変なやつだ、と秋葉はぼんやりとを見つめた。

次期生徒会候補、会長。
自身の守るべき相手。

そして。

(…………そして、なんだ?)

正直、自分でもこのごろよくわからない。
腹の中がごろごろする。言えることと言えば、それだけだ。



「それで、やっぱり例年までの傾向と言っても先生ごとに色々変わると思うんです。特に立橋院は生徒も教師の数も多いから、きちんとそこらへんも確認しないとダメですよね」

どう思いますか、本職の先生! とはもぐもぐと卵焼きを頬張っている。今日は手作り弁当らしい。
「んー、そうですねー。でも時間も短いし、そこまでチェックする余裕はないかもしれないですねぇ」
「そうかなあ。でも一応確認したいので、去年までも問題用紙とかいただけませんか」
「まあ、そう言うんでしたら、いくらでもお渡ししますけどねー……秋葉くんの方は、ん、秋葉くん、おーい、秋葉くーん?」

んん、と秋葉は顔を上げた。眼鏡の男が近い。思わず拳を握ってストレートを撃った。「ぶぼほっ」「ん? なんだ」 聞いていなかった。という訳ではないのだけれど、頭の中で言葉を噛み締めていなかった。うんうん、と思い返して、「わかった。俺も手伝うか」「なんなんですか、さっきから秋葉くん……」 反応がちょっと変なんですが、と市井はカチャカチャと眼鏡を直した。ふざけてんじゃねーぞてめぇ、とでも言いたげに、じわじわ怒りの小物臭が溢れている。

だから自分だってよくわからない。を見た。ほっぺたをふくふくさせて、お箸をちょこんとくわえている。何か妙な言葉を思った。このところ、定期的にそれを思う。よしよし、と彼女の頭を撫でた後に満足して、「手伝うのは放課後でいいか? いやでも、そこは補習があるしな」「秋葉くん秋葉くん、さっきの行動なんですか。ちょっと秋葉くん」 市井の言葉は無視した。

「ああもう! つっこんで炊きつけている場合じゃないのに、いちいち突っ込みどころが満載だから思わず! 思わず! 僕のバカァ!」と、思うところがあるのか、一人ぶんぶん頭を振るう市井を無視して、「会長?」 どうする、ともう一度問いかけると、はお箸を口にくわえたまま、ぽふりと真っ赤になっていた。
一体どうした、と眉をひそめて、ぺたぺたとの頬を触った。そうすると、またじわじわと彼女の顔が、真っ赤に染まっていく。

「どうした、会長。具合でも悪いんなら、保健室に行くか?」
「う、ちが、う……」
「違うならいいけどな」

無理するなよ。とペチペチ彼女の頬を叩く少年一人の春は遠い。



   ***



(秋葉くんって、無意識なのかなあ……)
どう考えたって、と思うのだけれど、こっちが顔を真っ赤になるくらい照れても、相変わらず不思議気な顔ばかりする。俗にいう天然なんだろうか、と考えたら、なんだか悔しくなった。だったらこっちがあうあうするだけ損だ。

ムカムカする気持ちを抑えて、私はぱらぱら机の上でテストをめくった。紙がめくれる一瞬の音ののち、次の紙束を確認する。手伝う、と秋葉くんは言ってくれたけれども、申し訳ないが一人の方が効率がいい。あちらの補習は秋葉くんに任せて、私はこっちに集中しよう     と思ったのだけれど、あの無愛想な少年に、先生役が務まるのだろうか。不安だし、なるべく早く終わらそう……。

見終わったテスト問題を頭の中で思い浮かべながら、カタカタとノートパソコンのキーを打った。勢い良く問題の傾向を打ち込んで、問題集の解説を思い返しながら解説を打ち込んでいく。「よしっ!」 終了! と職員室に駆け込んで、職員室でぼんやりコーヒーを飲んでいた市井先生に頼んで、ぐるぐるとコピー機を回す。

「おー、さん、すごいですねえ。こりゃすばやいや」
よくあれだけのものをまとめられましたねー、とパチパチ手のひらをうつ男の人に、「感心してないで、はやく終わらせて秋葉くんのところに行かないとだめじゃないですかー! 先生もあそんでないで、はやくこっちに来てくださいー!」 ぐいぐい、とひっぱった。先生はへらへらと笑いながら、「先生遊んでないですよー。色々とやることがあるんですよー?」 うそ臭い。

