頭を撫でられていた。
よしよしと優しげに撫でられているのに、小さな私の頭はころころと首がすわらなくて彼はおっかなびっくりと笑っていた。
なんだか変だな、と思う。こんな人だっただろうか。の中で、“彼”は強くて優しくて、困ることなんてなくて、とてもすごくて、かっこよくて、綺麗な人だった。
けれどもそれは覚えていないから。撫でてくれた手のひらしか覚えていないから。

悪いところもいいところも、何も知らないから。
ときおり零れるように落ちる記憶のかけらを、つんと指の先でつついた。


夢なのだと分かっている。夢の中での彼は自分と随分よく似た顔をしていた。
困った顔もよく似ていた。小さなが彼にじゃれつくと、驚いて身体を固めて、どうしまいか口を一文字にして、引きつるように笑った。けれどもすぐに楽しげに笑っていた。

もしかすると、これは本当のことなのかもしれない。
そうなのかもしれないというだけだ。ただ、自身の中にほんのひとかけらだけ。




ベッドから覗いた外の景色は特に何が違うわけでもなかった。ただ側に転がした石がちらりと光る。
(なんだろう)

よくない匂いがする。枝から飛び立った鳥の跡を残すように、ちらちらと緑の葉が揺れていた。








「今日は……なんだか寒いですね」
「えっ、そうかな?」

隣に座るアルバに目を向けた。「体感気温の差でしょうか」 ポソリと呟くとリシェルが吹き出すように笑う。「アルバすっごい暑がりじゃない?」 だって上着きてるのなんか見たこと無いし、とジュースのストローを噛みしめるお嬢様を相手に、「いやいや、動きづらいじゃないか。別にそれだけだよ」「そーゆー問題?」

「あ、でもあんたってちっちゃい頃からそんな感じよねえ。お腹出して寝てばっかりでほら、あんたってリプレ達に怒られてたし」
「アカネねーちゃん!」

手の中で紅茶を暖めながら、アカネとアルバを見つめた。そんなに、面白げに口元をゆるめたリシェルがそそと近づく。「……あんまりおもしろくなーい?」「え?」「ほらほら、アルバ、さっきからあっちにいっぱいいっぱいじゃん?」

耳をすませば、彼の小さな頃の話が転がり落ちてくる。小さな頃は手の付けられないおてんばだったとか、ピーマンが食べられなかったとか、かと思えば女の子の尻にしかれていたとか。
「……えっと」

やめてくれよアカネねーちゃん!

耳が赤い。それからちらりとを見た。なぜだか目が合ったものだから、手のひらのカップをがぎゅっと握ったのは一瞬だ。耳元で囁きかけてくるくのいちにすぐさま反応して、「だから!」とアルバは珍しく声を荒らげている。

「どーよ、」 ほほ、と口元に手を当ててリシェルは楽しげだ。「面白くない、というか……」

「もっと聞いてみたいです」

色んなアルバの話を聞いてみたい。小さな頃の話を他の人に聞かれるのはひどくバツの悪いことだ。にだってそれくらの察しはつく。今でこそ、と言えたものかわからないが、それこそは泣いてばかりの子どもだった。そんなことをアルバの前で言われてしまえば、だって赤面する。けれども聞いてみたい。

「アルバさんのお話、もっと、聞いてみたいです」

口から出た声はなぜだか小さくて恥ずかしくなった。ただ思ったことを言っただけなのに、手のひらのカップの表面を揺れる様を見つめることしかできない。「…………だめ、お腹いっぱい」 呆れたように片手を振られた。

「ご飯にはまだはやいですから?」
「いや違うから」
そういうことじゃなくて、と口元をひっぱるが、どこまでからかっていいものか、案外わかりかねていた。面白いけど歯がゆい。相変わらずアカネはアルバをからかい続けているし、は手の中のココアを温めながらちびちびと口をつけている。

「まあ、もーいーけ」 どね。と声を出すタイミングで、べべべん。「あ、アアーアアッ!」 満足気に撥を三味線に叩きつける音が響いた。

「そこうっさーい!!! シンゲンだまっときなさーい!!」
「そんな! けだるい午後に色合いをもたせようとしましたのに!?」
「けだるい午後とか日常会話で使うやつは初めて見たわ!」
「姉さん、あんまり人様の家で騒ぐのはやめようよ……」


