ぼくと備兵団

「フリックさん、ビクトールさん、砦のみなさん、行ってきます!」

おう。行って来い、と砦のみんなは僕にパタパタと手を振った。わふん、と犬までしっぽを振ってくれて、僕はリューベの村まで、胸を張って歩いて行く。道は覚えた。ときどきモンスターがでるけれど、力いっぱい逃げればいいし、そんなときは覇王の紋章さんが、ピリピリと微かに震えて教えてくれる。

僕はランドセルにじょうろを詰め込んで、たったか村へと駆け抜けて行った。
「お、ちゃんはやかったね」
「はい、早起きしました!」

ニコニコ顔の村人さんに頭を下げて挨拶する。けれどもランドセルがちゃんとしまっていなかったようで、ぱかっと開いた蓋から、じょうろがごろん、とこぼれ落ちた。かっこん、とじょうろは僕を跳ね上がって、そのまま地面に落下する。「…………」「………」「今日も、がんばり、ますっ」「おう、がんばれ!」


ちゃん、じょうろ持参かぁ、やる気満々だなぁ」
「じゃあ今日はうちを手伝ってもらおうかなぁ」
「あんたんとこはこないだ来てもらったばっかでしょ。次はうちようち」
「おーい、あんまりこき使ってやるなよぉ」


暇になったら、俺の店においで、と手を振りながら、男の人が去っていく。僕は、リューベの村のお手伝いをすることになった。フリックさんの提案に、そりゃあいい、と村の人も頷いて、食べた分は働いて返すこと。そうすればきっと、後腐れはなくなるはずだから、いろんな事は水に流そう。そうなったのだ。

お手伝いの間はビクトールさん、あの熊さんの砦にお邪魔をさせてもらうことになって、どこに行けばいいか、これから何をすればいいかもわからない僕にはありがたい話だった。
村の人は、もうとっくに怒ってなんかいない。だからこの提案は、きっと僕のためにあることなのだと思った。僕が、僕自身に言い訳ができるのだ。
お手伝いをしたから、悪いことをしてしまったけれども大丈夫、と心の中で許すことができる。

そのときは、全然分からなかったけれども、フリックさんと一緒に砦に帰って、お布団を貸してもらって、その中に潜り込みながら、とてもとても胸の中がホッとしている自分に気づいたのだ。
(僕って、やな子だなぁ)

この約束を決めるときに、フリックさんは、「俺が提案しておいて何なんだが、を探すと言っていたけれども、本当にいいのか?」と首を傾げた。僕はフリックさんのマントをぎゅっと握って、うんと頷いた。

くんがどこにいるのか分からないし、小さな目標があれば、きっともっと頑張れる。とりあえず、ご機嫌を損ねているのか、つーん、と会話もしてくれない覇王の紋章さんのお口をなんとか割らせねばならない、と僕はうんうん頷いた。そんな僕を、フリックさんは不思議そうに見つめていた。






僕はぎゅっと拳を握りしめて、お水を撒いて、畑の雑草を抜いた。雑草は根っこまできちんと抜きましょう。学校の生活の授業を思い出して、汗をだらだら流しながら僕は一生懸命手を動かした。
一瞬ぐらりと太陽に頭を焦がされて、意識が遠くなりそうになったけれどもなんとか踏ん張る。そんな僕の頭に、ぽすん、と何かが被った。「え?」「暑いだろう。息子のお古だ」

麦わら帽子ごしに柔らかく頭を押さえつけられて、(あ)僕は、またぽろっと涙がこぼれてしまうかと思った。でも、ぎゅっと唇を噛み締めた。(なんでだろう)

(なんでみんな、こんなに優しくしてくれるんだろ)





「うん? そんなことが気になってたのか?」

フリックさんは微笑ましいものを見るように、やんわりと口元を緩めた。それがなんだか恥ずかしくなって、僕は部屋の隅っこに移動するようにランドセルを抱えた。くっくっく、とフリックさんは笑って、「は、何でだと思う」 反対に聞くのはずるいような気がする。

僕はきゅっと口元を尖らせて、ランドセルをお腹に抱えたまんまゆっくりと振り返った。「……みんなが、優しいから?」「それもある」「……僕が、こどもだから?」

子どもだから、許されちゃったの?
なんだかやっぱりずるい気がする。ぎゅっとランドセルを抱きしめると、フリックさんは困ったような顔をして、「まいったな。は随分賢いな」 いや、賢しいのかな?

さかしい。ちょっとよく意味がわからなかったので、「フリックさん、ちょっと待ってね」と行って、ランドセルの中に入れておいた辞書を取り出して、さかしい、とひいてみた。よくわからないけれど、賢いって意味もあるし、そうじゃないとする意味もある。どっち?「何してるんだ?」「な、なんでもないですっ」

僕のいる世界と、こっちでは文字が違う。僕は慌てて辞書をランドセルにしまい込んで、「意味がわかんないです……僕がダメってことですか?」「違う。そうじゃない」

フリックさんは僕に視線をあわせるように屈み込んで、そうだなぁ、と自分の中の気持ちを整理するみたいに腕を組んだ。僕より年上のお兄さんが、精一杯言葉を考えてくれているだなんて、なんだか変だ。タイトウなカンケイみたいで、なんだか変だ。むずむずする。

「俺はの尻を叩いた」
「……うん」

何を言い出すかと思えば、それである。あれはちょっと恥ずかしいので、やめて欲しい。「大人は子どもに優しくしたくなるもんなんだ。それはしょうがないって思ってくれ。それにはちゃんと尻を叩かれて仕置きも終わった。それで手伝いもして、ちゃんとけじめもつけてるじゃないか。大人と同じ扱いだぞ。頑張ってる子には、優しくしたくなるだろう」

