新たな場所





     この城は、かつて赤月帝国の侵攻があったときに、反逆の拠り所となった、ゆかりの地。そして不利を承知であつまった、2000の勇士。

勝機はある。
広間の中で、堂々と言い切ったシュウさんの言葉を思い出した。かっこいい言葉だな、と思う。
俺はお前を守る気がない。フリックさんは、そう僕に言った。けれどもそれは、僕のことが嫌いだとか、大切じゃないとか、そういう意味じゃない。僕はフリックさんが好きだし、フリックさんだって僕を好きだ。ちっちゃな弟みたいに思ってくれているんだと思う。そうだったらいいなとも思ってる。

守られる気で、前に出るんじゃない。そう彼は言ったのだ。今も僕は、フリックさんと遠い場所にいて、小さな砦はいつの間にか大きくなって、立場も、場所も、どんどん違ってくる。けれども、別にそれでいいのだ。振り向いて欲しい、守って欲しいなんて思わない。いいや、やっぱり、ちょっとだけ思っているかもしれない。たくさん怖くて、辛くて、しんどい。痛いことなんてしたくない。ずっと心の大半でそう思ってた。けれども今は、そんな気持ちが、少しずつ端っこの方に追いやられていく。

多分、この気持は一生消えないと思う。消しちゃいけない気持ちだと思う。



口の中の空気をいっぱいに吐き出して、吸って、思いっきり体を沈めた。僕の頭の上にぶんっと剣が通りすぎる。僕はちょこまか動きまくって、相手の兵士の剣を避ける。彼が一回剣を振るごとに、心臓がドキドキいって怖かった。いますぐに自分の剣に手を伸ばして、ガキンとぶつけ合いたいと何度も思った。
でも駄目だ。ビクトールさんが言っていた。下手な奴が、鍔迫り合いなんてしちゃいけねえ。力の逃し方を知らないもんだから、すぐさま剣が折れて、なんの意味もないからな。初心者はとにかく逃げろ、逃げて逃げて、逃げまくれ

彼の声を思い出して、僕は必死に逃げた。ふと、帝国軍の鎧が、奇妙に他の何かの姿と重なった。兜の下から、彼はわずかに舌打ちをして、座り込んだ僕に打ち下ろすように剣を振り下ろした。僕はまるで決まった形のように、ごろんと地面に手をついて、剣から逃げた。それと同時に立ち上がり、自身の剣を振るった。足りない背を伸ばし、がつん、と彼の兜を叩きつける。鎧の中の衝撃で、兵士はぐらりと体を揺らした。

(進め!!) 

     声が、聞こえる。

(簒奪者、ゲイル・ルーグナーを! 打ち取れ!!! 帝国を奪い返すのだ!)


僕はバルバロッサ様と同じく、剣を振るった。ためらう暇なんてなかった。もう一度、強く鎧を打ちつけた。人を叩きつけることに、今このときだけ罪悪感はなかった。それはとても、怖いことだった。
兵士がまたグラグラと体を揺らしたとき、別の誰かが、彼の背後から、頭を叩きつけるように棒を振るった。兵士はガクンと膝を崩し、頭から地面に落っこちる。僕とその彼の頭を叩いた老人は、一瞬だけ目を合わせて、また駆けた。

バルバロッサ様の声が聞こえた。いいや、僕の記憶の中と何かと重なるだけだ。何度も何度も、僕は彼の夢を見た。彼が戦っている姿を、自身で体験した。
剣とは、体に技をしみつけるものだ。型を覚えて、その状況に応じた一番いい型を、体が勝手に出してくれるようにするんだ。フリックさんはそう言っていた。

フリックさんの言葉通りなら、僕はすでに、その型を知っていた。バルバロッサ様の剣技を知っていた。それに似せるように、足りない体を必死に伸ばして、歯を食いしばった。何かに、誰かにたくさんぶつかった。剣が重くて、腕が痛かった。何故か足も痛かった。紋章の気配を感じる度に、僕は左腕をつきだして、ねじ上げた。

向かい来る炎の矢が、あっけなく四散した瞬間、帝国軍も、まるで農民のようなおじさんもぽかんとしていたけれども、今はそんな場合じゃないとばかりに、またお互い剣を持ってぶつかった。怪我をした人がいる。僕は彼らをひっぱって行くことはできないけれど、右手のおくすりくんに頼んで、ほんのちょっとでも彼らの怪我を治した。

片っ端から紋章が発動すれば、その気配を潰していった。楽なことにも、僕達寄せ集めの兵士たちは今までただの農民だとか商人だとか、街に暮らす普通の人達ばっかりだったから、紋章をつけている人は少ない。紋章があれば、それは大抵が帝国兵なのだ。