なんであたしが言われなきゃなんないってのよ! と頭のうさぎがふっとぶくらいにリシェルの頬が膨らんでしまっている。丁度客もいなくなる時間帯だ。宿には馴染みの者しかしない。店主は竜の子と一緒にお散歩中だ。
ふと、胸が暖かくなった。ときおりはこの感覚に気づくようになった。メイトルパの暖かみに手を触れたときとひどく似ている。それに手をのばそうとした。すわらない首を撫でられていたときのように。
手の中のココアが暖かい。

ノックの音が聞こえた。

店主はいない。「はい」 返事をしたのが誰だったのか分からない。いつのまにやら癖になってしまっている。返事を聞いてか、そうでないのかは分からないがすぐさまカウベルの音が響いた。「ミントさん」「あら、ライくんは?」 いいお野菜ができたからねと笑う彼女の足元にはおきまりの召喚獣が一張羅の帽子をなおしながら店内を見回している。

「それにしても……勢揃いですねえ」
「ふむ。まあなんのかんのと言って、見かけが違う我らが外でふらつくわけにもいかんしな。いつもよりも密度が高いことは否定はせんが」
「うーん……。一人で歩いてる召喚獣を見ることはあるけど、まれだしねえ」

シンゲンさんなんかは、角を隠したらなんとかなるんじゃないかしら、と提案する彼女に、いやいや、これは我らのほこりであるしな、とかかと笑っている。リビエルはともかく、アロエリは羽根を隠すには少々工夫が必要だ。

「そうして、奇妙な宿屋だと噂がたちまた客が」
「……ちょっとシンゲン」
「おっとと思わず口が。いやいや! それも店主殿の腕前で客は引き寄せられて来ますとも!」
「まあ、食事時だけね」

自分でツッコミを入れたくせに、事実も思わず口にしてしまうのがこの宿屋の主の幼馴染の悲しいところだ。
「いやいっとくけど。あたしは違うわよお? 外をすいすいしててもシルターンは怪しまれにくいし。ここの店の稼ぎだけじゃ師匠にぶん殴られそうだから、なんとかさあ、カモを見つめて薬を売りつけたいとこなんだけど……」
「姉ちゃん、カモって……」

弟からのストップが入っている。けれども気にしない。「今日、やっぱ寒いもん。寒いと人も少ないし」 確かにと召喚獣達がそろって頷く。「まあ気にせずいつもどおりな子もいますけど……」 庭からは破壊音が響いている。
「なんだか、寒くて嫌なんですもの」「リビエルちゃん。静かだと思ったら寒かったの?」「静かだと思ったらってなんですの!」

「雪でも降りそうですね」

ふとが呟いた。ありえないことではない。ただすこし、時期にははやい気がする。
過去に湖の水がすべて凍ってしまったことがある。まさかと一瞬不安がよぎるものの、そうなんども同じ手口をかけるものだろうか。(……調査に、行った方がいいのかも) 幾人か、同じ思考を持ったのだろう。

「ま、店主殿を待ってみてから、ちょいと様子を見ましょうや」
三味線の音がべべんと大きく響いた。

「そうですね」と口では頷きながら、は腰の中のポーチを探った。石はある。剣は持てない。(まあ、問題ないかな……) 人差し指を軽く動かしながら、飲みかけていたココアを喉に流し込んだ。「も、外に?」「え? あ、はい」 使ったカップは洗うこと。客ではあるが、客ではない。宿にいるにも、ルールは必要だ。カップを流しにつけながら、アルバと顔を見合わせた。

「……アルバさんも?」
「ああ、グランバルドの様子を見に行こうかなって思ってさ。ほら」

ぐらんノバカァ!
ふええん、と泣き声と一緒に盛大に何かが壊れる音がしている。苦笑しながら立ち上がりカウベルを鳴らした。「グランバルド     」 なにしてるんだよ、とドアから顔を覗かせてアルバが笑っている。も後に続いた。
冷えた空気が頬を叩く。


「…………え」


窓の外を見た。ひらりと一つ、雪が降っていた。


ほらほたとこぼれていた。
「さむーい、雪降ってるじゃん」

開けたドアから冷気が流れこむ。リシェルがひとつ身震いをして、「ー、ドアしめてー」「あ、ごめんなさい……」
一歩踏みだそうとするアルバの腕を気づけば握っていた。「……ん?」「あの」 握った自身の手を見つめて赤くなる。グランバルドがぐちゃぐちゃにしてしまった洗濯物の前でひんひんオイルの涙をこぼしている。はやく行ってやらないとと進もうとするアルバを止めた。「あの、アルバさん」「えっと、どうしたの?」

