ぼくと備兵団






何だかわからないけど、知らないお兄さんとお風呂に入って、わしゃわしゃ頭を洗ってもらって、すっかりつやつやてかてかになった僕を見て、お兄さんは嬉しそうに笑った。
善意だ。その頃になったら、僕はおもいっきりそう感じていた。これは善意だ。

お兄さんは、僕を悪くしようとしているんじゃない。善意には善意を返しましょう、と先生が言っていた。けれどもなんだか素直に受け取れない自分もいる。大根を抱えて、だかだか山の中を走り回っていたすさんだ気持ちの僕が、「おいおい、そんなに簡単に受け止めちゃっていいのかい。あとでぱくっと食べられちゃうかもしれないよ」と耳元でささやいているのだ。

すっぱだかのまま、しょぼんと頭を落としている僕を、お兄さんは、ぽんぽん、と軽く叩いた後、白いタオルでごしごし拭いた。お母さんがときどき僕をそうやってくれるけど、お兄さんはどうにも乱暴で不器用だ。けれども僕はおとなしくしていた。ふと、お兄さんが僕の左手をふいているときに、「うん?」と眉をひそめた。僕は慌ててそれを体の後ろに隠すと、お兄さんは特に何も言わず、「じゃあ、これ。一人で着れるかい?」「ん、ん」 うんうん、とごまかすみたいに一生懸命頷く

自分でもなぜだかわからないけれど、これは見せてはいけないものだと思ったのだ。
お兄さんは不思議気な顔をしたけれども、特に何を言う訳でもなく、「いい子だ」と頭を撫でて、ごそごそ自分の服を着た。僕も服を着ると、お兄さんはとことこと前を歩いて行く。どうしたらいいんだろう、とおろおろしていると、お兄さんはふと振り返ってちょいちょいと手のひらを振った。僕は慌ててお兄さんの後ろへ走って行って、うろうろとした後、お兄さんの手を握ろうとして、でもやっぱりできなくって、きゅっとお兄さんのズボンをつかんだ。
お兄さんはちょっとだけ歩きにくそうに歩幅を小さくした後、ははは、と苦笑した。



「あんた、フリック。名前を聞いてないのかい?」


呆れたような声を出す綺麗な赤い服を着たお姉さんは、ふー、とカウンターに座りながら、ふるふると頭を振る。お兄さんの名前はフリックというらしい。フリックさんは「いや、うっかり」「ビクトールじゃないんだから。あんたはしっかりしておくれよ」 パイプのようなものに口をつけようとしたとき、「おっと、子どもの前だった」と彼女はゆっくりとパイプから目を離して、「ほらフリック」とふん、と顎を上げた。

フリックさんがきょとんとした顔をしていると、「あんたが連れてきた子なんだろ。まずはあんたが最初に自己紹介しなよ」「確かにそうだな」 フリックさんは人のいい笑みを浮かべて、テーブルの上に置かれたお豆のスープを僕の前にすすっと出した。「まあ、腹も減ってるだろ? 食べながらでいいさ」

僕はどうしようかと目をふらふらさせたのだけれど、赤い服のお姉さんだとか、周りの男の人たちが、僕と目を合わすと、にっかりしながら頷いたので、僕は恐る恐るスプーンに手を伸ばして、スープをすくった。もぐ、とご飯を食べると、お腹の中に温かい味がする。途端にぼろっと涙がこぼれた。スプーンをくわえたまま、僕がぽろぽろと泣いていると、フリックさんが慌てて腰を上げて、「レオナ、タオル」 言われるまでもなく、お姉さんはフリックさんにタオルを投げつける。

フリックさんはそれをばしりと顔で受け止め、照れ隠しのように頬をひっかいた後、僕の顔をごしごしとタオルで拭いた。鼻水も出てきたので、ついでにそれも拭いてくれた。
「……おいしいです」
「そりゃあレオナさんが作ったんだもの。美人が作ったものは旨いさァ!」

