はじまりの日

     遠く、鉄の音がした。

?」
「え?」

僕はもらった麦わら帽子をひょいと上げた。相変わらず友人は鼻を垂らしていて、もう、汚いよう、はい、お鼻ちーんね、といつもならば声をかけるのに、どうにも今の僕は胸がそわそわと落ち着かない。何かに追いかけられているような、そんな気分だ。「、変な顔してる」「……そう?」 そうかもしれない。


おーい、くん。いっぱいお手伝いしてくれたから、休んでくれていいよ。うちの子と遊んで来ておくれー。

お母さんの声に、彼はパーッと目を輝かせた。「、ほら、あそびっ、あそぶ!」「え、うん、うん、待ってよう」 何にひっかかっているのか、自分自身、よくわかっていないのだ。だったら、気にする方が心によくないというものである。「じゃあ、なにする?」 彼の言葉に、僕はお任せするよ、と言おうとした。そのときだった。


目の前に、お兄さんがつったっていた。
片手に手袋をつけた、優しげな顔をしたお兄さんだ。(幽霊さん) 唐突に目の前に立っている男の人も、三回目ともなれば、さすがにあんまり驚かない。ちょっぴりビックリはするけれど、僕の手にくっついてる紋章さんだっておしゃべりするのだ。この世界に幽霊さんがいたって、全然不思議じゃない。

幽霊さんは、僕だけしか見ることができないようだった。僕がぼんやり幽霊さんを見つめていると、友達が不思議そうな顔をして僕を見た。ううん、なんでもない。と僕は首を振った。幽霊さんは、少しだけ悲しそうな顔をしていた。そして、ゆっくりと山に向かって指をさした。そして、いつもと同じく、すーっと背景に溶け込むように消えていった。

ー」 どこいくんだよー、とぶうたれた声にハッとして、僕はゆっくりと彼が指をさした山を見つめた。

「今日は、山に探検に行こうよ」

     あそこへ、行きなさい

なんだか、そう言われたような気がしたのだ。




あのとき、フリックさんに会う前、僕がお腹を減らして、ぎゅっと涙を堪えて入り込んでいた山の中は、鬱蒼と暗くて、怖い場所だった。けれども彼と一緒に足を踏み入れると、木々の間からキラキラとあかりがこぼれていて、ちゅんちゅんと聞こえる鳥の声も可愛らしくて、一体何を僕はあんなに怖がっていたんだろう、と不思議な気持ちでいっぱいになる。

魔物はときどきでる。けれどもそのときは、覇王の紋章さんが教えてくれるし、そもそも、魔物の出やすい場所と、そうでない場所があるらしい。土を見ればすぐにわかるよ、と隣で鼻をたらした友人に教えてもらって、「へええ、そうなんだー」と僕はじぃっと地面を見てみた。
(知ってることと、知らないことって、紙一重なんだなぁ)

誰かが、そういっていた気がする。知ってたら簡単だけど、知らなかったら怖いことばっかりなんだ。(お野菜に、ナマでかじりついてた僕みたいに) 他に食べ方もあったのだろうけれど、あのときの僕は、そんなことは全然気づかなかった。とにかく、食べないといけないと考えていた。「……お尻が痛いなぁ」 ふと、フリックさんにぺしこん、と勢い良く叩かれてしまったことを思い出したのだ。今でも思い出したら、色々と恥ずかしくなってしまう。

そんな僕を見て、彼はにまーっと笑った。「変な顔してる」「きみはお鼻がたれてるよ。はい、ちーん」「ちーん」 
何度目か分からない、慣れた動作で僕はティッシュを彼のお鼻にくっつけた。ぶーっとかんで、すっきりした表情で、彼はにこーっと八重歯を見せて笑った。「おれ、と友達になれてよかった」「うん? お鼻くらいいつでもかんであげるよう」「そういう意味じゃねぇよう」

