はじまりの日



バルバロッサ様は、剣を振るっていた。

ぐさっ、ぐさっ、ぐさっ

僕はバルバロッサ様のその姿を、じっと座って見つめていた。男の人が、わーっ、と両手を上げて、バルバロッサ様に突き刺される。口をぱくぱく動かしていたけれど、悲鳴は聞こえない。ぱたんっと、紙芝居のお人形のようにその人は倒れた。その次に、またすぐに別の男の人が、両手を上げた。わーっ。ぐさぐさっ ぱたん。わーっ、ぐっさり、ぱたぱた。

僕はどんどん人が死んでいく様を、ぼんやりと見つめていた。
ふと、バルバロッサ様は笑った。にんまり笑った。あれ、変だな、と思ったとき、バルバロッサ様の鎧は真っ白に変わっていて、真っ青なマントをバサバサとひるがえしていた。「死ね!!!!」 男の人が哂った。バルバロッサ様ではない、男の人が、剣を振り回して笑っていた。


「一人残らず、死んでしまえ!!!!!」






「ひっ、あっ、」

僕はベッドから飛び起きた。
だらだらと嫌な汗が流れて、体が軽く震える。シーツをたぐり寄せて、体をその中に埋めた。夢だ。夢だ。バルバロッサ様じゃない、知らない男の人が、嬉しそうに人を殺していた。(違う) 夢だけど、違う。(知らない人じゃない) 僕は心の底で、そのことに気づいていた。けれども知らないふりをしようとして、必死に布団の中で震えた。「…………?」 聞き覚えのある声が聞こえる。

!」
さん……」

さんが、ベッドに手のひらをかけるようにして、僕の顔を覗き込んだ。なんだかとても久しぶりな気がする彼の顔は、眉毛が八の字になっていて、しばらくじっくり見つめた後に、唐突に僕のほっぺたを両手でばしっとつかんだ。アヒル口になりながら、「ひゃん……?」 これはいったい? 「痛いところはないよね、大丈夫だよね!」「うい……?」 それとほっぺとどう関係が。

僕がしばらくフゴフゴ言っていると、さんは心底安心したように深い息をついて、「よかったー、一応確認はしたけど、やっぱり不安だったよ。まさかまで、あんなことになるなんて、思わなくて」「までって?」 どういうことですか? と訊くと、さんは、「ああ、うん」と片手を顎につけて、ほんのちょっとだけ優しく微笑んだ。「ジョウイがさ、すっごく心配してて。覚えてないかもしれないけど、を背負って運んだのは、ジョウイなんだよ」

僕が訊きたかったことと、少しだけ違うのだけれど、「そうなんですか」と僕は頷いた。そういえば、意識を失う前のことを、ぼんやりと思いだした。誰か青い服の人が、僕のことを必死でぎゅっと抱きしめてくれた気がする。てっきり僕はフリックさんだと思ったのだけれど、違ったらしい。(ジョウイさんが……)なんだか怖い人だな、としか思っていたのに、どういう人なのか、また僕はわからなくなった。

そしてそこまで思い出したとき、僕は唐突に胸の中がずきんと痛くなった。
(みんな死んじゃったんだ)

ごろりと体中の部位をどこかに落として、真っ黒に焦げて、地面に転がっていた。僕はぼんやり目を開けたまま、かたかたと手のひらを震わせた。さんが、少しだけ瞳を開けて、「」と困惑したような声を出した。だいじょうぶです、なんでもないんです。
そう言おうとしたのに、体は小刻みに震えるばかりで、何もすることができない。僕はぎゅっと瞳を瞑った。長く息を吐き出した。「」 さんが、今度はゆっくりと呟いた。「ちゃんと、帰って来たんだよ」 え? と首を傾げたとき、ぱたんと扉が開く音がした。


今更ながらに、ここは砦の中だったのだと僕は気づいた。扉の向こう側で、フリックさんがきょとんとして僕とさんを見つめている。帰って来たんだよ、という言葉が頭の中に思い浮かんで、僕はじんわりと目尻に涙が滲んだ。そしてすぐさまそれを頑張って飲み込もうとしたのだけれど、「ふりっくひゃん」と声を出した途端に、ぼろぼろっとこぼれてしまった。フリックさんは、ほんの少し瞳を広げて、ほっとしたように笑った。そうした後、ベッドの横にどすんと腰かけて、よしよし、と僕の頭を撫でた。さんは気づいたら消えていた。

