きみはすすむ




     奇妙な知らせがあった。


デュナンの軍師は、ピラピラと紙をめくりながら、ふと重く眉をひそめた。足りない。多くのものが足りない。それは力であり、波であり、人であり、ひとつひとつと上げていけば、きりがない話だ。しかしながら、足りぬ足りぬと嘆くばかりでは、そこいらの子どもと同じである。なんのために俺がいるのか。その役割を忘れる訳がない。

(少しでも多くの、価値ある勝利を)

ただの勝てばいいと言う訳ではない。最小の被害で、最大の結果を。
そのためには、少しでも多くの情報が必要だった。虚言の中にも、隠されるものはある。彼はなめるように、数多の声を拾い上げた。「それにしても、これは……」 けれどもひとつ、彼の頭を悩ませる報告があった。これは一体どういう意味があるのか。彼はふと口元を押さえながら、また眉間の皺を深くした。

先日の、ソロン・ジーを打ち負かした、ある意味、初の白星とも言えるあの戦い。その中で、奇妙な知らせがあがっていた。

     なんでも王国軍が、なぜだか紋章を使用しなかった。もしくは、できない様子だったという。

戦いの中での混乱にありがちな、ただの勘違いである。そう言い切ってしまえば容易い。声があがっているのは、一部の地点のみであるし、不確かな情報である。しかしながら、確かに、その地点での味方の死傷者は、彼が僅かな違和感を覚える程度には少ない。

「……ふむ」

さて、これにはなんの意味があるものか。頭の隅には、覚えておく事柄か? それとも、どうしようもない紙くずか。
軍師は軽く瞳を伏せ、目元のくぼみを指で押さえた。机の上の山積みの書類が、パタパタと風に揺れ、静かに一枚、床の上へとひゅるりと舞った。




   ***



「失礼な人だね、失礼な人だね、失礼な人だったねー!!」

ぶうぶう! ぶうぶう! と僕は相変わらずほっぺをふくらませて、あのフィッチャーとかいうおじさんの言葉を思い出した。誰がおこちゃまか。誰がちっちゃいか。誰が! ベリースモールか!!! まあそこまでは言ってなかったけど、だいたいそんなニュアンスだった。

「キィッ!」
僕はおさるさんのように両手をバタバタさせて、カウンターをぺしりと叩いた。けれどもその瞬間、レオナさんから重いゲンコツを頂いた。お酒の匂いと一緒に、きゅう、と一瞬ふらりと意識が遠くなりそうになったけど、そろそろその匂いにも、慣れてきたというものである。あいたた、と頭を押さえながら、自分の僅かな成長に気づいて嬉しくなった。僕だって、大人になってきたというものである。背だって大きく……大きく……大きく?

「…………あれ」

自分では、あんまりこういうことは分からない。わからないのだ。だからきっと勘違いだ。きっとそうだ。調べてないもん。わからないって。僕はゴクッと唾を飲みながら、恐る恐るレオナさんを見上げた。女の人なのに、すらっとしていて、僕よりずっと目線が高い。「…………レオナさん、僕って、背、伸びてるよね……?」

長い間があった。
ふう、とレオナさんが、キセルを吸うようなふりをして、こんこん、とキセルのさきっちょをテーブルに当てた。「ま、男は、見かけばかりじゃあないからね」「まさかのフォローされちゃった!?」





なんてことだ。こっちの世界にやってきてからもう随分の時間が経つというのに、僕の背は、まったくもって育ってなかった。「お、おかしいなぁ……」 レオナさんの酒場の時間も終わって、僕はずるずると剣をひきずるように持ちながら、うーん、と首を傾げた。

確かに、クラスの背の順では前の方になることが多かったけれど、それでも毎年ちょっとずつは大きくなっていたはずだ。さっきはちょっとだけ現実トウヒをしてしまったけれど、実は自分だって薄々気づいている。「服のサイズが、全然変わんない……」

うーん、と手を伸ばして、また首を傾げた。お袖がぴったりサイズだ。なんてこった。同じ服を着続けられるとは、とっても経済的で素敵なことかもしれないが、“オトコのプライド”が妙にちくちくとくすぐられる。僕だってなるべく大きくなりたい。ちっこいままは嫌である。「ううううん……」 両手を正面につきだしたまま、ついでにあひるみたいに口元をつきだして考えた。「牛乳を飲もう」 いっぱい飲もう。レオナさんのところの酒場にもっかい戻ろう。

