きみはすすむ






トゥーリバーへの援軍のため、デュナンの軍は出兵した。けれども結局、僕らは王国軍と戦闘を行うことはなく、そのままお城へとんぼ返りをすることになった。援軍である僕らの姿を確認して、彼らはぴゅっとしっぽを巻いて逃げてしまったのだ。がっくりと、まるで肩透かしをくらったような気にもなったけれど、戦いがないというのなら、きっとそれが一番いい。僕らは戦わずして勝った。なんだかそれは、僕らが少しずつ大きくなっているようで、じわじわと嬉しくなった。

デュナン軍は、トゥーリバーの街との協定を結んだ。こうしてまた、デュナンの城は大きくなった。見覚えのない人がまた増えた。そして同じく、見覚えのある人も。


「フィッチャーさん……」
「うひょっ、わわわ、くんじゃないですかー」

先日はどうもどうも。とお髭をぽりぽりさせたおじさんは、きょろきょろと辺りを見回した。石畳廊下がまっすぐに伸びていて、掃除のお姉さんがバケツを抱えながらパタパタと通りすぎる。「本日もよいお日柄ですねぇ。それでは!」 ババッと片手を上げて逃げようとするおじさんの腰の服を、僕はがしっとひっつかんだ。なめないで頂きたい。

「フィッチャーさん」
「ほほっ、どうしましたくん、申し訳ないんですが、この後私、ちょっとした用事があるんですよ」
「フィッチャーさん」
「おっとと、あ、ちょっと、ズボンをずらさないでください」
「フィッチャーさん」

逃げちゃダメだよ。
僕は自分ができるかぎりの心底低い声を出しながら、じろりと恨みがましく彼を睨んだ。フィッチャーさんは、「たはは、たはは」と暫く片手を振っていたものの、暫くするとゆっくりと手のひらを下ろして、「はは、申し訳、なかったです……」 へらへら口調のまま、そう自分の非を認めたのだ。




できることなら、事前にきちんと説明して欲しかった。そうしてくれたなら、僕だってもっとこまめに木の鳥を確認しただろうし、失敗の可能性だって少なかったのだ。運良く僕があの鳥を見つけられたからよかったものの、もしその日一日、都合が悪くて剣の稽古をしなかったら、それだけシュウさんへの伝言が遅れてしまっていたはずだ。
僕はぷんぷんしながらフィッチャーさんに向かい合い、腕を組んで向き直った。自分が申し訳ないと思うことをしたときは、きちんとけじめをつけること。僕はこっちに来て、そう教えてもらった。

フィッチャーさんは、相変わらず不真面目そうな顔をしていたけれども、いつもよりも口調は神妙で、「まあまあ」と僕の言葉にひとつひとつ言葉を返した。

「私もね、申し訳ないと思ったんですよ? でもですね、シュウ殿に直接伝えるには確実のある話ではなかったし、きちんとしたタイミングで伝えなければ、トゥーリバーとデュナンの軍との協定は、夢のまたゆめになるところだったんです。ですからあなたにお話する訳にはいかなかった、ということで」

実はこのフィッチャーさんという人は、トゥーリバーからの使者であり、さん達へ協力の要請を求めて、このお城へやって来た。そんな彼に経緯は、だいたいではあるけれど、さんから聞いた。僕はううん、と唇を尖らせて、「でも、そういう重要なことは、あんな適当に済ませちゃだめだよ。うまくいったからいいものの、全然だめだったら大変なことになってたでしょ?」「まあそれはそうですが。もしあなたがダメでも、また別の手はずはありましたから」

伝えるものは、あの鳥一羽だけじゃあ不安ですしねぇ。
そううそぶく彼に、僕はパチパチ、と瞬きをした。ふーん、と自分の顎をひっかいて、「そっか。わかったよ。そしたら僕ももう怒らないね」 彼の口から事情を訊いたら、結構すっきりしてしまった。うんうん、と頷きながらフィッチャーさんを見上げると、なぜだかフィッチャーさんは不思議気な顔をしていて、どうしたの? と僕は彼に問いかけた。

「もう怒らないんですか」
「うん。だってフィッチャーさんはきちんと理由を説明してくれたし、僕はそれに納得したんだから、怒る理由がもうないでしょ?」
「いやまあそうではありますが。別の手はずがあるってことは、あなたのことを信用していなかった、という意味にも捉えられると思うんですがね」