ばかぁ、と舌っ足らずに彼は怒って、僕はなんとなくうれしくなって、へへへ、と笑った。二人でぱちん、と両手を合わせて、ケタケタ笑った。    そろそろ、戻らないと、彼のお母さんが心配するかもしれない。
僕がそう思ったとき、ふいに鼻にすえた匂いがした。
彼も気づいたのか、すんすんと鼻を動かして、眉を顰める。お互い嫌な顔をしていた。胸の中がどきどきいっている。何がが燃えている。何かが。



村が、燃えていた。



赤々と、真っ赤な炎を纏いながら、そいつはべろりと辺りの家を嘗め尽くしていた。「なんだ、どうした!」とびっくりして家から飛び出した男の人の背中にぐしゃっと剣が叩き落された。男の人はビックリしたような顔をして、自分の背中を見て、「いてえ」と呆然と口を動かした後、今度は首を跳ね飛ばされた。

その横で悲鳴を上げた女の人のうなじから、長い剣がずいっと差し込まれる。きゃー、と叫んでいたはずなのに、彼女の喉元からはがふがふと血ばかりが溢れて、ゲッと痰のような塊を吐き出しながら絶命した。


村は、ジュウリンされていた。
ギャクサツであった。


僕はただ、ぎゅっと友達の手のひらを握りしめ、その様子を隠れながら見つめていた。手のひらにはぬとぬとと嫌な汗が流れ、彼の手のひらも同じだった。口元が勝手にガチガチと震えた。その音をごまかすみたいに、口元を手で押さえた。体全体がぶるぶると一緒くたに震えていた。彼もそうだった。勝手に目尻から涙があふれていた。

それは、絶えず溢れるくすんだ煙による、生理的現象だけではなかった。悲しいときと、嬉しいとき。それ以外でも人間は泣くのだと知った。喉元から液体が溢れてくる。けれどもいけない。僕は荒い息をつきながら、それを飲み込んだ。何かが中途半端に詰まったようで、喉が気持ち悪い。
     なんで

どうして。

戦争をしている。
そんなことくらい知っていた。
知っているつもりだった。
戦争ってなんだろう。
それも、僕は学校の授業で知った気になっていた。
それと同じことを、フリックさんがしているんだと、わかっていた。



     進め!!
(バルバロッサさま)

時々、夢の中で剣を振るう、彼の戦を思い出した。(バルバロッサさま)
何であの人達は、警察に捕まらないんだろう。大勢の兵士たちが、目の前で剣を振り続けている。その中心で、ゲラゲラと大声で笑いながら、大きな剣を振り回す男の人がいた。(なんでだろう)
当たり前だ、この世界に警察はないんだ。だから捕まらないんだ。だから殺してしまってもいいんだ。そうなんだろうか。こわい。わからない。(     フリックさん!)

たすけて!!

そう、叫んだときだった。
目の前で、聞き覚えのある悲鳴が聞こえた。ついさっきまで、僕に優しく声をかけてくれて、遊びに行ってきなさいよ、と言った、「かあさん!!」 あっ


だめだよ、そう思った。
でも彼は、僕の手からするっと抜けて、お母さんの前に飛び出した。お母さんは彼に気づいて、その体で隠すように、彼の小さな体を精一杯包み込んだ。
一刺し。ニ刺し。三刺し。

でも、ダメだった。三回目になったとき、彼はぎゃあと叫んだ。お母さんは、必死に彼を抱きしめていた。背中の服に真っ赤な跡をつけて、彼を抱え込んでいた。死んでからも、ぎゅっと抱きしめ続けていた。兵士の人たちは、彼女を無理やりにどかせて、体を反転させて、彼を念入りに突き刺した。彼はもう、ぴくりとも動かなかった。僕はその様子を、ただ見つめていた。

      ルカ様のご命令といえど、子どもを殺すのは多少やりづらいな
      滅多なことをいうな。あっちの茂みから出てきたな
      ああ、確認してみるか。



ガクガクと震える体は、もう何の思い通りにも動かなかった。
僕も死ぬのだ。彼と同じく死んでしまうのだ。(いやだ) 死にたくない。(いやだ)いやだ、いやだ、いやだ。(      死にたくない!!!)