奇妙だった。
肌寒い。確かにそうだ。雪が降るかもしれない。そう言っていた。ただどうにも見慣れない景色に瞼ばかり、瞬きばかりが繰り返された。
「これは、本当に雪、ですか……?」


ひどく黒い。
気づくと視線が集まっていた。ほとほとと蛍のように、ただそれよりも重く滑り落ちて行く。開けたドアから一粒、こぼれ落ちた。
木目に添ってつるりと黒い液が沈みこむ。
ひとつ、ふたつ。数えるほどのそれは気づけば視界を覆っている。

胸に重さを感じた。

「……あ、れ……」
ぱくりと彼が口を動かす。「アルバさん!」 抱えきれずに、も床に倒れこんだ。
開けられた扉の向こう側でグランバルドが、あるばドーシタノ?ときょとりと首を傾げている。はやく、中に。そう伝えたいのに、上手く声が出ない。耳遠く、悲鳴が聞こえた。



     召喚されるものは、獣だけではない。

過去に、彼らはそう語った。
本よりも何よりも、彼らの言葉がの知識となった。彼らはメイトルパの生き物であるから、他の異界について深くを知ることはなかったがその分はが補えばいい話だ。
透明なサモナイト石からは無機質のみしか現れない。それは名も無き世界が無機質のみで溢れているからかどうかはわからない。ただ、それが石を通り抜けてこちらに来ることができるのならば、メイトルパとてできない理屈はない。

メイトルパには命がある。草があるし、風がある。石はただの入り口であると。




***



「解魂病……別名、マナ枯らし」


マナを喰い、枯らしてしまう。メイトルパで過去に猛威を振るった病原菌だ。
押し倒されるようにのしかかるアルバを抱きしめながら、は天井を見上げた。
ひとたび宿主になってしまえば、そのもののマナが枯渇するまで放れることのない黒い雪。

こんなものが、リィンバウムに降るわけがない。石は獣のみを召喚するわけではない。ギアンが次の策に出た。逆らえば黒い雪を降らし続ける。なかなかうまい策だ。はやくライとミルリーフを探さなければと考えながら声を出そうとすれば風邪をひいたようにうまくいかない。
腕の中のアルバの息が荒い。「あ、アルバさん……」「もしかして、マナの量……なのかも……」 

「これが私が知っているマナ枯らしなら、マナが少ない人から倒れていく。それにアルバくんは今、雪を触ってしまったから……」

ミントの言葉にハッとしたようにセイロンが扉を叩きしめた。僅かに雪がかかったのだろう。自身の指を見つめているが、アルバのように倒れこむことはない。「待ってください、外にグランバルドが!」 必死でアルバを引きずりながらが叫ぶ。「ナンデ閉メッチャッタノ?」 ドアが開けられた。ぎょっとしたように彼を見て、「はやく中に!」「エ?」 なんてこともない顔をしてノシノシと機械の足を動かしドアを閉める。

「おぬし、なんともないのか?」
「ナニガ? ぐらんばるど、防水ダシ、ダイジョーブ!」

奇妙な沈黙が流れた。「そんなマナ枯らしなんて……本当ですの? わたくしがサプレスの者だからか、聞いたこともありませんわ」 自信なさげにリビエルがメガネを触る。唐突に、何かが転がり落ちる音がした。「ちょっと、ルシアンどうしたのよ!?」「姉さん、ごめん……。なんだか……いきなり、立てなくなって……」

叫ぶリシェルもふいに咳き込んだ。そしてその場でうずくまる。「人間だけ……?」 も、ルシアンも、リシェルも。「人間だけ、なのでは……」 そんな都合のいい病があってたまるものだろうか。まさか、とざわつく店内の中で、ふとアルバが瞳を開けた。荒い息のまま、「、ごめん」 なんだか動けなくって、と苦しげな声だ。

「だ、大丈夫です。アルバさんはベッドに」

そうするよ、と頷く前にアルバの意識が途切れた。ふいには息を飲み込んだ。「ちょっと、アルバどーしたのよ!」 アカネが近づく。あの雪は触ってはいけない。

解魂病はマナを喰い宿主の意識を殺す。

は知っている。頭の中は冷静だった。どうすればいいのか、と考えてみて、瞳を閉じた彼の顔を見つめた。のしかかる彼の体をアカネが持ち上げる。「なんなのよ、あたしはなんともないってのに!」「アカネさん、ごめんなさい」

ついと手を伸ばした。アルバの頬に両手を添える。「失礼します」


ひとつ、キスをした。





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2015/09/23