ男が、ワイングラスを揺らしながら、かっかとあぶくを飛ばしている。

「いえその」

ひどく背が高い少年だった。困ったような顔をして、ぽりぽりと頭をひっかいた。赤い軍服に、青いケープを羽織っている。おそらくミアキスよりも、いくらか年は下だろう。もしかすると、二十歳をこえていないかもしれない。「お手洗いの場所を、お訊きしたいのですが」

照れるように付け足された言葉をきいて、彼女はひどく吹き出した。トイレの男。最初に考えたのは、そんな台詞だ。



   ***


姫様、いや、今ではもう陛下となってしまった彼女の主君を、名目上の主催としたパーティーにて、給仕のまね事をしていた彼女は、たちの悪い客に絡まれた。即位式も終わり、長旅につかれているであろうと賓客をもてなす。そんな表向きの理由を前にして、あごひげの男は気でも大きくなっていたのだろう。実際のところ、今後の他国からの支援をよりスムーズに受けるための、ご機嫌とりのパーティーだ。

パーティーには無粋と笑われた騎士服を脱ぎ、髪を整えたものの、自身はリムスレーアの護衛である。これは彼女とリムスレーアの距離を置くための、体の良い押し付け仕事だと理解はしていたものの、姉妹のように思う彼女の姫を守るためならば、例えバカバカしくもあれ、命じられた仕事はなんでもこなしてみせる。今の彼女の後ろ盾は何一つ無い。使えるものは、この身ひとつだ。けれどもそれすらも、自由に動かすことができない現状に腹が立つ。

ちりちり、と怒りの炎で燃えていたときに声をかけた男はひとつの不運だ。あろうことか、こちらの尻に手をのばそうとしたものだから、ひょいと腕をひねりあげて、首元に短剣の一つでもつきつけてやろう、と思ったときに、長い腕がわって入った。それがこの少年だった。

ふらついて思わずあなたの腕を掴んでしまった、申し訳ない、とうそ臭い理由を、なんとも誠実みのある顔つきで語る年下の少年は、ちょっとだけおかしかった。散々賓客にどなられてもケロリとした顔つきで、「それじゃあこの子に案内していただかなくちゃいけないので」とミアキスの手を軽くつかみ、引っ張られた。

こつこつ、と薄暗い廊下を歩いた。二人分の足あとが響く。
別に、助けてなんてもらわなくても、なんの問題もなかったのだ。若く見られがちな彼女だが、これでも二十歳は超えている。あれくらいのこと、ひょいと一人でかわす力量くらいそなえ持っている。「すみませんが、手を離していただけますぅ?」「ああ、ごめん」

あわてて少年は手を離した。さすがにこの年で国の代表ということはないだろう。だったら使者の従者か何かだろうと思ったが、その割にはところどころ品がいい。貴族なのかもしれない。
     まあでも、助けてくれたことは事実だし。

「ありがとうございます」
「ん?」

ころころと笑ってお礼を言った。「ちょっとだけ、ときめいちゃいました。王子様みたいですね」 飄々とした台詞を口にだすと、少年はぎょっとしたとうに瞳を丸めた。そうして、吹き出し、けらけらと笑い出した。「可愛いことを言う人だな」 案外女慣れもしているのかもしれない。けれども、自身が知る女好きの金髪の同僚とは、どこかベクトルが違う。

「いつもああいう仕事を?」
「いいえ。私は姫様付きですから」
「なるほど」

通りで何かおかしいと思った、と納得する彼は、もしかすると何かを勘違いしているのかもしれない。けれどもまあいいか、とミアキスはくるりと彼に背をむけた。「おトイレですよね。女王宮は広いですから、ついていてください」 まああれは、ただの方便だろう、ということは理解していたが、あのまますぐに広間に帰るのは、少々気まずい。

「あなたは、えっと」
・マクドール」
くんは、軍人さんですか?」
くん?」

彼は少しだけ驚いたような声を出して、また笑った。「ああ、そうだよ。よくわかったね」「見ていればなんとなく」 足運びが違う。それはどこか、あの裏切り者     ゲオルグに似た動きでもあった。

「いいんですかぁ? くん、従者か、それとも護衛なんでしょう。そんな中で出てきちゃって」
「無粋な武器を持った人間は、パーティー中は近づかないで欲しい、というのが今の主のご命令でね。さすがに相棒を離すわけにもいかないし、時間を潰しそこねていたんだ」