うまく言えないなぁ、とフリックさんは頭をひっかいた。僕もよくわからなかったけれど、フリックさんが、気にするなよ、大丈夫だ。と言ってくれているということくらいわかる。けれどもフリックさんみたいなお兄さんが、大人論を語るのが何だか可笑しくって、僕はぶはっと笑ってしまった。「おい、何で笑う」「だって、フリックさん、大人じゃないのに、大人って」「俺は26だ。もう少しで27だぞ」「うええっ!? 僕より16こも上なの!?」

見えない見えない、とぶるぶる首を振ると、「……計算が早いな」と見当違いなコメントを発しながら、ふーっとフリックさんはため息をついた。口元を一文字にして、目を細めてぼんやりしているところから、気にしていることなのかもしれない。

僕はしゃがみこんでいるフリックさんの周りをぐるぐる回って、「あの、違うよ? フリックさん。僕、フリックさんが大人に見えないって意味じゃなくって、そのう、若くみえるなぁって」 ね、ね、悪く言ったんじゃないよ。
ぐるぐるぐる、と回り続けているところを、すさっとフリックさんが立ち上がった。そして僕の首根っこをつかんで、端っこの椅子に座らせる。

フリックさんは無表情のまま、ずんずん棚へと進んでいって、ガラガラと戸を開けた。僕はちょこんと椅子に乗っかりながら、どうしたらいいものか、とパタパタ足を動かしていると、フリックさんはのしのし大股で僕の元へやってくる。「次から、そういうことは言わないこと。そしたらこれをやろう」「そういうことって、フリックさんが若くみえるってこと? あ、あ、なし、なしです、今のは!」

フリックさんがぎゅーっと瞳を細めたものだから、僕は慌ててあわあわと口元の前で両手を振った。彼はふと表情を和らげて、くすりと苦笑した後、持っていた皮の手袋を、僕の左手にかぶせた。「ま、こっちもついでに」と、右手にも同じものを。

僕がきょとんと首を傾げていると、「、お前、左手に何かの紋章が付いてるだろ? 固定の紋章を持ってる奴も多いからな。時々気にしてるみたいだったからさ。俺の古いものだから、サイズが全然合ってないんだが、隠すくらいにはなるさ」 そうすれば、多少は気にならなくなるだろ?

フリックさんが言うように、その手袋は、ゴム手袋をつけたみたいにぶかぶかだったけれど、僕は両手の手袋を横に水平に合わせて、じーっと見つめた。コテイの紋章、というのはよくわからないけれど、僕はすごくすごく、気に入った。そして確かめるみたいに、もう一回確認した。「……もらっていいんです、か?」 もちろん、と言うふうに、フリックさんは僕の頭を撫でた。そして、「敬語がぬけたり、入ったりしてるぞ。気にするな、普通に話してくれた方が、俺は嬉しい」

僕はパッと顔が赤くなって、うん、と静かに頷いた。その後すぐさま部屋に入ってきた、若い兵士の男の子、ポールくんが、「こらぁー! フリックさんの仕事の邪魔するんじゃねー!」と言いながら、僕をぐいっと脇につかみ、部屋の外へ放り出されてしまった。ポールくんひどい。




僕は砦の裏手に回って、フリックさんからもらった手袋をつけた自分の手のひらを、じーっと見つめていた。「…………へへへ」 口元が、勝手ににまっと動く。
僕はどうやら喜んでいるらしい。パタパタ手を動かして、ずるずるずれる手袋が楽しい。


ふと目の前に、男の人が立っていた。

砦の人じゃない。この間、僕と一緒に木の枝に座っていた男の人だ。僕がぎょっとして逃げようとしたら、男の人はやんわり優しい顔で微笑んで、つんつん、と僕の手袋を指さした。そしてぱくぱく唇を動かす。
しゃべれないのだろうか。僕が困ったような顔をすると、お兄さんはまたぱくぱく、と口を動かした。

     大切にしなよ

「え、あ……うん。えっと、はい……!」

だよね、言われるまでもないか。といった感じに、お兄さんは照れたように微笑んだ。そしてはたはた小さく手のひらを振って、僕がパチリと瞬きをした瞬間、どこかに消えてしまっていたのだ。「……えっ」 この間とまったく同じだ。
やっぱり、幽霊さんだったのだろうか。

ぶわぶわぶわ、と遅まきに全身の毛が逆立ったけれども、照れたように、言葉を言い換えるなら、なんだかちょっぴり可愛いような笑い方をするお兄さんは、全然怖くなんてなかった。
(……いい幽霊さんなのかなぁ)

でもやっぱり、お腹の底がぶるぶるしてきて、僕は力の限り走った。フリックさーん! と扉を開けた瞬間、眉毛をひん曲げたポールくんに、「邪魔すんなって言ったろー」と首根っこを捕まれて再びほっぽり出された。

寂しくっておいおい泣いていると、何をしているんだお前は、とでも言うように砦の兵士さん達が呆れ顔で通って行く。僕のぼろ泣きに、みんな慣れっこになってしまったらしい。
(……そういえば)

僕は廊下から顔を上げて、さっきのお兄さんを思い出した。つんつん、と指をさすお兄さんの左手には、僕と同じ手袋がはめられていたのだ。茶色い皮の手袋だ。
お兄さんも、何か隠したいものがあったのかなぁ、と僕は鼻水をすすりながら、持参のティッシュで鼻をかんだ。ぶいーん。


  

2011/09/05

注意事項追記しました。

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