ぼくと備兵団

「お、今日も手伝いか、坊主。行って来いよー」

ビールをぐいっと持ち上げたビクトールさんに、はい! と頷いて、僕は麦わら帽子をかぶって、ランドセルを背中に、とてとてリューベの村へと向かった。
いつもの通りお手伝いを終えて、その上お駄賃としてお菓子までもらってしまい、僕ってこんなに甘やかされちゃっていいのかなぁ、と自分自身首を傾げながら、夕暮れ前には砦に帰る。

「ただいまー!」

ぱーん、と入り口を開けて、こんにちはー! としたとき、目の前に犬がいた。


別に犬くらい、珍しくないし、砦の外では一匹いつもお散歩している。けれども目の前のわんこは違った。茶色くふさふさで、緑色の服を来ていて、顔はわんこなのに、体は人間みたいで、二本足で立っていて、しかして尻尾はふさふさで、顔をうずめたくなる。いやそれはいいんだけど。「おう、おかえり、お疲れなのだ!」 しゃべったし。

僕はにっこり笑った。
わんこもにっこり笑った。瞬間、ふーっと意識が遠くなるのを感じた。


「うわああああが気絶したああああ!!!!」
「何でだ!? 何でなのだ!? 肉をもっと食べるのだー!」
「ゲンゲン興奮するな!」









「…………コボルトさん?」
「そうだ。ネコボルトというのもいると聞いたことがあるけどな」

目が覚めたか? と呆れたようにフリックさんがペンを回していた。僕はフリックさんの執務室のソファーから、ふらふら体を起こして頭をぶんぶん振った。「まあ、初めて見たんなら驚くかもしれないが……それにしても、気絶はないだろう」

さすがの僕も、顔が赤くなりそうで、もそもそソファーの端っこに頭を乗せて、フリックさんにお尻を向けた。「こっちに尻を向けてどうする」 声で呆れていることがよくわかる。

僕は恐る恐ると振り返った。そしたらフリックさんは、もう僕を見ていなくって、僕はよいしょ、とソファーから足を下ろして立ち上がり、とてとてフリックさんの机へ足を運んで、ぐるぐる回った。何やら帳簿を書いているらしい。「勝手に見ていいものじゃないぞ」「僕、文字は読めないよ」 そうかい。とフリックさんは言いながら、くるくるペンを動かす。

文字は違うけれども、どうやら数字は同じらしい。僕はじっと数字を見つめて、「338」「うん?」「13かける26は338だよ」 ソロバンを動かそうとしていたフリックさんはきょとんと瞬いて、「文字はわからないんじゃなかったのか?」「数字はわかるよ」

ふーん、と頷いた後。「じゃあ12569足す2345は?」「ん、14914」「お、正解だ」「数字は得意なんだよ」
なんかいかそんな風に繰り返した後、フリックさんはソロバンを使わず、僕に数字を訊いてきた。僕はそれを答えた。フリックさんのお仕事も終了したらしく、よし、と一息ついたところで、また別のお仕事をがさごそと取り出す。
そっちの方はお手伝いできないらしい。僕がお部屋でごろごろしていると、フリックさんはペンを動かしながら、「まあ、俺はとやかく何を言うつもりでもないが」と前置きした後、一瞬だけペンを止めた。「けじめはつけるんだぞ」

けじめ。
それって一体なんだろう、と暫く考えて、僕は「うん」と頷いた。「よし」
パッと立ち上がって、フリックさんのドアに手を伸ばす。そのとき、ぶかぶかの手袋が見えた。(うん) よいしょ、とドアを開いたとき、ドアの正面に、わんこが立っていた。僕は、ぎゃあ! と叫びたくなる気持ちを必死で抑えて、ぎゅっと口元をに両手をおいた。

わんこ、フリックさんが言うには、コボルトで、ゲンゲンって名前で、僕よりも長生きで、ここの砦の兵士さんで仲間なんだ。

ゲンゲンくんは瞳をしょんぼりさせていて、手のひらをもじもじさせていた。僕はふと背後のフリックさんを振り返ろうとして、いいや、と首をぶるぶるさせた。(けじめはつけるんだぞ) けじめ。

「あ、あのうっ」

ぎゅっと手袋を握って、口元をぷるぷるさせながら、ゲンゲンくんに声をかけた。ゲンゲンくんはつぶらな瞳をぱちっとさせて、なんだ? と言うふうに、耳までピンと伸ばしている。そんな姿を見たら、僕はなんだかホッと安心した。「あの、びっくりしちゃって、ごめんなさい。僕は、です、こんにちは!」

人の顔を見て、ひぎゃー! と驚くのは、きっと失礼なことだ。でも驚いてしまったものは仕方がない。次はないように、と頑張って、やってしまったことは、ごめんなさいと頭を下げよう。ゲンゲンくんは、お耳をぴくぴくさせて、ニマッと口元を嬉しそうにあげた。「ゲンゲンも、びっくりはされるけれど、気絶するまでビックリされるのは初めてだったから、ビックリした! でもビックリしないようにする。おれは、ゲンゲンだぞっ! コボルトの勇敢な戦士なのだ」

よろしくな、と言うように、ゲンゲンくんは大きな肉球がふんわりついた手のひらを、ずいっと差し出した。僕はそれを恐る恐る握って、ぷにぷにぷに、と両手で肉球を触ってみた。ちょっぴり固いけれども、なんだかニコニコしてしまう。うふふふ、と二人一緒に握手をして、ぶんぶん振っていると、ゲンゲンくんの尻尾もぱたぱた振られていた。
多分、これでけじめはついたのだ。

不思議なことがいっぱいで、知らないこともいっぱいだ。けれども優しい。けじめはしっかりつけること。とっても大切なこと。


時々、トウタという男の子もやってくる。ホウアン先生という、お医者さんのお使いらしい。おお、小さいのにすごいなぁ、と僕はびっくりした。くんにしろ、トウタくんにしろ、この世界の男の子は、みんなしっかりしてるんだろうか。

僕はトウタくんに負けないように、リューベの村に言って、ときどきお駄賃のお菓子をもらって、ゲンゲンくんと一緒に食べて、ときどき左手がぴりぴり傷んでも、知らないふりをして。
僕はすっかりと忘れていたのだ。
勝手に、みんなの仲間になったと、勘違いしていたのだ。



***



なんだか喉が乾いたなぁ、とポールくんと一緒の部屋から、のそのそ夜中に抜け出した。子どもは寝る時間だ、と僕はさっさと寝かしつけられてしまうけれど、みんなはずっと遅くまで起きていることくらい知っている。
お布団に耳をつけたら、レオナさんの酒場で、みんながわいわいおしゃべりしている声がするのだ。ちょっとくらい、顔を出したって怒られないだろう。そう思って、こそこそと階段をおりていった。けれどもやっぱり怒られたらどうしよう、と階段に座り込んで、体育座りをしていると、「どうするだい?」とレオナさんが誰かに話をしている声が聞こえた。「そうだなぁ……」フリックさんの声だ。

僕はパッと顔を輝かせて、思わず飛び出しそうになったとき、フリックさんは、はっきりとそういった。

    は、うちの砦にいるべきじゃない。ビクトールから、ミューズの市長にも頼んでいるさ。器量も悪くないし、頭もいい子だ。すぐに新しい親は見つかる。とりあえず、さっさとそっちに行ってもらった方がいいだろう」



   えっ ?


  

2011/09/05


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