きみはすすむ






     ガキ相手にして、気持ちよく酒が飲めるかよ



僕を見て、眉をひそめながら帰っていった人の主張は、そういうことだ。僕みたいなガキンチョがお金をあずかっていることが、なんとも不釣り合いで、奇妙だということは知っていた。フィッチャーさんだって、不思議気に顔を傾けていた。レオナさんは、決してそのことに僕に文句は言わなかったし、あんたはよくやってるよ、と足を組んで、火のついていないキセルを口元にくわえていた。

だから僕は、自分から頭を下げたのだ。やっぱり僕には無理みたいだし、レオナさんに迷惑もかけたくないんだよ。剣の練習だってあるし、色んなところのお手伝いもあるし、これでも僕、中々忙しいんだからね。

そう言って、胸を張った。
僕の言葉に、レオナさんはふうと鼻から息を出して、あんたがそう言うなら仕方がないね。そう言葉を返したのだ。


そうだ。これは僕から辞めてしまったのだ。
これが一番正しいことだと、僕は知っている。

今までが、ちょっとだけ変だったのだ。お金というものはとても大切なもので、それを扱わせてもらえるということは、それだけ周りに信用をされないといけない。砦では、みんな僕のことを知っていた。人が少なかったなら、「なんだこいつ」と思われないで、頑張れよ、と甘っちょろいことを言って僕のことを応援してくれたのだ。けれども、デュナンの城は違う。

さんが頑張ったから。
だからどんどんお城は大きくなった。宿屋には、さんのお知り合いだというご夫婦がやって来た。バーバラさんはひどく喜んで、今までの交代制はなしになった。僕がお手伝いをする必要もなくなった。

僕はとことこと前を向いて歩いた。慣れた道のりを歩いて、歯の潰された剣は、自分の部屋に置いている。
僕は自分から、レオナさんに言ったんだ。僕は自分から、あの酒場を辞めたのだ。みんなの迷惑になるんなら、とちゃんとわかって、引き際を理解した。とことこと、僕は歩いた。階段をのぼった。僕は、正しい判断をした。
そのはずだ。
これが、一番いい形なはずだった。





なのに、なんでこんなに苦しいんだろう。





どんどん自分の歩くペースが速くなる。気づけば僕は走り出した。景色がぎゅんぎゅん変わっていく。はやく、はやくと気持ちが急いだ。階段を、息を切らしてのぼりながら、心臓がどくどくとなる音が聞こえた。自分がそう決めたんだ。僕が、それが一番いいと決めたはずなんだ。全部僕は、わかってたんだ。     なのになんて、こんなに苦しくって、苦しくって、仕方ないんだろう。

おかしいのだ。
屋上に飛び出して、誰もいないと空を仰ぎ見た途端、僕はぼろぼろと涙がこぼれた。ぐっと唇を横に引き結んで、息を整えようと、必死で鼻から息を吸った。でもダメだった。ひくひくと喉の痙攣が、ちょっとずつ大きくなって、我慢すればするほど、溢れる涙の量が増えた。結局、僕はしゃがみこんだ。
そうしてぼろぼろ涙を流した。


何かがおかしかった。僕は紋章さんと戦う。強くなる。そう思ったのに、まるで全然違う方面から、がつんと揺さぶられてしまったような気がした。自分が意識していなかった場所だから、ガードが緩くて、力の限りダメージを食らった。そうなんだろうか? そうなんだろう。けれどもちょっとだけ違う気もする。

僕はよたよたと立ち上がって、ふうふう息を荒くさせて、右目をこすった。そうして、手すりを握りしめて、わあん、と泣いた。


     小遣い感覚で、金をちょろまかしてんじゃないだろうな


きっと、あの男の人は、特に深い気持ちでそう言葉を漏らした訳じゃない。全然見ず知らずの子どもを見て、「なんだこいつ」と、思わず言ってしまっただけなのだ。だからこうして泣いている僕は、ただの気にしすぎで、さっさと忘れてしまったらいい話だ。なのに僕は、どうしても忘れられなかった。何度もその言葉を思い出して、ぼろぼろと涙がこぼれた。

