新たな場所




結局、ネクロードは逃げて、代わりとばかりに置いていったモンスターを、相手に、僕達は死ぬ気で戦うことになった。たくさんの顔を持つモンスター相手に、ひいいと悲鳴を上げそうになったけれど、そんなことをしている場合じゃない。残り少ない魔力を刃にこめて、僕はそのモンスターの足を切り裂いた。カーンと呼ばれた男の人が、呪文のような言葉を唱えながら勢い良く紋章を撃ちぬく。ナナミさんの水、アイリさんと言うらしい女の子の炎の間をかいくぐって、ビクトールさんが剣を振り回した。

じりじりと、お互いの体力を削り合い、最後に勝ったのは僕らだった。もう勘弁して欲しい、とへたり込んだ僕を、ビクトールさんは抱え上げて、「ま、なんでお前がいるのかはわかんねーけど、無事だったんならよかったよかった」と明るい声を出している。
ふと、僕はビクトールさんが、知り合いの女の人の首をころんと転がり落としたときのことを思い出した。

ネクロードとビクトールさんは、どうやら深いインネンがある仲らしくて、多分ネクロードが悪いことをしたんだろう。すでに死んでしまった女の人を蘇らせ     た、ように見せかけ     ビクトールさんを脅した。けれどもビクトールさんは、すぐさまそれを嘘だと見ぬいて、ぐさりと彼女の首を切り落としたのだ。
彼は明るく笑っているけれど、どう思っているんだろう。たとえ、本物でないとしても、そんなこと僕ならできっこない。

それだけ、ネクロードはひどいことをしたのだ。ビクトールさんが、そんなことをしないといけないくらい、彼のゲキリンに触れたんだ。むかむかして、メラメラもしたのだけれど     「なんで、ネクロードのやつは、をさらったんだろうなぁ。血を飲むのは若い女だけだと思ってたんだが」

「……女と間違えたんじゃないか?」
「いや、さすがにねーだろ。あの女の血に命をかけてる変態だぞ」
「じゃあ、まあ、そういうことだろうよ」
「ロリコンだけじゃなくて、男の方にも目覚めたってか? 救いようがねぇなあ」

なあ、? と僕の頭をぐしぐしと撫でる、ビクトールさんと、フリックさんの会話を聞いて、多少同情しないでもなかった。



僕はフリックさんと再会した。僕はよくわからなかったのだけれど、それはあまり明るい話題にはならなかった。フリックさんは僕が一人でここまで来たことを、ものすごくビックリして、無事を喜んでくれたけれど、今はそんな場合ではなくって、また近くの街に王国軍がやって来たというのだ。そして近々、こっちの城までやって来ると言う。みんな慌てて作戦会議をして、アップルさんの提案で、さん達は助っ人を頼みに、フリックさんたちは、また新しく仲間を探しにとてんやわんやになった。

僕はすぐさまお城のお掃除のお手伝いをした。ネクロードが自分のお城として使っていたここは、もとはビクトールさんの故郷だったらしい。今までずっと人が住んでいなくて、モンスターがはびこっていたものだから、とにかく汚い。けれども丁度いい場所ができたと僕らはここを本拠地にすることにしたのだ。何をするにも、しっかりとしたねぐらがなければやっていけない。戦わない女の人や、腕に覚えのある男の人でお城を修繕する。まだ全部ができた訳ではないけれど、なんとか形になってきたと思う。

それからしばらくして、フリックさん達が大勢の男の人達をつれて、お城へと帰って来た。まだまだ人が足りないな、とレオナさんの酒場で相談する二人の間に、僕はちょこんと座り込んで、ちょっとの時間だけれど、やっとこさ腰をすえてお話ができるとなったときに、本当に今さらながらに、なんで僕があのとき、ネクロードと共にいたのか、というお話になったのだ。