机の上に置かれていた書類に一瞬目をやって、思わずため息をついた。「わかりました。先生は先生で頑張ってください」 はいはい、と先生はこっちに手を振った。



ぐるぐると、二週間が過ぎていく。意外なことにも勉強ができたらしい秋葉くんは、私なんかよりもよっぽど説明上手だった。教科書に載っている解説文そのままのことなら、いくらでも説明することができるけれど、私はそれ以上のことは全然だった。それを読んでも分からないのに、どうやったら分かるの? なんて質問されてしまって、ぐるぐると私の頭は混乱した。そんな私をフォローするように、教科書を片手に持つ秋葉くんが、ひょいひょいとやって来る。

お昼休みの屋上で、そんなことを先生に話すと、「秋葉くんって、なんだかんだ言って予習復習、きっちりするタイプですよねぇ」と、彼は笑った。どちらかとからかうような口ぶりだったのに、そんなことは当たり前だろう、というように秋葉くんは真顔で頷いていて、ひどく気まずい気持ちになった。とりあえず、咳をしてごまかした。

期限も残り一週間。役に立たない会長よりも、副会長ばかりが頑張って、黙々と生徒に勉強を教えている。大変だ。なんだか、「情けないなー……」


バスが来るまでの時間、公園のベンチでぼんやりと時間を待った。テストがないから立橋院に来た。普通の学校なら、きっと私は目立って、なんでもかんでも一番をとってしまう。他人の頑張りをバカにするみたいで、そんな自分が嫌いだった。けれども、立橋院にはテストがあった。クジだけ、自分の運だけですべてを決めると思っていたのに、本当はそうではないらしい。
そのクジの結果をたぐりよせるのも自分なのだと言う。

「何が、なんでもかんでも一番になっちゃうだい……」

結局自分は秋葉くんにも、市井先生にも頼りっぱなしで、一人じゃきっと何も出来ない。自分はバケモノだ。そう思っていたのに、立橋院の生徒会は、もっともっとすごい、怪物がいっぱいなのだと言う。「案外私って、大したことないんだなぁ……」 ちょっと調子に乗っていた、と思うと、情けないのか、恥ずかしいのか、よくわからなくなってきた。

自分は普通だったのかも。そう思ったら、嬉しがった方がいいかもしれないのに、寧ろ、どこかがっかりしている自分がいる。(私、今まで何も考えないでやってきたのかも) 全部覚えてるから、別にいいや、とぺいっと物事を放り投げてたのかも。

(頑張る努力をしよう)
パッと立ち上がった。さん、と掛けられた声に振り向いた。相変わらずの人がぽてぽてと後ろからやってきて、「榎本さん」と私は手を振った。


「久しぶり。このごろ、あんまり会わなかったね」
「そうですね。もうちょっと、早めに出ていましたから」
「日直?」
「あ、いえ」

テスト勉強の手伝いを、と言おうとして、パタパタと口元を叩いた。「そうです、日直です」「そっか。大変だ。頑張って」 思わず、榎本さんを見つめた。ん? と彼は首を傾げる。慌てて私は首を振った。「いえ、……はい。がんばります!」


それじゃあお先に! と手のひらを振ろうとすると、「あ、待って」 榎本さんが、私を呼び止めた。「この間、橘さんに会った?」 はい、と頷こうとして、橘さんが、榎本さんに何かを言ってしまったのだろうか、とギクリとした。

「橘さんがさ、言ってたんだけど。言い過ぎたって。人それぞれだから、気にするなってさ」

人それぞれだから。
あの仏頂面の女の先輩が、そんなことを言ったのだと考えたら、なんだか変な感じがした。そうですか、と私は頷いて、続きの言葉を待つように、榎本さんを見つめた。榎本さんは伝言は終えたとばかりに、こてんと首を傾げている。それ以上の言葉はない。(橘さん、榎本さんに生徒会候補とか、そういうの、言わないでくれたんだ)

ふと、胸が嬉しくなった。
「わかりましたって伝えておいてください。榎本さん、ありがとうございます!」 ぱたぱた、と私はもう一度手のひらを振って、バス停までの道を駆け抜けた。





「会長、ちゃんと自分の勉強もできてるのか?」

相変わらず、ここはどうすればいいのかと訊かれた質問に首を傾げて、あうあう必死でノートと目を向きあった。やっと終わったぞ、と一汗ふいて、教卓に戻ると、他の生徒に聞かれないようにとこっそりと秋葉くんが私に耳打ちした。「勉強、苦手なんだろ」 そう付け足された台詞に、きょとんと瞬いて、うーん、と首を傾げる。

「そうかな、苦手かも」
「教えてやろうか」
「……秋葉くんが? でも、また秋葉くんが大変になっちゃうし」
「別に。補習が終わった後で、またな」

ぽふ、と頭をなでられた。すぐ後に、「ふくかいちょー、教えてー」「わかった」 くるり、と背中を向けられた。口元にぺたりと手のひらを置いて、とっとっとっ、と聞こえる胸の音に、ゆっくりと意識した。「会長、わかりませんー」「あ、うん、はい、待ってー!」

