新たな場所





小さなリスが、木の実を握り締めている。僕は葉っぱをかきわけて、にゅっと手を伸ばした。リスはびっくりしたように飛び跳ねて、ころりと木の実を落として去っていく。
その木の実をちょいと指先でつまんだ。ごしごしと自分のほっぺを甲でこすり、ついでに服で木の実をこすって口の中にいれた。


「すっぱい」
でもいける。

他の動物が食べてるんだから、きっと大丈夫だ、とたかをくくって、鞄の中に木の実を詰め込んだ。ばさばさして気持ち悪い頭をぶるぶると振って、ふいー、とため息をつく。ついでにまた、木の実をつまんでもぐもぐ食べる。「ふいー」


     ミューズの街から逃げ出して、数日。案外僕は、元気だった。





他の人の血で、いくらか汚れてしまった服は、なるべくゴシゴシと川の水で洗った。いくらか薄くはなりはしたけれど、別にそれだけだ。まあいいか、と僕は軽く鼻から息を吐き出した。
(何にも出来なかった)
そうため息を吐いて、ずるずると大人用の剣を引きずって、またどすんと木の幹にもたれかかった。けれども別に、落ち込んでいる訳じゃない。もちろん後悔はあるし、あれだけたくさん剣を振り回す練習をしたのに、全然意味がなかったな、と思ってはいるけれど、あんな付け焼刃で何かができると思う方が間違っている。多少なんとか、見える形にできたというだけだ。

とにかく僕は必死だったし、あの中で、何かができるとも思えなかった。ただ命と、剣と、鞄は落とさなかった。それだけでも十分すぎるほどだった。
じっと自分の手のひらを見つめる。開いた右手の指を、一本一本閉じていく。(いち、にい、さん、しい……) フリックさんに、教えてもらった方法だ。「おれは、いきてる」 ほんの少し、気持ちが楽になった。やっぱり少し、無理をしていたのかもしれない。当たり前だ。そうじゃない方がきっとおかしい。


こんな風に、森の中でひとりきりになるのは二度目だから、前よりは色んなことが上手になった。前に持っていたのはランドセルとか教科書とか、辞書だとか、どうすればいいかわからないものばかりだったけれど、今は大きな肩掛けカバンの中に生きていくための必要最低限なものがそろっている。前に鞄を買ってくれたとき、何かあるかわからないから、いつでも持っておけとフリックさんが揃えてくれたのだ。

気持ちは、いくらか楽だった。けれどもやっぱり暗くなった。
僕は、はー、とため息をついて、後ろの頭を幹にこすりつけた。こぼれてふらふらと落ちてきた葉っぱが、頬の上にのっかった。それをひょいと取って見つめていると、ふと、右手が何かを言っているような気がした。左手じゃない。右手の、おくすりの紋章くんだ。「おくすりくん?」 彼、(彼?)は、はっきりと言葉を言った訳ではないけれど、よし、お前、がんばれよと言うように、ぶるぶると震えていた。

他の紋章は、覇王の紋章さんを怖がる。僕も覇王の紋章さんも一緒だと、近づく度に逃げたい逃げたいと叫んでいる。特に封印球に入っている形ではもっと怖くなってしまうらしくて、僕はなるべく紋章屋には行かないようにしていた。けれどもおくすりの紋章くんは、別に僕を怖がってはいないらしかった。
実は額にも紋章が入るようだったので、一度試して紋章を入れてみようとしたのだけど、このおくすりの紋章以外、全部弾いて逃げてしまったのだ。それが五行の紋章ではないからという意味なのか、それともただちょっとこの紋章くんが変わっているだけなのかはちょっとわからない。けれども、なんだか僕は嬉しくて、よしよしと紋章くんを撫でた。なにかあれば、俺にまかせろよ! と言うように彼はぱっぱと叫んでいたけれど、その何かがないことを祈りたいなぁ、とちょっとだけ苦笑してしまった。

なんてったって、おくすりの紋章くんは、おくすりの紋章なので、おくすりを使わなきゃいけないような場面には、なるべく出会いたくないものである。けれども、そうは言ってられない。僕はふと、振り返った。いそいで剣を葉っぱでコーティングするように隠して、さかさかと木の幹を登る。枝にまたがり、そっと下を窺った。
     ハルモニアの兵士だ。