覇王の紋章が珍しくて、ネクロードに狙われちゃいました     なんて、言える訳もなく、「とにかく気づいたらさらわれて大変だった」というように言葉を濁した返事をしてしまったものだから、ネクロード、新たなる変態説が二人の間で浮上してしまった。どうしよう、と思いつつ、うまく否定できる内容はないし、実際ちょっとあぶない人だったような気がするし、なんだかまあいいかなぁ、とレオナさんから貰った今月の売上を書いた紙を見ながら、頭の中でパチパチと計算する。売上の管理も、僕のお仕事の一つだ。

(……別に、覇王の紋章さんのことは、二人に言ってもいいと思うけれど……)
二人を信用してない訳じゃない。さんの不思議な紋章のことを、フリックさんとビクトールさんは知っている。それどころか、さんが集めた、他の仲間の人たちみんなが知っているみたいだった。
だったら僕も、と思ったけれど、僕自身、この紋章さんのことはわからないし、一つを説明したら、全部を説明しなくてはいけないような気がして、別の世界からやって来た、なんていうことは言うに言えなかった。だいたい、今は戦争中で、二人には考えなきゃいけないことがたくさんあるはずだ。そんな中で、「異世界からやってきたんだよー実はーえへへー」なんて子どもがいたら、僕なら激しくほっぽり出したい。お前は何を言っているか。


とにかく、少し特殊な紋章を持っている、ということにしたら、なんとなく納得してくれているみたいだし、そのままの線でやっていこうと思う。もしまたどこかでバレて、ネクロードみたいな変な人に紋章を狙われたらたまらない。僕が今まで無意識にしていた紋章を探る術は、なるべく使わないようにすることにした。あっちにもこっちの存在が筒抜けになるだなんて、なんだか怖い。

まあでも何をしなくても、この宿屋にいる中での紋章の数はなんとなく把握できるし、さんの紋章なら、もう少し遠くても認識できる。今のところ、特に不便はない。そして、紋章といえばもう一つ。僕の隣のビクトールさんの腰に突き刺さっている、なんだか変な顔がついている剣だ。じーっとこっちを見ている彼の視線が痛くて、僕は思わず目を逸らした。っていうか普通にお顔が怖い。

「……お、どうした星辰剣。熱い瞳でのこと見ちまってよう」
「気安く名を呼ぶな、この熊が」
「く、……」

くまー……とビクトールさんは口を開けて、何度も言われた言葉なのか、へへへ、と案外持ちこたえるようにして笑った後、「へいへい、すみませんでしたぁ、星辰剣さまぁー」と剣に向かって様付けをしている。そんなビクトールさんを、フリックさんは口元を緩めて、「懐かしいな。その言い合い」「おい青いの。私は貴様の所業を許してはいないぞ。この小間使いはもちろんな」「お、俺か!?」

俺は何もしてないだろう! とびっくりしているフリックさんに、星辰剣は、フンッと鼻から息を吹き出して、「この熊が、私を騙してあの洞窟に置き去りにしたとき、お前は止めもしなかっただろうが」「いやいや、俺は止めたさ。しかしだな、そのお前の所有者はビクトールだしだな」「所有者? この私が、こやつの所有物だというか!!!」「いいい、言っていない! 言ってない、言ってないから!」

ぶんぶんぶん、と必死に首を振るフリックさんを見て、ビクトールさんはゲラゲラと笑っている。けれども、そのビクトールさんのお腹を、ばしんと星辰剣は自分の柄で殴った。「いてえ! なにすんだこのやろう!」「フンッ。自身の主になんという口の聞き方だ」 まったく。とまるで人間のように、星辰剣はため息をついたのだけれど、僕はその光景を見ながら、これ、夢か何かじゃないかなぁ……とぶにりと自分のほっぺを摘んだ。

