竜とともに今を





「解放軍の初代リーダーは、オデッサさんで、次が、トランの英雄……」

全然知らなかった。初めて知った、ということを、僕は一つ一つ指を折って考えてみた。トランの英雄さんは、十代。つまり、二十になっていないってことで、フリックさんよりもずっとずっと若い人だということだ。
一体、三年前に何があったんだろう。僕はバルバロッサ様の、それもほんの一部のことしか知らないことに気づいた。そもそも、トランの英雄さんの名前だって知らない。
(……これって、結構、ジュウヨウなことなんじゃないかな……)

そうだ。きっとそうだ。
くんのところに、どこかに帰りたいと覇王の紋章さんは言っていた。なんで今まで気づかなかったんだろう。全部、三年前にキケツするのだ。
     覇王の紋章を持っていたバルバロッサ様がいなくなってしまったのは、三年前。
くんの夢が消えてしまったことも、同じく。

解放戦争だ。
僕はそれを、知らなければいけない。
(フリックさんのそばにいたいって、僕は思った)
今でも思ってる。
できるかぎり、僕はさん達の力になりたい。王国軍を、     例え、僕が彼らと同じように人を殺してしまったことがあるのだとしても     好きだとは思えない。

(でも僕は、赤月に行きたい)
今はもう、名前が違うその国に。


   ***


「いや、無理だぞ?」
「うえっ!?」

なんでなんで、フリックさん! と僕はフリックさんのマントを掴んだら、「しー!」とフリックさんは必要以上におびえて、自分の口元に指をあてる。「その名前は言うな! 見つかる!」 “イケメンさん”というのは、大変なものらしい。金髪くるりの女の子を思い出して、若干生暖かい気持ちになった。

授業が終わって、それじゃあさんを探そうかな、ときょろきょろ宿舎の前を見渡していたときに合流したフリックさんなのだけれど、心持ちいつもより挙動不審だったことには、僕はつっこんではいけないのかもしれない。

「な、なんで? トラン共和国って、お隣さんなんでしょ?」
「それはそうだが、国ができて日が浅いし、ジョウストンと友好な関係を築いてる訳でもないしな」
「…………勝手に入ったら、怒られちゃう?」
「というか、国境線の検問がそもそも越えられないだろうな」

なんということだ。ソウテイのハンイガイであった。世の中の世知辛さをちょっぴり僕はなめていた。
うおおお、うおおお、うおおおお、と涙声でふらふらと両手を動かして、しょんぼり頭を垂らす僕に対して、フリックさんは不思議気に首を傾げて、ぽすりと大きな手のひらを僕の頭の上にのせた。ぽんぽん、と何度か叩かれた。熊さんが叩くよりも、ちょっと優しい叩き方だ。「それにしても、なんでまたトランに行きたがるんだ?」 それは、とちらりと顔を上げた。フリックさんの腰元で、剣のオデッサが揺れている。(オデッサ) あれ、と僕は瞬いた。

「フリックさん、それ」
「あーっ!! フリックさん、見つけたー!!」

ぴーん、と響くピンク色の声に、フリックさんはぎくりと体を震わせた。ぼすぼす、と僕の頭を高速で何度か叩いたあとに、「それじゃあな!!」と叫ぶだけ叫んで、全速力で消えていく。陸上部走りである。叩かれた頭を撫でながら、ひゅるりと通り過ぎた風を見つめたあと、ハッとして僕は両手を広げた。「ひゃっ! なんなのよ! フリックさんが行っちゃうじゃないー!」「だだ、だめだよ! ニナさんだめだよ、フリックさんが困ってるし!」

困ってないわよ! と無理やり僕を通りすぎようとするニナさんに負けてはいられない。「困ってるよー!」「困ってなーい!!」 僕とニナさんは必死にお互いの両手を合わせて、ぐいぐいと押し合った。うおおお、うおおお、うおおおおおお、と叫びながらこめかみをピクピクさせ合う。「もー!! 邪魔よ、どきなさーい!」「どどどっどかないもんねーっ!」 一体僕らは何をしているのか。


   ***


さんの調査の方はと言うと、残念ながらあまり嬉しい進展はなかったようだ。「シンって人は見つけたんだけど、話しかける暇もなくってさぁ」としょんぼり晩御飯と食べるさんを見つめながら、明日の彼らの仮病はどうしよう、と僕は本気で悩んだ。僕にとって、かなりのセツジツな悩みである。同じ仮病は連続では使えない。
ありがたいことにも、便秘云々の話はルックさんには伝わっておらず、よかったと胸をなでおろしたのだけれど、あのおじいちゃん先生が校舎からの通り過ぎ、そっとルックくんにお野菜を渡して去っていったことに、涙が出るほどに動揺した。食物繊維のプレゼントはやめて頂きたい。