体をぎゅっと抱きしめたとき、左手が、何かを叫んでいた。僕の手を引き千切らんばかりにギリギリと手袋の中で圧迫し、けれども何か吐き出すような感覚もあった。左手のその感覚は、体全体に広がった。(拒絶する) 誰かがそう叫んでいた。(我は 拒絶する)

「すべてを、キョゼツする……」

そう、勝手に口がぽつりとこぼしていた。瞬間、ギャッと僕は叫んだ。何か蛇のようなものに締め付けられて、僕は息すらできなくなった。口元から唾が糸をひき、僕は体を押さえて丸まりこんだ。苦しい。足の指先までもまるめて、地面に転がった。
何か、感じたことのないものを、全身から搾り取られているみたいだった。

目尻からこぼれた涙を拭うことも出来ず、僕は地面に顔をついて、土の味を唇に感じながら、体を震えながら縮こまらせた。ざくり、ざくり、と兵士の足音が聞こえる。(死ぬ) 死んでしまう。
ころされる。


震え上がった体の上に、男の人が立っていた。焦げ臭いにおいの中でも、彼のぬっとりとした血の臭いと、鉄の臭いがはっきりと分かった。      剣が、振り下ろされる。
そう思った。
でも違った。

「誰もいないな」「ああ」
彼らは、そう言ってジュウリンされる村に戻っていく。
僕は口と瞳をぽかりと開けたまま、その様子を見つめていた。(なんで) 僕はここにいるのに。
ここにいるのに。

死の恐怖が去ってゆくことに、嬉しさは感じなかった。ただ、戸惑いだけが胸の中に残った。涙の奥でぼやける視界の向こう側で、たくさんの人が殺されていく。
知らない人もいた。旅人だったのだろか。
けれども、知っている人も、たくさんいた。いいや、僕はみんな知っているのだ。

僕に帽子をくれたおじさん。時々一緒に遊んだ女の子。道具屋のお兄さん。僕を捕まえてやる、と言っていたけれど、一番最初に、おしりを叩かれる僕を見て「いいやフリックさん、いいよそんな、そこまでしなくとも」と声をあげたおじさん。

ごろん、と腕が転がった。
その腕を踏みにじり、真っ赤な炎の中で、冗談のように白い鎧を血の色で染めて、歪んだ顔つきの男が喉を鳴らした。「女は犯すな! ただし、それ以外の全ての略奪を、凶行を、俺は許すぞ!! 一人残らず殺せ!!!」 ひるがえした青いマントと共に、大勢の兵士たちが剣を掲げ、声を張り上げた。僕はそのさまを、じっと見つめていた。

傍から見れば、随分コッケイな格好になってしまったかもしれない。僕は少しずつ口の中に酸素を含み、必死に鼻で息を繰り返して、ゆっくりと腕を伸ばした。煙を吸い込んで、咳き込んだ。届かない。全然届かない。遠い。すごく、遠い。黒々しい。言い表すことが、僕には何もできない。ただ黒い渦が辺りに渦巻いていた。みんな人の顔をしていなかった。魔物よりも、怖くて、シュウアクだった。

どうしてだろう。ほんのちょっと前までは、みんなが楽しげに笑っていたのに。休戦協定が結ばれたとは、いいことだね。でも、この頃ちょっときな臭いものを感じるよ。なあに、大丈夫だ。ビクトールの砦があるじゃないか。
あるじゃないか。
大丈夫だ。


そう言ってたのに。
全部が一瞬にして、ガラガラ崩れ落ちていった。気づけば、兵士たちは消えていた。左手の痛みもなくなっていた。真っ黒に燃えて、崩れ落ちた家の中から、ひょいと白い腕が覗いている。それは何かを探しているみたいに手のひらが折り曲がり、指が五本揃っていなかった。