ゲンゲンくんを見たときも驚いたけれど、これはそれ以上である。こんなファンタジーなら、僕が異世界から来たって言っても驚かれないかも、と考えなおそうとしたのだけれど、やっぱりしゃべる剣なんていうものは珍しいものらしい。人がたくさんいるところでは、さすがに星辰剣は今みたいに気軽におしゃべりはしないし、ときどき、彼……彼? を見て、ぎょっとする人もいる。僕の紋章さんだって、一応僕にしゃべりかけてくるけれど、他の紋章がしゃべっているところなんて見たことがない。ある意味、覇王の紋章さんも、珍しい人……紋章? なのかもしれなかった。


ううーん、ううーん、と僕が唸っていると、ふと、星辰剣がちらりとこっちを向いた。なんだろうと顔を向けたら、お互いなんとなくじいっと見つめ合ってしまって、星辰剣が、ばしばし、とビクトールさんのお腹を叩く。「おい、ビクトール」「なんだよ星辰剣……さま」 おざなりに敬称をつけた熊さんに、くすりと笑ってしまった。「お前と青いのは、少しどこかに行け。私は一人になりたい」「……はあー?」

一体いきなり何を言ってらっしゃるんですかねー? とどこか棒読みに敬語を使うビクトールさんに、星辰剣は低い声を出しながら、ばしっともう一度暴れた。「お前らのような図体がでかいやつらといると、暑苦しくてかなわんわ! 私はこの小僧のおもりでもしてやる! お前らはさっさとどこかに消え失せろ!」「いつにも増して俺様だなお前……」

めんどくせぇやつだなぁ、とビクトールさんはため息をついて、フリックさんはニマリと笑った。「ま、お前の相棒がこう言ってんだから、しばらく一人に……一本に? させてやろうぜ」「まったく。わがままな相棒を持つと大変だなぁ、フリック」「まったく同じ事を、俺はお前に言いたいけどな」

なんのことだ? とニマニマ笑っているビクトールさんに、フリックさんはひょいと肩をすくめた。そしてちらりと僕を見た。「さてさて、休憩タイムは終了ってことでいこうか、それじゃあな、、星辰剣」「星辰剣、様だ」「……俺も言うのか、それ」

じゃあな、星辰剣様、とフリックさんは言い直して、ビクトールさんは「ま、よろしく頼むぜ」と言って、ぽんと僕の肩を叩きながら、星辰剣を僕に渡した。
僕はおそるおそる、その不思議な剣を抱きしめて、二人の背中を見送りながら、しょぼんと椅子の上に座った。

「…………おい」
「ひゃ、ひゃいっ」
「奇妙な返事をするな。移動するぞ」
「え、でも……」

ビクトールさんの預かり物を持って、そんなふらふら移動していいんだろうか。星辰剣は、僕の考えを見通したように、「構わん、行くぞ。人気のないところだ」と言いながら、僕の体ごとぐいっと宙に浮いて移動しようとする。「わ、わ、目立っちゃうからだめだよ」と僕は星辰剣を怒って、レオナさんから貰った売上表を鞄の中にいれて、彼を抱きしめながら、ぽてぽてと移動した。





「お前、覇王の主だな」

階段の陰の下で、僕達は小さく丸々と、唐突に星辰剣がそう言った。「え、うーん、主とか、そういうのじゃないみたいだよ。なんだっけ、仮宿? っていうか」 あれから考えてみたのだけれど、僕は主(仮)というところなんだと思う。継承者ではないとお兄さんは言っていたし、覇王の紋章さんは、いつだってゴーイングマイウェイで、僕の言うことを聞いてくれない。

星辰剣は、ふん、と鼻から息を吐き出して、「例え仮宿としても、一時その体を借りているにはちがいまい。間違いなく、お前は覇王の主だ」「……ううん」 なんだか別に、どっちでもよくなってきた。

僕は星辰剣を抱え直して、「それで、きみはなんなの?」 そう言った後、僕もビクトールさんと同じく、敬語を使った方がよかったのかなぁ、と思ったんだけれど、星辰剣は特に何を気にする訳ではなく、「私は、夜の紋章の化身だ」「……それも、真の紋章?」