僕はぎゅうっ、とフリックさんの服を片手で握りしめた。よしよし、とまたフリックさんが僕の頭を撫でた。僕はたまらなくなって、今度はぎゅっと両手でつかんだ。フリックさんが、ぐいっと僕を引き寄せて、ぽんぽん、と僕の背中を叩いた。僕はぼろぼろ涙をこぼしながら、ぽつりと呟いた。「ふりっくさん、お、おかえりなさい……」「ん、ただいま」

おかえりと、ただいまが反対だなぁ、と思ったけれど、僕はすごくすごく安心して、また泣いた。



***



砦は、慌ただしく、バタバタしていた。
狂皇子ルカ。あの青いマントの男の人は、そういう名前らしい。休戦協定は、そこらの紙よりも軽く、びりびりに破られて、ぱっぱと紙吹雪の中に飛ばされた。戦争が始まる。いや、ずっと始まってた。でもそれが、どんどん近くなる。
     フリックさん達は、戦うらしい

戦争に行くのだ。

そして、僕に何ができるかというと、何も出来なかった。細々としたことしか出来なくって、大人の半分、いいやそれ以下のお手伝いしかできない自分が、すごく悔しかった。子どもがぱたぱた動き回っていると、周りの人は困った顔をする。多分、本当なら、じいっと息を殺して、砦の中で小さくなる。それが一番に違いない。すごくすごく、悔しかった。何で僕は大人じゃないんだろう。
知らない人もたくさん増えた。ミューズ市からの応援らしい。それ以外にも、近くから集まった、新しい人達もいるらしい。

「…………あれっ、あのときの子だっ」

えっ、と僕は瞬いた。元気な明るい声にびくんちょとして、体をはねさせると、お姉さんがいた。けれども、レオナさんみたいな、本当のお姉さんじゃなくって、お姉ちゃんと言った感じの、僕よりいくつか年上の短い髪が似合う可愛い女の子だった。「えっと……」「私、ナナミ、のおねーちゃんだよ、元気になったんだねぇ」 よかったよかった、とナナミさんは僕の頭をぐしぐしと撫でた。

あ、この人がさんのお姉さんなんだ、と思うと、なんだかすんなり納得できた。にっかり笑った笑顔が、すごく似ている。さんは、ちゃんとお姉さんに会えたんだ。「あの、その、お姉さんは……」 何をしてるんですか? と首を傾げたら、「武器の点検っ。ほんとはご飯を作ってあげたかったんだけど、あんまりふらふらするより、一つに集中した方がいいよってジョウイが言ってたから」

そう言って、ヌンチャクみたいな武器を、ひゅんひゅんひゅん、とお姉さんは振り回した。僕はぼんやりその様を眺めていたのだけれど、「えっ」 もしかして、と体が飛び跳ねた。「な、ナナミさんも、戦うん、ですか……?」「もちろんっ」

私、お姉ちゃんだもの! と拳を握るナナミさんを見て、僕は目玉をぎょっとさせた。だって、僕の頭の中では、女の人は戦わないものだと思っていたのに。男の僕が端っこの方でぶるぶるしているのに、そんな、どうして、と心の中が、ずんと重くなった。ナナミさんは、そんな僕に気づくことなく、「ゲンカク爺ちゃん直伝、花鳥風月百花繚乱竜虎万歳拳を食らわせてやるんだからー!」 と気合十分に頷く。どうしよう、すごく強そうな名前だ。

心の中で、剣をびゅんびゅんと振り回すバルバロッサ様を思い出した。あんな風になれたら、と唇を噛んだ。「えーっとぉ……」 と、頭の上で、ナナミさんが困った声をあげた。あっ、と僕は気づいて、「僕、です」「そっか、くんか。がんばろーね!」 ぎゅっ、と可愛らしく握った拳を見て、僕は何も言えなくなった。何を頑張ったらいいか、全然分からなかったからだ。

ふと、ナナミさんの足元に、赤いマントをつけた動物が、もこもこと動いていた。「ひゃあっ」 僕は一瞬体を飛び跳ねさせた後、もう一回見つめてみる。「むくーっ!」 ビシッ、とその動物は敬礼をした。かわいい。かしこい。「う、うわあ……」「友達のムクムクだよ。くんに、よろしくって」「う、うん、よろしく……!」