「目標は!! 一日!!! いちりっとる!!!」
「そんなに飲んだらお腹を壊してしまいますよ?」
「ギニャーッ!!!」

妙に聞き覚えのあるうさんくさい声をかけられて、僕はぐるりと体を反転させた。あいかわらず髪がぼさぼさの無精髭のおじさんが、ポリポリと頭をひっかいて僕を見下ろしている。「フィッチャーさん!」「は。覚えて頂けて、光栄ですよ」 へらへら、と怪しい笑いをするフィッチャーさんは、今度はほっぺたをボリボリ引っ掻いて、「こっちが宿屋の入り口で構わないんですかね?」と首を傾げた。僕はうん、と頷いて、とりあえずドアにかけより、ギギッと扉を開いた。

「こっちだよ」
別に目と鼻の先である。僕はフィッチャーさんより前に出て、帳面にかりかり、とお名前を書いた。簡単な文字なら、だいたい書けるようになったのだ。「フィッチャーさんだね。何日泊まるの?」「はあ。まあとりあえずは一泊で」「じゃあ200ポッチください」

僕が右手の手のひらを出して、ひょいと彼を見上げると、フィッチャーさんは困ったように首を傾げた。どうしたんだろう、と考えて、ああそうか、と僕はパタンと帳面を閉じ、おじさんと正面で向き合う。「宿屋はまだ、決まった担当の人がいないから、みんなで交代してやってるんだ。僕もときどきカウンターに立ってるから、一応安心してくれていいよ」

あんまり効率はよくないので、バーバラさんが、誰だか新しい人が来てくれないもんだか、とよくよくぼやいているけれど、いないことを嘆いていてもしょうがない。フィッチャーさんは、やっぱり反応に困った顔をして、「ははあ。小さいのに大したもんですなあ」「小さくないです!!!」 やっぱり失礼な人だった。

今は丁度、担当の人はいないらしい。しょうがないなあ、と僕はぷりぷりしながら、「こっちです」とフィッチャーさんに声をかけた。大部屋の中に、ベッドがいくつか並んでいるけれど、丁度今は誰も利用をしていないらしい。きっとだから、カウンターに誰もいなかったのだ。「フィッチャーさん、軍主さまに会うんじゃなかったんですか?」 僕はちょっと意地悪をするつもりで、ぱたぱたとベッドのシーツを整えながら、ちらりとフィッチャーさんを見つめた。フィッチャーさんは、「そうなんですがねぇ、まあ、もう暫く待てと言われまして。ま、こっちも連絡なしの唐突な訳ですから、まだ誠意のある対応かと思いますがね」「ふーん……」

なんだ、とちょっとガッカリした。ビックリタイムはまだのようである。いっとくけど、さんは本当に軍主さまなんだよ! と言いたい気持ちをググッと抑えこんで、僕はそっぽを向いた。「それにしたって、小さいのに偉いですねぇ」 ピシッとこめかみにヒビが入った気がする。しかしながら、ここで耐えることも大人の一歩である。「いっときますけど、僕、小さいのとか小さい子じゃなくって、っていいますから」「ははあ、さんですね?」「そうですよ、フィッチャーさん」 さん付け、というところに、ちょっとだけ大人扱いされたみたいで僕の機嫌はちょっぴりよくなった。

ここのお城には、お風呂にありますから、そっちの方もよかったら使ってください、と僕は簡単にお城の作りを口頭で説明すると、フィッチャーさんはわかっているのかわかっていないのか、よく分からないような顔つきで、「なるほどなるほど」と嬉しそうに頷いている。変な人だ。「ときに、くん」 即座に君付けになっている。まあいいか、と僕は顔を見上げて、「なんですか」と首を傾げた。

「きみは、ここの宿屋のお仕事の担当なんですかね?」
「んん、まあ、そうだって言えばそうだけど、さっきも言ったけど、ここはみんながバラバラに担当してるんだ。僕はだいたい、酒屋のお金の計算とかしてるかな」
「へっ。こんな小さい子が、お金を預かっているって!」

また小さいって言った。むか。「……まだここがお城じゃなくって、傭兵の砦だったときからそうさせてもらってるだけだよ」 僕は部屋の端っこに置いておいた、大人用の剣を手に伸ばして、「お話が終わったんなら、ばいばい」とそのまま部屋を出ようとした。けれどもフィッチャーさんは全然空気を読んでくれなくって、長い足で、僕の必死の歩調を軽々追い越し、「それで、その剣はなんなんです? まさかあなたも戦場に出たり」 まるでそのことが悪いと言ってるみたいだ。