周りの男の人たちが、揶揄のようにビールを片手にゲラゲラ笑う。その奥で、ふっくらふとったおばさんが、「おかしいね、あたしも作ったはずなんだけど、その美人にあたしも入らないのかい!?」「もちろんバーバラさんも入ってるって!」「美人美人、砦の華だね!」 

僕をそっちのけて、わーっとパチパチ手を叩き出す男の人達を、「あんたたち、静かにしないかい」と多分、レオナさんだろう。お姉さんがふーっとため息をついていた。

ずっと生で、ごりごりしていた野菜にかぶりついていたものだから、お料理って、こんなにおいしいんだなぁ、と僕は心の底からびっくりした。そしたらお母さんのところに、また帰りたくなった。
やっと涙がおさまった僕を見て、フリックさんは嬉しそうに笑って、「まあ、遅くなったけど。俺の名前はフリックだ。お前は?」

僕は相変わらず、スプーンをくわえたまんま、小さな声で呟いた。「……」「うん?」「、です!」

そう言うと、フリックさんはほんの少し目を見開いた。確認するように、自分の口元で、「……」と呟いたのが、何だか違和感があった。けれどもすぐに頭を振って、「それで、は、……どこから来たんだ?」

     多分、別の場所から

そう言おうとして、左手がびりびりと電撃が走ったみたいにしびれた。今までの、ちょっとしたつっこみみたいなビリビリじゃなくって、本気のビリビリだった。言うんじゃない。絶対に言うんじゃない。そう言っているみたいで、唐突にスープの中にスプーンを落として、左手をかばったままぶるぶると震える僕を見て、周りの男の人たちがわらわらと集まった。「悪い、こんなところで言う話じゃなかったな。言いたくないことならいいんだ。言わなくたっていいんだ」 そう行って、僕の肩に手を当てて、難しそうな顔をするフリックさんは、何かを勘違いしているような気がした。

ぽんぽん、と背中を叩いて、「辛いことは、少しくらい忘れたっていいだろうよ。考える時間はまだまだたくさんある」 ぽんぽん。と叩いてくれるお兄さんは、まるで自分が辛いことがあったかのようだった。僕は正直、全然想像力が足りない。ここのお兄さんたちがこの場所に集まって、怖い武器を持って、それを平然と扱っている事実が理解できない。
(もしかしたら)もしかしたら、僕は可哀想な子だと思われてるのかもしれない。それは違う。絶対違う。「僕は、帰る家があります!」 今度は大きな声で叫んだ。

フリックさんたちはパチリとお互い顔を見合わせて瞬きを繰り返し、顔にそばかすをつけた男の子が、ひょいっと僕の顔を覗き込んだ。「そりゃあ、どこなんだい?」「に、」日本の、と言おうとした言葉を飲み込んで、「わ、わかんない、です……」 そりゃあ困った、というように、周りの人達は首を傾げた。

僕だって困った。「でも、人を、って子を探してるんです!」「?」 フリックさんがまたまた不思議そうな声を出して、「・マクドールか?」「え、ちょっと、わかんないですけど、くんです。僕より、ちょっと年が下で、賢そうな……」 言っていて、どんどん自信がなくなってきた。

フリックさんは、「じゃあ違うか」と首を傾げた後、さてどうしたものか。と言って、自分の分のスープを、スプーンを使わずずるりと飲み込む。


「暫くうちにいりゃーいーんじゃねーか。どうせ他にもガキはいるんだしよ」


とんとんとん、と、大きな足音が上からやってくる。
僕はひょいっと視線を上げると、さっきの象さん、いいやお風呂に入ったはずなのに、頭がばさばさの熊さんが階段から顔を覗かせて、ニッと口元をあげていた。「そうだな、それがいい」とフリックさんは頷いて、ずるずるスープを飲む。「まあでも、けじめはつけてもらうがね」

熊さんは、フリックさんの台詞に、にまーっと口を横に広げて、「そうさな。けじめは必要だ」 男の見せ所だぜ、とげらげら笑っていた。



***



僕はガタガタと震えていた。フリックさんの背中に隠れるようにしようとも、彼はそれを許してくれなくて、ほらよ、と言うように、僕の背中をぐいっと押す。いきなり前に突き出されたものだから、僕はその人たちと、パッと目が合った。

