人殺しのぼく





ビクトールさんは、お腹を抱えて笑っていた。息も絶え絶えにテーブルをバシバシ叩いて、目をつむりながら腕を組んで椅子に座るフリックさんを指さして笑う。フリックさんの体はぴくりとも動かなかった。けれども眉毛だけがピクピクと動いていた。

「お前の運の悪さは前々から知ってたけどよ、まさかそんな、珍しくやらしい手まで使ったのに負けるだなんて、すくいようがねぇな!」

僕は右手にちらりと目を向けた。左手とは違う、あざみたいな模様がついている。指でひっぱってもとれないし、僕自身では外すことができない。新しい紋章だ。

フリックさんはとうとう重たい口を動かした。「うるさいな、まさかが、おくすりの紋章を知ってるだなんて思わなかったんだ」「え、あの、えっと、それは、トウタくんがつけてたから」 本当のことを言うと、覇王の紋章さんの力で、全部まるっと丸見えなのだけれど、それを言う気はない。

フリックさんはやれやれ、と言う風に首を振った。「想定外だよ」「ま、約束したんなら、守らなきゃなんねぇな?」 まったく他人事のようにビクトールさんは再びお腹を抱えて笑い始めた。わかってるよ、とフリックさんがつまらなさそうにつぶやく。

「それにしたって、トウタのもんを知ってたってのを除いても、中々運がいい奴だな。勝負なんてさ、結局最後は運なんだよ。そいつを味方にすることができる奴は、戦場でもどこでもめちゃくちゃつええ。強い奴は敵に回したくねぇ。けれども、運が強い奴もご遠慮したい相手だな。、お前、多分才能あるぜ。絶対強くなる」

好きに言いやがって、とフリックさんはつまらなさ気に呟いた。


***


フリックさんに、カバンを買ってもらった。
ランドセルは砦の中で燃えてしまった。そんなことをお母さんが知ったら、きっと怒るに決まっていたけれど、無くしてしまったものはしょうがない。僕はお金を使ってもらうことがとても申し訳なくて、そんなのいらないよ、と言ったのだけれど、フリックさんは「お前が持ってきた金で買うんだから、何の文句もないだろう」と笑っていた。
     カバンの中にはたくさんのおくすりを詰め込んだ。

それから、僕は新しい手袋も買った。本当はすごく嫌だった。フリックさんがくれた手袋以外、絶対に嫌だったんだ。けれどもフリックさんが、「剣を使うのに、サイズが違うものを使わせる訳にはいかないだろう。駄目ならあの話はなしだな」と眉を釣り上げたので、僕はそれにしぶしぶ従うことにした。けれども、買ったのは左手だけだ。右手だけがない形に慣れてしまったし、新しい手袋を使って、まるでフリックさんがくれた手袋を忘れるみたいで嫌だった。丁度片方だけしかない手袋が安くで売られていたので、僕にはラッキーだった。ぶかぶかの手袋は、カバンの奥にこっそりしまい込んで、いつか僕が大きくなるまで、大切にとっておくことにした。



ぶん、ぶん、ぶん。
そんなこんなで、僕は思いっきり剣を振り回している。「ちがうちがう。力で振るんじゃない。体で振るんだ」 フリックさんが、僕の前に立って仁王立ちをしながら首を振る。「こ、こう?」 ぶん、と刃をつぶした剣を振り回した。武器ばかりはたくさんあった。死んでしまった人の分だった。フリックさんは首を振った「違う。腕の力は抜いて」 ぶん。ぶん。

なんとなく、フリックさんの言いたいことは分かる。バルバロッサ様みたいに、と頭の中でイメージしても、体の方が上手に動かない。腕の力じゃなくって、体の力で。ぶん、ぶん、ぶん。「ま、練習あるのみだな。とにかく最初は剣に慣れることだ。思いっきり振り回して、体で覚えるんだぞ」

ポタポタっと汗がこぼれた。腕がじんじんといたかった。けれども僕は歯を食いしばって、剣を振り回した。ぶんっ




ビクトールさんが、樽の上に座って膝に肘をついていた。「そうそう、ほいっ、いち、に、いち、に!」 フリックさんがいないときはビクトールさんが見てくれる。「無理な動きはできねーんだから、しなくていい。振り回す力を利用するんだ。お前は小さいんだから、力で勝とうなんて思うんじゃないぞ」 ビクトールさんは、案外教え上手だった。僕は彼の言葉に頷く代わりに、ぶんぶん振り回した。なんだかうまくイメージがつかない。けれども、し続けるしかない。

剣の修行って言ったら、剣と剣をぶつけ合うものだと思ってた。でも、実際は全然違った。よくよく考えたら当たり前だ。たとえ剣を潰していたって、ぶつかれば痛いし、いきなり何をしろって言われても、僕は剣を持ってつったっておくことしかできない。「とにかく、振ることを覚えるんだ。話はそれからだ」 フリックさん達はそう言っていた。きっと、野球のスイングの練習みたいなものなんだ。僕は素直に、シュショウに頷いた。そして、フリックさんとビクトールさんの前でも、彼らがいないときも、ぶん、ぶん、と振り回した。レオナさんのお手伝いもした。空いた時間をみつけて、ぶん、ぶん。

けれどもさすがに宿の中で剣を振り回す訳にはいかない。フリックさんとビクトールさんに頼んで、僕は門の入り口で素振りをする許可をもらった。門を守っている兵士の人たちが、僕を見てにこにこ笑っている。「ぼうずー、がんばれよー」「ありがとうっ」 


