竜とともに今を





「ああーん、フリックさぁーん! 待ってくださぁーい!!」

フリックさーん フリックさーん フリックさーん……


悲しいくらいにこだまが響く。ああーん、なんて言いながらパタパタ走り抜けていく、学園の制服を着た女の子を横目に見つめて、僕は無言のままに立ち尽くした。「…………あれ? どうしたの?」「別に……」 あの王国軍にからまれていたニナという女の子は、すっかりフリックさんのことを好きになってしまったらしい。あああーん、フリックさーん、待ってぇー。未だに声が響いている。

「…………いや、、こう、怒ってるよね」
さん、僕怒ってないよ」
「いやいや」
「怒ってないよ」

まったく、全然、一欠片だって、怒ってないのである。


   ***


「まったく、フリックさんもフリックさんだよ! もっとキゼンとした態度で、お断りするならしっかりとお断りしなきゃ! 遊びに来てるんじゃないんだよ!」
忍び込んでから二日目、とりあえず、俺は学舎の外を探ってみると拳を握りながら、ニナさんの影を怖がってかいそいそ消えていったフリックさんの影を見つめて、ぼくはぷっと頬をふくらませた。「まあまあ、イケメンさんには、イケメンさんの苦労ってものがあるんだよ……」 くんも、そのうちわかるかもね、と何を知ったかぶってか、ぽんっとナナミさんは僕の肩を叩いた。

「フリックさんの苦労……」
僕が静かにそう考えている間、さんはぐぐう、とお腹を鳴らせて、ルックさんは小さなあくびを繰り返している。外に丁度いいお昼寝場所を見つけたらしいシロは、ぱったぱったと静かに尻尾を振っていた。ピリカちゃんは、シロの尻尾を握って遊んでいる。バラバラすぎるメンバーで、僕の不安はMAXである。

「いやまあ、それはいいけど。シンって言ったっけ。フリックが怪しいって言ってたの」
確かに僕たちのニンムはテレーズさんの救出だけど、肝心の彼女の居場所がわからない。その手がかりとして、フリックさんが目星をつけたという人だ。「俺の勘だが、シンが怪しい!」と、ただそれだけを言い残して、素晴らしい速さで消えていった青い人を思い返した。ぷんぷんしてても仕方がない。さんの言葉に、うん、と僕は頷いた。「とりあえず、僕たちは僕たちで、そのシンさんって人のこと、調べるしかないね!」

少し大きめの声を出してしまったかもしれない。さんに、ぺしりと口元を塞がれた。「、興奮しない」「う、うぐ。うぐぐ」「よしよし」 ぷは、と大きめに息をした。よしよし、とさんは頷いてじっと前を見据えている。

「フリックは忙しいみたいだし! その分、子どもグループ+わんこでがんばるぞー!」 えい、えい、おー! と拳を握るさんに向かって、今度は僕が反対に口元を押さえこんだ。

さん、トーンダウン、トーンダウンッ」
「しまった」
「ちょっと待った! お姉ちゃんはお姉ちゃんだしっ! 子どもじゃないよー!」
「くおーん」
「眠い……」
「…………」

バラバラである。
僕の不安は、相変わらずMAXである。
(まあでも)
頑張らないといけない。ぱたぱた、と消えていったフリックさんの背中を思い出した。
(フリックさんも、頑張ってるんだから)
いや、そんなことは関係ない。
(僕達、同盟軍のニンムは、市長さんを助けること……)

