「受け取れ!」


そう言って渡されたのは、ネックレスだった。私はきょとりとまたたいて、「あの」 目の前の男の子は、ひどく耳が真っ赤で、照れているのだろうか。それだけ見ればそう思うのに、太めの眉ははげしくツンツンと釣り上がって、口元は台形に、ぱっかりと開いている。見れば微妙に涙目で、下手をすると瞳孔が開いていた。

私は教科書を握りしめて、そそくさと距離を置いた。ちょっとびびった。逃げた。大股で追ってきた。スカートにひっかかって転けそうになった。怖い。「あの、シメオン様」「うけとれ」 さっきからそれしか言ってこない。


なんだろう、彼の名前は知っている。シメオン・ヒューロット。騎士候補生の一人で貴族だ。同じく私もアカデミーの生徒であるけれど、名門ヒューロットに比べれば、息をすれば吹き飛ぶ程度の家柄だ。そんな私に、一体彼は何の用があるのだ。話したことはあると思う。けれども、一度か二度、その程度だ。「!」 名前まで知られていた。周りを見たところで、アカデミーの生徒は誰もいない。誰に助けを求めるわけにもいかない。


ちゅんちゅん、と可愛らし気な鳥の声が辺りに響いている。ふわふわの芝生の上で、何度も足踏みを繰り返した。「あの、ヒューロットさん」「シメオンでいい」「シ、シメオンさん」 なんなんですか、と問いかける前に、彼はまたネックレスをつきだした。きょときょと、と瞬きを繰り返して、ようやく彼は何かを勘違いしているのだと気づいた。「シメオンさん、私そんなもの落としていません」

きっと誰か、他の方のものだと思います、とやっとこさ気分を落ち着けて息を吐くと、シメオン・ヒューロットはぐ、と息を吸い込むみたいな顔をして、猫みたいな瞳を挙動不審にさせた。でもすぐにまた眉を八の字にして、きらきら光るネックレスを手のひらの中で揺らした。「ちがう、! ただ僕は君に、これを受け取れと言っているんだ!」

長い間があった。それから、私はぼとぼと溢れる教科書に気づいて、慌てて足元からそれを拾い上げた。「いりません」 というか、「困ります!」

疾走した。







背はあまり高くないと思う。もしかしたら、の方が少しだけ低い程度の差かもしれない。15歳で同い年。髪の毛も、服も綺麗に整えられていて、文字通りのお貴族様だ。一人称は僕で、激高しやすい。でも真面目で、成績優秀、熱血漢。次の女神杯では優勝候補とまではいかないものの、なかなかいいところまで食い込むのではないかと予想されている。

「私が知っているところと言ったらこの程度ね」

熱い紅茶をほんのりと楽しみながら、頼り甲斐のある瞳でこちらをみるトリクシーに、「十分です……」と私はぺたんとテーブルに顔をひっつけた。「ネックレス事件、遠くから見てたけど、残されたシメオンはぽつんとしちゃって、ちょっと楽しかったわ」「たのしくなんてなーい!」 誰もいないと思っていたのに、目ざとい生徒はどこにでもいるものだ。トリクシーも、その一人であったらしい。

そっちは他人ごとでもこっちはね、とサンドイッチが並ぶテーブルに両手をついて怒ろうとした。けれどもなんだか嫌な予感がすると振り向くと、相変わらずの顔がこっちを見下ろしている。
!」「ふぎゃっ!」 あらあら、とトリクシーがふくよかなほっぺたを緩ませて笑った。彼は双子の兄と内が継っていると聞くから、もしかすると、その彼も笑っているのかもしれない。

「昼はテラスで待っていると言ったじゃないか!」
「い、いわれました! でもイエスと返答はしていません!」
「でもノーとも言っていない!」

金髪の少年は、相変わらずくわりと眉を釣り上げて、ぷんぷんと怒っていた。怒っている。何度見ても怒っている。ネックレスを断ってからというもの、シメオンはことあるごとに私につきまとった。もともと、女子と男子では授業も違えば、寮も違う。意識的に避ければ、会うことはないだろうと思っていたのに、少々甘く見すぎていたらしい。