ああ、そうだ。と星辰剣は応えた。ふーん……と僕は返事をして、「ネクロードの月の紋章と、さんとジョウイくんの紋章……は、半分に別かれてるんだっけ。これで僕も合わせて4つ目ってことは、真の紋章って、意外とたくさんあるんだねぇ」

最初はあんまりにも大きな力にびっくりして逃げ惑ってしまったけれど、そこまでビックリする必要はなかったのだろうか。「真の紋章は、世界に27とされている。そう多いという訳ではない」 星辰剣は、そう言った。引き算したら、残り23個だ。それって多いんだろうか、少ないんだろうか。世界の中で一つだけ、なんて言われたら、うわあ、すごく珍しいんだなぁ、と思うけれど、20個を超えたらなんだか微妙である。

ううううん……? と僕が鈍い声を出しながら首を傾げていると、星辰剣はとりあえず僕の疑問を見破ったのか、ぽかりと剣の鞘で僕の頭を叩いた。「まったく、お前は創世神話を知らんのか」「し、知ってるよう」

フリックさんに、一度教えてもらったお伽話だ。「最初に闇があって、それが悲しくなって涙を出して、涙から剣と盾が生まれて、その二人が戦うんでしょ? でも結局、両方共相打ちしちゃって、二人は空と大地に変わっちゃうんだ」

一緒に生まれた兄弟なのに、寂しいことをするんだなぁ、と思った。「問題はその続きだ。剣と盾が争った火花は星となり、その二つを飾っていた27の宝石が、真の紋章となった。つまり私は、そしてその覇王の紋章とは、世界を作ったものの一部でもある」

僕はきょとんとして、星辰剣を抱きしめた。世界を作った。「え、え、えええぇ?」 ちょっとスケールが大きすぎて、眉唾ものみたいだ。それはつまり、「真の紋章って、すごいの?」「すごい、すごくないの基準はわからぬが、場合によっては街ひとつ、国ひとつを簡単に滅ぼせるものではあるな」

そんなの困る。思わず頭をのけぞらせたら、壁にごつんと頭をぶつけた。「う、ううう……」と涙目で頭を押さえていると、星辰剣は、ふうう、と長いため息をした。「小僧、お前は何も知らぬのだな」「だってぇ……」 僕はもともと、この世界の人じゃないし、真の紋章ってなに? と他の人に訊いてみても、ハルモニアのヒクサクが宿しているんだっけ、とか、いや、赤月の前の王様が持ってたっけ? とか、それくらいのことしか教えてもらえなくって、みんなもよく分かっていないのだと思う。
ただ、フリックさんとビクトールさんは、どこか難しい顔をしていたことは覚えている。


「ふん、まあ、宿しているものが、その覇王であるならば、仕方もない話かもしれんがな。そいつはどうにも無口で好かん。毎度毎度、気づけばどこぞに消えているしな」
「え? 星辰剣って、紋章さんのこと知ってるの?」

知らぬ仲ではない、という程度だ、と彼は僕の左手を見て、不機嫌そうに顔をしかめた。「同じく27の紋章であるし、こやつ、前の所有者のときは、剣の中に宿されていた。まったく当て付けがましい」

つまり、ライバル意識ってことだろうか。星辰剣も剣だし、キャラがかぶっちゃってるもんなぁ……、とぼんやり考えたとき、ハッと彼のセリフが頭の中で巻き戻った。     前の所有者のときは? 「あ、ちょ、ちょっと待って、今、その、前の所有者って言った?」「言ったが」「それって、さん!?」

んん? と星辰剣が難しい顔をした。「あ、違うんだよ、僕の名前はなんだけど、僕じゃなくって、なんか僕よりお兄さんで、左手に手袋をつけてて、その、えーっと、えええーっと」 どう説明したらいいんだろう。とにかく、「前の継承者って、さんだよね?」