     のやつら、一体どこにいるんだろうな

無心に剣を振り続けていると、ふと、フリックさん達が、声を落としてささやきあっていたことを思い出した。さん。ナナミさんや、ジョウイさん達と一緒に、彼らと僕らは砦を別れた。そろそろなのだ。もし、彼らが何事も無く、無事であったのならば、そろそろミューズへと着くはずだ。何事もなければ。
胸がドキッとした。

     、門番にも言ってるんだがな、もしが門を通ったら、まっさきに知らせてくれ

フリックさんは素振りに行く僕へと、そう声をかけた。僕は、うんっと何度も頷いた。言われなくてもそのつもりだった。
目の端に、誰かが通った。知らない人だった。もう一度門を見た。やっぱり知らない人だった。
僕は何度も落胆を繰り返して、また素振りを続ける。どうにもうまくいかない。もちろん、一朝一夕で上手になるだなんて思っていない。けれども、ちょっと変なのだ。なんでだろう。何がおかしいんだろう。奇妙な違和感が体の中にあった。
(あのとき、バルバロッサ様は……) どうしてたんだっけ、と僕は覇王の紋章さんを見つめた。このごろ紋章さんはずっと拗ねて口を聞かないので、別にお話するつもりがあった訳じゃない。ただ心の中で呟いただけだ。
(どうしてたっけ……)

僕は気づけば、手のひらを持ち変えていた。いつもは柄の上を右手で持って、左手を下にしている。それを反対にしてみた。左手が上で、右手が下だ。どうしてこんなことをしたのか分からない。敢えていうんなら“左手が知っている気がした”

僕は考えるままに、左の腕を基準として振り回した。するり、とまるで水の中を泳いでいるような感覚がふわりと広がった。「あれ」 僕はパチリと瞬きした。がちゃん、と剣の先を煉瓦の上に落として、瞬く。「これって」



瞬間、大地が震えた。



それはただの気のせいだった。恐らく、僕一人が感じる震えであり振動であり、息吹だった。
僕はただ、自身の野生に従って煉瓦の上を駆け抜けた。
     にげないと
何が、とか。どう、とか。そんなの全然わからない。分からなくたってもいい。ただ全身が叫んでいた。その場から逃げろ、逃げろ、逃げるんだ、いますぐ! 死ぬぞ!
覇王の紋章さんが、ガクガクと無いはずの歯を震わせながら叫んでいる。その勢いに、おくすりの紋章も震え上がった。僕はごめん、と謝るように、右手をなで、建物の影からほんの少し顔を出して、門を覗いた。
     もめている

誰と?

暫く待った。その間にも、心臓がどきどきして死にそうだった。


     真の 紋章


ここ最近、ツーンとすましてお口を開くことのなかった覇王の紋章さんが、重々しく喋った。しんのもんしょう。僕は言葉を飲み込む。紋章の気配は二つ。両方とも僕が知らない紋章だ。彼らはこちらに近づいてくる。逃げないと、と思うのに、足がすくみ上がって動かない。だって、僕があっちを分かるということは、あっちも僕を分かるに決まっているのだ。

逃げる代わりに、僕はごくりと唾を飲み込んだ。騒ぎの声が少しずつ大きくなる。僕は鞘に入れた剣を抱きしめた。これで何をしろって言うんだ。
けれども、僕の緊張はバカみたいにあっけなく消え去った。何度も瞬きをして確認したけど、現実が変わる訳じゃない。「え……?」 さん、ジョウイさん、ナナミさん。ピリカちゃんもいて、ゲンゲンくんに、飴玉をくれたお兄さんと、大きなワンコ。

彼ら兵士さん達にぎゅっとお縄で縛られてレンコウされて行く。「え、え、え」 僕は、パチパチ、と瞬いた。僕が気づいた気配は、彼らの中からやって来ている。あの怖い気配は、彼らの中にある。けれども彼らは僕に気づいた様子もなく、「違うんだってばー! ほーんとに、ほーんとに、私はヒルダでぇー!!」 ナナミさんが力の限り、必死に叫んでた。あの人達、何してるんだろう。

僕がきょときょとと瞬きを繰り返していると、覇王の紋章さんが、まるでため息をつくように重々しく呟いた。


別かたれて いる 

あれは  完全なる 紋章では   ない

我の  存在 に 気づく訳も     なし


なるほど、と僕は頷いた。「全然わかんない」 瞬間、ふざけてんのかテメェと言いたげに、ビリビリと電気ショックがはしった。なんだかちょっと久しぶりの感覚であった。「だ、だってわかんないもんはわかんないんだもん!」 僕はぷっと頬を膨れて、彼らの背中を見つめた。どんどん遠くなっていく。どうしよう。(フリックさんが知らせてくれって言ってたけど) 
まさか捕まっちゃうだなんて、想定外なんですが。


こんなところであわあわしてたて仕方がない。僕は剣を抱きしめて走った。バタバタ走った。とにかく、フリックさんに知らせないとけない。このまま大変なことになったらどうしよう。僕は一瞬じわりと涙が出そうになったけれど、泣いている場合じゃなかった。きっと一番泣きたいのは、僕じゃなくて彼らのはずだ。
(そういえば)

僕は全力疾走で走りながら、僅かな疑問を口にした。随分、紋章さんが気にかけていたことのようだったから。「真の紋章って、なに?」 覇王の紋章さんはスルーだった。突っ込む気力も失せたという感じに見えた。不親切な紋章さんである。
もう、と僕はほっぺたをふくらませて走った。
どうか、手遅れになりませんように。



  

2011/12/14

Material by Helium : design by I/O :: Back to top ▲