都市同盟の鎧ではない。複数人の男の人達が組を組んで、ガチャガチャと音を鳴らしながら、辺りを探索している。(ミューズの街から、逃げた人を探してるんだ……) これでも、随分少なくなった。前はひっきりなしに兵士の人たちが辺りを動きまわって、僕と同じく、街の周囲から遠ざかるタイミングを見失って、息をひそめていた人たちはたくさん捕まった。捕まったところで、殺される訳ではないらしい。紐でくくりつけられて、またミューズの街に連れ去られる。彼らが何をしたいのか、僕にはよくわからなかったけれど、とにかく見つかってはいけないと思った。

そう心の中で叫んでいたからか、おそらく僕は、自身を“拒絶”していたらしい。あの幽霊みたいなお兄さんが言っていた言葉だ。自身を世界から拒絶して、自分を見えないようにする。
紋章さんを使うことは怖かった。目の前で、頭を無くして転がってしまったあの兵士さんのことを、今でも時々考える。そしたらどんどんお腹が痛くなる。

けれども結果的に、僕はこうしてハイランドの帝国兵から逃げ通すことができた。気配を隠すことができるとは言っても、どうどうと目の前に出る訳にはいかないらしい。ほんの小さな音を立てただけでも、ふと彼らはこちらを向く。
リューベの村のときは、おそらく極限まで世界を拒絶していたのだと思う。ああなってしまっては、僕自身が苦しくて何もできなくなってしまう。何故あんなにも苦しかったのかと思いだしてみたのだけれど、多分、自分の外側と、内側がこすれ合って、そのマサツが全部僕にやってきたのだと思う。それに長くあんなことをしていれば、外の空気まで拒絶してしまって、呼吸をすることもできない。

紋章さんの力を借りることができるとは言っても、気を抜くことはできなかった。ちらりともう一度、葉っぱの影から確認すると、兵士の人たちがどんどんと遠ざかっていく姿が見える。姿が見えなくなって暫くしても、僕はそのまま辺りをシンチョウに見回した。するすると幹を伝って降りて、隠していた剣を取り出し、抱きかかえる。(そろそろかもしれない)

あれから随分の日にちが経った。いつまでもこんなことをしている訳にはいかないし、見回りに来る兵士の人たちのパターンはだいたい把握した。暫く前までは動くこともつらい状況だったけれど、今ならなんとかなるかもしれない。


これからどうするべきか、ということは、何度も考えたことだ。ミューズの街にはさんと、ジョウイさんはいない。近くの森に隠れてから数日経って、僕は覇王の紋章さんで、彼らの紋章の気配を探った。もっと早くに探ることができたらよかったのだけれど、その数日間の間は怒涛の日々で、寝ることすらも困難だったのだ。

彼らは多分、街から逃げたのだと思う。もしかしたら、と嫌な想像もしてしまったのだけれど、そんなことを考えたところでどうにもならない。とにかく、今がチャンスだった。もしこの機会を逃してしまえば、また身動きがとれなくなる。そうしてしまえば、僕がボロを出して見つかってしまうかもしれないし、根本的に食料が足らなかった。

ハイランドの兵隊さんたちが集まっている場所は、なんとなくわかる。真の紋章と比べて、気配はとても薄くて、頼りないけれど、五行の紋章たちが集まっている場所がある。とにかく、そこと反対に逃げなければと思った。人間がいる場所には紋章がある。紋章がいる場所には、人間がいる。あの兵隊さんから逃げて、また別の紋章が集まっている場所に行く。けれども、その目的地にさんや、フリックさんがいるとは限らないし、もしかしたら見当違いにハイランドの土地に行ってしまうかもしれない。(地図があればな……)

あったところで、方向がわからなければ意味がないだろうけれど、ある程度の目安にはなったはずだ。僕は地図の読み取りは得意なのだ。
不思議なことに、こっちの世界に地図というものはないらしい。あるけれども、売られる街からほんの身近な、近辺のものだったり、間違いだらけ、空白だらけのものばかりがお店で売られていて、だいたいこんなものかな、という参考程度にしか見られていないらしく、僕からすれば色々と不思議だ。地図があれば、迷うことがないのに、なんでみんなもっと重要なものだと気づかないんだろう、とフリックさんに訊いてみると、彼はきょとんとして僕を見ていた。そして、は賢いな、とゴシゴシと頭を撫でた。

