はじまりの日



「まさか、本当に通り抜けちまっただなんてな」
「ああ、そのまさかだ」

フリックは長い溜息をついた。真っ直ぐに峠に向かわなかったことは誤算だった。念のためにとリューベの村に寄ったものの、すでに彼ら二人はこちらの村へ足を伸ばし、半分入れ違いになるように、芸を商売とするジプシー達を旅の共に、すでに旅立った後だったらしい。なんとも要領のいいことだ。

それならばと急いで峠に向かったものの、砦を出た時点で明け方近くであったため、すでに昼を過ぎていた。
     さて、お前たち、もしかして人を通しやしなかったか? いいえそんな。自分たちはこの国境を守っている訳ですから。人っ子一人、アリ一匹。アリくらい通るだろう。そうですね、アリくらいなら。なら人間も通ったかもな。いやあ、まさかそんな。


延々と押し問答を続けて、ようやく見張り達が口を割った時には、すでに日が暮れ始めていた。苦虫を噛み潰したように、フリックとビクトールは苦い顔をして、

「さすがに今から抜けりゃあ夜になっちまう」
「確かに」
「まあ、あの死の砂漠を乗り越えた俺たちなら、行けねぇことはないかな、フリック」
「おいおい、勘弁してくれよ」
「ま、無理か」
「せめて仮眠をしてからだ」

ビクトールはにまりと笑い、「それでこそ俺の相棒!」 バシンと力強くフリックの背を叩いた。
軽い仮眠の後に、フリックとビクトールは夜の峠を駆け抜けた。見張りの兵士達は、「フリックさん、ビクトールさん、国境侵犯ですよ、さすがにお二人を通したとバレちゃあ、俺たち大変なことになります!」と青い顔をしていたが、まあそこらへんは自業自得という奴で、とフリックは頷いた。初めから達を通さなければよかった話だ。

おそらく達が屠ったであろう、点々と続くモンスターの死骸がいい目印である。「こりゃあ楽だな」とビクトールは自身の唇をぺろりと舐めた。「まあな。それにしたって、あの二人は見所がある」「誰かを思い出さないか、フリック」「我らがリーダーかい」 懐かしいな、とフリックは瞳を細めた。
瞬間、襲い来る獣に剣を振るう。どしゃりと地面に何かが叩きつけられる音が響いた。

(もし、あの二人がキャロに戻っていたなら)
     最悪、死刑だろうな。

彼らハイランドの少年部隊が壊滅したという報は受けている。ハイランド側はジョウストン都市同盟のスパイがいたと声高に叫んではいるが、こちら側はまったく、見当がつかない。いやただの衛兵である自身が知らないだけの可能性もあるが、少なくとも、そのスパイと言われる少年達には心当たりがある。(まあでも、彼らは違う)

目を見ればわかる、などと格好をつけるつもりはないが、本物のスパイだというのなら、何故故郷に戻る必要がある。むざむざ捕まりに行くようなものだ。彼らはおそらく無実の罪を着せられ、一生涯、口を閉ざすことになるだろう。

「胸糞悪い」「本当にな」 自身には珍しく荒れた言葉を口にした。同意するようにビクトールは頷き、向かい来る魔物の体を、乱暴に横薙ぎした。上と下、真っ二つに別れてお互い見当違いの方向に飛んでいく屍体にパチリと瞬きをして、「なあビクトール」「おう、どうした」「お前、俺のことをお人よしって言ったけどな、お前も大概だと思うんだが」 剣が、多少荒れてるように見えるんだが?

暗闇の中で、ビクトールは片手に松明を持ちながら、くいっと唇の端を上げた。
「世の中似た者同士は反発するか、その反対かしかないのさ、相棒」




***



「…………フリックさん、元気かなぁ……」
「砦を出てからまだ一日も経ってないぞっ!」
「き、気分の問題だよう」

心配なものは心配でしょー!! とゲンゲンくんに、僕はバタバタ拳を振るった。「む、そうか。しかし、男子たるもの、どんなときも胸をはるのだ! それが“ユウカンなせんし“なんだぞっ!」「ぼく、チキンな小学生だもん……」「むむ?」
 なんでここで鶏が出てくるのだ? 食べるのか? とゲンゲンくんの尻尾がパタパタと動いていた。そういう意味じゃないよう。


「ううう、ううう、うううー……」 ぎゅぎゅっとランドセルを抱きしめながら、テーブルに顎を乗せてついでに額をゴリゴリしていると、「こら。行儀が悪いよ」とレオナさんに怒られた。砦の人たちは、「まあまあ、心配なるのもわかるわなぁ」と片手をバタバタさせて、にんまり笑う。

「でも大丈夫だ! あの二人は昔名の知れた戦士でな、風来坊ビクトール、青雷のフリックをしらない奴はモグリって言われたもんだ」
「フウライ棒のびくとーる、生来のふりっく?」
「そうだそうだ!」

俺たちの隊長と副隊長は、それだけすごい人なんだぞー! と、周りの兵士さんが肩をくんで、椅子にドンと足を乗せ、天井にビシリと指をつき出した。「あんたたち、静かに飯も食べられないのかいっ!!」「…………メーシッ…………」 かーんっ! とレオナさんからお玉が投げつけられた。あらやだ。