真っ赤な顔をして休み時間のたびにずんずんとこっちにやってくるシメオンを見て、私はぶるぶると震えた。定期的に言葉が通じない。小さいのに顔が怖い。眉間に皺がよっている。(こんな人だったっけ) シメオン・ヒューロットの自分の中のイメージが、がらりと変わってしまったことに気づいていたけれども、そもそも、私は彼の何を知っているでもなかったはずだ。

「あのその」 じりじり、とシメオンがこっちにやってくる。バンッと勢い良くテーブルが叩かれた。ひいっ、と肩が震えたのに、トリクシーはやっぱり楽しげに笑っている。「えっと、その、シメオンさん」 シメオンが、じろりと瞳を尖らせて、「なんだ」と返答した。


「用事がありますので、失礼しますっ!!!」
!」

まてー!!! と始まるおいかけっこに、ただの生徒の私が、騎士候補生の彼に勝てるわけがないのだ。



   ***


このところ、ったら楽しそうね、と笑うのは彼女と同室のトリクシーの台詞だ。が残していったサンドイッチを、「しょうがないわねえ」と溜息をついて、手を伸ばす。そろそろもっと太らなければいけない。彼女は太ることが義務だ。年頃の女の子としては、あまりありがたくもなんともない義務なのだけれども、そういう契約なのだから仕方がない。「あらおいしい」 端まで塗られたバターは暖かい手作りの味だ。

「あ、トリクシー。一人でご飯?」

一緒にしようよ、とパタパタ楽しげに近づいてきたのは、噂の姫君、イオン・ルッカフォートだ。しばらく前にアカデミーを襲った、大変な事件での功労者なのだけれども、その事実は表には伏せられている。その隣には、彼女のルームメイトのソニアとチルダだ。彼女達が手に持つランチボックスはが持っていたものと同じだ。なるほど、今日のご飯は、調理の授業の残りらしい。

「いいえ。さっきまでがいたんだけども。シメオンと一緒に消えちゃったの?」
「一緒に!?」
「残念。追われてっていう感じよ、チルダさん」

あらなんだ、と丸メガネをなおす可愛らしい少女を見て、イオンはふむ、と首をかしげた。「なんだかよくわかんないけど、大変だねも。嫌なら嫌って言えばいいのに」 あっけらかんとした言葉は、よくも悪くも彼女の美徳だ。きょとん、とそろって女性陣は瞬いた。それからどっと声をそろって笑った。イオン一人ばかりが、「え、え、え?」と口元を押さえて笑う彼女たちに目をむけた。

「違うのよ、イオンさん」
綺麗な長い髪をさらりと揺らして、整った頬をほんの少し赤くしながら、ソニアは彼女たちに目配せした。そうそう、とみんながみんな頷いている。「……なにが?」 わかんないよ、と口をとがらせる彼女を相手に、ちょん、とトリクシーは人差し指を伸ばした。「嫌じゃないのよ」


は別に、嫌でもなんでもないのよ」



   ***



ばたり、と二人一緒に倒れ込んだ。おもいっきり足をつんのめって、芝生の上に転がった。私の腕をひっぱったシメオンも一緒に転がって、二人で一緒に生垣の中に飛び込んだ。「ひっ、あっ」「す、すまない!」

ぱぱっと二人で真っ赤な顔をして、慌てて離れた。ぺとりと地面の上に座り込んで、葉っぱだらけな自分に気づいた。そしたらどんどん悲しくなって、両手を握りしめながら小さくなった。「もう、やめてください……」 少し声が小さかったかもしれない。シメオンはちらりとこちらに視線を向けて首をかしげた。「やめてください! からかわないでください!」


     ヒューロット家は、代々アカデミーの出身で、騎士の家系だ。それくらいすごくて、名門で、大きなお家で、彼は遠い遠い人なのだ。
そんな人が、一体私に何をしたいと言うんだ。こっちをからかって、遊んで、楽しんでいる。きっとそうに違いなかった。ちょっとでも嬉しいなんて思いたくなかった。真面目な顔をした騎士が、そんなひどいことをして、やあい、と最後にはからかいの仮面をつける。そんな姿を見たくなかった。