「正直、俺がそれに気づいたのは三年前だ。ないものはないということで当たり前だし、街ひとつに住んでいれば、そう必要性には気づかない。地形や街の名前なんてゴロゴロと変わって、作ろうと思う職人が少ないってこともある。それに精巧な地図ができた所で、それが他国や、自国のものにばら撒かれてしまったら、国のお偉いさん方が困るんだよ」
「なんで、便利なのに困っちゃうの?」
「戦争で正確な情報があれば、それだけ有利にことが運べるからな。今のハイランドがこうもやすやすこっちに攻め込んできているのは、こっちの国の情報が、あっちの方に流れ込んでるんだろうな」


結局難しい顔になってしまったフリックさんの横顔を見ながら、ふうん、と僕は頷いた。そんなケチケチしないで、コクドコウツウショウを見習って、がっちりしっかり、地図の一つや二つ作って、僕らに教えてくれたらいいのに。そしたら僕がこんなに困らなくて済んだのだ。

まあないものにグチグチ文句を言ったところで仕方がないことはわかっている。とにかく僕は、ハイランドの兵士の気配と、反対方向に逃げることにした。モンスターの気配をかわしながら、僕は必死に旅をした。暫く前に、フリックさん達と旅をしていたときのことを思い出した。けれどもあのときとは違い、火を起こすのは最小限にして、なるべく木の枝にのぼって眠った。

夜に火を起こしていると、モンスターがやってくる。あるとき、覇王の紋章さんに起こされて、僕はその事実に気づいた。前のときは、フリックさんか、ビクトールさんのどちらかが火の番をしていてくれた。僕は一人しかいないし、モンスターの撃退なんて、出来る自信がない。どうしよう、どうしよう、と僕の足元でうろうろする狼みたいなモンスターに、ひいひいと小さくなりながら夜明けを待った。フリックさんから貰った刃をつぶされた剣は、うっかり木の根もとに置いてしまったのだ。

僕はちょっとずつ賢くなりながら、一歩一歩進んでいった。こっちに来たときよりも、僕はずっと体力がついたし、大きくなった。体のサイズがということじゃない。心がということだ。そう、心が大きくなった……かもしれない。やっぱりちょっと自信がない。
少なくとも、こっちの世界に来たときの僕なら、一人でなんとかしようとは思わなかった。とにかくミューズの街の近くの森でがたがた小さくなって、すぐにハイランド軍に見つかって、他の人達と一緒にミューズの街に連れ去られていただろう。
もしかしたら、殺されるのではなく連れ去られると知った時点で、僕は進んで彼らに捕まったかもしれない。


あんな人たちに捕まったら、何をされてしまうかわかったものじゃない。そう心の底では気づいていても、それに見ないふりをしたと思う。
できることなら、ギリギリまで頑張りたかった。僕は、他の人のために何かをすることはできないけど、せめて僕一人分くらいなら面倒を見ることが出来るようになりたかった。
でもときどき不安になって、小さく座り込んで、フリックさんに教えてもらった呪文を唱えて、指の数を数えた。俺は、生きてる、と呟いた。

自分の服の匂いをかいで、「うー、くさーい」とちょっと眉をひかめながら、歩いて行く。なるべく大切に、大切にと食べていた食料は、どんどん少なくなっていった。だからトウタくんや、今はもういない、死んでしまったあの子が教えてくれた木の実や草をなるべく食べるようにした。けれども、そう簡単に見つかるものではなかったし、僕が食べられるということは、モンスターだって食べることができるということなのだ。ご飯の穴場は、彼らに陣取られてしまっていることも多かった。

ぐー、と小さな音を鳴らすお腹を抱えて、僕は決意した。左手をぺしりと叩いて、「いいよね?」と声をかける。関係のない右手のおくすりくんが、わいわいと叫んでいる。一人旅なのに、なんだか一人じゃないみたいだ。

覇王の紋章さんは、しょうがねえなと言うようにため息をついた。いや、ついたような雰囲気を出した。しょうがない。これはしょうがない。戦おうとした相手に力を借りるのはしゃくだけれど、なんていうか、お互いのためなのだ。僕がお腹を減って死んでしまえば、紋章さんはまた次の誰かを探しに行かないといけないから、困ってしまう。もちろん僕だって大変困る。
だからこれは馴れ合いではなく、イヤガオウのしょうがない作戦ってやつだ。つまり、共闘ってことだ。