砦の人たちが、僕に心配をさせまいと気を使ってくれているのはわかる。けれども、安心はできなかった。っていうか、フウライ棒ってなんだろう。うまい棒といったいどう違うのだろうか。生来のフリックって、そりゃあフリックさんは生まれついてのフリックさんだと思う。一体何故そんなあだ名がついてしまったのか。いじめだろうか。どうしよう、反対に不安になってきた。「う、うあああうううう……」「、スープが冷めちまうよ」

レオナさんが呆れたように僕を見つめた。「ほら、さっさと寝て、明日もリューベの村に行くんだろ! いつ帰ってくるか分からないんだから、そんなにしょげこんでちゃ、フリックが帰るころには干からびちまうよ」「ひ、干からびっ」

そんなのなりませんよう、と僕はぶーっとほっぺたをふくらませながら、ずるずるとスープをすすった。相変わらずおいしい。



「じゃあ、おれんち来なよ」
「えー?」

次の日、リューベの村でお手伝いをしていると、鼻水を流した男の子が、ちらりとこっちを見た。「もー、また鼻水出てるよ、はいちーん」とぶぶー、と鼻をかんだ。うー、と唸るこの子は、僕の全財産20円をどこかに放り投げた彼である。20円どこいった。

「え、で、なんで? おうち」
「だから、フリックさんいないんなら、うちこいよ」
「えー、でもご迷惑じゃないかなぁ」
「いーよ。なら、かーさんも喜ぶよ」

かーさぁーん! と呼びにいく背中を僕は見送り、大丈夫かなぁ、とこそこそ後をついていくと、彼のお母さんが、「あらー、いいわよ。しばらくうちに泊まんなさいよ」「で、でも僕、砦の人たちに伝えないと……」「丁度あそこに兵士さんがいるし、聞いてきたら?」

ちょい、と指さした場所には、ポールくんがぼんやり顔で、道具屋さんの前をポテポテと歩いていた。「ぽ、ポールくん……?」「あ、ああ。か、どうした」 ポールくんもさんが心配なんだろう。彼はぼんやりしていた頭をパッと起こして、「そうそう。小麦粉だ。いや、薄力粉だったか? えーと、あー……」とウニョウニョ言いながらお店の中に入っていって、また出てきた。両手に小麦粉と薄力粉、両方を抱えている。両方買えば間違いはないだろう、と考えたんだろうか。ちょっとオウチャク過ぎると思う。
ポールくんは、相変わらず、心ここにあらず、というふうに、ぼんやりした顔をしている。ぶっちゃけ、僕よりも不安である。

「あのー、ポールくーん?」
「ん、ああ、か、どうした」

その流れはさっきやりましたが。「砦に帰るのか? それなら一緒に帰るか」「ううん、あのね、あの、お家にお泊りしないかって誘われて……」 そのときになって、ポールくんはやっとぼんやりしていた瞳をパチリと開けた。「お。いいんじゃねーか。前々から誘われてたんだろ。フリックさんも、たまには子ども同士遊ぶべきだって言ってたしな。レオナさんらには俺が伝えとくよ」

確かに、前々から何度もお誘いを受けていたのだ。そのたびにレオナさんのお手伝いがあるから、と言葉を濁していたのだけれど、レオナさんは「別に、こっちのことは気にしなくてもまわないよ」と煙のついていないパイプをくゆらせるふりをしていた。

「うん、そう、だね……」 今の僕がお手伝いをすれば、うっかりお会計の計算ミスでもしてしまいそうだ。だったらこっちの村にいた方がいいかもしれない。せっかくなので、お言葉に甘えさせてもらおう。うん、と頷くと、「ま、こっちのことは気にしねーでいいから。フリックさんが帰ってきたら、俺がおまえさんに責任持って知らせてやるよ。まったりしといてくれや」

うん、と僕は返事をした。
大丈夫、絶対に、大丈夫。




***

それから数日経って、フリックさんとビクトールさんは、さんのお姉さん、ナナミさんを連れて、何事もなく帰ってきたらしい。けれどもそのことを、僕は知らなかった。「は?」と首を傾げたフリックさんに、ポールくんはきちんと伝えてくれたらしい。

「迎えに行きますか」「いや、こっちもしばらくバタバタしそうだからな。もうしばらくあっちに行かせてやろう」 そう判断した。まあそうですね、とポールくんも頷いた。

それからすぐに、トトの村はハイランドの狂皇子、ルカによって滅ぼされる。ちょっとずつ、争いの足音が近づいてきていたのだ。フリックさんは慌てて武器を集め、戦いに備えることにした。そしてリューベの村の近くに住んでいる、神槍ツァイさん、(僕にはよくわからないけれど、すごい槍を直してくれる人だそうだ)の手を借りようと、さん達にツァイさんの元へと向かうようにとお使いを頼んだのだ。

そのとき、フリックさんは、「ツァイの元に行った帰りでいい。を拾って帰って来てくれ」と、頼んだ。わかりました、とさん達は頷いたのだけれど、フリックさんのこの判断が、僕の運命を、ほんの少しだけ変えた。

多分、どちらかというと。
悪い方に。


     僕の戦いが、始まるのだ。


  

2011/10/10

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