リシェルと二人、ぐずりながら道を歩いた。きゅっと二人で手を握って、おやすみなさい、とが声を出したとき、喉につっかかって変な声になってしまったものだから、ぷは、と吹き出すみたいにリシェルは笑った。それがひどくうれしく感じて、「また」 明日、と言おうとした。
ひくり、と喉を震わせるように片手をあげ、は幾度か呼吸を繰り返した。ほたほたと、ランプの明かりが揺れている。「また、あした」 言ってよかったのだろうか。きゅ、と服の裾を握りしめた。
「うん!」
んじゃまたあした!
あっけらかんとした言葉に、ぱちんと瞬いた。「はい、おやすみなさい」
その日の夜は、にとって、一つの転機であった。いや、この街に訪れたことこそが、そうでもあった。夜空を見上げながら、宿屋への道を歩く。ほんのりと目を細め、掴み始めた何かを胸にベッドの中に入り、少しずつ、小さな気持ちを大きくさせ、また明日を迎える。芽生えた花を大きくさせ、ゆっくりと水をやるできたらよかったのだけれども。
ぷらぷらと、ロープが垂れ下がっていたのだ。
気のせいだろうか? は夜目がきく。きゅるりと赤い瞳を瞬かせて、まるで尻尾のように揺れるロープを目で追う。どうやら宿屋の窓につながっているらしい。ちょん、と引っ張ってみた。「ひえっ?」 押さえこんだ、ほんのり高い少女の声が聞こえる。なんなのよ、びっくりした。ぽそぽそ、と少女が呟く声が聞こえる。聞き覚えのある声だ。
はゆっくりと顔を上げた。闇の中でオレンジ色の何かがゆらゆらと揺れている。マフラーだ。
「……あの、何をしてるんですか? アカネさん」
頭の上から、忍者がおっこちた。
***
銭がない、とは悲しいものである。
夜に慣れた瞳でくるくると鉤爪を回し、ちょい、とひっぱってみた。つんつん、とロープを引っ張ると、丁度いい場所にひっかかったらしい。木枠のかっちりと組み合ったそれを見て、へい、ひょい、ほい、と静かな掛け声を頭の中にこぼしながら、アカネはひらひらとオレンジ色のマフラーを揺らした。(おししょーもさあ……) 頭の中で、アカネとともにシルターンへやってきた、あの細目の男を思い出した。(無茶しかいわないんだもん)
いつの間にやら長い付き合いになってしまっているが、まったくあの師匠は、情とか情とか情とか、そんなものが足りないのである。まあ多少、自分もできが悪いとか、おっちょこちょいであるとか、まあそんなことも、いやない。ないぞ。このせくしー忍者アカネ様は、いつでもどこでも完璧パーフェクトなお姉さまなのである。
(そんだから、さっさとお家に帰って、さっさと有意義で素敵ですぺしゃるなご飯を食べちゃうもんね……!)
これも修行の一つ、できた薬を全て売り切るまで帰ってはこないように。そんなさらりと笑う、昔は薬屋の店主、現在は蕎麦屋の店主を思い出した。こんにゃろ鬼か。いつかあの黒服を真っ白に染めてやる。
なんて思うのは心の中だけの話である。薬を売ったところで、自身の金になるわけでもなし、野宿生活はもう勘弁だ。(ここの店主なら……) 吉福のいい店主だった。いいカモであったとも言う。(めっちゃくちゃ助かっちゃったけどさあ) 困ってるんだよう、買っておくれよう、としくしく泣けば、ちっちゃい身体で子どもなくせに、意外な金払いのよさでアカネはひええと目を輝かせるばかりであった。
だからこそ忍び込む。
これくらいお金持ちなのだ。ちょっとくらいちょろまかしてもバレもしないだろう。ついでにあんなに小さくっておこちゃまなくせに懐がほくほくしているなんて、きっと悪いことの一つでもしているに違いない。(わっせっせー!) もしこの自分の所業がお師匠にバレてしまったら、首の一本でも飛びかねないが、バレなきゃいいのだ。問題ない。いやでも、お師匠のことだから、どこにアンテナが張られているか。もしかすると、今も見ているかもしれない……?
