幸せの味、という言葉を知ってしまった。
もぐもぐ、とほっぺを膨らます。はふにゃりと笑った。「あんた、おいしそうに食べるわねえ」「だって、おいしいんです……」 噛めば小麦粉の甘さが、ふんわりと口の中に広がる。ふわふわ柔らかくって、暖かくって、ため息ばかりついてしまう。先日とある事情で仲間入りした、くのいち、アカネが呆れたような顔をして、「はいどーぞ」と盆に置かれたコップをことんとテーブルに置く。
「アルバさんのパン、おいしいです……」
呟いたの言葉に、気がついたのか、こちらに背を向けていた少年が、ゆっくりと振り返った。それからにこりと笑った。「ありがとう」
先日のパン勝負以来、すっかりと宿の定番メニューとなってしまった、人気メニューだ。
さすがに毎日、というわけではないが、彼の時間と、ついでに店主の都合が合えば、二人でパン作りをしている後ろ姿を食堂から覗くことができた。楽しげにぴろぴろ茶色い尻尾を揺らしているアルバを見ると、はどこか自身も嬉しくなって、ふんわり焼けるいい匂いを鼻でかいだ。
平和な時間も、ちょっとくらい必要だ。
言い訳をするわけではないのだけれども、そう思う。「ミルリーフにもー」「はいはい」 相変わらずの定位置で、の膝の上にちょんとすわっておねだりをする桃色髪の少女に、はふわりと笑って、食べていたパンをちぎった。口をつきだして、もぐもぐとほっぺを膨らますミルリーフを見ていると、なんだか親鳥になった気分で微笑ましい。「パパのパンも好きだけど、アルバのパンもすき」「はい、ライさんのパンも素敵です」 甲乙つけ難くて、どっちもおいしいです、なんて思わずつぶやいてしまったのは記憶に新しい。
ぱたぱた、とミルリーフがの膝の上で足を揺らした。幸せな気分だ。きっと、今までのであったのなら、その感想だけで終わってしまっていただろう。ふと気づいた何か、妙に心が騒がしい。(……あれ?) アルバのパンを食べる。おいしい。幸せだ。もっと食べたい。どうぞどうぞ、とアルバも言ってくれる。ありがとうございます、とお礼を言う。それはいつものことで、いつものことで、もちろんいつもの。(……いつもの、ことで?)
唐突に、気づいてしまった。
ぽとん、との手のひらから落ちたパンを、不思議気な顔をしてミルリーフが受け止めた。「?」
そうして、真っ赤な顔をして両手で顔を押さえるに気づいた。「どうしたの?」 気づいてしまった。
***
「リシェル、私、お料理ができません!」
「そんなの私もできないけど」
決死の覚悟での友人への主張はすげからく投げ飛ばされてしまった。「別に料理なんて自分でする必要もないし。家にいたらメイドが作ってくれるしさ。小腹がすいたらライのとこにいくしー」 それで全然問題なんだから、どうでいいじゃん? なんて頭の後ろで腕を組みながらソファーに腰掛けるリシェルの目の前で、は小さく両手を握りしめながら、うう、と何を主張すればいいのか自身でもわからないまま眉を垂らした。「女だからってムリにする必要ってないと思うのよね。それに料理人って男の方が多いし。ライだってそーじゃん」
ムリでめんどいことはしないにかぎーる、と説得力があるのかないのか、よくわからない台詞に、はやっぱり唸った。「今までは、私も気にしては、いなかった、んですが……」 アルバを見ていると、なにやらひどく恥ずかしい気持ちになる。前までは、こんなことはなかったはずなのだ。人間には適材適所というものがある。親衛隊となるはずの自身には、それは“いらない”ものであり、磨くべき技術は別にあった。食べ物など、マナーをこなせばそれで十分であったはずだし、訓練時には飢えをしのぐ最低限があればいい、というのが軍での常識だ。それこそは召喚術を中心としている。自身よりも召喚獣の食を中心とすることは当たり前で、人間の食事よりも、そちらの方が詳しいくらいだ。
(なのに)
自分ひとりだけ、おいしい、なんて言っていていいのだろうか。
料理ができないということを、アルバが知ったらどう思うだろう。いや、それを知ったところで、アルバがを軽蔑するような、そんな人間ではないとは知っている。(でも) 知られたくない。アルバにだけは知られたくない。
(な、なんでだろ)