「…………やああっ!!」

左手を軸にして、ぐるりと僕は剣を振った。ごきり、と嫌な感触が手のひらを伝わる。この剣は練習用だから刃はない。撲殺しかできない。首を奇妙な形で折った兎がぼとりと草の上に倒れた。ぶひひ、と鼻を鳴らした、イノシシのくせに薄緑色の毛並みをしたモンスターが、ざくざくと前足で穴を掘るようにして、駆け出す形を作る。瞬間、僕にぶつかるようにして、そいつは突進してきた。僕は慌ててごろんと転がりながらイノシシを避け、右手を眼前に突き出す。イノシシは、がくりと動かなくなった自身の足にひっぱられ、勢いのままにバランスを崩して、ぐるんと一回転した。

そこを狙って、勢い良く彼のキバを叩き壊した。ピギッ、とまるで豚みたいな悲鳴を上げたイノシシは、またごろんと転がった。勢い良く、僕は頭を狙うようにして、彼をメッタ打ちにした。
気づけば、イノシシは動かなくなっていた。
ぼたぼた溢れる汗を拭って、僕は長い息を吐き出した。転がる二匹のモンスターの前で、ゆっくりと座り込んで、両手で顔を覆った。そしてまた長く息を吐いた。




ナイフは鞄の中に入っていた。けれども小さくて、すぐにボロボロになってしまうのではないかと不安になった。だからナイフをすこしだけ使いながら、折れたイノシシのキバを使って、砦の人たちの方法を思い出しながら、兎を見よう見真似で解体した。イノシシの方はと言えば、あまりにも大きすぎたし、どうやって解体すればいいのかわからなくて、もう一本のキバも折って、もらっていくことにした。

火をつけると、炎を怖がらないモンスターが、僕がここにいると気づいてやって来るかもしれない。必要最低限の手順で、大きな葉っぱで兎の肉をくるんで焚き火に入れた。覇王の紋章さんが動きを止めることができるのは、モンスターだけらしい。だから見かけはただの兎でも、本当はモンスターだし、味付けもないし、薬草も見つからなかったし、ときどき砦で食べていた兎料理とは全然違っていて、おいしくなんて全然なかった。
けれども僕は、全部食べた。全部お腹の中につめて、手のひらを合わせて、頭を下げた。





   ***



「…………街だ」

見間違いじゃない。街だ。僕はふらふらと、城門に足を踏み入れた。兵士のような人がいたから、ぎくりと肩を震わせたのだけれど、特に声を掛けられる訳もなく、すすりと街の中に入ることができた。石畳を歩いて、そわそわと辺りを見回す。とにかく、さん達の紋章だ。ない、すくなくとも、この街にはない。だったらフリックさん、と彼が持つ雷の紋章を確認しようとしたのだけれど、残念ながら、声が小さすぎて、もともとわかる訳がない。

僕はがっくりとしながら花壇に腰を下ろした。これからどうすればいいんだろう。やっとこさ街についたのはいいけれど、またわからなくなった。宿屋に泊まるにもお金が必要で、ご飯を食べるにも必要だ。当たり前だ。でも、そんなにたくさん使えるお金なんてもってない。ちょっとだけだ。それに、いざというときのために、少しくらいは手持ちを持っていないと不安だ。

街の中にやって来たというのに、やっぱり外に出て、野宿をした方がいいんだろうか。
はー、と長いため息をつきながら海を見つめる。でもこれ、海じゃなかった。ぱしゃぱしゃと手を洗っていて気づいたのだけれど、ただの水で、しょっぱくない。外国の川は、ものすごく大きくて海みたいだ、と聞いたことがある。まさかこれが、まさかのそれなの、と違う世界でカルチャーショックを受けてしまったのだけれど、それはさておき、なんとも憂鬱だ。

ふと、川の向こうを見つめた。いくつものお舟がどんぶらと波にたぷたぷ揺れている。ぴくりと、左手がひきつった。「……えっ……」 確かに、とても小さな反応だった。けれどもいる、この川の向こうに、真の紋章がいる。「さんだ……!!」 はっきりとはわからない。けれどもきっと、彼に違いない。

どうやってこの川を渡れるんだろう。こんなにたくさん船があるのだから、ひとつくらい船を出してくれるんじゃないだろうか、とそわそわ確認してみたけれども駄目だった。今は船を出してはいけないと、王国軍に言いくるめられているらしい。そもそも、船を出してもらえるお金もない。じゃあ泳いで? と考えてみたけれど、川の底にぶくぶくと沈む自分を想像した。僕の人生、ここで終わりはちょっと嫌である。