ロープで身体を支えながら、ちょっとだけブルッた。ロープが揺れた。びっくりした。びくんと身体を震わせて、いやいや、と首を振る。大丈夫だ。まさかお師匠がこんな遠い地までやってくるはずは。「アカネさん?」「ふぎょっ!?」
そして忍者は落下した。
忍者が落っこちたとは、中々センセーショナルな事態であったのだが、さすがのアカネはくるんと宙で身体を回転させ、音もなく、見事に着地した。ひらひらと舞うオレンジのマフラーは現在のトレードマークだ。ふう、びっくりした。なんてため息をついている彼女とは向かい合った。「…………あー、イイ月夜ネ!」「え、ああ、まあ……?」
どう考えても怪しい。というか、「アカネさん、ですよね……?」「へ? あ、400バームの女の子じゃん!」「へ、変な覚え方しないでください!」
です、と頬をふくらませると、「なるほどちゃんねえ」とふむふむ、とアカネは親指と人差し指の間を顎につけて、「いけないなあ」とニヤつく。何がだろうか、とは首をかしげた。「こーんな夜中に女の子がであるいちゃー。……さては、彼氏のところに行ってたね?」「そういうアカネさんはなんでドアからではなく窓から侵入をしようと?」 若干早口で突っ込んでみた。
つまりは不法侵入である。
じっとりとした瞳で、は静かにアカネを見つめた。長い間があった。「いやいや」 待ってくれたまえ、とアカネは両手をひらつかせる。「入り口はもう閉まってただけ! 私、ここに泊まっててさあ! 困ってたのよお」「私もこちらにお世話になっていますがアカネさんは初めて見ました」 無言だった。
げふん、とアカネはまた咳をついた。「と、いうのはまあ、場を和らげるときの方便として」 ほほほほ、と口元に手を当てて笑ってみる。「ちょっと店主さんに用があってね。しょうがないからさあ、でもほら、入り口が閉まっててさ? 窓から入るしかないじゃん? だれかいませんかーってこの細腕でえんやこらと上り、声をかけようとがんばったわけよ」
だから初めからあんな場所から入ろうと思ってたわけじゃないのよー? と首を傾げた瞬間、どすりと窓枠からずり落ちた鉤爪が、垂直に地面に突き刺さった。
冷たい夜風が吹いている。ふと、アカネは空を見つめた。も彼女に倣った。星空が散っていた。
「…………さらば!」
「いかせません!」
えいや、とはアカネの両足を掴んで、二人でびたんと倒れ込んだ。一体何をしているのか、正直にも分からないが、とにかくなんだか逃がしてはいけないような気がする。さすが忍者の動きの素早さに耐えながらも、はがっちりとアカネをホールドした。軍人のプライドを守り切るようにホールドした。「こら! いい子だから離しなさい!」「だ、だめです!」
せめて何をしていたのか事情だけでも聞かせていただきます、と叫ぶ彼女を相手にして、「何もしてたもなにも適当にお金もらってトンズラしようとしてただけだからあー!」
「一番駄目な展開この上ない!?」
「…………お前ら、何騒いでるんだ……?」
開けられたドアの向こう側には、あくびを繰り返す店主その他が、パタリとドアを開けてこっちを見つめていた。
***
「何が金持ちであくどいことをしてるガキか!」とぷんすこ眉を寄せるライと、「駐在軍人として言わせてもらうが、やっぱりきちんと牢屋に入って反省しないとだな」と気むずかしく頷くグラッドの間で、「ちょっと待ってくれ!」と叫んだのは、なぜだか少年騎士、その人だった。
彼女と同郷であるというアルバの懇願を相手にして、「まあ別に、実際未遂だったしな」とほっぺをひっかく、やはりどこかお人好しな少年、ライの言葉にパッとアカネが瞳を瞬かせたのもつかの間。
忍び込まれた本人がそう言うのなら仕方がないが、きちんとけじめはつけなさい、というグラッドの言として、忘れじの面影亭は、またひとり、元気な店員さんが増えたというわけである。
「あーあ、なんで私がこんなこと……いらっしゃいませー!」
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2013/06/22