いくら魔力をひねっても、紋章を使えないことに、帝国兵の人たちはじわじわと気づき始めた。彼らは焦るように剣を持ち直し、全力でぶつかる。けれどもこっちは、それ以上に力を振り絞った。
僕達は、これ以上後がない。後ろは大きな湖で、ここは岬の先だ。全員分を乗せる船なんて用意できる訳がない。自身の街を追いやられた者たちばかりで、これ以上、彼らに負ける訳にはいかなかった。

     どうやらあっちの兵士は紋章が使えないらしいぞ。そりゃあラッキーだ、今のうちに攻めつぶすぞ!!
そこら中から、咆哮が響き渡る。なんで紋章を使えないのか。そんなこと、みんなには小さなことで、どうでもいいことだった。それよりももっと大切で、なさなければならないことが、僕らにはあった。


みんなまるで、クワで畑を耕すみたいにして、剣を叩き下ろす。中には本当に、剣の代わりにクワと棍棒で間に合わせてる人間だっている。しっちゃかめっちゃかで、僕が言うのもなんだけれど、型なんて全然なっていない。そんなのだから、すぐに帝国軍の兵士にやられてしまう。けれども、二人がやられる間に、一人を倒す。一人がやられていたら、複数人で囲む。
人の数も、技術も、装備も、全部が全部負けていた。それなのに、なんでか勢いは負けていなかった。誰も負けるだなんて思ってなかった。いや、心の底では、その可能性を知っていた。けれども、そんなところは誰も見ていなかった。

遠く、まるで太陽のように光り輝く印が現れた。さんの紋章だ、と僕はすぐに分かった。共鳴したように、唸り狂おうとする紋章さんを、僕は必死になだめた。
あの光は何なのか。そんなの僕以外、ここにいる人たちからは遠すぎてわからない。けれども希望があった。周りの人たちの声が、どんどん大きくなった。それは意味があったり、全然意味もない叫びだったりした。けれどもみんな、きっと同じ事を言っていた。負けるもんかと叫んでいた。


言葉は力に変わっていった。
そして僕らは、彼らを破り、城を守りきった。




   ***


     さん、聞いたよ!」


あっ、と彼を見つけた。頭と左目に、ぐるぐる包帯を巻いているものだから、ちょっと前が見づらい。ほっぺたのシップは薬臭いし、片手と片足も真っ白に布を巻いていて、ぴょんぴょんと足を飛び跳ねるようにさんのところに駆けのぼった。

もうとっくに日は沈んでいる。けれども怪我をした人たちは、未だに医務室に詰め込んで、トウタくんと、レオナさんや、バーバラさん、そして水の紋章を使える人たちは、てんやわんやの大忙しだ。

ぼんやりと、さんは大きな木の下に座って、空を見上げていた。僕が声を掛けたら、びっくりしたように僕を見て、「、声が大きいよ」と首を振ったのだけれど、僕が近づくに連れて、びっくりした顔をした。なんなんだろう、と僕はよいしょ、と彼の隣に座り込んだら、彼は僕の顔をじっと見て、「怪我しちゃったの?」
「あ、うん。ちょっとだけ。さん、まだ起きてたんだね」
「うん、僕はちょっと、ビクトールと話があって……こそ」
「あ、僕はね、順番待ちしてたんだ。怪我が重い人から優先だったから、こんな時間になっちゃった」

でもまあしょうがないよね。と大丈夫な方の足をパタパタと動かす。さんはしょんぼりとした顔をして、「……水の紋章は?」「うーん、紋章師の人の魔力が切れちゃったから、また明日。おくすりもいっぱいある訳じゃないし、とりあえず包帯だけ巻いてもらったんだ」

これ、邪魔だなぁ、と顔に斜めについている包帯を指でいじると、ふと、さんが僕の右手を取った。さんはゆっくりと瞳を閉じて、右手がじわじわと光り輝く。うわっ、と僕は焦ってしまって、彼から腕を引きぬいた。「……? あ、僕の紋章、一応怪我も治せるみたいだから」「い、いやいやいや、いいよ、さんは疲れてるんだし、明日にはちゃんと順番が回ってくるって言ってたし! だいじょうぶ、だいじょうぶ」

でも、とさんが食いつこうとしたところを、「それより!」と僕は声をちょっとだけ大きくさせた。たしかに、怪我を治してくれるのは嬉しいけれど、問題はさんの紋章だ。真の紋章をこちらに向けられたら、覇王の紋章さんがびっくりして怒ってしまうかもしれない。今の僕には、彼を止める体力なんて全然ないのだ。「それより、さん、リーダーになるんだって? おめでとう、すごいよ!」

