人殺しの僕







     お前の母は、未だあの街にいるな


さて、どうするか。どう選ぶ。何を選ぶ。自身の母を血に染めたいか。俺は悪だぞ。一人の女など、たやすく切り刻んでくれるぞ。さてどうする。何を選ぶ。ジョウイ・アトレイド……!!


「では、そのように」


幾度か見た、口元を黒布で隠した男は、そう僕に確認した。彼は僕の言葉を、あの狂皇子へと伝え、またこの街へと帰って、僕の姿を確認するのだろう。なんとも面倒くさいことだ。ルカに忠誠を誓っている訳ではないらしいが、奇妙な男だと勝手に打ちそうになる舌を、ぎゅっと噛み締めた。


と、僕らは勝利した。
けれども、それはただの一時的なものであることくらいわかっている。またすぐに二波が襲ってくるだろう。あの、すぐさましっぽを巻いて消えていった、ロックアックスの騎士達。ただ、腹が立った。信じたくもなかった。彼らに比べてしまえば、あの傭兵の砦の男たちの方が、よっぽど正しい騎士である。

何が間違っているのか。
何が正しいのか。

今、自身は敵国にいる。祖国を終われ、反逆の罪を被せられ、助けられ、ここにいる。争いは嫌だった。全てが終わればいい。けれども駄目だ。ハイランドも、都市同盟も、お互いがただぶつかり合うだけで、ただ屍が増えるだけだ。今日だけでも大勢が死んだ。ただ全てが死んでいく。どうして止められない。何故誰も止められない。何故止めようとしない。

あのジョウストンの会議に出席していたものたち全てが力を合わせれば。おそらくそうすれば、争いは集結する。時間はかかるだろう。しかし、少しずつ前に進んでいく。何故それがわからないんだ。ルカ。あの力は強大だ。けれどもあれは間違っている。何故外にあの力を向けるのか。別の方法があるはずだ。なのに何故。


ふと、男が自身を見下ろしていた。彼の名はカゲという。知っていることと言えばそれだけだ。男はふと瞳を細めながら、僕を見た。「なにか?」 皮肉げに肩を上げた。いいや、と彼は首を振る。「アナベルを、刃に」 このミューズの市長を。「わかっている」 吐き出した。


     お前の母は、未だあの街にいるな……

決して、あの言葉に惑わされた訳ではない。いいや、あの言葉がなければ、僕はこうして彼を向き合わなかったかもしれない。母の命が握られている。彼女は僕に背を向けた。けれども、自身にとっては、唯一の母だった。どれほど離れようとも、あの街が、母が、父が、僕らを遠ざけようとしても。
あの場所は、ただ唯一の僕の故郷であり、帰るべき場所だった。
懐のナイフを握り締める。こんこん、とドアがノックされる音が聞こえた。彼は一瞬のうちに窓から飛び去り、ひょこりとドアから顔を覗かせたピリカが、何か言いたげにちらりとこちらを見上げた。「どうしたんだい? ピリカ」

自身は笑えているだろうか。
声を失った彼女を、また不安がらせてはいないだろうか。
彼女は何も言わなかった。当たり前だ。
何も言えないのだから。







ふと、僕は顔を見上げた。
気のせいだろうか。「、どうした。子どもはそろそろおねむの時間だろ?」 ビクトールさんの大きな手が、ごしごしと僕の頭を撫でた。相変わらずのほろよいで、「お酒臭いよう」と僕がバタバタ暴れると、また楽しげに彼は僕を撫でた。隣ではフリックさんが、呆れたようにこっちを見ている。そしてジョッキをたぷたぷと揺らして、ぐいっと飲み込み、喉仏が動いた。

「お前もトウタも、頑張った分の例として、一緒に酒の一杯でも酌み交わしたいもんだが」
「ガキに無茶言うなよ」
「お前じゃあるまいし、無理に飲ませる訳ないだろう」

俺だって飲ませねぇよ、とビクトールさんはふんと鼻から大きな息を吐き出した。僕は口元にジュースを置いて、ちびちびと飲んでだ。ビクトールさんは面白げにこっちを見ながら、「ほんとに、いい拾いもんしたもんだ」

熊さんは、僕の頭をがしがしと撫でながら、ガハハと笑った。「おい、を拾ったのは俺だぞ」 フリックさんが、さすがに見かねたのか、ビクトールさんの手をぐいとどかせて、呆れたようにため息をつく。そんなフリックさんを見て、ついでにジュースを飲み続ける僕も見て、「おっ、そうだっけ?」と熊さんはぱちくりした後、まあいいか、と笑った。あんまり酔わない人なのだけど、めずらしくほろよい気分なのかもしれない。

