「こんにちは」


俺はこんなに幸せで、罰が当たらないでしょうか




ほんの少しうわずった彼女の声が、うわやべすっげかわいい、と思わず口元がにやりと動きそうになる。とはいっても、そんな気色の悪い顔を彼女に見せるわけにもいかないので口元をぎゅ、と押さえつけて、俺も「こんにちは」
妙な声になってしまってないだろうか、意識しすぎて、抑揚のない声になってんじゃないだろうか。ドキドキと心臓がなって、うあああ、と叫んじまいたいくらい(でも叫ぶ訳にはいかない、俺の良心にかけて)


いつも通りのざわざわと五月蠅い自習室の、左から二番目の机に、向かい合って座る。時間は3時くらいから、閉まるまで。その度に俺たちはこんにちは、と声を掛ける。俺は彼女の名前を知ってる。「田島」こっそりと見えた、問題集に書かれていた名前だ。きっと、俺の名前は彼女は知らないと思う。

彼女は(なぜだか俺は、心の中でも名前で呼べない)(きっと、悪いことをしているような気分になるからだ)(だってこれは、盗み見と同じことだろ)いつも通りに、ほんの少し高めの位置で一つにくくっていて、シャープペンシルを動かすたびに、小刻みにぴよぴよと動くそれが、可愛らしくってたまらない。
(同い年、なのかもしんねェな)

正直に、見かけのだけ見させてもらっても、俺と同い年だなんて思えないけど(身長差というやつかもしれないな)毎日毎日図書室へと自習をしに来ているところだとか、開いてるテキストの内容だとかを見る限り、同学年なのかもしれない。(なぁ、どこ受けるんだ)頭の中で、飛び出した言葉に、思わずシャープペンシルへと力を入れて、ぽきりと小さな音をたてた。カチカチカチ、と尻の部分を押して、バカじゃねぇの、俺、と思う。(詮索とか、ナシだっつの)

もちろん、話したい、聞きたい、もっと、時間が長くなればいい。そう思う。けれども、
(俺は、所詮、彼女にとっちゃ他人なんだ)
俺が、彼女のことを、すきだとか、んなの全然関係ねぇし


ちらりと目の前に座る彼女を見ると、パチリと目が合った。俺の顔は一瞬崩れかけて、(慌てた、ともういう)同じくちょっと慌てた彼女は、誤魔化したように、小さく、笑って(ああ)
かわいいなぁ、と思う俺。幸せだなぁ、と思う俺。これって、あと何回だ、と思う、俺。

(つまり俺たちは受験生なのであって、もう少しで本番となっちまう受験が終われば、きっと、会う事なんて、もうない訳で)


なぁ、これってあと何回だ、と思いながら、「こんにちは」と一言、今日も挨拶を交わす。
言葉もなにも発せずに、問題集へと向き合って、ときどき彼女をちらりと見る(罪悪感にさいなまされそうだ)

そんで、これってあと何回だ、と心の底で思うのだ。


(いつの間にか、俺と彼女の問題集は、もうほとんど終わりかけていた)
(でもああ俺、今すっげぇ幸せだ)






  

2008.01.26