彼と母親は、中途半端に燃えて、表面が焦げていた。目を見ることが出来なかった。僕は彼らの前にへたり込んで、ぼろぼろと涙をこぼした。
      何もできなかった。

きっと、普通ならこうやって後悔すべきシーンなのだ。
でも僕は、そんなことは全然思わなかった。だって、知っているのだ。僕に何ができる訳でもないことくらい、わかっているのだ。僕はただの小学生で、おこちゃまで、何故だか兵士に気づかれることなく生き残ってしまったけれど、ただそれだけだ。しょうがないことなのだ。

今、誰が村を滅ぼしたか、ギャクサツしてしまったのか。そんなことはどうでもよかった。ただなくなってしまったということだけが事実だった。
あの剣を振り回す男の人達の中に飛び込んでいったところで、僕は何をすることもできず、今ここにもいなかったんだろう。僕は生きている。よかった、と死んだ人を見下ろしながらそう思った。でも僕は知っている。(僕は) 彼を。

“見殺し”にしたんだ。

おかあさん、と飛び出した彼の手のひらを、なんであんなに簡単に放してしまったんだろう。なんで、なんにもできずに、突きさされる彼らを見つめていたんだろう。(おれ、と友達になれてよかった) 「あ……」 口の端から、小さな声が漏れた。

何が、そんな。僕が。
生きていてよかった。彼らみたいに死ななくてよかった。
僕は、“心の底から”そう思っている。そんな自分を知っている。ただそのことが、汚らしくてたまらなかった。そう思うことが、どれだけ嫌な人間なのかということがわかっているのに、それでも思い続けている。嫌な奴だ。嫌いだ。僕なんて嫌いだ。僕が死ねばよかったのに。そう思う気持ちは、表面上だけのものなのだ。

「あ、うああ……」

右手の手袋を取り、崩れた彼の手のひらを握りしめた。黒いすすが手のひらにこびりついた。「ひっ、あ、ああ……」 ごめんなさい。
謝って、なんの意味があるんだろう。


僕は声をあらん限りに、振り絞って、力の限りに叫んだ。彼らの死体に寄り添うようにして、泣き叫んだ。僕は泣き虫だ。周りの男の子達よりも簡単に泣いてしまう。そんなこと、自分で知っていた。でも、これはいつもの涙と違った。いつもは、苦しいことがあったり、悲しいことがあったりして、そんな気持ちを吐き出して、すっきりするために泣き叫んでいた。でも、今は違う。ぼろぼろと涙をこぼす度に、胸の奥がどんどん辛くなる。痛い。苦しい。鼻水が出た。服で拭った。彼の鼻水を、僕はもう拭うことがない。はい、ちーん、と言って、ぶーんとかんだら、ちょっと照れたように笑う彼はどこにもいない。

いるけど、いない。
「ごめんね、ごめんね、ごめんね……!!!」 目が溶けてしまうんじゃないかと思った。ふと、僕は誰かに抱きしめられた。もう僕は、全部がどうでもよかった。ただ体を反転させて、その人にすがりついて泣いた。青い服が目の前にある。フリックさんだ、そう思った。気のせいか、彼よりも小さい気がしたのだけれど、そのときの僕はなんにも考えていなくて、フリックさんだ、と思い込んだ。

「……なんで、こんな、くそッ、こんな……!!」

その人はぶるぶると手のひらを震わせて、僕の頭を胸に押し込んだ。「よかった、生きていてくれて、本当に、よかった……!!」 若い声だった。僕はただ、フリックさん、フリックさん、と言って、泣きついた。その人は、ぎゅうっと僕を抱きしめてくれていた。「何で、ピリカみたいな、小さな子ばかりが……!」

      ピリカとは、誰のことだろう。
そう思いながら、僕は、ゆるゆると意識をこぼし落とした。




  

2011/10/13

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