どうやって秋葉くんは教えていただろう。今まで、どうやって先生たちは私に教えてくれただろう。覚えて、思い出すだけじゃダメなのだ。私が考えないと、いけないのだ。

ゆっくりと日が暮れる夕方の中で、私は机を反対にくっつけて、秋葉くんと勉強した。数学には公式があるけど、そのまま覚えるだけじゃなくて、その公式の理由も知った方がいい。そういう秋葉くんに苦い顔をして、「そっかあ。今まで全部、暗記ばっかりしてたなあ」と、頭を引っ掻いた。
そんな私を見て、秋葉くんは呆れたようにため息をついた。

「予習復習。ちゃんとしてるか?」
「ん、んん……案外秋葉くんって真面目だよね」
「真面目じゃない。当たり前のことだ」
「んー……」

そっかー、と言葉をつくと、ぱたぱた、と教室のカーテンが揺れた。オレンジ色の光が溢れて、涼しい風が入ってくる。「市井は、このところ見かけないな」「先生は先生で、忙しいみたいですよ」 コーヒー片手に、前にそんなことを言っていた。

ふうん、と秋葉くんはどうでも良さ気に呟いた。私はまたカリコリ、と指先を動かして、カチッカチッと響く時計の音に耳を傾けた。「私、人に教えてもらったの、はじめてかも」「はあ?」 塾には行ったことがある。学校の授業だって受けている。けれども、人に覚えてもらいたいと、そう思って、言葉を聞いたのは。「……うん、はじめてだ」

ずっと、教えてもらう必要なんてないと思っていた。
私は一人でなんでもできると思っていた。

秋葉くんは、やっぱり呆れたような顔をして、「会長、お前って、バカなのか?」「……そんなこと、初めて言われたんですけど」「嘘つくなよ。どんくせぇし、ぽえぽえしてるし」「それは、否定しないけど」「しないのか」

やっぱりバカなんじゃないか、と言葉を繰り返された。私はぷっと頬をふくらませるマネをして、けれども少し、嬉しくなった。人からそんなことを言われることが、嬉しかった。


「あのね、秋葉くん」
「うん?」
「私、立橋院、来てよかったなあ」
「……」
「大変だけど、生徒会候補、なってよかったかも」

秋葉くんと、会えてよかったなあ。
そんな風に呟いても、秋葉くんは特になにも返事はしなかった。ただぷい、と顔をそむけて、少しだけほっぺを赤くしながら、ぱたぱた揺れるカーテンを見つめていた。

     仲間を信用していないか

どうだろうか。
(やっぱり、少し、違う気がするな)
橘さん。
(信用という言葉に置き換えればいいか分からないけれど)


彼らを好きなことは、事実だと思う。




   ***


「晴れて、落第者はゼロ人でーす! おめでとー!」

相変わらず、にこにこと朗らかに秋山さんは手のひらをうった。「退学者はいたみたいだけど、テストとは関係ないし、それに今回は学力向上が目的だしね。今回の任務は、可とします」 ぽこんっ、と押された書類を抱きかかえて、私はパタパタ屋上に急いだ。二人が待っている。
ときとき、と嬉しい気持ちが胸の中で踊っていた。

     会長候補さん、ほら。見て、40点。赤点ギリギリ。でも頑張ったよ。

褒めてあげてね、と自分自身を指さす同級生に、うん、うん、と何度も頷いた。(秋葉くんとみんなが、頑張ってくれたから) それに。(私も、頑張ったから)
パタパタ、と階段を上がっていく。

何気なく、ポケットの中に手のひらを入れた。小さく折りたたんだ、長細い紙を取り出す。相変わらずの並ぶ同じ数字を見つめて、苦笑した。くしゃり、と手の中で握りしめた。開いた窓から、ぽいとそれを投げ捨てる。
かさかさかさ。小さな紙は、くるくると風にのって、体をはためかせながら消えていった。




「それで、今日の集合はなんでここなんです?」
「たまには、趣向をこらしてみようと思いまして」

パキンっと割り箸を割った。
隣では、秋葉くんが既にもぐもぐとおモチを口にしている。「ちょっと、人に教えてもらったんです。おぜんざいがおいしいらしいんですよ」 カウンターの奥で、分厚い眼鏡をつけた店主の人が、一瞬こちらに目を向けた、ような気がした。「まあ、おいしいですけどねえ」

話し合いは屋上で。いつの間にか、そんなルールが私達の中で出来上がっていた。あの後遅れてやって来た先生をひっぱって、私は秋葉くん達と『梅屋』にやって来た。ぜんざいが美味しいお店だ。橘さんがそう言っていたものだから、甘味屋さんだと思っていたのだけれど、実際はお蕎麦屋さんらしい。今度お蕎麦の方もいただこう。