むっくー! と彼(?)は、何度か頷いた後、僕の足に、その小さい手のひらを乗っけた。「えっ、えっ、えっ?」 よじ、よじよじ、とムクムクくんは僕の足をよじ登って、ほんの少しくすぐったい。うひゃあ、と肩を震わせると、気づけばムクムクくんは、僕の腰を通って、うなじを通って、頭の上に乗っかっていた。「え?」パシパシ、と何度か頭を叩かれて、ほんのり暖かい体温を感じながら、僕はぐるぐる混乱してきた。ナナミさんが、にこにこ笑って、「ムクムクも、がんばれだって!」
     一体、何をだろう。
やっぱり、わからない。



知らない人がたくさんいると、緊張する。砦はいつもより熱気があふれていて、おにぎりを作るだけで大変だった。僕のおにぎりはくしゃっと潰れていて汚かったけれど、それでもないよりもマシに違いない。途中、背中に矢筒を構えた、白い大きなわんこを連れた男の人が、ちらりと僕を見つめた。
偉いね、とでもいうように、微笑んで、片手をはたはた振られたので、僕もぱたぱた振った。その優しそうなお兄さんは、ごそごそとポケットの中を探って、手の中のもの確認して、もう一回僕を見ると、やんわり目の端を緩めた。そして、ぽいっ

「わ、」

小さな包み紙だ。中をあけると、赤い色をした飴玉が入っていた。「あ」 ありがとうございます、と顔を上げたとき、お兄さんとわんこは消えていた。僕は少しだけ暖かい気分になって、飴玉をポケットの中に入れた。
     あの人も、新しくやってきた人だろうか。

、ほら、手を動かすっ」
「ご、ごめんなさいバーバラさんっ!」


(フリックさんに、会いたいなぁ)
フリックさんは、すごくすごく忙しくて、僕なんかに構っていられないのだ。



お洗濯物を入れたかごを抱きしめて、ぱたぱた廊下を歩いていたとき、小さな女の子が目についた。(あれ) 知らない子だ、と思う。
砦には、ときどき小さな子どもが増える。それはセンサイコジとかいう奴で、しばらくこの砦で過ごした後、ビクトールさんのお知り合いの市長さんに頼んで、別の街に保護してもらうから、長く砦にいることはない。友達になっても、バイバイ、と手のひらを振ってお別れすることになるから寂しいけれど、僕は、ここにいたいと決めたのだから、それは仕方のないことだ。後悔なんてしてない。

多分、彼女もその、センサイコジなのかな、と思って、ちらりと目を向けた。くりくりと大きな瞳が、こっちを見つめている。じっと僕達は見つめ合った。「だれ?」 あっちの女の子が首を傾げた。「ぼく? 」「わたし、ピリカ」「新しい子なの?」「んー、わかんない、ピリカ、あたらしい子かも……」

ピリカちゃんは手のひらをもじもじさせた。僕よりずっと小さい。小学1年生くらいの子だろうか。「くん、ジョウイおにいちゃん、しらない?」「え?」 僕はぎゅっと洗濯かごを抱きしめた。
ジョウイさんの、妹さんだろうか。初耳だなぁ、と思ったけど、僕が知らないだけかもしれない。「んー……知らないなぁ……」「そっかぁ」

ピリカちゃんはそわそわと視線を動かした。
「ぼく、探して来てあげよっか」

彼女は一瞬ぱーっ、と顔を明るくしたのだけれど、ほんの少し難しい顔をした後、ゆるゆると首を振る。「んー、いい。おにいちゃん、この頃いそがしいみたいだもん」「うん……」「くまみたいなひとも、ずっとばたばたしてるし……」「う、うん」 熊みたいな人で、すぐさま誰だか分かるキャラクターの濃さである。

ピリカちゃんはしばらくもじもじした後、「あのねぇ、くん」と言いながら、ちらりとこっちを見上げた。「ピリカ、よくわかんないんだけど、みんな、なにしてるの?」「えっ、えっと……」 戦争だよ、と言えばいいんだろうか。僕だって、その言葉一つしかわかっていなくって、実際何をしているかと訊かれたら困ったしまう。

「う、ううん、うううん……」と、僕とピリカちゃんは一緒になって難しい声を出した。「う、うううん……?」「うん……」「えっと、僕もよく、わかってないんだけど」 うん、とピリカちゃんが首を傾げる。「守ろうと、してるのかなぁ。悪い人から」「わるいひと」

ピリカちゃんが、ソシャクするように言葉を繰り返した。「じゃあ、おとうさんとおかあさんは、悪い人にころされちゃったの……」とぼんやりとした顔で床を見つめる。疑問じゃなくて、確認のように彼女は呟いた。僕は何も言えなくなった。吐き出した言葉の割には、ピリカちゃんは悲しげな顔をしていない。「かくれんぼ、いつ終わるのかなぁ……」