なぜだか分からないのに、頬が赤くなっていく。アルバに出会ってから、自身はひどく無駄な思考が多くなったと思う。それは日に日に大きくなって、ときおり自分自身どこに向けばいいのか分からない。「ま、あんたが気にするってんならさ、ライに相談してみたら?」 あたしは、どうでもいいと思うけど。というリシェルのあくび混じりの言葉に、は「はい!」と力強く頷いた。こうして、ライとの特訓が始まった。
「料理ってさ、単純なようで、難しくって、やっぱ簡単なんだ」
最初は難しくても、そのうちおいしくなる道筋が見えてくる。一度焼き過ぎたら、今度は時間を短くして、焼きが足りなければ、今度はもう少し長くすればいい。そうして自分の中の感覚を掴んでいくんだ、とフライパンをひょいと持ち上げながらの師匠の言葉に、こくこく、とは頷いた。料理を教えてほしい。そのの言葉に、快く頷いた男気溢れる少年は、師匠としてなんとも頼り甲斐がある。包丁を持ってみた。どきどきする。「それにしても、なんでいきなり?」 いや、俺としては料理好きが一人でも増えるのは嬉しいんだけどよ、と鼻の頭にしわを寄せる彼に、はきゅっと口をつぐんだ。
それから少しだけ考えた。
「あったかく、なって欲しかったからかもしれません」
***
このところ、がおかしい。そう気づいたのは、アルバだけなのだろうか。
ときおりそわそわとして、何かを考えるように両手の指をくるくる動かしながら天井を見上げている。ついでに言えば、なぜだか指先には絆創膏をしていて、どこで怪我をしたのか、と尋ねてみても、しどろもどろな説明ばかりだ。前は公園に、二人で一緒に出かけていた。出かける、と言えば聞こえはいいが、実際はアルバが素振りをする姿を、がベンチに座りながら見つめている。そんな変なお決まりだった。それも誘ってみたものの、はパッと嬉しげに笑った後、ちょっと考えて、用事があるから、とぶんぶんと首を振った。(つまらなくなったのかな)
当たり前だ。むしろ楽しいはずがない。前々から、申し訳ないとは思ってはいたのだ。そう思いながら拭きでた汗をタオルで拭って宿まで帰宅している最中、を見た。ライと一緒だった。(…………つまらなくなったのかな) 当たり前だ、とアルバはもう一度考えた。でも自分は楽しかった。「楽しかったんだけどな」 そう呟いたとき、ぱちんと口元に手をあてた。何を言っているんだろう。そう思って、足早にその場を去った。僅かに、耳が赤かった。
「あの、アルバさん」
ひどく赤い顔をしたに声を掛けられたのは、その数日後だ。「あの、今から、公園に行くんですか?」「ん、そうだよ」 誘うべきか、そう考えた後、やっぱりやめておこう、と考えた。何度も誘って、断らせるなんて申し訳ない。けれども、それじゃあ、とも言いづらい。「あの」 は耳を真っ赤にしていた。顔を伏せた彼女の首筋から、さらりと見えたうなじまで赤い。かわいいなあ、と無意識に考えて、それから自分は何を考えていたんだっけ、と目線を上げた。だから可愛い。うん、可愛い。それだけだ。
「私も、ご一緒して、いいですか?」
一瞬何を言われているかわからなかった。「うん、もちろんだよ」 こくりと頷いて笑うと、はひどく嬉しげに笑った。ぱちん、と絆創膏がいくつかついている手のひらをあわせて、すぐにしおしおと頭を落とした。「あの、その」 準備します、とそれだけ言って消えていく彼女の背中を見送って、アルバは所在なく佇んだ。妙に心臓の音が大きい。口元を引き伸ばして、胸の服を拳で握りながら視線を逸らした。それから息を二三度吐いている間に、金髪の少女はぱたぱたと息を弾ませて戻ってきた。何やら手提げ鞄を持っている。「あ、あの」 おずおずとした声だ。
「お、お弁当、作ったんです。ですから、その、あとで、一緒に」
ぱちり、ぱちり、と彼女の言葉を瞬きながらきいた。そんなゆっくりとしたアルバの反応を見て、は一瞬泣き出しそうな顔をした。それからすぐに、「あ、あの、ライさんに教えてもらいましたから!」 変なものじゃないです、とぶんぶんと首を振っている。「あ、ごめん、そういうのじゃなくって」 じゃなくて。
(なんだろう)
「ありがとう」
ほんのりと、暖かくなった。
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2013/07/07