思わず僕はきょとんとした。「なんで?」 なんでって、とフィッチャーさんは短いお髭をごしごしとこすって、ちょこん、と僕に背を合わせるように座り込んだ。「あなたが約束を守ってくれるとは思わなかったから、予備も準備していた、とも受け取れるかと」「フィッチャーさんは念には念をって、用心深かっただけでしょ?」

お仕事に熱心だっただけで、それのどこがダメなの。とパチパチ瞬いた。そうすると、フィッチャーさんはどこか困ったような顔をして、「くん、きみはちょっと、変な子ですねえ」 僕から言わせてもらうと、フィッチャーさんは失礼な人なのだけれど。むかっとしてビクトールさんのマネをして、フィッチャーさんのほっぺたをぶにっと掴んでやろうと思った。けれども彼はさっと体を回転させて、けらけら、と笑いながら距離を置いた。「でも、いい子ですねぇ」

それだけ言って、フィッチャーさんは僕に手のひらを振りながら去っていった。結局なんだったんだ、と僕は首を傾げて、彼の背中を見送った。
フィッチャーさんは、トゥーリバーの人だ。けれども、彼はこれからデュナンの城に仕えるようになるという。また妙な人が増えたもんだなぁ、と僕はこりこりと顎をひっかいて、大人のようなふりで、軽いため息をついた後、くいっと肩を小さくすくめた。



   ***



フィッチャーさんは、僕のことを小さい子、と言ったけれど、お城の中には、案外僕と同じく小さな子どもがたくさんいる。それは街から避難してきた子ども達であったり、トウタくんのように、大人と同じくお仕事をする子もいる。
彼らがきゃっきゃと広間で駆けまわる姿だとか、新しくやって来た洗濯好きのお姉さん、ヨシノさんの周りをぐるぐると囲んで、嬉しげにお手伝いをしているのをときどき見かけた。
彼らは僕にぱたぱたと手を振って、僕も同じく振り返す。ときどき、一緒にかけっこする。だから僕はこの城の子達のことは大抵知っている。けれどもその子は違った。


この間茶色い鳥がとまっていた木の枝に、大きな鳥がとまっていた。ぱたぱた、とその鳥は鉤爪を動かして、真っ黒な羽を震わせた。僕はぽかんと口を開けた。そして手の中の剣を、ぎゅっと握りしめた。

「…………なんか用かよ」

鬱陶しげに、その子はじろっと僕を睨んで、思わずぶんぶんと首を振った。そしたら、彼はフンッと鼻から息を吹き出して、ぱっと枝の上に立ち上がった。バサッとコウモリの羽が揺れる。ばさ、ばさ、ばさ! 彼はパッと遠くへ羽ばたき、僕の上を軽々と飛び越えた。僕はぼんやりとその光景を見つめた。そして、ぱたっと手の中の剣を落としてしまった。ガチャン、と鞘の中で剣が暴れる音がして、慌てて僕はそれを持ち上げた。そうして、もう一度、コウモリの翼が生えた、男の子の小さな翼を見つめた。「す、す、す、す、すごい…………!」



この世界には、コボルトがいる。頭が犬なのに、ひょいと二本足で立つ毛むくじゃらな、不思議な種族だ。やっと分かり始めた文字を追って、僕はぴらりとページを開いた。群島諸国という場所には、ネコボルトという種族もいる。それはゲンゲンくんのように犬ではなく、二本足で立つ、大きな猫だ。おとなりのトラン共和国には、エルフもドワーフもいるし、人魚やユニコーンだって存在する。そんな不思議な世界なのだ。

なんていったって、剣であるはずの星辰剣や、覇王の紋章さんだっておしゃべりするのだ。そんなにビックリすることではないのかもしれない。そう思うのに、僕はドキドキと彼の背中を追った。彼はウィングボード。うまれつき、背中にコウモリの羽が生えている。生えているだけじゃなくって、それをパタパタとはばたかせて、本当に鳥のように空を泳ぐことができる。

(ウィング……ウィング。そっか、翼かぁ……!)
後ろの言葉の意味は分からない。残念なことにも、僕の辞書は砦の中で焼けてしまったし、英語なんて習ってない。僕はごくごくと牛乳を飲みながら、バタバタと足をばたつかせて、フリックさん達から彼らのお話を聞いた。なんでも、彼らはトゥーリバーにもともといた種族達で、今回の協定で、新たに仲間になったとか。

