第24話  夏の日





恭弥くんから発言を聞いてからしばらくして、頭の中で言葉をかみしめて、ああなるほど、と理解したとき、カラーンっと手からお箸がすっぽぬけた。「えっ、いや、いや」 落ちたお箸をひろおうとしてテーブルに手をついたら、今度は空のお茶碗がテーブルの上を転がる。「うわわ、わわ、わわわわ」「うるさいんだけど」「ご、ごめん!」

うっかり敬語を使うことも忘れていた。もぐもぐ、と恭弥くんはほっぺをふくらませて、ちらりと私を見た。「あの、恭弥くん、すきって」「前から何度も言ってるんだけど」「それは」
記憶にございません、と言いたいところなのだけれど、それはどこの政治家の発言だ。

「どういう系の……」

わきわき、と手のひらを動かしながら問いかけてみた。どういう意味で? 勘違いはノットである、イヤである。恭弥くんは立ち上がった。私はビクリと椅子の端で小さくなった。お茶が欲しかっただけであった。冷蔵庫からお茶をとって、こぷこぷコップに注ぐ姿を見て、若干モアイのような顔になった。


「そっちの方がいい」
「ん、ん? ん?」
「先輩とかめんどくさい」

つまり、恭弥先輩呼びはイヤってことだろうか。恭弥くんの方がいいってことです? と問いかけたいのに、何度も疑問を重ねて、こいつなんだかめんどくせえなあ、と思われたくはない。ぐぐっと私は唇を噛んだ。それから質問は最低限にさせていただこう、とぐるぐる頭の中で言葉を回した。「あの、なんで、その、私が好きとか」 一番聞きたいセリフにしてみたら、想像以上にめんどくさかった。

いややっぱり答えなくてもいいです、なんだかちょっと自意識過剰みたいな質問になりました! と両手を突き出そうとしたとき、恭弥くんは何かを考えるように視線を上げた。またお茶ですか、とゴクリと唾を飲んだ。でも違った。「知らない」 力が抜けた。「でも、好きでもなきゃ、多分ずっとは一緒にいないだろう」

さっさと咬み殺してる、と呟かれた声を聞いて、思わず小さくなった。いつの間にかご飯を終えていた恭弥くんは、茶碗をほっぽり出して立ち上がった。自分の家に戻るんだろう。私といえば、全然お箸が進まなくって、できることといえば、うぐうぐと椅子の上に座っていることだけだ。恭弥くんは、ちらりと私を見た。それから、「こんなふうに」「ん?」 がぶっとやられた。

「うあ、あ、あ、あ、」



ああああああー










この間恭弥くんに噛まれた肩を押さえて、私は一人片手で顔を押さえて真っ赤になっていた。(つまりこれは)「両想い……?」 いやそんな簡単にカウントしてしまっていいんだろうか。相手は恭弥くんだ。恭弥くんなんだ。(そもそも、ずっと、一緒になんていないし) またこれだ。何度も告白されていただなんて、全然知らない。一体、一番最初に言われたとき、私はどう答えたんだろう。やっぱりあうあうして、お箸を落っことしたんだろうか。

「アホ女、邪魔だ! 十代目のお通りだ!」
「いやいやいや獄寺くんちょっと落ち着いて、アホとか言っちゃだめだから!」
「じゃあバカっすか。こっちの方がしっくりきますね」
「どっちもだめだから!? さんごめんー!」

なんで十代目が謝るんですか、こいつが入り口で邪魔してるのがそもそもですねと叫んでバタバタ暴れる獄寺をぼんやり見つめていると、んん? と彼は口元を頭と同じタコみたいに突っぱねて、眉をひそめた。

「お前風邪でもひいてんのかよ」
「あ、ほんとだ。さん、顔が赤いよ、大丈夫?」
「具合が悪いってんならさっさと家にでもなんでも帰りやがれ」
「珍しいね、獄寺くんがさんの心配するなんて」
「なっ! 違いますよ十代目! こいつの風邪が十代目に伝染るんじゃないかと俺は心配して! まったく。夏風邪はバカがひくんだぞ!」
「……獄寺くん、その理屈だと俺もバカってことになるよね……」

まあ知ってるけどね……としょぼくれる沢田と「言葉のあやです十代目ェー!」と漫才を繰り返すコンビがなんだか心が癒される。「んー……いや、そういうわけじゃないんだけど」 頭の中がぼんやりしているのは確かだ。「なんていうかな、これは……心の風邪って……かんじかな……?」「心じゃなくて頭じゃね」

いつもどおり、中身が色々巣食ってんぞと冷たいツッコミを入れる獄寺に、「獄寺くん! もー!」と必死にフォローをいれようとする沢田に、相変わらず癒された。「ほんとのことでも、もうちょっと言い方ってもんがあるだろー!?」「…………」 大丈夫、癒されてる。



    ***



(っていうか、一緒にいたって、やっぱりおかしいよなあ)
いつもの私なら、両手をパッと伸ばして、「わーい、両想いだー!」なんてくるくる回っていたのかもしれないけれども、やっぱり色々と腑に落ちない点が多い。(誰か、恭弥くんが小さいときのこと、覚えてくれてる人っていないかな……) 山本、と思ったけれどもだめだ、なぜだか山本は、恭弥くんとの思い出をすっぱりと落としてしまっている。


「……んー……沢田……にも会ったことがあるけど、無理そうだし、山本のお父さん……が、知るわけないし」

だったらだったら、と指折り数えている最中で、ぴたりと一人のことを思い出した。「恭弥くんの、お母さん」 そうだ、未だに私はあのひとに会っていない。恭弥くんは毎回うちに晩御飯を食べに来るのだけれど、おうちのお母さんはいいんだろうか、と疑問に思いながら、なんとなく今まで見過ごしてしまっていた。(そうだ、お母さんだ)

もしかすると、彼女なら何か知ってるかもしれない。私はカバンを抱えた。それから、全力でダッシュした。恭弥くんとくるようになって、自転車通学ではなくなったから、家まで随分時間がかかる。ぜえはあ、と肩で息を繰り返した。(恭弥、ごめんね) なぜだろうか。マンションまでの道を走って、ぐるぐると景色が変わる中で、ふと、懐かしい声が聞こえた。夏休みは終わったとは言え、まだ熱い季節だ。ぽとぽととこぼれる汗を拭うと、また聞こえた。そんな気がした。ほそっこい、静かな声で、誰かがぽそりと謝っている。


恭弥、ごめんね




一枚の、メモが落ちた。





  

2013/01/24