「そうだよ、悪い?」
「悪くはありませんが、くんのように、小さな子でも外に出なければいけないとは、人手不足ということですねぇ」

僕はぎゅっと唇を噛んで、ピタリと足を止めた。じろりとフィッチャーさんを見上げて、「そうだけど、それが、なにか!」 僕はムーっとしながら腕を組んで、彼を射抜くように睨んだ。フィッチャーさんは、ひょえっ、と声を高くさせた後、ごしごし、と自分のあごをこすって、「あ、そこ、否定しないんです……?」「ジジツなんだから、否定したってしょうがないでしょっ!」

正直ですねぇ、とフィッチャーさんはどこか面白げな顔をしたので、僕はまた彼を無視するように、スタスタと足を進めた。けれどもやっぱりフィッチャーさんは隣を歩いて、「それとまだいくつか質問があるのですが、こちらのデュナン軍の規模や、普段困っていることなどあれば教えてもらえませんかね?」 僕は無視した。「そんなこと言える訳ないでしょ!」
人手不足、と言われて、さっきは思わず肯定してしまったが、部外者にそれ以上の情報を、進んであげられる訳がない。このフィッチャーという人は、まるでお城の情報を集める、悪いスパイか何かみたいだ。今だって、僕の隣を歩きながら、きょろきょろと抜け目なく辺りの様子を見つめている。

僕はかちゃんっと鞘から剣を引きぬいた。フィッチャーさんはさすがにギクッとしたのか、一ニ歩後ずさる。ちらりとそっちを見つめて、いつものごとく、僕はブンッブンッと素振りの練習をした。
怪しい、変な人だ。そう思っていても、この人は軍主さん、つまりはさんと面会のお約束をしているらしいし、僕が下手に口を出さない方がいいと思ったのだ。「あ、なんだ、練習ですかぁ」 びっくりしたぁ、と胸に手のひらをあてるフィッチャーさんは、どこか情けない。なんだかこっちの気が抜ける。

フィッチャーさんは暫く僕の素振りを見ていたと思ったら、「実はくん、ちょっとしたお願いがあるのですが」 僕はちらりとそっちに目を向けて、また剣を振り回した。人と話すとき、こんな風な態度はシツレイだと思うけど、あっちの人だってシツレイなのだ。そっちがダメだからこっちも、とい言うわけじゃなくって、こうでもしないと、どんどんフィッチャーさんのペースに巻き込まれてしまいそうだ。

フィッチャーさんは、とりあえず僕が彼の話に耳を傾けていると判断したらしく、「実はですね、この頃ちょっと不穏なお話があるんですよ」 フオン。一瞬どういう意味だろう、と思った後に、不穏、不穏ね、と頭の中の辞書をめくる。「もしかしたら、またすぐにこちらの軍を出兵させる動きになるかもしれません。でもそうしたとき、いきなりってなると、素早い動きができないでしょう? ですからくんの方から、それとなく噂を流してやってくれませんかねぇ」

僕は素振りをとめて、さっくりと地面に剣の先をさした。ぽたぽたと汗がこぼれた汗を腕の服でぬぐって、「無理だよ」「噂と言っても、かるーくで構いませんよ? いつもより、ちょっとだけ入念に準備をした方がいい、みたいな」 正直者のくんが言うことなら、きっとみんな信じます、とうむうむ、と顎に手のひらを置く彼に、ゆっくりと首を振った。

「ちょっとだけでもだめ」
「お城の方々のタメになると言っても?」

僕はちょっとだけ考えて、「うん、だめ」
なんでです、と言う風にこっちを見つめるフィッチャーさんに、どうなんだろう、僕は間違ったことを考えているのかな、と思った。「フィッチャーさんには悪いけど、みんなのためになるって言っても、ほんとうにそうかはわかんないでしょ。もしかしたら、その反対になっちゃうかもしれないし。そうなったら困っちゃうよ。せっかく軍師さま、シュウさんがいるんだ。勝手に動いて、迷惑なんてかけたくないもの」

みんなのために、とフィッチャーさんはいい面でしか語っていないけれど、そんな噂を流したら、みんなの勢いがそがれて、不安なきもちで溢れてしまうかもしれない。その反対になるのかもしれないけど、僕には全然分からない。学校に通っているときは、分からないことでもどんどん進んでやれば、先生に褒められたけど、ここは学校なんかじゃないのだ。分からないことはすべきじゃない。とにかく、確認を先にすべきだと思う。僕らはシュウさんやさんを信じて、まっすぐに進まなきゃならない。
「っていうか、悪い噂があるって言うなら、僕じゃなくって、シュウさんに直接言えばいい話だと思うけど」