「あいつはチャコってんだけどな。体もちっせぇ、元気だけがありあまってるガキだってのに、仲間の連中引き連れて、空から石をおっことしたんだ。王国軍のやつらもたじたじよ」

俺はいいとこなしだったんだがね、ああいう奴は大好きだぜ、とガハハと笑いながら膝を叩くビクトールさんの言葉を聞いて、僕はまたバタバタと足を動かした。「そっかぁ。チャコくんって言うんだ。そっかぁ」 うんうん、うんうん、と牛乳を飲み込む。チャコくん。なんだかかわいいお名前だ。おい、飲み過ぎるなよ、とビクトールさんにため息をついて肘をつくフリックさんは、そんな僕をちらりと見つめて、「なんだ、。チャコのことが気になるのか」「うん!」

僕はパッと顔を明るくした。そうしたらフリックさんは少しだけ瞳をきょとんとさせて、ほんのちょっぴり白い歯を見せて苦笑した。そうして僕の頭をぐしぐし撫でると、「そうか。まあ、同じ年頃の子も少ないしな。友達にでもなればいい」「……うんっ!」

まったく、仲がいいこって。とビクトールさんはグビリとビールに口をつけて、「そういや」 うん? と彼は片眉をひん曲げた。「お前なんでこの頃牛乳ばっか飲んでんだ」 ギクッとした。

僕はビクトールさんから視線を逸らして、ぐびぐびと牛乳を飲み込んだ。奇妙な間がやってきた。ははん、とビクトールさんは面白げににやついて、「お前、チビだもんなぁ」「ちびくないよ!」「チビだしひょろいし、いつになったらでかくなんだ?」「チビでもひょろでもないんだよ!!!」

ちょっと身長があるからって調子に乗って! 熊さんはまったく調子に乗って!! と僕はバシバシテーブルを叩いた。「おいビクトール、あんまりからかうなよ」「だってよぉ。馬鹿みたいに反応するしよ」 ぐびぐびっと僕はやけ酒のように牛乳を飲み込んだ。何がチビか。なにかでかいか。

「背が高ければー! 偉いのかー!」
「おいお前、こいつに酒でも飲ましてないだろうな……」
「さすがの俺でもしねえって」

えらいのかー!? と僕は少々ろれつを怪しくさせながら、ウィー、ひっく。とごきゅごきゅ牛乳を飲み続けた。ごきゅごきゅ。







お腹の中が、ごろごろする。

「うー……」と僕は半分死に絶えたような声を出しつつ、体育座りをした。いつもの木の下で、ぴーちくぱーちく聞こえる鳥の声に耳を傾けた。今日は僕がぶんぶん剣を振り回さないから、元気に安心して歌っていらっしゃるという訳だ。

「にほんじんは……なぜ……ぎゅうにゅうをのむと……おなかをこわすか……」

ミンゾクテキな理由であり、タイシツなので、お腹がごろごろするものはしょうがない。諦めるしかない。けれどもそれじゃあ一体僕はどうすればいいのだ。どうやって縦に伸ばせばいいというのだ。まあまあ気にすんなよ、というように、右手のおくすりくんの、慰める声がする。けれども反対の覇王さんは、ハハン、と言うようにお鼻で笑っていらっしゃる。おくすりくんを見習って頂きたい。
あー……、とゴロゴロするお腹を慰めるように手のひらを添えながら、僕はぼんやり空を見上げた。ぴー、ちちち……小さな鳥が鳴いている。


     お前は真の紋章の継承者なのだ。背など育つ訳がない。


ふと、声が聞こえた。僕は思わず紋章さんを見つめた。「…………今、何か言った?」 あんまりにも声が小さくて、よく聞こえなかった。けれども紋章さんは、やっぱりうんともすんとも話さなかった。人がお話をしているというのに、ツーン、と無視を決め込んでいる。「ちょっと、紋章さん。僕前々から言いたかったんだけどね、人がお話ししてるときはね、ちゃんとお返事しなきゃダメなんだよ? ちょっと聞いている? 全然聞いてないねコラ。ダメでしょコラ」

ぺしぺし。
ぺしぺしぺし。

一人黙々と左の手を叩いていると、ふと、頭の枝に、ずしんと重いものが乗っかかったような音がした。ちちち、と鳥たちの声が遠くなる。僕は慌てて顔を上げた。ばさばさ、とコウモリ羽が動いている。わひゃっ、と僕は立ち上がった。またお腹がごろごろした。