「もー、どーしよー……」、と頭を抱えてしょんぼりしながら桟橋に座り込んでいると、丁度僕と同じように、小さくなって、「うあー、もー、ちくしょー」とつぶやいている男の人がいた。
同じようなポーズで、同じようなセリフを言っていたものだから、お互いなんとなく目を合わせた。薄い色素の髪のお兄さんは、黄緑色の服を着ていて、あの幽霊のお兄さんとはまたちょっと違った感じにかっこいい。

「……なんだ、お前も船に乗れないのか?」
「うん……」
「こまるよなー、ほんっと困るよなー、やってらんねー」

ああくそ、タイ・ホーのやつってばよー!! とだすだす地団駄を踏むお兄さんは、一体何に怒っているんだろうか。大砲? ドカンと一発しちゃうの?

「お兄さんも、あっちに行きたいの?」
「そうそう。新しい世界に羽ばたいて、新たなカワイコちゃんに会いたいだろ?」
「僕、あっちに会いたい人がいて……」
「お、女か。これか、これだな」
さん達、大丈夫かなぁ……」
「お前話つなげる気ないな? 全然人の話聞いてないな?」

フリックさん達は大丈夫だと思うけど、さんは心配だなぁ、とうんうん唸っていると、お兄さんは、うがー! とまた頭を押さえて叫んだ。「子どもにまで無視されるしよー!!」「してないよう。お兄さんが反応の難しいこと言うからだよう」「なんでだよ。男二人が会えば、女の子の話に花が咲くのが健全男子だろうが」「…………お兄さんおいくつ?」

僕より大人なんだよね? と色々不安になって訊いてみたら、「お、今年で19!」 ついでに名前はシーナだ。と胸を張った。僕より9個も上なのに、落ち着きのないというか、反応に困る人である。
お互いいそいそと道の端っこに移動して、「僕、10。」と両手の指十本をぴんと伸ばしながらシーナさんに向けた。するとシーナさんは、きょとんとして僕を見下ろした。「って言うのか?」「うん」

なんだかこの頃、名前を言ったらきょとんとされることが多い気がする。シーナさんは、僕の周りをぐるぐると回って、ついでに僕の眉毛をぐりぐりした後、ほっぺたを伸ばして、頭をぽんぽんと叩いた。「はー……よく見りゃ、なんか似てる感じもするな。ふーん。面白い偶然もあるな。タイ・ホー達のやつ、面白いもんを見逃したな」

ハハッ、ざまーみろ、と半分やけくそに叫んでいるお兄さんを見上げて、僕は首を傾げた。「シーナさん?」「いや、ちょっと知り合いに似てる気がしてなー」うーん、とシーナさんはまた暫く考えた後、

「なあお前、お前と同じ名前で、俺と同い年くらいの親戚とかいる?」
「ええ? いないよ?」
じゃあ、やっぱただの偶然かー、とうんうん頷いた後、よし、とシーナさんは僕の首根っこをひっつかんだ。「これも何かの縁だ。今日はちょっとむかつくことがあったんでな! パーッと宿屋にでも行ってあそぼーじゃねーの! もちろんオネーちゃんつきでな!!」「え、あ、ちょ、ま、僕、今忙しいんだよ!」

知らん知らん! とシーナさんは人の話も聞かず、僕を思いっきり抱え上げた。そしてすぐさま、「お前ちょっときたねーなー」と眉を顰めて、思いっきり川の水でごしごしされた後、宿屋に連れ込まれて、ごくごくお酒を飲むシーナさんの隣で、僕はちびちびオレンジジュースを頂いた。というかシーナさん、19歳って言ってたのに、お酒を飲んでいいんだろうか。こっちの成人の年齢はちょっと違うのかもしれない。

「タイ・ホーのやろー、人のことおいてけぼりにしやがって、このやろー、次に会ったらそのヒゲひっこぬくぞー!」と天井に向かってお酒の瓶を突き出す。どなただかわからないが、可哀想なのでやめてあげて欲しい。
宿屋のお姉さんのお尻を触って、思いっきり頭を殴られて、近くのお姉さんをナンパして平手打ちをくらっている彼を横目に、もしかしてこの人、ちょっと駄目なのかもしれないなぁ、となんだか色々不安になった。

シーナさんは、真っ赤になった頬をすりすり片手で撫でながら、また叫んでいた。「ヤム・クーめー! お前の頭ふんじばって、ほうきにしてやんぞごらぁー!!」



  

2012/03/05

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