彼女には兄がいた。
には兄がいた。
しかしある日消えた。彼女が幼い頃に、彼は戦死した。蒼白となる父母の顔を思い出し、その手のひらには一通の紙が握らされており、は買って貰ったばかりの積み木を並べ、一体どうしたんだろうかと不思議に感じた事を覚えている。
あまりにも幼かった為か、彼女は自分の兄の事を、ただ彼女自身と同じように、金の髪に、赤くくすんだ瞳を持っていた事しか覚えていない。
ただ、は兄の事を好きだった。帰ってくる事のない兄を、ただぼうっと待った。「お兄ちゃんはいつ帰ってくるの?」と母の柔らかい布地であるスカートを握りしめ、首を傾げると、ぽろぽろと彼女は双眸から涙を溢れさせた。
彼がもう戻る事がないと理解したときは、ぐるりと一つ、季節が巡ったときだった。
ひぃひぃと喉が裂けるばかりにわめき、くすんだ赤の瞳がまた赤くなり、積もり積もった不平不満をたまらんばかりにぶつけあげた。
兄を返してくれ!
しかしは、自分がわめいても、決して彼が帰って来る事はないと、頭の底で、しっかりと理解していたのだ。
「軍に入ろう」
兄と同じように、軍へ入ろう。
そう考えた所で、また問題が出来た。文学にしろ武術にしろ、彼女は兄ほど出来が良くなかったのだ。しかし、彼女はまた一つの幸運を握りしめていたらしい。
には、召喚術の才があった。
兄と同じように、いつか、帝国軍親衛隊へとなる事を、夢に見て。
ブーツの底を大きくならすようにはどこか急ぎ足で、口から荒く息を吐き出した。一つ、簡素な、よりも随分大きな扉の前へと、カンッ! と大きく手を振り、ノックの音。
すぐさま身体を直立へと直し、腹の底から声を上げた。
「帝国軍第三部隊親衛隊補佐、です!」
長ったらしい名称を、慣れたように彼女は口を滑らせ、ぐっと前を見据える。そのときの振動か、腰へと回した鞄の中へと入れたサモナイト石が、カタリと揺れた。
入れ、と低く響いた声に答えるように、ノブへと手を伸ばす。ガチャリと、予想以上に重い手応えにドクリと大きく心臓が鳴ったが、ぐ、と唾を飲みこみ、「失礼します」と足を一歩踏み入れた。
大きな、焦げ茶色の机の上へと両肘をついた男は、抱え込むかのような体勢で、へとじろりと目を滑らせる。
その手前には、老齢の召喚士が長い杖を突きながら豊かなヒゲを撫でていた。
「何故、自分が呼ばれたのか、分かるか?」
あまりにも単刀な言い口に、彼女は気後れするかのように赤い絨毯へと目を伸ばし、すぐさま彼を見詰める。おそらく。あらかたの予想はついていた。
「国内での魔力のぶれを感知した件でしょうか」
くくぅ、と何がおかしいのか、ぐい、と彼は口の端を引き上げる。「そうだ」そして次の台詞も、予想はついていた。
「帝国軍第三部隊親衛隊補佐。任務を命じる。ぶれとなる原因の調査、そして速やかに報告、改善せよ」
彼女は短く、声を落とし息を吐き出すかのように、ハッキリと返答をした。
満足そうに頷く彼の表情を見、くるりと踵を返す直前、「待て」 身体を止める。
「帝国軍第三部隊親衛隊補佐としての、最後の任務だ。この意味が、分かるか」
魔力のぶれなど、珍しくもなんともない。わざわざ自分が足を運ばなければならない理由はない。ぶれなどの大抵は勝手にすっきりと収縮し、なんとかなるものだ。これは、ただの口実だった。
調査、報告を無事終了すれば、おそらく彼女は。
「承知しております」
逸る心を押さえつけるかのように彼女は扉へと向かい、兄の姿を思い浮かべた。気づけば自分は、兄が親衛隊へと入隊した、その時と同じ年齢だ。
(そうか、案外、短かったかもな)
父も、母も、既にいない。響くブーツの音へと耳を傾け、はっと口元からはき出した息は白く、暖かかった。
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2008.10.28