僕と備兵団

ご飯がないと、生きていけない。
薄々わかっていたことだったのに、僕は全然わかっていなかったらしい。山の木の実でも食べることができたらよかったのだけれど、僕にはどれが食べれるもので、食べられないものか全然分からなかった。試しに一個、小さなリスが持っていた木の実を拝借して、口に入れてみた。「うっぺぺ」 すっぱい。

こんなの食べられないよ、と涙目になって、お水をさがす。ラッキーなことに、水筒の中にはお茶が入っていた。くぴくぴ何も考えずに口に含んでいたら、あっという間になくなっていた。もっと考えたらよかった、僕ってなんでこんなにバカなんだろう、と後悔しても遅い。「……お水……」 水筒を抱えて、僕はふらふらと山の斜面を歩いていった。微かにコポコポと水が湧く音が聞こえる。あっと見つけたとき、これは飲んではいいものなのだろうか、とコップの中についだ水を見つめ、ええいままよ、とごっくんと飲み込んだ。大丈夫、おいしい。

水筒の中にお水をいっぱい入れて、一人で山の中にはいることが出来なくて、僕はやっぱり街におりた。いいや、街じゃなくて、村だ。リューベの村。

僕と同じ言葉をしゃべっているのに、服装がてんで奇天烈なことが怖い。大百科は朝の子ども劇場だけで十分である。電話もない、ケーサツもない。覇王の紋章さんも役に立たない。どうしたらいいんだろう、と零れそうになる涙をぐっとこらえて、僕は一体誰に頼ればいいんだ、と考えてみた。

大人だろうか。
けれども、見ず知らずの僕を、大人は助けてくれるんだろうか。
(…………くん)
ふと、こっちに来る前に見た緑と紫のバンダナの男の子を思い出した。僕よりも一つか二つ年下に見えた男の子は、とっても賢そうで、ハキハキとしゃべっていて、ちょっと憧れる。(……あの子も、この世界の子なのかな……) だったら、覇王の紋章さんも、あの子に会えって意味で、あんな変な幻を見せてくれたのかなぁ、と思った。「もんしょーさぁん……」 ぺとり、と左手を自分の耳に当ててみた。やっぱり無視であった。無口なお方である。

そもそも、いろんなことがビックリすぎて、僕はこの紋章さんをすっかり受け入れているのだけれど、この人は一体なんなんだろう。っていうか、人? ときどきおしゃべりするし、主張し始めるけど無口だし、この子が僕をこっちに引っ張り込んだに違いない、と思うのに、この無責任っぷりはなんだろう。えいやぁ、と左手をつまんでみると、僕が痛いだけであった。当たり前である。


紋章さんは頼れない。だから僕は、なんとかして僕一人で生きなきゃならないんだ。そのためには、ご飯を食べなくちゃいけないんだ。



周りの人から逃げるように、僕はランドセルの紐を握りしめて、家の死角に飛び込んでいく。沢山の人がいる。みんな怖い。僕は一人で生きていかなくちゃいけない。滑りこむように入り込んだ家の中には、小さな畑が合った。見覚えのあるお野菜が、にゅっと地面から生えている。大根だ。周りの視線をきょろきょろ探って、誰もいないことに気づいてしまった。僕はハアハア口から息を出して、眉をひそめて、目尻にぎゅっと力を入れる。だめだ。それは駄目だ。怒られる。でも僕。

「わああっ!」 気づいたら大きな声を出して、大根をぐっさり抜いて、土でぼろぼろするそれを抱きしめていた。大声なんて出しちゃいけない。もっと、ひっそりと、誰にもばれないようにしなきゃいけない。そうわかっていたのに、叫ばずにはいられなかった。叫ばないと、怖かった。人のものを盗っちゃいけませんよ。そんな当たり前の常識を言う担任の先生を頭の中で思い返して、僕は山の中にもう一度逃げ帰りながら、自分自身を延々と説教した。