ある意味、自分と同じというわけだ。少しだけおかしくなった。

くん、何だか可愛い子ですね」
「君には負けるよ」
「あはは、私、背が高い男の人のそういう台詞、信じないようにしてるんです」
「おや。殿下の背はお小さい?」
「王子はまだまだ成長途中なんです。そんなこと言ったら、姫様に言いつけてブスッとされちゃうんですからね」
「それは失敬。秘密にしといてくれ」

からから、と少年は笑って鉄靴をならした。ぽつりと窓から溢れる月明かりは、ひどく優しい。(姫様も、あれを見ていらっしゃるだろうか) 太陽の国で、月の優しさに慰められているといい。彼女のそばにいて、ただ抱きしめることのできない自身が悔しい。握りしめた手のひらに、気づくと爪が食い込んでいた。ひたりとこちらに視線を落とすを見て、なんでもないとばかりに首を振った。心の波が落ち着かない。

一つ、二つ、息を繰り返した。振り返ると、がじっとこちらを見つめていた。そうして、視線だけを訝しげに動かし、わずかに眉を細め、鞘を撫でる。「君がよく見られているのは、美人だからかな」 言葉の意味を、二三拍ののちに理解した。
監視をつけられている。
わずかに、わずかに気配がこぼれていた。毛の先ほどの違和感に、唇を噛み締めた。(汚い……) わかってはいた。けれども、煮えくり返る。(姫様相手の人質のつもりね) なめられたものだ。

「……ええ、私、とっても人気ものなんです」
「そうかい」

それは大変だな、ととってつけたような言葉に笑ってしまった。「くんも、情報の収集は順調ですか?」「……ん?」「あなたがおせっかい焼きということは、十分にわかったので、別にいいんですけどね」

この城の中で、王子の離反を知りながら、わざわざ彼の名を出す馬鹿はいない。それは敢えてを除いての話だ。噂の真偽を確かめるためと、なんてことのない女にかまをかけたつもりなのだろう。「まいったなあ」とはポリポリと首の後ろをひっかいた。

「まだまだ若いですよ。やり方が下手くそです」
「肝に命じる」

まあしかし、嫌いじゃない。「おトイレはここを右ですけれど、帰りの道も必要ですか?」「いや、いいよ。これ以上きみの時間をもらうのは申し訳ない」「あら」 紳士ですね、と嫌味に呟いた言葉に、は楽しげに笑った。

「子気味がいい人だな、メイドにしておくにはもったいない」「ふふ、メイドじゃありませんよ」 そこできょとりとは瞬いた。歳相応の、男の子みたいな顔だ。

「ファレナ女王国、女王騎士、ミアキスと申します」

ついでに多分、あなたよりも年上ですね。と言葉を付け足すと、彼はピタリと動きをとめた。そうしてみるみるうちに赤面した。赤い顔を隠しながら、「それは、その、私はひどい勘違いを」「たまにはこういうのも新鮮ですね」

どうりでメイドのわりには、足運びが上手いと、と情けなく言葉を呟く彼を見ていると、どんどんいじめたくなってしまう。「見かけに騙されちゃいけませんよ、とお姉さんからのアドバイスです」「……それこそ、肝に命じます」

いい教訓を得ました、と瞳を落とす彼と向い合って、けらけらと笑った。年下をいじるのは、これだから楽しい。





   ***




ひどい恥をかいたものだと思う。は先程までの羞恥を思い出し、首元をすくめた。(経験が足りない)騎士に宮殿を案内させるなど、ミアキス殿には申し訳ないことをした、とイタズラ好きな女性に対して心の声を呟かせて、両腕を組みながらふらついた。ただの侍女やメイドにしては、機敏を察知しすぎている、とは感じたが、王宮勤めであるのならば、ある程度の訓練を受けていてもおかしくはない、とそこで思考を止めてしまったことが、そもそもの原因だ。
(このことは、俺の胸のうちで留めておこう)

ミアキス殿が、陛下にご報告を送らなればいいのだが、とあのすみれ色の女性に願いをむけたが、彼女は大目にみてくれるだろうと楽観視することにした。まあこれは、ただの勘だが、そう外れてはいないと思いたい。