ぐいぐい、と思わず星辰剣に顔を近づけると、またまた彼は眉を顰めて、「前の継承者は、バルバロッサ・ルーグナーだろう」「…………ばるばろっさ…………?」 僕は思わず、星辰剣を手放した。がらん、と剣が床にぶつかる音がする。何か文句を言っているような気がしたのだけれど、僕はますます混乱して、壁にぴたりと背中をくっつけるようにした後、自分の左手を見つめた。「バルバロッサ様なの……?」

でもそうか。そうだ。なんにもおかしくない。だから紋章さんは、バルバロッサ様のところへ帰りたいんだ。だったらくんはなんなんだろう、そして、さんは? 確かに、彼と共鳴をしたはずなのに、星辰剣は違うと言う。「ねえ、それ、勘違いとか、そういうことってないかな?」 誰しも間違いということはある。こんなことを言ったら怒るだろうか、と思ったのだけれども、彼は床に寝っ転がったまま、うむ、と頷いた。

「確かに私は、長くクロンの寺の祠で眠りについていた。その上、あのビクトールに騙されて、今の今まで洞窟の中で封印されていた。その前後の出来事ならば、知るよしもないだろう。ただ間違いがないとすれば、三年前は、たしかにあの男、バルバロッサ・ルーグナーが継承者であったということだけだ」

三年前という言葉なら、ネクロードが何か言っていた気がする。何がなんだか、さっぱりだ。けれどもこれって、重要なことなんだろうか。別に三年前の継承者が誰であるかということを知るよりも、今僕が何をするかを知るべきじゃないだろうか? うん、きっとそうだ。

僕がうんうん考えている間に、星辰剣は自分でふわふわと浮き上がり、からんと壁にもたれかかって、「そうだ、まったくビクトールのやつは。私が必要になるとわかった途端に手のひらを返したように。まったく、まったく」とぶつぶつ文句を言っている。ネクロードを退治するためには、この星辰剣が必要らしい。でも結局、彼は逃げて消えてしまったんだけど。

「星辰剣ー! ねえ星辰剣ー!」 ぶつぶつ言ってないで聞いてよう、と僕はガクガクと彼を揺さぶる。そうなのだ、未来だ。重要なのは、そこから先のことだ。そのためには、もうひとつ、彼に訊かなくちゃいけないことがあるじゃないか。「なんだ、揺さぶるでない」と、文句を言う彼を無視して、僕はまたガクガクと彼を揺さぶった。「それで、バルバロッサ様は、今どこにいるの?」「知らん」

答えは淡白だった。なんだ、知らないのか、と僕はしょんぼり頭をたらすと、仕方がないだろう、と彼はふんとそっぽを向く。剣だから、体ごとがしゃん、と動いて、なんだか見ていて怖い。「あの戦いの後、ビクトールのやつは休む暇もなく、そのまま逃げてしまった。私があの戦いの結末を見届けているはずがない」「戦い?」

訊くことばっかりで、そろそろ星辰剣もイライラとしてきたように、刃をカチャカチャと鳴らせる。いつものビクトールさんと星辰剣の会話を聞いていれば、今日はいつになく気が長い。同じく真の紋章を持っているということと、覇王の紋章さんにライバル意識があるから、いいところを見せようとして僕にサービスしてくれているんだろうか。

「戦いと言えば、戦いだ。赤月帝国と、解放軍との争いだ。今はなんと呼ばれているかは知らん。何度も言うが、私は今の今まで洞窟の中にいたからな」
「赤月って、トラン共和国の前の名前でしょ?」
「そうか、そんな名になったのだな」

シーナさんのお父さんが大統領をしている国だ。なんだかナイランというものがあって、それで新しく国ができた。そのナイランで、ビクトールさんとフリックさんは大活躍をした。そう砦の中で、ポールくん達に何度も聞かされた。「……それで、なんで赤月の……」 薄々、僕は気づきかけているような気がした。けれども、気付かないふりをした。