誰かが頑張っているから、僕も頑張るんじゃない。
僕が頑張りたいから、頑張るんだ。
僕ができることを、頑張るんだ。



そのためには。
「はじめましてッ! ですッ! 今日からよろしくおねがいしますッ!!!」
「やる気満々ですねー。はい、みなさん拍手ー」

制服はまだもらってないです、ごめんなさい! と敬礼のポーズをする僕を相手に、ぱちぱちぱち、と歓迎の拍手が送られた。慌てて頭を下げて、すぐさま直立する。

     さん達は、外に調査に出かける必要がある。

シンさんという人を、彼らは探さなくちゃいけない。けれども、新しくやってきた転入生、全員が全員授業に出席しないだなんて、不自然なことこの上ない。
だったら、僕はその不自然を穴埋めしてみせる。
確かに僕は、さんの護衛として選ばれたけれど、さんは剣が覚えたての僕なんかよりも、ずっとずっと強いはずだ。だったら、僕がくっついて彼を守るよりも、こっちの作業に集中することの方が、きっといいに決まってる。
僕の得意は勉強だ。完璧な転入生を演じ、少しでもさん達への疑いを少なくさせる。それが今、何よりも僕にできる一番のはずだ。
セキニンジュウダイだよ、と唇を突き出す感じで、僕は必死に気合の紐を引き締めた。

でも、「くんはまだクラスが決まっていなくて見学になるのですが、みなさん仲良くしてあげてくださいね」と、ホホ、と微笑むおじいちゃん先生の声を聞いていると、やっぱりじわじわと緊張してきた。失敗はゆるされない。だめだだめだ、と首を振る。僕、がんばれ。
「…………ところでくん、他の転入生の子達は?」
「はいッ! サボりですッ!」
長い間が訪れた。

「いや、あの、えっと」 考えた。「腹痛です!」「……全員かい?」「い、いえその、腹痛は、くんで、拾い食いをしてしまって! ナナミさんは、自分で作ったご飯で、とうとうお腹を壊して! ピリカちゃんは寝坊しちゃって、シロさんは、その、ペットなので!」 どうしよう、もう一人分の言い訳が思いつかない。
はじめから理由を考えておくべきだったのだ。悔いた所でもう遅い。考えた。考えた。僕は考えた。
そしてカッと、瞳を見開いた。

「ルックさんは、便秘です!!!!」

生命の危機を感じた。





ルックさんに、僕がこんな言い訳をしたこと……バレなかったらいいな……バレたら切り裂かれる……っていうか、どう考えても言い訳になっていないよね……初っ端から失敗しまくりだよね……とさらさらと砂に変わっていく僕が見るに見かねたからか、「それならまあしょうがないね」とそれ以上つっこむことをやめてくれたらしい先生につれられて、僕はずるずると教室の端っこへ移動した。

周りのクラスメートの視線が辛い。ぽてりと机の上に頭をのせて、いやいや、と顔を上げた。(本番はここからだ) 真面目な生徒を演じて、スパイの疑惑を消す。いや、初めから疑惑なんてされてないかもだけど、とにかく一点の疑いだって消してみせる。

ウオオオオッ! と目に炎を灯しながら、僕は黒板を見つめた。なんだか懐かしい。ちょっと前まで、僕は毎日あれと向き合っていたのだ。

「さて」と先生が白い髪を傾げて笑った。「今日は、歴史の授業です」 教科書を出そうとした生徒に向かって、「いえいえ、教科書はいりません。持ってない子もいることだしね」 と、ゆっくりと手のひらをこっちに向ける。持っていない子というのは僕のことだ。少しだけキョウシュクしたみたいに、僕は椅子の上で小さくなった。

「それでは、まだ教科書には載っていない、旧赤月帝国のお話をしましょうか」

ぴくり、と僕は顔を上げた。「みなさん知っての通り、三年前、彼の地では革命が行われました」 あまり話題にならないことなのだろうか。みんなの空気が、一斉にぴしりと引き締まった。なんでだろう、と僕は瞳をきょろつかせた後、ここ、グリンヒルが王国軍に占領された、一つの戦地だったのだということを今更ながらに思い出した。
普通に授業をして、街も人が出歩いていて、うっかり忘れてしまいそうになるけれど、きっと普段の生活と今とでは、色んなことが違うに決っている。これはデリケートなお話で、もしかしたら、話してはいけないことなのかもしれない。

けれどもおじいちゃん先生は、ゆっくりと瞳を垂らしてぺとんと教卓に手のひらをつけた。黒板は使わない。「黄金皇帝と呼ばれたバルバロッサ・ルーグナーは、多くの民の期待を受け即位しました。しかしその期待は、あまりにも短かった。彼は圧政を強い、民を顧みず、多くの民は飢えて死んだと聞きます」