くん。ダメですよ。警察に捕まっちゃいますよ。お母さんが泣いてしまいますよ。ダメな子ですね。最低な子ですね。いけませんね。あなたは人間失格ですね。

出来る限りの、自分で思いつく限りの酷い言葉を延々と並べた後に、それでも真っ白で、土がぼろぼろと付いている大根を抱きしめている自分に気がついて「うわああ」と泣いてしまった。だってお腹がへってるんだ。きゅーっとお腹が叫んでいる。お水を使って、ほんの少しだけ表面を洗った後、がぶっと力いっぱい噛み付いた。「…………からい」 美味しくなんてない。でも、何かを食べないと、お腹がくるしい。

僕は力いっぱい大根にかぶりついて、それから暫くの間は、それで生きた。でも、しばらくして、やっぱり大根はなくなってしまって、また村に言った。顔がどろどろしていて気持ち悪いから、水でふいていたのだけれど、服もランドセルも汚れていくのは仕方ない。今度は違う家で、キャベツを盗んだ。別の日はにんじん。トマトもあった。野菜によって、成る季節が違うのだと学校で習ったのだけれど、ここではそんな常識は通じないらしい。
だったら、僕がしている悪いことも、ここでは当たり前にならないかな、と思ったのだけれど、そんなに都合よく行く訳がないのだ。


***

街の大人が、僕を探していた

***



いいや、僕じゃない。野菜泥棒を探してるんだ。でも、それは僕だった。いくら夜中に忍び込んでも、誰かが畑を守っている。目をぎらぎらさせていて、「見つけたら叩きのめしてやる」と言葉を吐き出している人もいた。どうしよう、と体中がガタガタして、どこかに逃げなきゃ、と思ったのに、どこへ行けばいいかもわからない。

結局何も盗ることができなくて、山に帰って体を小さく丸めてご飯を我慢した。覇王の紋章さんは、それでも何も助けてはくれなくて、ただときどき、我は帰還を望む、とただそれだけ呟いていた。帰還って、帰りたいってことなんだ。「僕だって、帰りたいよ……」 服をべそべそにして、ぼんやり浮かぶ月を見上げて胸が苦しくなる。
あのとき、木の枝に登っていたとき、ニッコリと笑って僕の頭を撫でてくれたお兄さんも、出てきてはくれなかった。「お兄さん……」誰でもいいから。「覇王の紋章さん……」誰でもいいから。「だれか、たすけてください……!」「誰かいるのか?」

ふと顔を見上げると、真っ青なマントで、バンダナをした男の人が僕を見下ろしていた。僕は動くことができなくって、びっくりして木の幹に頭をぶつけた。男の人が、そんな僕を不思議そうにこっちを見ていて、「もしかして、お前が野菜泥棒か?」「……ひっ」 知ってるんだ。

僕は力の限り逃げた。助けて。殺される。怒られる。殴られる。
そう思って、ぼろぼろ泣きながら、うえっう、ううえええ、とバカみたいな声を出して逃げたっていうのに、青いマントのお兄さんに一瞬で捕まれて、ランドセルをぐいっと持ちあげられ、そのまま釣り上げられた。「うわああああ」「あ、こら、暴れるな!」 ばたばた両手を動かして、助けて助けてと逃げ回ろうとしたのに、お兄さんは放してくれない。「う、」「う?」「う、うああああああー……」「…………よく泣く子だな」

お兄さんは、呆れたようにため息をついた。ぷらぷらと僕を引っさげて、「泣くんじゃない」と一言だけ呟き、ゆっくりと地面におろした後、ぐるんと体を反転させて、僕と正面を向き合った。「まあ、なんだ。泣くんじゃない、男の子だろう」 そう言って、ごしごし、と僕の頭を力いっぱい撫でたのだった。




  

2011/09/02

Material by Helium : design by I/O :: Back to top ▲