夢の中で、何度もみたバルバロッサ様は、広い花が敷き詰められた庭園の中で、ぼんやりと空を眺めていた。そこは高い高い、まるでお城かどこかのような場所で、とても空が近かった。彼はまるで、王様か何かのように剣を振り回し、馬で駆けた。バルバロッサ様、と周りの人たちは彼の名を呼んだ。僕も、彼はそう呼ぶものだと思った。(バルバロッサ、様は……)

「なんだ、まだわからないか。察しが悪い小僧だ。バルバロッサは赤月の皇帝だ。ただ、国の名が変わり、こうしてお前の左手にその紋章が宿っているのだとすれば、おそらく死んだのであろう」




   ***



バルバロッサね。私はそこまでよく知らないが、まあ、噂は聞いたよ。なんたって、どこか不思議な話だからね。生きているかどうかはわからない。死体は見つかっていないらしい。解放軍に討たれたことは確かなんだけど、嫁さんと一緒に城から飛び降りて、どこぞに消えちまったとか。昔はいい王様だったって聞いたのに、一瞬だったね。今のトランだってどうなるかはわからないけど、まあ、国なんてそんなものだろうさ。


ふう、とレオナさんが、煙をつけていないキセルから口を離す。「それで、なんでいきなりこんなことが気になったんだい?」 彼女の視線に、僕はふるふると首を振った。特にそれ以上、問いつめることはなかった。ただ僕は、何も言えなかった。
(そうか、バルバロッサ様、もう、いないんだ……)

わからない。死体は見つかっていない、とレオナさんは言っていた。けれども彼は王様で、けれどもそのうち悪いことをしてしまったから、フリックさんや、ビクトールさん達に討たれてしまったんだ。
つまり、バルバロッサ様は、彼らの敵だったんだ。

そうわかったとしても、どこか気分は静かだった。悲しいとか、寂しいとか、そんなのじゃない。ただなるほど、そうかと思うだけだ。
(そんなに悪い人だったんだろうか)

夢の中の彼は、たくさんの人に慕われていた。くんも、大きくなったら彼を守るんだとキラキラ瞳をきらめかせていた。(くんは……) ふと、考えた。(くんは、どう思ってるんだろう) 

彼は結局、夢を叶えることができなかったんだな、と思った。







シャキッとしろ、とビクトールさんに背中を叩かれた。僕は慌てて、背中を伸ばした。ぼんやりするなよ、と怒られる。うん、と僕は頷いて、広間で彼らの話を聞いた。中心に立つ男の人は、シュウさんと言って、さんが連れてきた新しい軍師さんだ。元はアップルさんのお知り合いらしい。

フリックさんとビクトールさん達が集めた、大人と子ども交じりの兵を対向させても、お城にやってきた王国軍の数には到底足りない。後ろには湖があって、逃げることもできない。ずっと僕が川だと思っていたそれは、大きな大きな湖だったらしい

けれどもシュウさんは、船を使って彼らの背後に移動し、敵将軍、ソロン・ジーを直接叩くという策に出ることにしたのだ。無理なんじゃないか。また負けてしまうんじゃないか。僕らの間でじわじわと流れいていた雰囲気が、彼がしゃべる度に薄れていく。まるで調子に乗らされていくみたいだ。彼のお話が終わったとき、広間はワッと勢いづいた。
勝てるかもしれない。この人の通りにすれば、勝てるかも。そんな風に、みんなお互いの手のひらをパチンと叩き合う。僕もさんの手のひらとパチンと合わせた。




     お前はどうする、とフリックさんは僕に聞いた。「今度の戦いは、とにかく人手が足りない。もちろん、戦えない女や、子どもや老人はなるべく城の中を守ってもらう。けれども覚悟があるものは、優先して外に出てもらうことになっている」 ミューズやサウスウィンドゥから逃げてきた者たちだから、希望するものは多いがな、と彼はゆっくりと瞳を伏せた。