その言い方は、可哀想に、というニュアンスが混じったものであったと思う。赤月、今はトランの国と、ここ、都市同盟は、いうなれば敵同士、そこまで言わなくてもお互いの存在に敏感になってしまうような間柄だ。それなのに、そんな話し方をする先生は少し珍しい人なのかもしれない。それとも、元はそっちに住んでいた人なのだろうか。色々考えたけれど、僕には難しくなってじっと机の上を見つめた。
たくさんの人が死んだ。その言葉が、頭の中でぐるりと回った。

「立ち上がったのは、オデッサ・シルバーバーグ。シルバーバーグとは、赤月の軍師の家系ですが、彼女にそちらの才よりも、人を多く惹きつける才があったのでしょう。初代リーダー、オデッサは、反乱の地盤を築き上げ、その短い生涯を終えました。そしてそれを受け継いだのが、今でいう、トランの英雄です」

     英雄
その言葉は知っている。トランの英雄。解放軍を率いて、バルバロッサ様を殺してしまった人。なんとなくそう思うと、僕は彼の話をなるべく聞かないようにしていたかもしれない。
おそらく、彼の話を聞くのは、今が初めてだったと思う。

「彼は赤月の貴族、それも五将軍の嫡男として生まれました。その彼がなぜ、解放戦争に身を投じ、オデッサと出会ったか。赤月の貴族として互いの面識があったのかもしれませんが、それは私にはわかりません。とにかく、彼は十代のまだ若い少年でありながら、オデッサから受け継いだ解放軍を見事に開花させ、皇帝バルバロッサを打ち破りました」

悪者は、こうして倒されてしまったのです。そんな一文を思い出した。古い絵本の物語だ。
きっと僕は、何も知らない。ただバルバロッサ様が寂しかったということだけしかわからない。一方的な立場からしかリカイできていない。

「しかし彼は、赤月を去った。トランと名を変えたその国は、彼の代わりに、初代大統領の座にはレパントが     彼も解放軍の一員ですが、就任することとなりました。なぜ彼は、赤月を去ってしまったのでしょうか?」

色々な話があります。と先生は教卓の上で、ゆっくりと手のひらを組んだ。「その責務を終了させたから。死した彼の従者の魂を慰めるため     彼は戦争中、長く付き従えた従者の一人を亡くしましたから。中には過激なもので、初代リーダー、オデッサの死因がはっきりとしていないことから、彼がオデッサを殺し、その重責から逃れるために、出奔した。そう推測するものもいました。さて、これは一体、どれが正しいのか」

あなた方はどう思いますか、と先生は僕達を見た。困ったように、みんな目を逸らした。そんなこと分からない。「そうです、分かりません。それが正しい」 垂れた瞳の向こう側で、先生は口元を和らげる。「そこに何があったのか。私達には分からない。分かるはずがないのです。“事実”のみしか、のちの世には伝わらない。ほんの少し前のあの戦いを、あなた方もはっきりと覚えているでしょう。私達、グリンヒルの住人は、一つの岐路に立っています。後の世に、一体この顛末はどう伝わるのか私にはわかりません。しかし忘れてはいけません。“今”は私達のものです」

それだけは、決して忘れてはいけません。
繰り返された台詞を聞いて、僕はじっと先生を見つめた。先生は、一人ひとり、生徒の顔を見つめた。「この話は、決して口外しないように」 そう先生は締めくくって、それでは別の話を、となんの関係もない授業を進めた。今度はチョークを持って、かりかりと黒板に書き続けた。


   ***


(“今”は、私達のものです……)

天井を見上げて、両手に持ったノートと筆記用具を抱きしめた。さん達とはまだ合流していない。鼻からため息をついて、今度は視線を下に持っていく。左手を見た。フリックさんに買ってもらった手袋を、いつも一緒につけている。
(バルバロッサ様を殺して、でも自分の従者が死んでしまって、他にもたくさん赤月の人が死んでしまって、最後は一人で消えてしまった人) 
トランの英雄。
(それは過去だ)
バルバロッサ様は、過去の人だ。

決して、会うことのできない、過去の人だ。



僕は、いまを生きている。



  

2012/09/06

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