かなしい

そうなんだろうか。
かなしい
信用してもらえなくてかなしい
なんにもできない自分がかなしい

そんな気持ちは、確かにある。
でも違う。(くやしい)
適当なことを言われて、くやしい
僕は、ずっとまじめに、頑張ってたつもりなのに、くやしい

(すごく、くやしい)

別に、誰かによく思われたくて、頑張ってた訳じゃないんだ。いいや、もしかしたら、そんな気持ちもあったかもしれない。本音を言うと、そんな気持ちはあったと思う。でも、フリックさんや、さんや、ビクトールさんや、レオナさん達が、ちょっとでも楽になってくれたら。他のことを頑張れるように、お手伝いができたら。そうたくさん思っていたこともジジツだった。(僕が、どんなに頑張ってたか、知らないくせに)

そう思うと、お腹の中が、真っ黒になってしまいそうだった。ぐるぐるとして、名前も知らないお兄さんを怒る気持ちが大きくなって、耳の後ろがカッカと熱くなった。結局僕は、また石畳の上にうずくまった。(僕、こんな嫌な子だったっけ) 僕はよく泣いた。この頃は、ちょっとくらい我慢ができるようになったけど、泣き虫だと思う。けれども僕が泣いてしまう理由は、悲しいからだとか、情けないからだとか、自分の内側に向かっていた。悔しいから。そんな風に泣いたことなんて、きっと一度もなかった。

「僕、嫌な子だなぁ」

レオナさんの酒場の、お会計のお仕事は僕のもので、僕にしかできない。そんな風に、すごく嫌な思い上がりがあったのかもしれない。本当は、そんな訳ないんだ。僕はちょっと数字に強いだけで、誰にでもできるという訳じゃないかもしれないけど、僕よりももっと早く計算できる人や信用のおける人はいっぱいいる。そうわかってるのに、分かっている自分が悔しかった。
全部が全部、悔しくってたまらなかった。

自分でも嫌な気持ちを吐き出すみたいに、僕はわんわん泣いた。
そうすると、ふと、誰かが目の前にいる気がした。ハッと顔を上げると、小さな女の子が僕を見下ろしていた。きっと彼女は、ずっとここにいたのだ。けれども、彼女は話すことができないから、そうやって、じいっと僕を見下ろしていたに違いない。僕はピリカちゃんの顔を見上げて、かあっと顔が赤くなった。「ぴ、ピリカちゃん」 最初から、誰かいないか確認しておけばよかった。僕は声を上ずらせて、ぺたんと地面に床をついた。

まだ他に、誰かいるだろうか。慌てて辺りを見回した。ピリカちゃんと僕以外、誰もいない。ピリカちゃんは、相変わらずぼんやりとした顔のまま、僕を見ていた。彼女はいつも、どこか悲しそうな顔をしていた。

僕は慌てて涙を拭いて、彼女に向かってお願いした。「ぴ、ピリカちゃん、お、お願い、このこと、だ、誰にも」 言わないで。そう言おうとして、そんなことを頼む必要なんて、どこにもないのだと気づいた。どうしよう、と顔を下に向けると、ふと、小さな手のひらが僕の頭を撫でた。彼女はなんにも言えないし、言わなかったけれど、なぜだか僕は、またぽろりと涙がこぼれた。彼女に頭をなでられる度に嗚咽がこぼれた。

人は変わっていく。
よくも、悪くも、たくさん。


こうして僕はちょっとずつ、変わっていく。
この世界に来て、たくさんのことが変わっていく。




   ***





「グリンヒルが、王国軍の手に落ちた」

軍師の声が、妙に冷え冷えと広間に響いた。「そりゃまた悪い知らせだな」とビクトールは肩をすくめたが、嘆いたところで何が変わる訳でもない。「次なる策は、グリンヒル市長代行、テレーズを救い出すことだ」 曰く。彼女はグリンヒルにおけるシンボルであり、次なる市民の奮起を上げるとするには、十分な存在であるということ。