なんとなく思ったことを伝えると、フィッチャーさんは、たはは、と頭を撫でながら、「痛いところをつかれました」と笑った。「決定事項、という訳ではないんですよ。もしかするとという程度ですんで、そっちの軍主さん方にお話すると、実は少し都合が悪いんですね」「……フィッチャーさんって、変な人だねぇ」 思わず本音が出てしまった。

信用がならないとはよく言われますが、変な人とは初めてです、と嬉しいのか嬉しくないのか、彼はへらへら笑うと、唐突に、垂れた瞳をきゅっと細めた。なんだか少し、ドキッとした。
けれどもそれは一瞬で、すぐさまフィッチャーさんはさっきまでのへらへら顔に戻って、明るい口調で声をあげた。「くん。そしたら今度こそ、あなたにちょっとしたお願いがあるんですが」 

今度こそってなんだ。さっきまでのお話は、別に本気じゃなかったってことなんだろうか。
僕はちょっとだけ眉をひそめた。なんだか分かりづらい人だと思ったのだ。「僕ができることだったらね」 無理なことは無理だからね、というニュアンスをこめて返事をすると、「なあに、簡単なことです」と彼は丁度僕がいる真上の木へと、ひょいと指の先を向けた。

くん、ちょっとあの木を見てください」
「木?」
「そうですそれです。あなたは毎日この場所に来ますか?」
「うん、まあ、だいたい」
「そりゃあ都合がいい」

あの木に、もしかすると、茶色い鳥がとまるかもしれません。と何が言いたいのかよく分からない言葉を彼は呟いた。そりゃあ、鳥だってとまるだろう。僕がうるさいから、あんまりここで鳥を見かけることはないけれど、朝起きたとき、ちゅんちゅんと外で雀の音がするときがある。

「その鳥は、くちばしの先が、ほんの少し赤いです。ちょっとだけ珍しいですから、他の鳥とは間違えません。もしその鳥を見たら、あなた方の軍師殿に、こう伝えてください。『フィッチャーが助けを求めている』」

僕は剣の柄に顎をのせながら首を傾げた。「…………それだけ?」「はい、それだけです」 けれども重要なことです。とさっきまでの適当な口調をひそめて、じいっとフィッチャーさんは僕を見つめた。「軍師殿に声をかけるだけですし、これなら問題はないでしょう?」 うん、まあ、と僕はちょっとだけ考えた。もしこれが悪いことだとしても、シュウさんは僕よりずっと頭がいい訳だから、きっと大丈夫だと思う。

「うーん、まあ別にいいけど、そんな簡単な言葉でいいの?」

伝言するなら、もっとたくさんの方がいと思うんだけど。と彼に問いかけると、フィッチャーさんはがしがし、と熊さんみたいに頭をかいて、「ま、噂に聞く軍師殿でしたら、何の問題もないと思いますよ」とへらへらと笑った。なんだかよくわからない人だ。





それから数日が経ち、僕はフィッチャーさんをお城で見かけることはなくなった。それと同時に、さんも消えてしまった。おそらく、僕みたいな下っ端が知るわけがない、“重要な任務”というやつをこなしているのだと思う。とにかく僕は、自分ができることをした。お城の中の掃除をして、酒場のカウンターに立って、剣を振り回した。ときどき、フィッチャーさんが言う木を見上げた。
こんなことに、一体なんの意味があるんだろうと思いつつ、約束なのだから、きちんと守らなければいけない。

そうして毎日同じことを繰り返し続けていたとき、ふと、フィッチャーさんがさした木の枝に、ちょこんと茶色い鳥が乗っていることに気づいた。その鳥は、くちばしの先がほんの少しだけ赤くて、僕はびくんと肩を飛び跳ねさせ、即座にシュウさんのお部屋へと向かった。



けれども、シュウさんのお部屋に行くにはたくさんの警備の人がいた。用事があるんです、と声をかけて、きちんと手順を踏んで面会するとか、ただ伝言を頼めばいいだけなのかもしれないけれど、それじゃあいつシュウさんに伝わるのか分からない。即座に彼に伝えてくれ。そんなことフィッチャーさんは言わなかったけれど、彼は“助けを求めている”らしい。考えると、妙にそわそわしてしまった。

僕はぎゅっと唾を飲み込んで、ダダッと駆け抜けた。「おーい坊主ー。ここからは軍師殿のお部屋だから     」そう言いかけた兵士さんの間を、僕はひょいっと通りぬけた。「ごめんなさいっ!」 ちらりと振り向くと、兵士さんは僕を捕まえようとした体勢のまま、固まっていた。そして勢い良く振り返って、腕を振り上げながらこっちにやってきた。「こらー! 待てー!」「ひいいいいい」