僕はと言えば、顔を天井に向けて、一瞬にして消えてしまった紋章の気配を探った。またジョウイさんの部屋だったような気がする。確認しに行こうにも、今更手遅れだ。例え一時的なものだとしても、勝利の余韻に浸って、がやがやとお酒を酌み交わすみんなの雰囲気に飲み込まれて、気づくのが遅れてしまった。
気になると言えば気になるけれど、そこまで気にする必要はないのかもしれない。ちりちり、と紋章さんは震えていた。


「まあ、なんつーかな。はお前だとしてもな、やっぱり拾い運がいいんじゃねぇかね、俺は」
「また何を」
を拾ったら、ついでにジョウイもくっついてきやがった。今更わかってたことだが、あいつらはかなり筋がいいぜ」
「そうだな、お前の運に感謝しとくか」

ありがたいありがたい。と僕を挟んで、カチン、とジョッキを合わせる彼らが、なんだか羨ましかった。僕はオレンジジュースのコップを見つめて、ぼんやり彼らの会話を聞いた。さんと、ジョウイさん、そして彼らが集めてきてくれた仲間の人たちのおかげで、随分楽ができたということ。
そして二人はいくらかの相談事をした後、「そういえば」とふと思いだしたようにフリックさんが顔を上げた。「を拾ってきたのもお前だったな」「そういやそうだったな」

やっぱり運がいいんだろうなあ、お前に別けてやりてぇよ、とガハハと笑う熊さんに、フリックさんは生ぬるい笑みを浮かべて、ぐいっとお酒を飲み込んだ。フリックさんの運がどうとか、そういうことはともかく、僕はパチパチと瞬きをした。そして彼らの間に思いっきり体を乗り出して、ババッと二人を左右に見る。

さっきまでおとなしく聴衆人をしていた僕が、いきなり暴れるものだから、フリックさんとビクトールさんは、ぎょっとして僕を見た。僕はそんなことより、とバシバシテーブルを叩いて、「ふ、フリックさん、今、って言った? 言ったよね!」「ああ……」 それがどうした、というような顔をする彼に、僕はぷっと頬をふくらませた。「うそつき!」「う、うそ……?」 どうしたんだよ、とこっちに手を伸ばそうとするフリックさんをササッとかわしてビクトールさんの影に隠れると、まるでショックを受けたみたいに、ピクピクとフリックさんは手のひらを震わせた。


「フリックさん、くんのこと、知らないって言ってたのに、うそつきだ!」 僕、くんのこと探してるって言ったのに、とまさかの裏切りに、じろりと僕はフリックさんを睨んだ。くんを探すことは、僕にとってはとても重要なことだ。なんてったって、覇王の紋章さんが、彼に会いたいと言っている。直接そう言った訳じゃないけれど、多分そういうことなんだろうな、と僕は勝手に考えている。

僕をこっちの世界に連れてきたのはこの紋章さんで、紋章さんがくんと、バルバロッサ様に会いたいのだとしたら、きっとそれが目的で僕を連れてきたんだ。だったらそれが終わったら、僕はきちんと元の世界に戻ることができるかもしれない。紋章さんと戦ってやるんだと思いつつ、思いっきり下手に出ている自分がちょっぴり悲しいが、それはそれ、これはこれである。

そんな僕にとっての重要事項を教えてくれないばかりか、フリックさんは嘘をついたのだ。僕は思いっきり怒った。フンガイした。ふぎー!! と叫んでやりたくなった。フリックさんは「はあ?」と口をぽかんと開けて、「おい」「ふぎぎー!!」「……お前、人間以外の何かだったのか?」 そんな叫び声、ちょっと聞いたことがないぞ。

「おい、落ち着けって、おい」 とあわあわこっちに手を伸ばすフリックさんの手のひらを、片っ端からビシビシ弾いていくと、ものすごく珍しく、ビクトールさんが「まあまあ」と片手をひらめかせて、僕とフリックさんの間を仲裁しつつ、僕の首根っこをぐいっと掴んで、自分の背中からひっぱり出した。「で、お前。なんだ、お前のファンかなんかか?」 まさか知り合いってんじゃないよな? と疑い深げな声を出されたのだけれど、なんで僕がくんのファンということはありえて、知り合いというのはありえないのかがわからない。普通反対じゃないの。

「ち、違うよう、えっと、僕はえっと……知り合い?」 ではなく。「一方的に、知ってるっていうか……」「なんだ、やっぱりファンじゃねーか」「だからちがうよー!!」

なんで僕が年下の、それも男の子の追っかけにならなくちゃいけないのか。違うってばー! と必死に首を振っているのに、ビクトールさんは話し半分という感じで、「ああ、ああ、わかったわかった」と頷いている。だめだ、全然わかってない。「いや、ちょっと待て」 今度はフリックさんが、僕とビクトールさんの間に割り込んだ。「あのな、お前が探してると、俺が知っているは別のだ」 パチッと瞬く。