僕はゆっくりと頷いた。「僕も、外に行くよ」 フリックさんは、驚くとも、納得するという顔ではなく、ただ僕の前に座り込んだ。「、俺はな」 そう言って、僕の手をゆっくりと握った。「お前は、随分強くなったと思う。ビクトールからも聞いたよ。随分上手く剣を扱えるようになったんだな。初めて会ったときは、生の野菜を抱えて、動物みたいにボリボリかじってて、何をするでもごめんなさいって言って泣き出してたな。あのときより、ずっと大きくなったと俺は思うよ」 でもな、と彼は苦笑した。

「あのときのお前が悪い訳じゃないんだ。お前は優しい子だ。今もそうだ。今はこの国は争いばかりで、どこなら危険じゃないという場所もないが、お前はこんな場所には似合わないと俺は思う。俺はお前に剣を教えたけれど、戦うばかりが力じゃない。お前は数字が得意だし、薬だってトウタと一緒によく勉強しているしな」

ただ、お前がそうしたいというのなら、俺は止めないけれど。と彼は僕の小さな手のひらを、ゆっくりと包み込んだ。「言っておくが、外で戦うとなれば、俺とお前は別々の場所だ。まさかお前に馬に乗って前に出ろだなんて言えないだろ? 俺はお前を守れないし、そもそも、守る気なんてない」

これは俺の思い上がりかもしれないが、と少しだけ彼は照れくさそうに笑った。「お前が、俺に随分なついてくれているのは知っている。俺も、お前のことが好きだよ。でもな、俺はお前一人を守りたいんじゃない。昔な、一人の女の人を守ろうとしたことがある。でもダメだった」

俺は一生振られちまった、と冗談めかして言った言葉に、僕はきょとんと瞬いた。
「フリックさん、かっこいいのに、もったいないことするね」
思わず呟くと、フリックさんはたまらずと言ったように吹き出した。「そうだな、もったいないことをしたな、オデッサのやつは」と笑っている。「オデッサ?」 フリックさんが持っている剣の名前だ。振られたと彼は言ったけれど、ただ言葉のとおりの意味ではないような気がした。だから僕は深く訊くことはやめておいた。

、とフリックさんは僕の頭を撫でた。「、お前は何を守りたいんだ? 友達でも、恋人でも、人じゃなくてもいい。もっと大きなものでも、小さなものでも、大切なものを守るんだ。俺にはそれができなかった。けれど、お前はそうなっちゃだめだ」

うまく、説明ができないな、とフリックさんは誤魔化したように苦笑いした。なんだかありきたりの言葉しか、言えないな、と照れたような顔をしていた。そんなフリックさんを見ていると、まるで彼が、ずっとずっと、僕よりも年が近い、一人の男の子みたいに思えた。「うん、僕、フリックさんの言葉、覚えておくよ」


ちゃんと、ずっと覚えておく。
フリックさんが、できなかったと言ったこと。くんが、守れなかった夢のこと。


フリックさんは、ぽんと僕の肩を叩いた。そして、すぐにくるりと背を向けて去っていった。僕も同じく、彼に背中を向けた。
僕が編成された軍は、兵士ではなく、ただの普通の、今までクワやスキを構えていた人たちが、そのまま剣に変えただけだとすぐに分かった。僕は刃をつぶした剣を、ただの普通の剣に持ち替えた。これでいいんだろうか、と何度も考えた。人を相手にして、僕は戦ってもいいんだろうか。

紋章さんは使わない。いいや、使えない。
紋章さんは、モンスターと、紋章に関連するものにしか使うことができない。坊主、見ねえかおだなぁ、と黒光りをする肌の男の人が、こつんと僕の頭を叩いた。ミューズでも、サウスウィンドゥの子でもねぇみてぇだなぁ。

ふと、リューベの村の人たちを思い出した。麦わら帽子で、焼けた肌をしていて、クワを抱えて、畑を耕していたあの人たち。

うん、違うよ。と僕は頷いた。どこから来たんだ、と訊かれた。ビクトールさんの砦から、と僕は答えた。今はもう、なくなってしまった、懐かしい砦から。







  

2012/03/08

つめこみすぎて申し訳ない

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