「なるほど。でもシュウ、そのテレーズさんを救い出すって言っても、グリンヒルにはハイランド軍がいる訳でしょ? どうやって?」
殿、グリンヒルは学園都市として栄えている街なのです」

それはハイランド軍に占領された今も同じ。だったらだ、とシュウはひとつ言葉を置き、ちらりと無精髭の男を見つめた。「フィッチャー。グリンヒルへ“歳若い少年たちを転入させる”ことはできるな?」 きょとん、と瞬いた問いかけられた男は、暫くののち、ええっ、と声を飛び跳ねさせた。「わ、わたしが手配するんですか」「お前以外に誰がいる」 なるほどなるほど。ふー……と長い息を吐きながら、全く人使いの荒い、とフィッチャーはわざとらし気に首を振ったが、その口とは別に、頭の中ではかちかちと今後の予定を組み立てる。外面と中身が一致しない、有能な男なのだ。

「おいおいシュウ、その“歳若い少年”ってのは……」 わずかに眉をひくつかせるフリックは、ちらりと目の端で茶髪の少年を見つめた。もしかして、ぼく? と言うように自身を指さすに、大仰にシュウは頷く。「が、学校かあ、行ったことないなぁ……」

感慨深いような、そうではないような。ははあ、とこりこりと首元をかく彼の隣で、「よーし、行くわよー!」とナナミが手のひらを振っている。ついでのそのまた隣では、ピリカが無言でぱたぱたと両手を上げた。そんな様子を見て、さすがの熊も、おいおい、とため息をつく訳である。



結局話し合いの末、目立たぬように、飽くまでも学園の生徒と思わしき若い子ども数人をパーティーとしてグリンヒルに潜入する話となった。さすがに子どもだけでは心もとないということで、フリックが“引率役”ということで、彼らを先導する。忍びこむ手はずは、もちろんのこと、フィッチャーにおまかせだ。

、ナナミ、ピリカ、紋章役のルックと人を決めて、さてあと二人ばかりと考えたときに、どうしたものかと彼らは首をかしげた。ふとピリカが立ち上がり、何か意味が有りげにフリックのマントの裾を握ったが、フリックはきょとんと首を傾げるばかりだ。「条件は、見かけが子どもで、信用がおけて、ついでに武芸の技があればと」 ふんふんなるほど。ガリゴリとあごをかくフィッチャーは、ふとゆっくりと顔を上げた「ちょっとした知り合いがいるんですがね」 後ろ一つはわかりませんが、前二つの方はなんとかなるでしょう。

彼が呟いた名に、きょとんと広間のみなは瞬いた。ははん、とビクトールが白い歯を見せる。「剣の方も問題ねえよ。なんてったって、俺たちが鍛えた訳だしな」「ま、そうだな」「ほほ、そうでしたか」 でしたらそういうことで、と人差し指を立てたフィッチャーを見て、ピリカはわずかに満足気に頷いた。そのままパッとフリックから離れ、ナナミの側に逃げていく。結局なんだったんだとフリックはわからず仕舞いに首をかしげた。

さて、残りはあと一人。「あっ、シュウ。絶対に子どもじゃないとダメなのかな?」「もちろんです、殿」「でもさあ     

これならどうだろう。
軍主の言葉に、さてと軍師は瞳を細めた。「確かに、名案やもしれません」「でしょう」

「決まりだな」とパチンとフリックが手を叩く。うんと彼らは頷いた。「さて、上手くいくかな」「いかなきゃ困るぜ、リーダーさんよ」 がつっとビクトールの太い腕が、の首を巻き込む。だよね、と彼は頷いた。




絶対に、上手くいくさ




  

2012/05/12

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