はじまりの日





僕はレオナさんのお店を手伝うことになった。数字は得意なので、お会計をもらって、計算をして帳簿に記入する。

数字は元の世界と同じだし、文字の方も、なんだかんだと言って似ている。一人で辞書を片手に表を作ってうんうんしていると、ビクトールさんがひょいっと僕の後ろから顔を覗かせたので、「きゃー!」と叫びながら転がった。「なんだ、なんかエロいもんでも見てたのか」「ち、違いますよー!!」

僕はまだ小学生なので、そんなもの見ませんっ!! と必死に表を抱きかかえてバタバタしていると、「小学生ってのは何だかわからんが、なんだなんだ。何を隠してるんだ見せやがれ」「いーやー!」 ひんむかれるかと思った。

これは僕の世界の言葉であって、彼らに見せてはいけないものだ。僕は力の限り全力で疾走して、しばらくたってから、こそこそビクトールさんを窺ってみると、彼は鼻歌を吹きながら、さっきのことなんてまったくもって忘れた顔をして、「おー、、風呂あいてるぞー」
……見られたのが、熊さんでよかったなぁ、と心底感じた。どうやら先ほど僕のことを追いかけ回していたことは、すっかり忘れてしまったらしい。なんだか逃げ損だった気がした。


まあ、とにかく、僕は砦のお掃除をポールくんと一緒に頑張って、リューベの村のお手伝いをして、レオナさんの隣でお勘定を頭の中でパチパチさせる。毎日忙しくって、覚えることもたくさんだけれど、僕は嬉しくってたまらなかった。お金の計算を任せてもらえるということは、うんと信用されているということだというくらい、小さな僕にも分かったからだ。

だから精一杯間違わないように頑張って、トウタくんに文字を教えてもらって、ちょっぴり疲れたら、フリックさんと一緒にお風呂に入って、熱々のドラム缶で一緒に入るお風呂は、ふいーっと思わずため息が溢れるくらいに気持ちがよかった。フリックさんと、同じタイミングでため息をついたものだから、僕らは目を合わせて、なんだか面白くなってしまって、ケラケラ笑った。不安もちょっとずつ消えて行った。

      休戦協定、というものがされたらしい


僕にはよく分からないけれど、戦争を一旦お休みしましょう。というお約束らしい。それはきっといいことだ、と僕は思ったのだけれど、戦いが終わってしまうと、砦のお仕事が減ってしまう。そうなるとお金もなくなってしまう訳で、僕はレオナさんのお勘定を叩きながら、それをとても実感した。このまま僕はここにいていいんだろうか、とぎゅっと唇を噛みそうになる。

でも、僕がここにいたいって言ったんだ。僕は我侭を言ったんだから、今更どうしようだなんて思っちゃダメだ。ここにいてもいいですか、フリックさん。ぼく、迷惑じゃないかな。そう言って尋ねてしまいそうになる自分がいる。でも、迷惑なのは最初からわかりきってることだ。もし、僕がそう訊いたら、フリックさんは苦笑して、「大丈夫さ、そんなことはない」と言うだろう。そして僕は安心するだろう。わかっている返答を訊いて、言葉を言わせて、自分がホッとするだなんて、ヒキョー者だ。だから言わない。言いたくない。でも不安だ。言わないけど不安だ。


そんな僕に気づいたのか、フリックさんはぼんやりお風呂に入りながら、ぼーっと空を見上げた。「、平和ってのはいいもんだな」 そう言って僕の頭を撫でた。「うん、いいもんだね」

フリックさんに会えて、ぼく、本当によかったなぁ、と左手をぎゅっと右手で握りしめた。



***


「あの、ぼく、呼び捨てしてくださって大丈夫ですよ!」
「そう?」

にこっとさんは笑って、「それじゃあ、トウタ、ゲンゲン、れっつらごー!」「ゲンゲンは、ゲンゲン隊長だぞ!」 ごーごー! とみんなでビシッと右腕を上げながら、僕らはポールくんに見送られながら、発進した。レッツらゴーである。


外の世界は怖い。
そのことを、ちゃんと覚えておかなくちゃならない。この世界にはモンスターがいて、フリックさん達が毎日剣を持っているのは、そいつらを倒すためでもあって、この世界には魔法のような力もある。それは紋章と言って、手のひらに宿したりして、火を生み出したり、水をひっかけたりという、僕らの世界で言えば、ミスターマリックもびっくりな世の中なのだ。