体をへたつかせて、座り込み、彼を見上げた。「ちゃ、チャコくん!」「うん? なんでおれの名前知ってんだよ。つーかお前、独り言いいすぎだろ」 ちょっと気味が悪いぞ。と言われて、あはは、と僕は肩をすくめた。

「ビクトールさんに聞いたんだ! 僕、!」

よろしくね! と手のひらを上げた。チャコくんはふーん、と唇を斜めにさせて、「ねぇ」 どこかうさんくさそうにつぶやくと、ちょこんと枝の上に腰掛けた。「お前、このところおれのことつけ回してたろ」「えぐっ」

僕はゲホゲホ、と咳き込んだ後に、「や、やだなあ。つけ回してただなんて。ちょっとときどき、後ろから見てただけだよ」「それをつけ回してたって言うんだっての」 ですよねえ、と僕は頭をひっかいて、しょんぼり地面を見つめた。怪しいやつ。とチャコくんが呆れたように呟いた。気味が悪いに怪しいやつ。なんとも嫌なツーコンボだ。

「なんだよ。お前、おれになんか言いたいことでもあんのかよ」

チャコくんは、ばたばたと足を振った。僕は少しだけ困ってしまって、彼を見上げながら、「そのう」と口ごもった。そうすると、チャコくんはひどく不機嫌そうに眉をひそめて、「羽つきが、そんな珍しいか」 声がひどく怒っていた。僕はぎょっとして首をかしげた。「あ、あの、羽つきって、なに……?」 もうちょっと、別に言う言葉があったと思う。けれどもパッと出てきた言葉がこれだったのだ。

チャコくんは、なんともコメントがしづらいような、半分笑っていて半分怒っているような顔をした。羽つき。ウィングボードの人たちのことだろうか。(あ、羽があるって、じろじろ見られるのが、嫌だったのかも) もしも僕がコボルトさん達でいっぱいの場所に行って、「お前へんな顔してるな! してるな! めずらしいな!」なんてどやどや囲まれたら嫌というか、びっくりするかもしれない。僕はそうでも、人によったらとても不快になるのかも。

あ、えっと、えっと、えっと、と僕は一瞬あわあわとした。チャコくんは、ふんっと鼻を鳴らして、またばさりと羽を揺らした。「ま、まって!」 思わず叫んだ。「か、かっこいいなって!」

     だって、羽があるだなんてすごい。

その上、それでばさばさと自由に空を飛べるのだ。かっこよくって羨ましい。僕はそう言って、拳を握った形のまま固まった。チャコくんは、口元をへの字にして僕を見た。そしてまた難しげな顔をして、「ばーか!」と言った。彼はパッと枝の上に立ち上がって、ひょいっとジャンプするように空に消えた。ばか。怒られたのだろうか。僕はぽかんとして、やっぱり彼の背中を見送った。


それからたまに、僕とチャコくんはお話するようになった。彼はちょっとだけ自慢気に、へへっと口元を笑わせて、二人一緒に牛乳を飲んだ。俺の方が、背がでかいし、羽がある分、もっともっとでかいんだぞ、と聞捨てならないことを言っていたので、僕はもうちょっと頑張って背を伸ばそうと思う。相変わらず、ときどき呆れたように紋章さんがため息をついていたけれど、まあ別に、知ったこっちゃない。



まるで戦利品みたいに空の牛乳瓶をコトンとカウンターの上に置いて、うふふと笑って、僕はお会計を計算した。今日もご苦労様だね、と常連の人が僕の頭を撫でていく。知ってる人がいっぱいだ。けれどもやっぱり、少しずつ知らない人が増えてくる。

ふと、知らないお兄さんが、僕を見て眉をひそめた。お代はこれくらいになります、と声をあげると、奇妙に不機嫌そうな顔をして、注文も受け取らずに消えていった。
そんなことが、少しずつ増えていった。


僕はちょっとずつ、彼らの気持ちがわかってきた。手の中に持つ、ポッチがつまった箱を見て、僕は長く考えた。そうして僕は、酒場のお仕事をクビになった。






  

2012/05/09

萌えキャラアンケで、チャコ萌えの方が複数人いらっしゃったので

Material by Helium : design by I/O :: Back to top ▲