ぼくと備兵団



「ふうん、もったいない気がするわね。フリック、知ってるかい? あの子は随分数字に強いんだよ」
「ああ、一度手伝ってもらったことがあるよ」
「だったら、出ていくまでもなくっても、うちに残っても力になってくれると思うんだけどねぇ」

そこらの男連中よりも、よっぽどしっかりしてるさ。と酒を片手にわいわい騒ぐ男たちを、じろっと横目で見る。彼らはぎくんと体を小さくさせて、心持ち静かに酒をすすったけれども、空気が読めていないのか、読む気がないのか。ビクトールは、「さー、もーいっぱい!」と大声を上げながらどーん、とテーブルにジャッキを叩きつけた。

「この砦から出ていくことの方が、あの子にはいいだろう。けれども、幸せとも限らないんじゃないかい」
「…………あの子は、ここにいるべきじゃないよ」


ついだ酌をぐびりと飲むと、耳元で小さな音がした。
丁度階段の方向だ。何の気なしに、俺は顔を横に向けた。どん、どんどん。まるで小さな体が転がり落ちるような音がして、レオナと俺と、ビクトールと、酒場の数人の兵士達が、そっちを見る。ひょこっと見えた小さな足に、「?」 俺は首を傾げた。

彼は慌てて足を引っ込めて、頭が出る。四つん這いになってへたへたと歩いて行く。「」 俺はもう一度名前を呼んでみた。ふと振り返ったは、瞳の中に涙をためて、そのままふいと顔を戻し、扉に向かって体当たりをした。鍵が閉まっていないドアは左右に開かれ、真っ暗な闇の中を、はへたへたと転がりながら駆け抜けていった。

あの子はよく泣く。
だから俺はぽかんと口を開けただけで、酒を持ったまま固まってた。その後頭部を、ぱかんっとレオナがキセルで叩く。ぎょっと顔を上げると、彼女は柳眉をひそめ、「あんた、さっきまで何の話してたのか、忘れたのかい?」「なんのって、………っ!」

      あの子は、ここにいるべきじゃないよ

(聞かれていた)

ハッと口元に手を当ててももう遅い。視界の端のビクトールは、我関せずというようにビールを飲み込んでいる。ただひらひらと手のひらを振っていた。お前が連れて来た子だろう、と言っているように見えた。

けれど、自分にどうすればいいと言うんだ。は争いの似合わない子だ。砦で戦災孤児を、一時的に預かることはある。だいたいそういう子どもはビクトールが連れ帰り、いつまでもいる訳にはいかんだろう、と彼の馴染みの市長から、新たに家をさがしてやる。
いつも繰り返していることだ。

は、争いの似合わない子であることくらい、すぐさまわかった。ぼろぼろ涙をこぼして、ごめんなさいと謝って、ひぎゃあとよく叫ぶ、気の小さい子で、野菜に水をやって、泣くことと同じくらい、笑顔な得意な子だ。そんな子はこんな場所にいるべきではない。さっさと出ていくべきだ。
それ以上、自分に言うことはない。

今ここで彼を追いかけたところで、一体何の弁解ができるというのか。ただ、大人から、子どもを手放す言い訳しか言うことができない。そんな言葉を押し付けたくない。俺は力いっぱい酒をカウンターの上に置いた。すっかり酒は醒めていた。もともとそんなに飲んでもいない。コップごと拳を強く握って、赤くなった指先を見つめる。俺が迎えに行くべきではない。ビクトール、と声をかけようとしたとき、「なにしてるんだい、フリック」 レオナの呆れたような声が聞こえた。
「けじめをつけろって、誰があの子に教えたんだい。あんたはあの子を拾って来たんだろう。お手本ぐらい見せな!」

ふーっとキセルの煙を正面から叩きつけられ、軽く咳き込んだ。「ぶつかるんだよ。子どもはとんでもない方向をイコールで結んで、裏切られたと悲しくなるからね。それは違うんだとちゃんと説明してやるんだ。それがあんたのけじめだよ」

      悲しませるんじゃないよ。

(悲しませるんじゃないよ)
立ち上がった。外のドアへ足を放り出し、駆け抜ける。「おい、フリック!」 投げつけられた剣を、ぱしりと片手で受け止めた。ビクトールはニマッとビールを飲み込み、「ここらも、滅多にモンスターはでねぇが、一応夜だかんな。さっさと行って戻って来いや」 俺は剣を、    オデッサを    握りしめ、ああ、と頷き、駆け抜けた。