彼女が言いたいことを、僕は全部を受け止めることはできなかったけれど、なんとなくなら分かった。「どうだろう……」 僕はただ、難しい顔をすることしか出来なかった。「くん」「ん?」「ジョウイおにいちゃんも、遠くに行っちゃう?」 行かないよねぇ。

僕は一回瞬きをした。「うん、行かない」 そして、お腹の中から声を吐き出した。よいしょ、とかごを置いて、ごそごそとポケットをさぐる。あった、と取り出した飴玉を、彼女の小さな手のひらの中に入れた。さっきお兄さんがくれた飴玉だ。人からもらったものをあげるのは、よくないかなぁ、と思ったけれど、きっとこれは、僕より彼女に必要なのだ。「フリックさんが、いるから、負けないもの」

「フリックさん?」
「青い人だよ。強いんだよ」
「ジョウイおにいちゃんも青いもん。おにいちゃんの方がつよいよ」
「フリックさんの方が強いもん」
「ジョウイおにいちゃんだよ!」
「フリックさんだよう!」

ぷーっ、とお互いほっぺたをふくらませていると、ひょいと階段からジョウイさんが顔を覗かせた。「ピリカ? どうしたんだい」「おにいちゃんっ」 ピリカちゃんは、ぱーっ、とお花みたいに微笑んで、ジョウイさんの足元にくっついた。ぐるぐると彼の周りを回っていると、ジョウイさんがよいしょとピリカちゃんを持ち上げて、抱っこする。ピリカちゃんは、きゃっきゃと嬉しそうだった。

仲がいいんだなぁ、と彼らを見上げていると、はっ、と僕は思い出した。「あ、あの、ジョウイさん」「ん?」 ジョウイさんが、ちらりと僕を見つめる。
     ジョウイがさ、すっごく心配してて。覚えてないかもしれないけど、を背負って運んだのは、ジョウイなんだよ

「あの、ジョウイさん、ありがとうございました……!」

さんの言葉を、もう一回思い出しながら、僕はぺこりと頭を下げた。
なんだかんだ言って、きちんとご挨拶もできないままだったのだ。顔を上げると、ジョウイさんはなんてこともない顔をして、「何が?」「えっと、このあいだの……」「ああ、別に気にしなくてもいいよ」

それだけ言って、ジョウイさんは背中を向ける。
その態度が、あのとき、ぎゅっと抱きしめてくれた姿とどうにもかぶらなくって、僕はまたよくわからなくなった。怖い人だと思って、やっぱり違って、それがまたやっぱり違うのかも。
(よく、わかんないなぁ……)

ジョウイさんとピリカちゃんが、ぱたんとお部屋の中に入る。「おにいちゃん、あめだまもらった!」「そうかい、よかったね」
ほんの僅かに聞こえた声が、何だか暖かいなと思って、フリックさんに会いたくなった。



「こらっ、!」
「ひゃうっ! あ、ポールくん」
「あ、ポールくん、じゃねー。なーに油売ってんだよ。いつまでたっても洗濯がおわんねー」
「わっ、忘れてた。ごめんなさい」

まったくもー、と言いながら、ポールくんは、僕が廊下の端に置いておいた洗濯かごをひょいと持ち上げた。僕が持つよう、と彼の足元でぐるぐる回ると、「ふらふらすんじゃねー」と、怒られた。

「ポールくん、フリックさんって、強いよねぇ?」
「あったりまえなこと訊くな。ビクトールさんもいれば最強だぞ」
「だったら、絶対負けないよね」

ポールくんは、かごを持ったまま、じろりと僕を見下ろした。「当たり前だろーが」「だよねぇ」
絶対負けないのだ。
悪い人に、負ける訳がない。絶対勝つのだ。リューベの村の人は戻って来ない。けど、すぐにまた、みんなでニコニコ笑う日が戻ってくる。
大丈夫だ、ぜったい、だいじょうぶ。

奇妙に左手がピリピリと傷んだけれど、僕はゆっくりと、心の中で言い聞かせた。

絶対、大丈夫



***


     あくまでもこれは、都市同盟による卑怯な戦略にて虐殺された、少年兵部隊ユニコーン隊の“弔い合戦”である。

そう主張し、休戦協定を投げうったハイランド軍相手に、僕ら傭兵隊は善戦した。
一度はハイランド王国第2軍団長、ソロン・ジーすらも押しのけたが、
圧倒的な数の差を前に、僕らは為す術もなく、敗退した。



  

2011/11/12

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