「シメオン・ヒューロット、勝利!」




きゃあ! と黄色い悲鳴が飛び交った。私はパッと立ち上がった。シメオンはきっと気づいていない。でもいいのだ。まっすぐに前を向いて、ピンと背筋を伸ばし、馬の手綱を引いている。乙女のキスがめぐる女神杯は、観客達の声援も大忙しだ。大きなどよめきが聞こえるたびに、私はぎゅっと両手を握った。槍と槍がぶつかり合う。パンッと弾けるみたいに盾が砕けた。また私は小さくなった。体を乗り出した。

、さっきからあなた、忙しいわね」
「だって」
シメオンが、と泣き出しそうな声を出していたことに気づいた。それから赤面した。
トリクシーが、口元に手のひらを当てて、ふふりと笑っている。きゅう、とてすりにおでこをのせた。「、今日の天気はどう?」 雨なんかなったりしたら、大変なことだわ、と会話を誤魔化してくれるみたいに、トリクシーは空を見上げた。それから私も、ちらりと視線を上げた。「晴れだよ。今日はずっと」「が言うんだったら間違いないわね」

わっ、と歓声が響いた。私は慌てて視線を下ろした。トリクシーが笑ってる。ころんと闘技場に、人が倒れている。シメオンじゃない。ほっと息をついた。「心配性ね」「う……」 情けない声が出た。「まあお付き合いしている人だもの。心配になるのかしら」「うー……」 大きな声援が、耳をさいた。



   ***



シメオンは負けてしまった。相手はカイル・タリーズ。候補生の中で、最も騎士らしくて、女神杯の優勝候補と言われていた。実際、彼はイオンの兄であるDXを破り、優勝をかっさらった。ぽたぽた、と雨が降っている。「天気雨……」 手のひらを伸ばした。あなたが外すだなんて、珍しい。そうトリクシーは言って、カフェに行くことを誘ってくれたけれど、私はごめんなさい、と謝った。「そう? ああ、そうね。私は少し、他の人とお話ししたいことがあるから」 また会いましょう、、とトリクシーは優しげに笑って、消えていった。

授賞式の最中を、私はじっと見つめた。雨の中で、一人、一人と生徒が消えていく。見覚えのある姿が見えた。彼は私が声を掛ける前に、ぱっと瞳を瞬いた。「」「シメオン」 シメオンは、じっと立っていた。「お疲れ様」 そう言ったら、ちょっとだけ彼は口元をつきだして、何かを我慢するような顔をして、地面を見つめた。それから頷いた。「うん」 負けてしまったよ。




「悔しいけれど、悔いはないよ」

それってちょっと矛盾してる、とくすりと笑いたくなる言葉をつぶやいて、シメオンはじっと地面に座り込んだ。ぽつぽつ、と未だに天気雨は降っていた。カフェは生徒でいっぱいだし、もう少しばかりここにいたい。そう彼が言ったから、さわさわ揺れる葉っぱの音を聞きながら、私も膝を抱えて座り込んだ。木の枝から伸びた葉っぱが、雨にほんのりと撫でられる音が少し楽しい。

シメオンは兜を脱いで、ぴょん、と前髪をはねさせながらじっと前を向いていた。泣いているのかと思った。シメオンは、すぐに怒るけど、すぐに泣く。ずず、と鼻水をすするみたいな顔をして、色んなことを我慢している。「本当に?」「うん」 カイルは強かった。とシメオンは頷いた。私もその勝負を見ていた。

「来年も僕と戦いたいと言った。僕も彼と戦いたい」
「……うん」
「それまで、もっと強くなる。来年は彼を破って優勝だ」

いや、今年の目的もそうだったけれど、とシメオンは拳を握った。瞳が燃えている。まっすぐな人だ。(本選に出場しただけでも、十分すごいと思うんだけどな……)そう思うけど、きっとそう言っても、彼は満足しないんだろう。私はことんと自分の膝の間に顔をおいて、「がんばってくださいね」「ああ!」 気合いっぱいの笑み見ると、私も少しうれしくなった。でもシメオン、私はちょっと君に訊きたいことがある。

「あの、シメオン」
「ん?」
「優勝するということは、その」
「うん」
「乙女のキスが」

シメオンは私の言葉の意味をはかりかねたようにはねた前髪をいじった。思わず私は顔を伏せた。耳が少し熱い。「あ」 ピタリとシメオンが動きを止めたのだと思う。顔を上げた。真っ赤だった。「いや、あの、それは」 口元を押さえた。女神杯の優勝者には、乙女のキスが捧げられる。キスを捧げる相手は、決勝前にそれぞれの候補生達が花かんむりを女子に捧げる。そうして相手を指名するのだ。

それはある意味誰でもいいけれど、本当のことをいうとそうじゃない。それ相応の身分が高い女の子が選ばれるのが恒例だ。私は一応貴族だけど、小指の先にとまる程度で、シメオンとくらべてしまったら、比べることも申し訳ない程度なのだ。「うぐ、その」 シメオンは唸った。真っ赤だった。ごしごし、と自分の顔を手のひらで押した。私はちょっとだけ期待して彼を見つめた。「そ、それは」

ぽつぽつ、と静かに雨が降っている。「か、かんがえて、なか、った……」

まっかっかだった。
私は両手で顔を覆った。それから、小さくなった。肩が震えた。笑った。びっくりするほど想像どおりだった。「シメオン……想像してた通りでした……」「い、いや、その」 優勝することに目を向けすぎて、その後のことなんて絶対考えてない。そう思ってた。「で、でも、決勝までいったら、僕はきみに花かんむりを送っていた!」「無理しなくってもいいんですよ」

ちがう、と何かを言おうとするシメオンの手のひらを握った。「私は、ですから」 イオンや、シメオンや、トリクシーみたいに立派な家でもなんでもない。シメオンは、唸るみたいに片目を小さくさせてぎゅっと私の手を握り返した。「さっきの言葉だけで、とっても十分」 嬉しいです、と、やっぱりちょっとさみしいけれど、本当のことを言った。シメオンはぐぐ、と口元をひっぱって、怒ったような顔をした。

「来年は、必ずきみを指名する」
「シメオン」
「必ずキスを貰う」

来年、必ず! とまた大きな声を出して、眉毛を釣り上げる彼を見て、私はうー、と唸った。「あの、シメオン、キスだけなら、別に来年じゃなくっても」 言葉を言って、恥ずかしくなった。シメオンは私の言葉を聞きながら、じわじわと瞳を見開いた。それから視線を逸らした。ぴくり、と私の指に絡めた彼の指が動いた。ひたりと視線をあわせて、ちょっとだけシメオンがこちらに顔を近づかせたから、びっくりして私はのけぞるみたいに避けてしまった。ぎゅぎゅ、と一文字の口のまま、今度は私がちょっとだけ近づいた。シメオンが、びくりと息を吸って、わずかに顔をひいた。息が聞こえるくらいの短い距離のまま、お互いピタリと止まって、私はぎゅむりと瞳をつむった。
手のひらを合わせたまま、ちょん、とくっつけようとして、二人で一緒に小さな悲鳴を上げた。

ぶつかり合った鼻を押さえて、私とシメオンは背中合わせに座り込んだ。ちらりと振り返ると、彼の耳は真っ赤に染まっていた。「来年は、必ず」「うん……」 さすさす、と鼻をなでた。

がんばれ、と応援したい。けれども、(来年よりは早く、キスをしたいなあ……)そんなふうに考える自分に赤面した。もしかしたら、シメオンも同じ事を考えているのかもしれない。

しとしとと、晴れの天気の中で、可愛らしい小さな雨が降っていた。