ちょっとだけ涙が出た。「か、からかうって」 シメオンは私と同じように頭の上に葉っぱをのせて、ぐるぐると目を回していた。耳が勝手に赤くなった。「ちがう、なんでそうなんだ。僕はただ」 聞きたくなかった。きゅっと目をつむって、しまおうとしたとき、シメオンは何かを必死で伝えようとした。ぱくぱくと口を開いて、閉じて、拳を額につけて、喉の奥から言えない言葉を絞り出そうとしていた。「契約で」「契約?」

唐突な言葉に、素っ頓狂な声を出してしまった。
「だから、その、契約で。僕は、家族の誕生日に宝石を送らなくてはいけなくて」

それで、君がこの間、誕生日だと知って、と彼はぽたぽたと汗を流すみたいに両手を口に当てて、最初に名前を呼ばれたときみたいに、彼はひどく怒ったように眉をつんつんと立てた。けど瞳はぐるぐると困っていた。「私、シメオンさんとは他人です」 家族でもなんでもない。少々言葉がきつかったかもしれないが、事実である。うぎゅ、と彼は喉をならした。「親戚にも、で」「だから赤の他人ですけど」 うぎゅぎゅ。

「こ、恋人にも、渡せと……」

長い間があった。シメオンは頭を抱えるみたいなポーズで丸まった。私はぼんやりと彼の言葉の意味を聞いて、それから何度か瞬いた。ぶわ、と一瞬にして首が赤くなった。「ち、ちがいます」 それも違う。全然ちがう。きっとむしろ、一番ちがう。

ぶるぶる、と必死で首を振った。シメオンは顔を上げた。口を開いた、ぱくりとそれは一瞬で、なんにも言わなかった。ごくん、と唾を飲むみたいにして、片手に持っていたネックレスを私に無理やりつきだして、受け取らせた。「きみは、僕の恋人になるんだ!」 
いっぱいに、息を吸い込んだ。




   ***



誰もがそのとき泣いていた。ガタガタと震えていた。モンスターにアカデミーがおそわれた。大人はいない。子どもだけだ。空を自由にとび、糸を吐き出し、針を突き出す。そいつに狙われて、毒の針をさされれば、小さな子どもは簡単に意識を失う。大人でも下手をすれば命に関わる。トリクシーの双子の兄を中心に、私達はみんなを守るために疾走した。できることを精一杯にした。ただの候補生は、騎士として戦場に立った。でも怖かった。やっぱり私は怖かった。

初等部の子たちは全員逃げることができた。モンスターから逃げ切ることのできる、体力のある女生徒のみも彼らとともに避難を完了した。そこに私は選ばれなかった。そのことに文句はない。しょうがない。大した家柄があるわけでもないし、足だって遅い。足手まといにしかならない自分は、せめて迷惑をかけないようにするしかない。小さな子たちだけでも助かってよかった。逃げることができた女生徒には友人もいた。よかった。本当によかった。そう思った。でもやっぱり怖かった。

死んでしまったらどうしよう。このままみんな、死んでしまったらどうすればいんだろう。
女子寮の籠城が失敗し、寮の中にモンスターがなだれ込めば、一番最初に死んでしまうのは私なような気がした。カタカタと指が震えて、足が動かなくなった。可愛らしく涙を浮かべる方法は、きちんと授業でならったはずなのに、そんなものは忘れてしまって、役に立たない置物みたいに階段の隅にひっこんでボロボロと泣いた。せめて、みんなの邪魔にならないように、誰にも見つからないように座り込んで泣いていた。『誰かいるのか?』 少年の声がした。思わず顔をあげてしまったことに、私は後悔した。シメオンだった。そのときは、名前も知らなかった。

小さな金髪の男の子は、猫みたいな瞳をきょろりとさせて、『何してるんだ』と少しだけ尊大な態度で声を落とした。『こんなところにいたら危ないぞ』 手のひらを出された。でも私は、その手をじっと見つめるだけで、ぶるぶると首を振ってまた泣いた。シメオンは慌てた。どうしたんだ、と私に問いかけた。初めて会って、初めて話した男の子に私は泣いた。怖いと告げた。そうすると、シメオンは私の前に片膝をついて、じっと真面目な、太い眉毛をつんとさせて、静かに、言葉を吐き出した。