後で絶対怒られる。怒られる!
やっぱり僕はフィッチャーさんにのせられてしまったのかもしれない。今更後悔しても遅い。こうなってしまえば自棄である。シュウさんのお部屋に行くまで、何人も兵士さんの間を通り抜けて、僕は必死に階段を駆け抜けた。前に何度かお掃除をしたから、お城の構造はある程度なら頭に入っている。ここだ! という場所に、僕は体当たりをするように突っ込んだ。大きな扉がパカッと開いて、僕はぷりっとお尻を出して、顔から絨毯の上に突っ込んだ。「こんの、いたずら坊主が……!」 そして即座に追いかけてきた兵士さんに、首根っこをつかまれた。

「わ、あ、まっ、ままっ、待って! シュウさんに、ぼく、ぼく、つ、伝えなきゃならないことが……!」
「あとでたっぷり仕置をしてやる。まったく、はしっこい奴だ!」

待ってよう、ま、待ってよう!!
僕は必死に手足をばたつかせて、ドアにぴたっと抱きついた。こんのやろお、と兵士さんと押し合い圧し合いをしていると、「お前ら、何をしているんだ」 呆れたような顔をして、書類を片手に持つお兄さんが、テーブルの向こう側に座っていた。シュウさんだ! と僕はパッと顔を明るくした。シュウさん、と声を掛ける前に、ぐいっともう一回首根っこを持ち上げられて、僕はぐえっとカエルみたいな声を出してしまった。苦しい。

「ハッ。申し訳ありません。この坊主が、勝手に入り込みまして……」 べしっと兵士さんが、僕のお尻を叩いた。僕はきゃんっとわんこみたいに悲鳴を上げて、ぶるぶる、と必死で首を振った。「勝手に来ちゃったことは謝ります、ごめんなさい。でも僕、フィッチャーさんから伝言があるんです!」 フィッチャー。そう言葉を出した途端、シュウさんはきらん、と瞳を光らせて、じっと僕を見つめた。「なんだ、言ってみろ」 僕はごくっと唾を飲んだ。

「茶色い鳥が、木の枝にやってきたんです。そしたらフィッチャーさんが、シュウさんに『フィッチャーが助けを求めている』と伝言をしろって」

即座にシュウさんは立ち上がった。
「確認した。お前、そこの小僧を離してやれ」「え……あ、ハッ!」 ビシッと兵士さんは敬礼した。僕はボテッと床に落ちた。僕の隣を、ポケットの中に手を入れたまま、シュウさんは通り過ぎる。僕は慌てて立ち上がって、どうすればいいかと困りながら、彼の隣をちょこまかした。そんな僕を、シュウさんはちらりと見下ろし、「……お前、名前は」

「え、です」
「よし、。今すぐ船着場へ行き、『時期が来た』とタイ・ホーに伝えろ。シュウがそう言っていると言うだけでいい」
「あ、はいっ、わかりました!」

なんだか伝言ゲームだ。ちょっとだけそう思いながら僕はまた即座に駆け出した。
タイ・ホーさんと言う、黄土色の着物を着て、頭にねじり鉢巻を巻いたヒゲのおじさんに、シュウさんからの言葉を伝えると、まかされたとばかりに彼はぴいんっと手の中のサイコロを弾いて、「よおしっ、いいねえ血が騒ぐぜ! ヤム・クー、釣りなんてしてる場合じゃねえぞ!」

はいはい、ともっさり長い髪のお兄さんは、よっこいせと立ち上がった。あれよあれよと城の中は慌ただしく、武器をまとめた僕らは船の中に乗り込んだ。目指すはトゥーリバーであり、この戦いは彼らを支援するものである。デュナンの軍は、彼らと協定を結ぶのだ。そんな声を船の中で聞きながら、僕は今更ながらにパチパチと一人瞬きを繰り返した。そしてぴー、ひょろろ、と木の上でぱたぱた羽を動かす、あのくちばしの先が赤い鳥を思い出したのだ。(も、もしかして、あの鳥って) 出兵のタイミングを伝えるものだった?

(う、うわああああ)
なんてことだ。今更ながらにビクビクとした。初めから、教えておいて欲しいものだ。きちんと約束を守れたからよかったけれども、まったく心臓に悪い。とにかくよかった、シュウさんに伝えることができて、本当によかった。

ぐらぐら揺れる船に気持ちまで揺らつかせながら、僕達はトゥーリバーの街へと向かった。これが、僕の二度目の出兵であった。




  

2012/05/07

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