ハイハイコンニチハ神様ですか? 違いますか? どっちでもいいですそんなもの。ところで神様ってなんですか? エルゴですか? 天使ですか? どうでもいいですそんなもの。 ハイハイ神様コンニチハ。ところで俺はいつもいつも考えている言葉があります。 「死ねくたばれ消え失せろ」 誰が? アナタが? 俺が? それはモチロンこの世のクソどもが。デカイ顔のさばらせる害虫どもへ。 「この害虫が!」 踏みつぶされたの顔が、泥の中へと沈む。彼は口の中へとぐちゃぐちゃと砂利をつっこみ、濡れた顔面から体中まで、地面の色と変わらない形のまま、ぱっと顔を上げた。 「やだやだ旦那ちょっとぶつかったくらいで、怒ンないでよもうバッカー」 ひっひと、まるで息を切らしているのかと思えるほど特徴的な笑い方で、年齢にも見合わず幼く歯をむき出しにしながら彼は笑った。 気味が悪い笑い方すんじゃねぇよとの顔面を蹴飛ばした男は酒臭い息でくだを巻き、手に持ったビールの瓶を、ぶんと振りかざす。 ガツン、との後頭部を狙われたソレを、彼は小さくうずくまるようにして回避した。 バランスの崩れたの上を男が倒れ込み、その瞬間に、は駆ける。力一杯に足を踏みしきり、退廃したスラムの空気を胸一杯に吸い込み、ハァっときつく息を吐き出す。 それがのいる、この街の名称だった。 名前の通り、大きな港を持ち、他国への輸入輸出を中心としたこの都市は様々なものや活気に溢れる反面、高い物価と狭い土地に、街を半分に別けるスラムが形成されていた。 都市の中心となる港から遠く離れるほど、長く連なった低い家々が並び、風が吹くだけでギシギシと嫌な音が響き、すきま風が吹く。 飢えと寒さを防ぐことで必死になるだけの毎日で、何が変わる訳でもない。 はこの街から出た事はないが、他も大して代わりはしないだろうとなんとなくそんな事を考えていた。 帝国やら、聖王国やらなんやらの皇帝はエルゴの王とかいう偉い人の血筋を引いているという事は知っていても、エルゴという事がなんなのかという事をは知らないし、知ろうとも思わなかった。そんなものを知って腹の足しになるってんなら、いくらでも覚えてやるのだが。 顔についた泥を、は手の甲でさすり、大きく息をした。「害虫は、お前らの方だろ」 昼間っから酒なんて飲みやがって。 金を持ってりゃ偉いのか。デカイツラしていいってのか。 お高くとまった軍人ヤロウがあんまりにもむかついたもんで、思いっきりぶつかってやったのだ。 赤い顔のままフラフラとしていた男が、思いっきり滑り込み、きょとんとしたあの表情は忘れられない。ひっひと特徴のある切れがある笑い方のまま、はドアノブとは言い難い錆びきれたノブをぐいと掴む。 へろへろとしたベニヤのような扉がゆっくりと開き、彼は一歩足を踏み入れた。 このスラムに、のような若者は珍しい。見目がいい若い女は、街の中心へと春を売りに行くし、若い男もまた大抵が港でのその日ぐらしの仕事と共に、街に住む。 も同じくそうすれば、少しは生活が楽になるのだろうけれど、どうしてもそうできない訳があった。 「おかえり」 「おかえりー」 次々に聞こえる小さな甲高い声に、は「おう、ただいま!」とちょいと小さく手を挙げ、彼の腰元へとどしどしとぶつかる彼らの頭を、よしよしと撫でる。 「お前らイイコにしてたのかよ」 「してたしてた」 「ガッツのヤロウからみんなで金巻き上げてさぁ」 「ハ、マジで。あのいけすかねぇ酒屋からか」 「うん、あたしが適当に、こっちに来ておじさん! っていったらひょこひょこついて来てね」 「ウハハ、よくやるネお前ら」 「は?」 「俺もバカな軍人からすってやった」 そういいながら、のポケットから取り出した革袋を、子ども達は「おおー!」と手をならし、「手癖の悪さは天下一品だねぇ」とニヤニヤと唇に弧を描いた。 まぁな、とケタケタ笑うに、一番小さな少年が、精一杯背伸びをして、手を伸ばす。どうしたと腰を屈めたの唇と頬に、小さな紅葉のような手のひらがついと貼り付いた。「怪我してるよ」 泥の中に埋もれた傷痕に、彼は泣きそうに顔を歪めた。 けれどもは、「ああどうりでひりひりすると」と傷口を軽く叩き、「ダイジョーブ」と少年の頭をぐりぐりと撫でる。クリーム色のざんばらに伸ばされた髪の毛が、手のひらを動かす度にピコピコと揺れた。 