お城の中は、その話でもちきりだった。
輝く盾のような紋章を持った少年が、勝利を導いた。まるで30年前の英雄と同じだとかなんとか。その英雄さんのことはよく知らないけれど、さんがすごいってことは知っている。僕は思いっきり興奮して、バタバタと腕を振って、怪我に響いてしまって、あいたたた、と小さくなった。「あ、あいたた、……あのね、僕ね、さんがすごいってずっと知ってたよ。だって、砦のときからフリックさん達から色々任せられてたし、ミューズのときだってそうだよ」 それに、ビクトールさんとフリックさんの間で、あいつはいい拾い物をした、とお酒のつまみに話されていたのも知っている。けれども他の人の話を他の人に伝えることはいけないことかな、とそれは一応言わないでおいた。

「僕よりも、ちょっと年が上なだけなのに、たくさん一人で進んでて、すごいなあって……思います」 おっとと、と思わず口元を押さえた。さんはちょっとだけ笑って、「いいよ、別に無理に敬語を使わなくたって。前からちょっとずつ抜けてたしさ」 えへへ、と僕は頭をひっかいた。

「でも、さんって、軍主さまになるんだよね?」
「うーん、一応まだ返事はしてないけどね」

そうだったのか。てっきりもう、決定事項なのだと思っていた。だったら一人で興奮してしまって、申し訳なかったかもしれない。僕はしょぼんとして体育座りをすると、「あ、でも一応、もう決めてるみたいなもんなんだ。色々、思うところはあるけど」「思うところ……?」 うーん、とさんが口元を尖らせて、膝に肘をついて、手のひらの上にほっぺたをのせた。しばらく考えるように、お城の小さな灯りを見つめていて、にだけ、言っちゃおうかなぁ、とつぶやく。

僕はちらりとさんを見た。「不安にさ、思わないでもないんだ。ホントは、僕がなるべきじゃないって知ってるし」「そ、そんなことないよ!」「うん。がそう言ってくれてるのは嬉しいけど、ホントにそう。例えじいちゃんと同じ紋章を持ってるとしても、あのシュウが、二十歳にもなってない僕に、リーダーをしろっていうのは変だよなーってずっと考えててなんとなくわかっちゃったんだよね」

さんは、何か考えているみたいだった。僕は静かに、彼のお話を聞いた。「今日っていうか、昨日の戦いはなんとか勝ったけど、やっぱり随分不利だったと思う。例えシュウの策があったって、勝てたのは奇跡だったんじゃないかな。もちろん、みんなが頑張ってくれてたってこともあるけど。僕らは、これからこの奇跡を繰り返さなきゃならない。そうするためには力以外にも、たくさんのものが必要なんだ」

たくさんのもの。なんだろう、と考えてみた。「……運とか?」「そうだね。でも、運なんてあっちからやってこない。だから、僕らはそれを引き寄せるしかないんだ。シュウは、そのために僕をリーダーに使命したんだよ」

さんは頭の後ろに手を組んで、木の幹にもたれかかった。僕に愚痴を言っているんじゃなくって、まるで自分の考えをまとめるみたいに、「うん、やっぱりそうだ」と頷いていた。

「普通のリーダーじゃ駄目なんだ。まだ子どもで、けれども勇気に溢れてて、英雄ゲンカクの子で、同じく紋章を持っている。そんなストーリー性が必要だったんじゃないかな。シュウは僕だから頼むって言ってたけど、僕にそういう役割があることは確かなんだ。でも、やっぱりそれだけじゃ駄目で、僕はそんな役割を乗り越えて、僕自身にならなきゃいけない。少なくとも、シュウはそう期待してる。僕なら出来るって思ってる」


僕はうむ……と静かに唸って、さんを見た。「……さん、珍しくむずかしいこと言ってるね」「うん、僕もそう思う……」 つまり、それくらいいっぱい考えたってことなんだよねぇ、とさんはため息を漏らした。でも、さんは言っていた。「でも、もう決まってるんでしょ?」 さんの中では、結論が出てしまっているのだ。

さんはまあね、とちょっとだけ照れくさそうに笑って、靴の上に手をのせて、体を左右に揺すった。さっきまで、なんだか賢いことを言っていたさんより、こっちの方が、ずっとさんみたいだ。「リーダーになったらさ、変なこととか、きっと言っちゃだめだろうから、今だけね」 へへへ、と彼は笑って、また空を見上げた。ぽつぽつと、小さな星がまたたいていた。「ジョウイは」 ふと、彼は声を漏らした。「何してるのかな」 僕は彼の言葉を聞いて、ちょっとだけ目を伏せた。

彼から、直接お話を聞いた訳じゃない。でも、城にはいろんな人が来る。ミューズから逃げてきた兵士の人たちもいる。一人の少年が、市長を殺した。そして、内側から門を開け、王国軍の侵入を許した。