***


フリックさんは、僕の事が嫌いだったらしい。
びっくりだ。
びっくりだ。
びっくりすぎて、なんにも考えたくない。「う、うああ、ああ」 涙をこぼしすぎて、僕の瞳は溶けてしまうんじゃないだろうかと思った。出て行けと言われるくらい、僕は嫌われていて、それなのに、フリックさんやみんなはニコニコ笑ってくれていたらしい。

大人ってずるい、大人ってひどい。胸の中が、ぐっさりさされたような気持ちで、僕は足元がぐらぐらしているような気がした。大丈夫、と無条件で信じていた場所が、全然大丈夫じゃなくって、僕が一人でそう勝手に思い込んでいたらしい。僕、バカすぎる。


真っ暗な外を歩くのは久しぶりだ。一人で山の中にいたときは、何度も見上げた空だったけれど、久しぶりのそれは、いつもよりも悲しくて、寂しくって、苦しかった。ふと、両手を見つめた。大切だったから、寝る時だって抱きしめて、ずっとずっと手に持っていた手袋が、僕の両手にはまっている。僕の手には全然合わないぶかぶかの手袋は、つい少し前まで、とても誇らしい気持ちだったのに、今はただ情けなくって、空しくなるだけだった。

手袋を脱ぎ捨てて、そのまま地面に投げつけようとした。でもできなかった。僕はぼろぼろ涙をこぼして、ぎゅうっと手袋を抱きしめ、道の真ん中に座り込んだ。「ふ、ふりっく、さ……」 僕、そんなに嫌われてたなんて、知らなかった。

だったら言ってくれたらよかったのに。そしたら僕は勝手に出ていく。どうすればいいか、どうやって生きていけばいいか、全然わかってはいないけれど、それでも出ていかなければならないことくらいわかる。「あ、う、……く」 喉が辛い。ぽろりと溢れる雫は鼻をつたって、肌がひりひり、べたべたとする。手でぬぐうと、もっと辛くなることを知っていた。だから僕は涙を流したまんま、その形のまま座り込んでいた。

ふと、ぴりりと左手の紋章が悲鳴を上げた。


ここは危ない。
覇王の紋章さんが、そう教えてくれている。モンスターが近くなると、さあ逃げろ、と彼はそう教えてくれる。けれども僕は動かなかった。もうどうでもいいや、と考えていたのかもしれない。なげやりだったんだ。体育座りをしたまま、ピクリとも動かない僕を、覇王の紋章さんは叱咤するようにビリビリと電撃を繰り返した。けれども僕は動かなかった。もう本当に、どうでもよかったのだ。
(…………ぼく、いなくなっちゃってもいいや)



    !!」


大きな怒声と共に、僕は脇腹をひっさらわれ、彼はひゃっと剣を振った。ぴしゅんぴしゅんぴしゅん、と目にも止まらないスピードで、斧を持ったうさぎたちを解体していく。夜だから、ぱっと飛び散った血を見ることはできないけれど、鉄臭い匂いが、むんと漂う。僕はぽかんとして、僕を抱き上げた男の人を見上げた。

フリックさんは暗がりの中、怒ったように目を見開いていて、僕を一旦地面に下ろし、剣を鞘に入れた。会話がないことが怖かった。僕はぎゅうっと手袋ごと体を抱きしめて、「お、怒ってる、ん、ですか……?」

搾り出した声は、とても小さかった。フリックさんは驚いたように顔を上げて、図星をつかれたように口元を中途半端に笑わせて、表情を固まらせた。「え? なんでだい? 俺が?」 とりあえず、帰ろうか、と手のひらを伸ばしたフリックさんから、僕はぎくりと足を一歩下がらせた。フリックさんは少しだけ目を見開いて僕を見た。僕は力いっぱい首を振った。「い、いや、です……」

じくじくと、左手が痛い。けれどもそれに逆らうように、声を張り上げる。「いやです、嫌です!」

フリックさんは、少しだけ瞳を悲しげにさせて、僕と同じくらいに腰を下ろし、「理由を聞かせてくれるかな?」
      理由だって?

カチンっと頭にきた。
、お前は怒らないやつだなぁ、もっと怒ってもいいのにさぁ、と笑うクラスメートを思い出して、怒る理由もないんだから、怒る必要なんてないじゃないか、とあのときは思ったのに、心の中がふつふつと泡立って、どっかん、と全部が溢れてしまうような、そんな気持ちを怒るっていうんだ、と今はじめて、僕は知った。握りしめた拳が、ぶるぶると震えている。我慢することも忘れて、僕は叫んだ。力いっぱい叫んだ。「フリックさんが、僕を嫌いなんでしょう! だから、出て行けって言うんでしょう!」