僕が意味わからない、というように首を傾げていると、「だからな」とフリックさんは親指と人差し指をこすりながら、こん、と拳をテーブルの上に置いた。「言ったじゃないか。お前が探してるは、よりも年下なんだろ? 俺が知っているは、そうだな……最後に会ったのは3年ちょっとは前だが、お前よりも年が上だったよ」

だから名前が同じだけの別人だ。とポリポリ頭をひっかくフリックさんを見て、僕はもう一回、きょとんと瞬いた。そしてフリックさんの言葉の意味をじわじわと理解して、かーっと顔が赤くなっていった。「お、恥ずかしがってるぞ」 思わず僕がテーブルにつっぷして、赤い顔を隠していたら、ビクトールさんがそう言って僕のお尻をぱしんと叩いた。ふぎー、とか僕、言っちゃった。

「まあまあ、誰にでも間違いはあるさな」 ぱしん、とまたビクトールさんが僕のお尻を叩く。「でもまあ、間違えたときはどうすんだっけか」 おかしいねぇ、随分前に、フリックがお前に気合を入れてやったと思ったんだが。ぱしこん。

三回目にお尻を叩かれて、僕はのそのそと顔を上げた。そしてテーブルの上に正座になって座って、フリックさんに向き合った。「…………騒いじゃって、ごめんなさい」 ぺこり、と頭を下げたら、「別に、気にしてないさ」とフリックさんは僕の頭をぐしぐしと撫でて、「そのってやつ、見つかるといいな」とほんの少し瞳を細めて、やんわりと笑った。


     そうやって、彼らがお酒を楽しんでいるのは、ほんのちょっとのことだった。

少しだけの休憩をして、さあ次だ、と彼らはすぐに宿屋のテーブルから消えていった。僕はというと、うとうとベッドの中に入り込んで、夢も見ないくらいにぐっすりと眠り込んだ。朝起きると、やっぱりフリックさん達の姿は見えなくって、さてどうしようかな、と朝ごはんをもぐもぐとしながら、トウタくんのお手伝いをすることにした。たくさんけが人が出てしまって、その分たくさんおくすりを使ってしまったから、トウタくんのお薬屋さんは、今はてんやわんやなのだ。

トウタくんと一緒におくすりを袋に詰めたり、倉庫の薬草を確認したりして、一日が過ぎていった。それからまた、僕は宿屋に戻って、うとうととベッドの中に入り込んだ。今日はフリックさんに会っていないなぁ。そんなことをぼんやりと考えていたとき、大きな鐘の音に目が覚めた。


遠くに聞こえるその音に、ぞっとした。
知ってる。僕はこの音を知っている。まさか、と眠気は一気に吹き飛んで、ベッドから飛び起きた。宿屋の人たちはみんな僕と同じように荷物を抱えて、ごろごろと転がり落ちるように入り口に消えていく。(とうとうやって来たんだ) ハイランド軍の兵士が、またやって来たんだ。

気づけば、警告を鳴らす鐘の音さえ聞こえなくなっていた。フリックさんは、さんは、ジョウイさんは、ピリカちゃんたちは。僕はただ必死に、フリックさんから貰った剣を抱きしめて、周りの人たちに押しつぶされそうになりながら宿屋の外に出た。

そのときになって、自分の間違いに気づいた。人の流れに任せるようにこんなところに来てしまったけれど、宿屋にいるほうが、みんなと合流できる可能性が高い。戻らないと、と振り向いたのも一瞬で、人の波に押し潰されるようにして、僕はどんどん移動していく。(どうしよう) どうしたらいんだろう。

ふと、近くで悲鳴が聞こえた。

どんどん悲鳴が大きくなる。大人たちの間から覗いた景色の中に、甲冑に身を包んで剣を振り回す男の人達の姿があった。僕は彼らを知っている。燃える炎の中で、剣を振り回して、街の人たちを殺していた。ハイランドの兵が、街の中に入ってきたぞ! 人々の叫びが聞こえる。彼らから逃げるようにして、街の人たちがぶつかるようにして消えていく。一瞬、がくりと膝が地面に落っこちた。「ぼさっとするな!」

全然知らない誰かに腕を引っ張られた。僕はハッとして立ち上がった。色んな人たちが、色んな悲鳴を上げて、混乱しながら逃げていく。逃げた先で、またたくさんの血が溢れる。
僕は、何かしようだなんて思わなかった。何かができるとも思わなかった。

紋章さんを持っている。フリックさん達から剣を習った。
そんなことは全部、忘れてしまっていた。周りの人達と同じように逃げて、生き延びようとした。倒れる人を乗り越えて、小柄な体を隠すようにして、僕はミューズの街を逃げた。一本の剣と、肩掛けの鞄を下げて、僕はただ一人、街から逃げ去った。





  

2012/03/05

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