「……ん?」

月明かりの下に、ぽつりといくつかの肖像画が並べられていた。歴代の女王達だろうか。銀の髪を揃えた女性を、一人ひとり眺めた。「こいつは……少し毛色が違うな」 茶髪の男と、銀髪の女性。そうして、同じく、銀の髪を持つ少年と、小さな少女がうれしげに少年に抱きついている。「……リムスレーア陛下か」

即位式で見かけた姿とくらべて、今よりもいくらか幼い頃の姿なのだろう。「だったら、これが、前女王とその夫……」 リムスレーアは、父親似なのだろう。「そんで、殿下か」 母親によく似ている。


王子の離反は、リムスレーアの望むところではない。おそらくあの噂は事実だ。そうでないのならば、放り捨てられるべきはずのものが、こうしてひっそりと残っている理由がない。「ふうん」 顎を撫でた。確かに少し、年頃の少年に比べれば、背が小さいかもしれない。まあでも、と腰に手を当てて、にかりと見上げる。


「なかなか、いい男じゃないか」



   ***


長い旅路に比べると、滞在は一瞬だ。相変わらずしゃなりしゃなりと優雅に歩を進めるミルイヒの隣は、さすがにそろそろ慣れてきた。「中々、美しい国でありました」「ええ、見聞が広がりました」 太陽の国と表されるだけのことはある。できることなら内乱が収まり、民が平和を取り戻した姿を見てみたかったものだが、それはまだしばらくの時間が必要だろう。きらびやかな王宮の裏には、落ち窪んだ空気が流れている。

ときおり、不安げな顔をした民が通り過ぎる。ほんのしばらく前までは、活気に溢れた街だったのだろう。溢れる水の川ばかりがやわらかく、それがまたひどく対称的であった。

ふと、は瞳を細めた。レンガの道を、こつりと足の裏で叩いた。「ミルイヒ様、“遊びますか?”」 カチリ、と刀の鞘をわずかに鳴らす。

「やめておきなさい。面倒はことです」
「殺しはしませんが」
「あれはただの様子見です。わたくしどもには、探られて痛い腹などどこにもない」

はたり、と扇をあおぎ、訝しげな瞳を向けるに気づき、くすりとミルイヒは吹き出したように笑った。「どうやら、わたくしどもの盟友が、彼らに粗相をしたそうで」 少々、言葉の意味が読み取り辛い。「できることなら、ただの虚言であるのならば、と祈ってはいたのですがね。事実は少々込み入っているようです」

つるつると短い口ひげをいじるミルイヒの短い言葉を、は慎重に飲み込み、瞳を落とした。「それは、前女王の死につながると?」
「あなたのその察しの良さは、少々危ないですねぇ」

イエスとも、ノーとも返さず、曖昧な返事だ。つい先日、若いと女性に笑われた身としては、複雑な返答である。「まあなんにせよ、彼は理由もなく、主君を裏切る人間ではない」と、思っていたのですが、とピタリと花将軍は言葉を止めた。

「人は変わりますからね。変わらないものは何もない。花も、人も、美しく咲き、いつかは崩れ落ちる。私はその様を見ることがひどく悲しくてたまらない」


まあ船に乗り込み、遠い地へと帰る自身には、関係のない話です、とぽとりとこぼされた言葉に、はぴたりと瞳を落とした。「そうでしょうか」 そうなのだろうか。「変わらないものも、あるかと」 しみったれた台詞だ。使い古された台詞でもある。

「出すぎた言葉でした」
わずかに頬を赤くして、若い少年は背を折り曲げた。ひらついた薔薇の花弁が、ぽろぽろと風に乗ってこぼれていく。くるりと派手好きで、花好きな男はを振り返った。そうしてつんと鼻の奥を誘う潮風の匂いをかいだ。そうして、わずかに、笑った。




   ***



風がふいていた。焦げた色の外套を抑えこみ、隻眼の男は空を見上げた。

     ミルイヒ・オッペンハイマー

懐かしい名だ。あれから、何年が過ぎたのだろうか。かの国の使者は、彼であったらしい。相変わらず、妙な服を着ているのだろうか。



風の匂いがした。





2013/03/12
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まだ10代なのでちょっと思春期したり失敗したりしてた頃の話