麦わら帽子で日に焼けていて、他にも小さな子どもも、女の人も、大人もいっぱいいた。みんなぐるっと僕を取り囲んでいて、不満気に眉を寄せている。

「さっき説明したとおり、この子が野菜泥棒の犯人です。ほら」

ほら、
ぱしっと背中を押された。
僕はぶるぶるする胃を抑えつけるみたいに、体をがたつかせながら、ゆっくりと頭をおろした。「…………ぼくが、野菜をぬすみました。本当に、ごめんなさい!」 最初は小さな声だったのに、最後には叫んでいた。本当にごめんなさい。ぎゅっと唇をかんで顔を上げると、村の人たちは一様に戸惑った顔をしていて、ひそひそと村人同士で話し合っている。「まさかこんな子どもがなぁ……」「でも、謝られたからってなぁ……」

怒るに決まっている。いきなり頭を下げて、許してくださいと言っても、一方的でツゴウがいいだけに違いない。だからと言って、僕が食べてしまったお野菜をお返しする訳にはいかないし、どうすることもできない。

フリックさんが、「ふむ」と言葉を漏らしていた。そして「」と僕の首根っこをぐいっとつかんだのだ。
なんだろう? と思った瞬間、僕はぐるんと体を回転させられ、ぺろりとお尻が一気に寒くなった。「え、え、え、うあ、ええええええー!!!」 全然まったく、意味がわからない。
パンツまで下ろされて、これじゃあワイセツブツ、チンレツザイで怒られる! ケーサツに捕まっちゃう!? と思った瞬間、パーン!! と勢い良く音が響いた。「きゃー!!!???」

まるで僕は女の子みたいに悲鳴を上げて、全身をぴーん! と伸ばした。お尻がひりひりする。けれどもフリックさんは容赦なく、二発目。三発目。四発目。
お、お尻叩きだ! と気づいたとき、僕は力の限りボロボロと涙をこぼしていた。悪いことをした子がされてしまうことだとは知っている。僕は悪いことをした。でも、痛い。こんなのお父さんにもされたことない。想像以上に痛い。たまらなく痛い。それでもフリックさんの手は止まらない。

「う、う、う、うああああーん!」

僕がわあわあ泣き叫ぶと、村の人たちが慌てたように、「いいやフリックさん、いいよそんな、そこまでしなくとも!」「そう、もうなんとも思ってないさ!」「食べられた分は別にそんなに多くもなかったしねぇ!?」とあわあわ声を出してフリックさんの周りに集まる。フリックさんは、「そうですかね?」とにっこり笑って、ボロボロに泣く僕のお尻を最後に一発、ぺしんと叩いた。

「ほら、泣きに来たんじゃないだろう」
最後の一発は、気合の一発だ。

僕は情けないながらも、村の人達に背を向けるようにズボンを履き、相変わらず止まらない涙を我慢するみたいにぐっと息を飲み込んで、涙と鼻水は服でぬぐった。
そして、ゆっくりゆっくり、「ごめんなさい……」と頭を下げると、僕と同じくらいの見覚えのある男の子が、てこてこ僕の前にやってきたのだ。

「ん」
男の子は、いつの日だか渡したティッシュを取り出し、僕の鼻にぺしっとつける。「はい、ちーん」 思わず鼻をかむと、男の子はにかっと白い歯を見せて笑った。
顔を上げると、大人の人達もどこか罰が悪そうな顔をしていて、困ったように笑いながら、僕の頭を順番こでよしよしと手を伸ばした。

なんだかとても悲しくて、嬉しくなった。胸がきゅーっと絞めつけられるような気がする。


「う、うああん……ひっ、うあーん」
「だから、泣きに来たんじゃないだろう?」

フリックさんは苦笑してた。
でも、僕が悲しくて泣いている訳ではないから、泣きやめともなんとも言わないで、よかったな。と、笑ってた。


  

2011/09/04

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