つまり、僕の左手のくっついている覇王の紋章さんも、そんなビックリドッキリ能力を持っているかとおもいきや、「あ、こっちはモンスターがいるから行くんじゃねぇ」「おら、てめえ覇王の紋章さんとちゃんとさん付けしろさん付け」とか主張して、僕にビリビリと電撃を食らわせるばかりである。ちなみに紋章さんは基本的に無口なので、これらはすべて僕のアフレコである。

「ねぇねぇ、
「はい?」
といたら、モンスターに遭わないってトウタに聞いたんだけど……本当なの?」

さんは、まるで絵本の孫悟空みたいな輪っかを頭にしていて、首を傾げると、きらりと輪っかが反射した。僕は、頷こうとして、ちょっぴり苦笑した。僕の特技という訳じゃなくて、紋章さんのお力だからだ。僕がもじもじしていると、さんは少しだけ不思議そうな顔をして、まあいいか。という感じにニコッと笑った後、手の中で武器をくるくるといじらせた。
(武器かぁ……)

僕は自分の両手をじっと見つめて、ランドセルの背中に入っているジョウロを思い浮かべた。あえていうなら僕の武器はこれだけれど、なんだかちょっとだけ微妙だ。ゲンゲンくんはなんだかんだと言って、”ユウカンなへいし“だし、トウタくんはお薬を使える。さんはよく分からないけど、やっぱり戦える人なんだろう。僕の特技と言えば。(…………暗算?)


数学を叫んで相手の魔物が混乱した隙に逃げるとか、とちょっと考えて、いやあ、それはないよ。と思った。今でこそ、なんとか紋章さんに頼って逃げているけれど、いつまでもそういうことはしていられない気がする。フリックさんもビクトールさんも強くって、かっこいいんだとポールくんは言っていた。今でも十分、お前は頑張ってるよ、とフリックさんは言うけれど、やっぱりモダモダしてしまう。

お役に立てるなら嬉しい。でも、みんな外に頑張ってるのに、僕だけ内っかわにいる気がする。レオナさんとか、バーバラさんも内っかわだけど、それは、まあ、女の人だからで。
僕ってやつは、とほっぺを一人でぐにぐにさせていると、リューベの村についた。それじゃあ、ここでバイバイですね。と僕はみんなに手を振って、いつものとおりお手伝いに奔走していると、見覚えのない人達がいることに気づいた。

もちろん、リューベの村は旅人さん達もたくさん来るので、そんなことは珍しくないんだけれど、上半身が裸で、体に鎖を巻いたお兄さんを見て、ぽかーん、と目を点にさせてしまったのだ。(こ、ここの世界の人たちって、変わった服を着てるんだなぁ……) い、いやいや。ビックリしたからって、そんな風に見つめちゃ失礼だ。ゲンゲンくんでお勉強したのに、僕ってやつは。

ぷるぷると鉢植えを抱えたまま首を振っていると、そのお兄さんの隣にいた、綺麗な長い髪のお姉さんが、やんわりとこちらの手を振った。ぼぼっと顔が赤くなって、頭を下げた後、僕はひゃーっ、と逃げ帰った。まったく、僕ってやつは!



帰りはさん達とは別々に帰ることになっていた。
慣れた道をてこてこ歩きながら砦に戻ると、入り口付近に見慣れないお兄さんがいることに気づいたのだ。長い金髪をぎゅっと後ろにくくっていて、上は真っ青な薄い布の服で、下はズボンにブーツを履いている。年齢はさんよりも、ちょっと年上くらいだろうか。これが俗にいう、イケメンさんというやつだろう。お兄さんはケンノンな目付きで砦の旗をみつめていて、僕はどうしようかな? と思ったのだけれど、僕がどうにか判断する前に、お兄さんが僕に気づいた。


ババッとものすごい目付きで僕を睨んだものだから、僕は、「わ、わひゃうっ」と悲鳴を上げてランドセルを抱きしめたまま、後ずさったのだけれど、お兄さんは、「子どもか」と口の中で小さくつぶやくと、口元をほんのりと緩めた。てっきり怖い人なのかと思ったけれど、そうではないのかもしれない。