「は、変に無頓着なんだ」と少年は不満そうに唇をとがせたのだけれど、ただ無言での膝へと、額を乗せる。 「中、どれくらい入ってるの、」 年齢の割に、ひょろりと背の高い少年がへにょへにょと口元を動かして小首を傾げた。 そう言えば、まだ確認していなかったな、と革袋の口を開き、外の地面と代わらない床へとひっくり返し、ちゃりちゃりと小銭を落とす。 ころりと転がった硬貨に、「案外しけてんナァ」と子ども達は顔をのぞかせ、指をちょいちょいと伸ばす。それをはたしなめ、「こーら、こりゃ明日のメシに変わるんだから」「ちぇっ」 確かにしけてやがる、とむうと口元を動かし、最後にと革袋を大きく振ったときだった。ちゃりん、と響いた硬貨の上に、紫の透き通る、小さな石が飛び出した。 なんだこりゃあ、と間近でそれを見詰めてみれば、中には小さな文字が書かれているような気がする。 「サモナイト石だ」 誰かが呟いた台詞に、こくりとは唾を飲み込んだ。 サモナイト石。召喚の力を込められたそれは、誰が言い出したのかは知らないが、その石には街一つ壊せるほどの威力が秘められていると聞く。 帝国は召喚術に関しては明るいが、飽くまでもそれは正しい知識を覚えた軍人によるものだけだ。こうして一般人の、いやそれ以下の達の目にとまる事はほとんど無い。 恐る恐る顔をのぞかせた子どもの一人が、「綺麗だなぁ」とうっとりとしたように目を輝かせた。小指の先にも満たないその欠片は世界中の色を封じ込めたかのように複雑で、キラキラと光を反射させた。 欲しい。と、誰かが言い出す前にとはその欠片を穴が開いているようなぼろっちいポケットへとつっこむ。こんな危ないもの渡してたまるか。 「明日、朝一番にヘイガーヅの店に売りに行くよ、案外いい値段するかもな」 その言葉に、子ども達は「ぼったくられンなヨ」と口々に笑い、ぐう、と情けなく腹の音を響かせたのだった。 「…………嘘だろ」 は大きく目を開け、今まで見たこともないような金額に、ぽかんと意識をぶっとばしていた。ありえない。と頭を振る間に、ヘイガーヅの親父は上機嫌に袋へと金貨を詰め込み、「おらよ」と無造作に渡す。「……俺騙されてンの?」「騙してお前に金渡してどうすんだよ」 それはそうなのだが、どうにも思考がついて行かない。 汚い袋とは反対に、ずっしりと重い感覚のまま、右腕をぶんぶんと振って、中でこすり合う金額の感覚で遊ぼうと考えたのだが、そんなこと恐すぎて出来やしない。 ぶるぶると震える右腕と右足に、俺ってこんな小心者だったっけとは考えたが、どうにもこれはしょうがない。贅沢をしなければ、半年は生きられるほどの金額が、今現在、彼の右腕へと納まっているのだ。 なにやら濃縮度の高いサモナイト石だとかなんとか叫んでいた台詞が聞こえた気がするが、そんな事よく分からないし、どうでもいい。 けれどもの脳内には、サモナイト石イコール儲かる。となんとも安直な方程式が出来上がっていた。 (これは、) もっと楽して稼げるんじゃないか? そう彼は、汚らしい空を見上げながら呟いた。 は自分よりも小さな生き物が嫌いだった。正確にいえば、子どもが嫌いだった。すぐに死んでしまうそいつらは、掃きだめとなるスラムの中に大勢いて、たとえが全身全霊を注いでも、なんとかできるやつらはほんの一握りだったからだ。 ぽくぽくと簡単にいなくなる其奴らを見る事が嫌で、けれども放っている事もできない。 は善人ではない。女だから、老人だからという理由で善意を向ける事はない。ただ自身よりも短い時間しか生きていない物体がいなくなる事が嫌だった。 だからは、自分よりも幼い人間を標的にする事はなかった。 けれども、今日は違う。 暗い路地裏を、よりも小さな、幼い少女の後ろをつけねらい、かかとから指先までゆっくりと注意をして足を下ろす。そうすれば足音が消える。 口元から出る息も最小限にとどめ、彼女の後ろ姿を眺めた。 軍人だった。 正確にいえば、軍学校の生徒だろう。服装を見れば、一発で分かる。嫌いな軍人や貴族を標的とする事は、たびたびあったのだが、見るからに自分よりも年下をつけ回す事は初めてだ。 跳ね上がる心臓を押さえつけるように、はたっと飛び出した。 彼女へとぶつかるように身体を回し、その腰元へとつるされたポーチをぎゅうと握りしめる。サモナイト石だ、と見た瞬間に分かった。