第21話 コップの中の氷がとけるこうして、晴れて原作の位置が確認できたわけですが。 クーラーがついた部屋の中で、私はぶおぶおとクーラーをつけながらシャーペンを回した。机の上にあるコップの中の氷がとけて、カランと涼しげな音を出した。 6巻、もしくは7巻付近。骸がやってくるのは、夏休みが終わってすぐだったはずだ。 ピンチ、危険、エマージェンシー。そんな言葉がぐるぐる回って頭の中で救急車の二三台が駆け回っているようなそんな感じ。 (いや、骸は大丈夫かな……) 喧嘩の強い方々は歯をごっそり抜かれてしまって気の毒な話だが、一般ピーポーで間違いない私としては、そこまで激しく関係しているわけじゃない。「うむおお」 それよりも、未来のこととか、未来のこととか、未来のこととか。 このまま並盛に居続けるって、ものすごく危ないんじゃないか? と今更ながらに気づいてしまった事実に頭を抱えた。なにが今までぼんやり過ごしてきたから大丈夫だ。どんだけまったりな平和思考なのだ。 ごくごくごく、と思考と一緒に思いっきりに冷えたお茶を飲み込んで、ウィヒィーとおっさんくさい息を吐き出しながら、ごろんとフローリングの上に寝っ転がった。カーテンから差し込んだ光が、ぴかぴか光っておる。「…………ひっこし、しよっかなあ」 ぼそっとつぶやいた。多分、一番現実的な解決策だ。 「なんで?」 「う、うおお!」 いきなり聞こえた声にびっくりして、起き上がった。相変わらず慣れた様子で人様の家に上がり込んでいたらしい。「恭弥せんぱい、帰って来たら、ただいまの言葉を、ちゃんとですね……」 いやなんだかそれもおかしいか。ここは恭弥くんの家じゃない。 恭弥くんは、ちらりと切れ長な瞳をこちらに見せて、「ただいま」「今言ってもですね……」 まあいいけど。 「それで、。引っ越すって?」 「え」 「なんで?」 座り込んだ私を、彼は上から見下ろした。「いやその」 まさか、この先の展開がちょっとだけ怖すぎるので、みなさんと距離を置きたいです、なんて言えない。言えない。「いやその」 恭弥くんは、こっちの回答を待っていた。じっとこっちを見ていた。「いや」 「う、うああああ〜〜〜〜……」 「…………なにしてるの?」 返答に窮して、まるまりながら小さく亀になった私に、こいつ頭だいじょうぶか的な声がきこえる。その体勢のまま、「うおわあああああ〜〜〜〜〜」と奇妙な悲鳴を出し続けてみた。このままちょっとごまかせないかなとかそんな期待を持ってみた。無理だろうか。無理でしょうか。べしっと足の先で軽く蹴飛ばされた。 「お、オウフッ」 痛いわけじゃないけど、びっくりした。むしろ、痛くもなんともなかったことにびっくりした。 亀の体勢から、ころんと表にひっくりかえって、じろりとこっちを見る恭弥くんと目が合ったとき、なんとなく恥ずかしくなってしまった。「まあ、いいけど」「お、おうおう」 動揺して、オットセイのような返事である。 とにかく、誤魔化せたなら幸いだ。 私はそそくさとクッションを引っ張りだして、その上に座り直した。 それからわざとらしく鉛筆を握って、問題集に必死なふりをした。 「…………夏休みの宿題?」 「う、うん」 そう、とあいも変わらずな学ラン少年に向かって、コクコク頷く。無言の間が、ちょっとだけ怖かった。「ふうん。偉いね」 よしよしと撫でられた。 私はゆさゆさと恭弥くんに頭を揺らされながら、ひどく、耳の辺りが痛くなったような、そんな気がした。勝手に口元がひきしまって、への字な口なくせに、どこどこお腹の辺りが辛い。どっちかというと、もうちょっと上の辺りで変な音がしている。「あの、ちょ、ちょっと、恭弥く……」 またこれか! と思いながら、やめて、とちっちゃくつぶやいた声が、なんだかひどく情けなかった。 別に、恭弥くんは学校が好きだから、宿題をするのが偉いとそう言っているだけである。そうわかっているのに、なんだか嬉しい。そう思う自分がものすごく恥ずかしい。「、夕ごはんは」「ま、まだお買い物に行ってないから、そのあと!」 そのあとで! とこっちはひどく声が裏返っているのに、相変わらず飄々とした態度の恭弥くんは、多分真っ赤な私を無視して、勝手に台所に行ってしまった。冷蔵庫の中でも見るんだろう。 ふいー、変な声を出しながらテーブルに突っ伏して、シャーペンを握りしめた。 (そういえば、恭弥くんに夏休みの宿題はあるのかな) まあどうでもいい話かな、と思って、「」とこっちを呼ぶ恭弥くんに、「はいはい!」と返事をした。 ← ■ → 2013/01/13 |