だったら直接言って欲しかった。
あんなふうに、こっそり言って欲しくなかった。

それはただの建前だ。本当は、フリックさんに嫌われてるということだけが悲しかった。けれどもそんなことを言っても仕方がないことくらい理解してる。だから、あっちが反論できないようなことを先に言うんだ。
「だから、もう嫌です。お、お世話になりました! もうコンイッサイ関わりませんので、ご安心をっ!」
「コンイッサイじゃなくて、金輪際じゃないの、か……?」
「どっちでもいいでしょう!!」

言うべきところはそこじゃないだろう。
涙なんて、すっかり乾いていたはずなのに、じわっと膜に溢れてくる。けれどもそれを誤魔化したくって、僕は精一杯ほっぺをふくらませて、雫が溢れるのを我慢した。「き、きらい、なんでしょう……」 なのに、一言言葉を発した途端に、ぼろりと決壊してしまった。

「ちがう!」
フリックさんは慌てたように手のひらを出して、「それは、違う。、ここは危ないんだ。リューベの村との約束は、十分に果たしたと俺は思うし、ここは戦争するための場所で、休戦条約を結ぶという噂もあるが、それもまだ……ああ、えっと、休戦っていうのは、戦いをやめるってことで、その、」 フリックさんはあわあわと手のひらを動かし、「違うんだ。ここにいたら、お前は怪我をするかもしれない。それが、俺は、嫌で……」

だから、と、言葉にし辛いように頭を引っ掻いて、ひたすら困った顔をするお兄さんを見て、僕はなんとなく彼の言いたいことを理解した。
けれども、分かりたくはなかった。それはただ、意地のような気持ちだったのかもしれない。フリックさんの話を、しっかりと心で受け止めるには、僕はまだまだ小さいのだ。ぶわっと溢れかえった気持ちの波は収まらなくって、僕はフリックさんめがけて、ばしん、と両うでを振った。フリックさんは大して痛くもないらしく、びっくりしたような表情をするだけだった。

「なんで!」 僕は言葉にもならないような、勝手な気持ちを叫んでいて、何を言っているのか、僕自身にも、ちょっとよくわからなかった。「なんで!」

「何で、そんなこと、フリックさんが、勝手に!」

かってに、決めるんですが……、と言いながら、本当は心の底でわかっていたのだ。僕はお世話になっているだけで、フリックさんたちに甘えっ子をしていただけなんだ。
泣いて、ぶつかるだけは子どもの武器で、卑怯なことだ。そう思っていたはずなのに、気づいたら僕はフリックさんにすがって大泣きをしていた。「僕は、フリックさんと一緒にいたい!」 耐えかねたように、フリックさんは僕を抱きしめていた。

男の人が、力加減なんかも忘れて、ぎゅうっと力いっぱい。苦しかった。けれども僕は苦しいだなんて言わないで、おんなじくらい、ぎゅうっとフリックさんにすがりついた。フリックさんは大きな手で僕の頭を撫でると、ぐいっと自分の肩口に僕の頭を押さえ込んだ。そして何度もよしよしとした後、今度は僕の肩辺りに、頭を乗せた。

会話なんてなかったけれど、僕が泣き声を上げるたびに、フリックさんは、ぎゅうっと僕を抱きしめた。まるでそれがフリックさんの返事みたいで、僕は嬉しくて、泣いている自分が悲しくって、恥ずかしくって、涙が枯れるまで泣きつくした。
(ぼくは)

(フリックさんと、一緒にいたい)



***


夢を見た。


いつもは僕の左手に刻まれている、奇妙な紋章が、丸いガラスのような球体の中に入り込み、ふわふわと宙を飛んでいた。僕は体育座りをして、覇王の紋章さんを見上げていた。
彼はなんにも言わなかった。だから、僕は、フリックさんに訊いたみたいに訊いてみた。

「…………怒ってるの?」

この人、(……人?)は、帰りたい、と言った。どこかに還りたい。そして僕にくんを見せた。きっとこの人は、くんの元へ行きたいのだ。けれども僕は、フリックさんと一緒にいたいと思ってしまった。
これが僕のケツロンで、答えだ。だから言い訳する気持ちもないし、恥ずかしがるつもりもない。怒られるのなら仕方がない。他の人のところへ行ってください、と言うだけだ。

けれども覇王の紋章さんは、びりびりをする訳でもなく、怒り狂う訳でもなく、ただ静かに、ふわふわと浮いているだけだ。何だか拍子抜けだなぁ、と膝の間に顔を入れると、彼、(……彼?)は、真っ白な空間の中、とーん、とーん、と太鼓を震わせるように、言葉を落としたのだ。



  お前は 正しい


  道 を 進め


  思うが まま の 道を      進め





ただ、それだけ。




  

2011/09/07

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