淡い光が、ポーチ越しから溢れている事が、暗闇の中でも理解できたからだ。 なんて無防備なのだろうか。彼女は、せめてもう少し分厚い布を使用するべきだった。 「うあっ」 意外なほどに男らしい叫び声に見ぬフリをして、は駆ける。女に、自分の足へと着いて来れるはずがないと理解していたからだ。 バッカじゃねぇの、と自分の顔が彼女へと映らないと確信した上で、は僅かに振り返った。それが敗因だった。 速すぎるスピードに、彼が反応できるはずがない。ひゅんっと瞬きをする間に弾けた、きらめく刃に、パクリとマヌケにも口を動かした。 の前髪が、何本か宙に浮いて、ぱたぱたと地面へと落ちる。あっとした間に掴まれた腕を視点にして視界は回り、地面へと叩きつけられていた。 がひったくったポーチがころりと転がり、彼女は悠々とそれを拾い上げる。 「ついこの間、サモナイト石を盗られたと嘆いていた上官がいたのでな。念のためと巡回してみれば」 くつくつと笑う小娘に、は大きく抵抗した。大して重くもない体重のくせに、何故だか身体はぴくりとも動かない。彼女は効率よく、が抵抗出来にくいように身体を押さえているからだ。ある一点さえ押さえれば、人間の身体は動くことさえ難しくなる。しかしながらそんな事がに理解できるはずもない。 「放せ、犯すぞ!」 「できるものなら」 「うるせぇなめんな!」 情けなくも路地裏へと響くの怒声と、女の高らかな笑い声が聞こえる。 「一つ二つ訊かせて貰おう、きちんと答えてくれよ」 「嫌だね、い、いでええ!!」 「さぁどこまで耐えられるかな、折れたら慰謝料くらいは渡してやるよ」 「ふっざけんなクソガキがァ…!」 「クソガキで結構。さぁ答えてもらおうか」 睨み付けるの視線もものともせず、女は飄々と問いを口についだ。 「私の上官の石を盗んだものは、お前か?」 「………違う」 嘘ではない。少なくとも、彼は財布を盗んだ、それだけだ。その中へと無防備に石を入れていた、軍人の落ち度なはずだ。 女は「ほう」とどこか楽しそうに口笛を吹き、「それじゃあ」と言葉を続ける。 「何故こんなことを?」 「バッカじゃねぇか、金が入ってるかと思ったんだよ、そんな事もわかんネェの、オジョーチャン」 精一杯の嫌みも、彼女に通じる事はない。 ミシミシと響く痛みに、は薄く片目を閉じた。どうなるのか。考えれば簡単だ。どこかの逗留所に閉じこめられ、2、3日メシを抜かれボコられる程度だろう。 前にしくじったときも指の神経を何本か切られたが、今ではある程度何の問題もなく動く。 ただ家にいるガキどもはどうする、とそれだけの事を考えていた。 金は家に置いてある。けれどもあんな小さな奴らが、数日だとしても自分がいなくて耐えられるのだろうか。その数日の間に、何かがあるとも限らない。 ぎ、と唇を噛みしめると、女はいとも簡単にを手放した。 呆気にとられた表情で、地面へとへたり込み女を見上げれば、 「残念ながら私は、ただの軍学生だからな、お前を捕まえる権限なんてどこにもないさ。それに付け加え、寮の門限を破っている立場な訳であるし」 何が可笑しいのか、くつくつと笑う表情と程度どうにでもなると考えているに違いないその態度に、心底頭にきたのだが、見逃してくれるというのならば、さっさと逃げるに越した事はない。 じりじりと後退しながら浮いた腰の目の前に、女はいくつかの金を投げ捨てた。 「拾え。それだけあれば、仕事にありつけるだろう。服でも宿でも揃えろ」 女の言葉を、ゆっくりと頭で噛みしいて、ハッ、とわき上がる笑いを抑える事が出来ずに、クククと肩を震わせた。 「 「先ほどから、語彙が貧困だな」 あまりにも簡単にへと向けた背へと向かって思いっきり手でも伸ばしてやろうかと考えたが、自分よりいくつも下のガキへとそんな気もおこらない。 ただ地面へと向かい拳を握りしめた形で、「いらねぇぞ」と震えるように呟く事だけで、彼は精一杯だった。「いらねぇぞ、俺は!」「それならいいさ、捨てておけ」 消えた背中に、いつまでも見詰めるように、はへたり込んだ。 ぶるぶると伸ばした手のひらが、ただ情けなく、皇帝の顔が描かれた紙幣を、ぐしゃりと手の内で握りつぶす。 「………クソガキが………!」 これだから、ガキは嫌いなんだと。 わき上がる感情を抑えつけるように、彼は大きく地面へと拳を叩きつけた。 NEXT 2008.12.17 |