おそらく、と分かっていた。なんでジョウイさんがそんなことをしたのかわからない。ジョウイさんは、元はハイランドの人だし、そちら側に帰ったのかもしれない。でも、彼がさんや、ナナミさん、そして言葉が話せなくなってしまったピリカちゃんを、こっちに置いていくだなんて、なんだか信じられなかった。ピリカちゃんも、ずっと寂しそうにしてお部屋の中でぼんやりと外を見つめている。

「何か一言、教えてくれたらよかったのにね」

さんは、そうぽつりと呟いた。「ジョウイの様子が変だってことは、ずっと気づいてたんだ。でも、きっと後で話してくれるって思ってた。今でもそう思ってる。……そういう考え方が、駄目なのかなぁ……」 わかんないなぁ、とただぼんやり、さんは空を見上げていた。

僕は、気の利く言葉を言うことができなくって、たださんの隣で、小さく座り込んだ。多分さんも、そんな僕だから、こんな話をしたんだと思う。きっとこれはこういうことだよ、とか、きみはこうするべきだ、とか。そんな風なアドバイスを、別に聞きたい訳ではないんだと思う。

「……あ、そうだ。さん、フリックさんとかビクトールさん、大丈夫? 怪我してなかった?」
「うん? 大丈夫。の方がよっぽど重症って感じだよ。……会ってないの?」

あ、そっか。ずっと怪我の順番待ちしてたんだっけ、とさんは納得したように頷いた。そしてふと、不思議そうに僕を見つめてきたので、なんだろう、と彼を見つめ返した。

さん?」
「あ、いや、不安じゃないのかなって。って、いっつもフリックとかと一緒って感じがしたから。今すぐ会いに行かないんだなーって思っただけ」
「今行ったら、迷惑だよう。夜も遅いし、お仕事があるかもしれないじゃない」
「ん、まあ、そうだねぇ」

それはもちろん、相手をしてくれたら嬉しいと思うけど、それで邪魔をする訳にはいかない。怪我をしていないか、大丈夫だろうか。不安に思う気持ちもあるけれども、なんだかちょっと違う。「うーん、なんていうか……えー」 うまく言葉にでないけど。「僕、二人のこと、信じてるし」「信じてる?」 うん、と僕は頷く。

「でもさ、二人だって人間だし……まあ多少、ビクトールは熊といえなくもないけど、怪我の一つや二つ、いっぱいすると思うけどなぁ」
「いえなくもないでまとめられちゃうところに悲しくなりそうなんだけど、えーっとねー、なんだろ。なんとなく、大丈夫かなぁって」

なんにも考えてないだけなのかもしれない。それとも、もしかしたら、僕は今、バルバロッサ様とか、くんとか、僕自身のこととか、いろんなことできゅうきゅう詰めになっていて、圧迫されてしまった分、反対に何かが広くなったのかもしれなかった。信じるとか、好きだとか。そんな風に、簡単に言ってしまっていい言葉ではないような気がした。僕が口にしたら、なんだかすごく軽くなってしまって、ちょっとだけうそ臭い。でも、それが本当だったらいいと思う。他の人は僕じゃなくて、僕の気持ちをそのまま誰かに見せることなんてできないから、全部を自分で決めなきゃいけない。その気持ちは嘘だよ、とか、ほんとだよ、とか、間違ってるよ、正しいよ、なんて絶対に正しい答えを教えてくれる人なんていないんだ。

さんも、もしかしたら同じようなことを考えているのかもしれなかった。だから、答えは決めているのに、僕にちょっとだけ自分の気持ちをお話ししたのかもしれない。「信じてるかぁ」 そっかぁ、とさんはぼんやりと、僕の言葉を繰り返した。ただ、それだけだ。そうだね、とか、それって違うんじゃない、とか、そんな言葉はなかった。

それからしばらくして、僕は思わずあくびをしてしまった。さんも、まったく同じタイミングで、くわわとあくびをひとつして、お互い眠いねぇ、と頷いて、じゃあ、寝ようか、と言われたら、うん、と僕も頷いた。それからさんとバイバイをして、僕は新しくできたお部屋の中で、他の人を起こさないようにしながらお布団の中に潜り込んだ。

次の日起きてみると、お城の中は、新しい城主様のことで話題がもちきりだった。
俺達の街に帰ることができるかもしれない。このお城にやって来てよかった。王国軍に殺された、グランマイヤー様の敵を打とう。やってやるぞ、俺達はここでやるんだ。私達も、やってみせるさ。
様の元で。彼の元で。あの少年の下で。



きっとそれは、たくさんの希望だった。
誰もその男の子が、木の下で悩んで、考えて、けれども真っ直ぐに前を向いていたことなんて知らなかった。
けれど僕は、それを誰に言う必要はないと感じたし、多分誰にも言わないだろうと思った。さんもそんなこと、絶対に望んでいなかった。

僕とさんは、ほんのちょっとの小さな秘密を持って、僕らは前に進んでいった。




  

2012/03/09

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