それでも僕はお兄さんとほんの少しの距離を取って、じわじわと砦に逃げるように、彼に背中を向けないようにとゴルゴ的な感じで移動してみた。傍からみると、多分ちょっと変だ。
お兄さんはそんな僕を見てほんの少し苦笑した。「ねえ、きみ」「う、はい……?」「砦の子?」「う、……はい」

お返事してもよかったものなのだろか。「怖がらないで、なんでもないから」と、お兄さんは両手を肩の上あたりでひらひらと振った後、「ちょっとね。この砦の人に恩があって、ご挨拶に来ようと思っただけなんだ。でも、遅く来すぎたみたいだから、また今度伺うことにするね。それじゃ」 ニコッとお兄さんは笑った後、片手を上げて背中を向けて去っていった。

やっぱり怖くない人だったのかな、と思ったのだけれど、どうにもひっかかるものがあった。僕は急いでフリックさんのお部屋へと駆け上がって、「お、てめー、、フリックさんの邪魔すんじゃねー」と怒るポールくんに首根っこを掴まれながら、「フリックさん、フリックさん!」と手足をばたばたさせた。

フリックさんは、「お、。お疲れ」「はい、お疲れです……って、そうではなくー!」 ポールくん、はなしてはなして、とバタバタしていると、フリックさんは苦笑して、「放してやれ」
ポールくんはしぶしぶといった風に手を放すと、「迷惑かけるんじゃねーぞ」とビシッと僕の鼻筋に人差し指を乗せた後、それじゃあ俺はこれで。と部屋から出ていった。

「何かあったのか?」とフリックさんは首を傾げて、僕の前でしゃがんだ。言うべきかなぁ、言わないべきかなぁ、なんだか先生に言いつけるみたいで、あんまりよくないかなぁ、と一瞬考えたのだけれど、やっぱり言った方がいいや、とうんと頷き、特に意味もなく、フリックさんの耳元にこしょこしょとお話した。「入り口に、長い髪の、くんよりちょっと年上くらいの金髪のお兄さんが、じーっと砦を見てたよ。なんだかちょっと変だった」

変だった、と言いながら、我ながらちょっぴり子どもみたいな(子どもだけど)報告だな、やっぱり言わなきゃよかった、と思ったのだけれど、フリックさんは瞳をきゅっと釣り上げて、口元に手のひらを乗せた。そして、「知らせてくれてありがとう」と僕の頭をぽんぽん、と軽く撫でた。

僕は思わずもじもじして、うん、と頷いた後、「レオナさんのお手伝いに行くね!」とお部屋から出ようとしたのだけれど、「」 フリックさんが、僕を見ながら、「ありがとう」 もう一回、お礼を言った。

僕はへへ、と笑いながら、フリックさんにばたばた片手を振って、扉を閉めて、階段をかけ降りた。途中でずべっとすっころんで、兵士さん達に笑われた。さんはいない。下の牢屋にいるらしい。(なんで、さんは牢屋にいるんだろ……)

敵国の人間なのだ、ということはうっすらと聞いていた。でも、一緒にリューベの村に行ったし、案外自由にしているし、さんは悪い人のようには思えない。
(…………何か、理由があるんだろうなぁ) けれども僕にはよくわからない。休戦協定が結ばれて、まったりした空気も流れているというのに、敵国の出身だということだけで牢屋の中に入ってしまうものなのだろうか。(変だな)

僕みたいな小さい人間が、変だと思っているのだ。きっとフリックさんや、ビクトールさんだってそう思うはずだ。でも、そう思っていないからさん牢屋の中に入っている。つまりは僕にはわからない理由があるに違いない。
(やな感じがする)

わからないけれど、ムズムズする。
砦の兵士さん達にこんなことを言ったら、がっかりする人がいるだろうけれど、さっさと戦争が終わってくれたらいいのに。今はまだ、“休戦”しているだけだ。つまり、“戦うのを一旦お休み”しているだけで、今はまだ、戦争中なのだ。
     さっさと全部が終わったらいいのに。そしたらこんな、不安に思わなくってもいいだろう。



この頃、僕は夢を見る。

どこかの国の、王様になっている、夢を見る。



  

2011/10/08

作品トップにも記述していますが、エンドレスは一部残酷的な描写を含みます。

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