「まあ、今回は無事任務を成功できた様子で。ちょっとめんどくさい内容ですが、なんとかなって嬉しいかぎりですねえ。お二人とも、お疲れ様です」

へらへら、と笑いながら市井先生はあずきをひょいと箸でつまんだ。私の反対隣では、秋葉くんがもちもちとおモチを口に含んでいる。「市井先生も、お疲れ様です」「ぼく? 僕ですか。僕はずーっとまったりのったり、学生さん達の頑張りを見つめてただけですけどもー」 役立たずの先生でごめんなさーい、とへらつく彼を横目で見ながら、おわんを持ち上げて、暖かいおしるを飲んだ。

「先生も、お疲れ様ですよ。初等部の補習は、先生がしてくれてたんですよね。先生が、初等部担当だったとは知りませんでした。いや、ちゃんと知っておくべきだったんですけど」

机の上に、小学生用の補習の問題用紙が置いてありましたよ、と声をかけると、先生は笑ったまま、ピクリとこめかみを動かした。
「ただの授業で使うプリントだと思いますけど?」
「一応、全学年の授業の資料についても目を通しましたから。そのどれにも当てはまらない問題用紙でした」

そう言った後で、これは少し言い過ぎたか、と思ったのだけれど、特にそのことに関して、何かは言われなかった。先生はなんとも気まずげに鼻の頭をかいて、「別に。僕、先生らしいこと嫌いですから。そういうの、見せたくないですし、するはずもないので、さんの勘違いじゃないですか」

時々先生は、奇妙なことを言う。
先生は先生ですから、頼ってください。そんなことを言っていたはずなのに、ポロリと仮面がはずれてしまったかのように、眼鏡をずらす。「じゃあ、そういうことに」 しときましょうかー。とおモチをもちもちさせると、「始めっから、そういうことなんですけどねえ」

「そういえばさん、秋葉くん、他の生徒さんの面倒を見て、自分の方の面倒は大丈夫だったんですか?」

人のお世話をするだけして、赤点をとってしまっただなんて、笑い話にしかなりませんよう? とお箸をくるくるさせる先生を見て、げほり、と咳き込んだ。喉にあずきがつまった。「えー……と、大丈夫でしたよ。秋葉くんが教えてくれたし」「おお、そうですかー」 秋葉くんはどうです? と言う風に先生は秋葉くんに目を向けた。けれども相変わらず秋葉くんはもちもちとほっぺを動かしている。おいしいらしい。

「……秋葉くんは、どうだった?」
私が問いかけると、彼は無言でポケットから長細い紙を取り出した。テストの順位発表だ。



2 2
2 2 2

2 2

「おお……」
「お、おお……」

見事に同じ数字が並んでますねぇ、と先生は眼鏡をかちゃかちゃさせている。「すごいと言えばすごいですけど、秋葉くんってほんと負け犬体質って感じですよねイタッ! 箸の反対でさした!」 地味に痛い! 痛いです! と先生は唸っているけれども、先生の自業自得のような気がするので黙っていた。「ふうん……総合順位も2位ですか。1位の子は、一体誰なのかなあ」 秋葉くんにさされた背中をさすりながら、呟いた先生の言葉に、「さあ、誰なんでしょうねえ」と、私は適当にうそぶいた。

そんな私を、ちらりと先生は細い目で見つめ、ふと、ポケットの中に手のひらを入れた。どうしたんだろう、と不思議に思ったけれども、なんてことはない。ハンカチか何かを出そうとした、ただそれだけだろう。



   ***



カサカサと、涼しい風が吹いていた。彼らが屋上で待っている。めんどくさいことこの上ない。このところ寝不足だと細い目をさらに細くさせて、市井輝は大きなあくびをついた。自分でも、慣れないことをしたと思う。
さて、どうなることやらと首を傾げた中の上生徒会は、今のところ、何の問題もなく嵐の中を小さな小舟ですいすいと進んでいく。
、如月秋葉……)
後者に関しては、すでに調べは終わってある。前者にすれば、どうにも不透明この方ない。
(けれども)

市井は顔を見上げた。小さな紙が、ひらひらと風に乗りながら宙を待っている。手のひらを伸ばした。彼の指先は、ひょいと長い。





そう書かれた紙には、同じ数字ばかりが書かれている。「…………個人情報を、捨てちゃあいけないなあ」 肩をすくめた。かさかさと揺れる小さな紙を見つめて、またあくびをした。「クジに選ばれたと」 そういうことか。

ポケットの中に、その紙を入れた。時計を見る。慌てて階段を駆け上った。彼らが待っている。
二人が待っている。