「僕は騎士だ」

いや、本当はそうではない。ただのカデット、候補生だ。「けれども、君を守る」 名誉にかけて、君達を守る。

本当のことをいうと、頼りない男の子だと思った。なんてったって背が小さい。もしかしたら、私と同じくらいか、ちょっと高い程度だ。騎士と言えば、もっと体が大きくて大人で、しっかりしていて、頼り気があって、とにかくかっこいい人だと思っていた。シメオンは全然違った。見ていてなんだか不安になった。15歳の同い年の男の子に全部を任せっきりできるくらい、私は楽観者ではなかったのだ。

けれども、それまで真っ暗で、怖くて辛くて、歩きたくなって、けれども戻りたくもなかった。そんな気持ちはすっとどこかに消えていた。カタカタと震えるばかりの指先は、ちゃんと私の膝の上にあった。そのときになって、涙まじりのひどい顔を男の子に見せていると気づいた。慌ててハンカチを取り出して、涙をふいた。それから、膝をつけて私の前に座り込んでいた男の子の両頬を、ちょんと触った。彼はやっぱりビックリして毛を逆立てた猫みたいに体をのけぞらせた。無理やり、もう一回ぺちんと頬を叩いた。

「無事を祈ります」

確かこう、授業では習った。騎士を労るのがレディの仕事。いつでもどこでも、気品ある、節度あるレディたれ。
でもやっぱり、私にはまだ無理だった。「頑張って」 無事で帰ってきて。ぎゅっと彼を抱きしめた。またぼろりと泣いていた。シメオンはばたばたと場所もなく両腕を動かした。それから少し、息を吸い込むみたいな音が聞こえた。ぽんぽん、と背中を叩いてくれた手のひらが嬉しかった。


彼は、候補生以外のものを守るために、毒の針を受け、意識を失うまで、戦い続けたと聞いた。
それから少しばかり時間がたって、あの小さな騎士の名前が、シメオン・ヒューロットだと知った。彼を見ていると、ときどき視線が合うような気がしたけど、きっと気のせいだと思った。


   ***



お互い、真っ赤な顔をして向かい合っていた。「だから、その」 シメオンは、芝生の上に置いた両手をぎゅっと握った。「僕は、君が好きだ」 付き合ってほしい、とつぶやかれた声に、私は何度もぱちくりと瞬きを繰り返した。それからまた、あのときみたいに、ええんと泣いてしまった。シメオンは顔をあげて、どうしたものかと視線をぐるぐるして、あっちも半分泣き出しそうだった。「なんでですか、おばかですか」 涙目のシメオンは何度も瞳を困惑させて、「あ、え、あ?」と変な言葉をつぶやいている。

「そういうことは、最初から言ってください!」
「つ、次から気をつける……」

次なんてあってたまるか、と思ったけれども、それは言わないでおいた。ずず、と鼻をすすって、ちらりとシメオンを見上げた。それから、ちょんと彼の服の裾をつかんで、こつりと胸の中に額をあてた。ばたばたとやっぱりシメオンは両手を暴れさせて、変なふうな声を出していた。それからしばらくして、ぽんぽん、とまた背中を叩かれた。

それからお互い少しだけ手を握った。でも全部、一瞬だった。
慌てて二人で距離をおいて、ばたばたと両手を動かしあった。

で、い、いいです」
「う、う、
「はい、シメオンさん」
「僕はシメオンだ」
「し、シメオン……」

うう、と二人で変なふうに唸った。「それで、恋人になるという件は」 ぬっ、とシメオンが近づいた。「それは、その」 困った。嬉しい方に困った。「あとで、ご返答するとうことで……」「だめだ」 イエスかノーで言ってくれ、と眉毛を釣り上げられた。思わず両手で口元を押さえた。

「い、い、い」
「い?」

ごきゅりとシメオンが唾を飲んだ。「いえません……っ!」「ー!?」

葉っぱだらけの頭で、私はシメオンから逃げた。けれどもどうせ、すぐに捕まってしまうんだろう。次の授業が始まるまで、もうちょっとだ。