そうだ、もう少し先生に解放戦争のお話をしてもらおうと思っていたんだ、と僕は思い出した。とっくの昔に食事の時間は終わって、先生もいなくなってしまったけれど、もしかすると、先生もこの宿舎の中にお部屋があるかもしれない。けれどもお伺いしても迷惑になっちゃうかなあ、ともじもじしている間に、「あー!」と指をさされた。ピンクな声は、聞き覚えがある、というか、ついさっき、さんざん耳にした声だ。

「あのときの! 邪魔した子!」
だよ、ニナさん……」
「っていうかなんで私の名前知ってるのよ……あっ、さては。私とフリックさんの仲を邪魔しようとしたのも、くん、あなた私に惚れてるわね?」
「うん、それはありえないけど」
っていうか、ものすごく今更なんだけど。

「ナナミさんとお話してたとき、僕も一緒にいたからね」「あ、そうだっけ?」 覚えてないなあ、と首を傾げるニナさんは、フリックさんに一直線すぎである。「ま、いいけどー。ねえねえ、ナナミちゃーん」 なぜだかニナさんは、僕の肩越しにナナミさんに声をかけた。んん? とナナミさんは瞳をきょとつかせて、にこっと顔を笑わせる。

「なあに? ニナちゃん」
「今からね、フリックさんにお夜食を作りに行こうと思うんだけど、フリックさんて何が好きなのかなぁって」
「フリックさんはなんでも好きだよ。熊さんほどじゃないけどね」
くんには訊いてないんだけど」
「……っていうかニナさん、それってちゃんと食べられるもの?」
「さっきからあなた定期的に失礼ね!?」
「あ。ごめんね、無意識に本音が口から出ちゃった」
「喧嘩売ってる!?」

むっきい! と怒るニナさんと僕の間に、「まあまあまあ」とナナミさんが間に割り込む。「くんも、失礼だよ」 メッ、と怒られたので、ちょっとだけ考えた後、ごめんなさい、と僕は頭を下げた。
というか、ここ、グリンヒルまでの道中で見せられたナナミさんの料理テクニックのおかげか、ナナミさんと同じくらいの女の子は、お料理が出来ないものであるというイメージが僕の頭の中に植え付けられてしまったからの発言だったのだけれど、確かに失礼なので、それ以上は言わないことにする。

「もういいけど。ま、嫌いなものがないって聞けたからよしとするわ。ナナミちゃん、他にもフリックさんの情報あったら教えてね!」
「ナナミさんより、僕の方がいっぱいフリックさんのこと知ってるよ」
「男の子には聞いてないの! くんはちょっと黙る!」
「ま、まあまあまあ」

パタパタと困ったようにナナミさんが両手を振っている。僕はちょっとだけ体を沈ませた後、あっ、と思って、また体を乗り出した。「ニナさん、お夜食を届けるって、またフリックさんのところに行くの? じゃ、邪魔しちゃ駄目なんだからね!」「邪魔じゃないわよ! 愛がたーっぷりこもった、素敵なお料理を届けに行くだけよっ!」 それならいいでしょ、とぷんぷんする彼女に、でもでも、と口元をへたつかせた。フリックさんには同盟軍としてのニンムがあるんだよ、と言いたいのに、まさかそんなことを言う訳にはいかない。

もだもだと僕がしていたからか、ニナさんはぷくっと可愛いほっぺをふくらませて、「そんな風にうるさくしちゃうくんなんか、“散歩するおばけ”に食べられちゃうんだから!」 それだけ言い捨てて、どたどたと階段下へ降りていく、と思ったら、また駆け上がってくる。「だから! くんも! ナナミちゃんも! 夜はちゃんと部屋にいて、静かにしとかなきゃ駄目なんだよ!」

それを捨て台詞にして、どたどたどた、と再びニナさんは消えていった。「ひえええ!?」 とナナミさんはお口を縦に開いて、きょろきょろと挙動不審にしているけれど、僕は腕を組みながら、ううん? とニナさんが消えた後を見つめた。

くんっ! どうしよう! おお、おばけだって!」
「うん? ああ、うん。散歩する、だなんてなんだか可愛いシュウショクゴだよね」
「えっ」

えっ、えっ、とナナミさんは目をぱちくりさせて、「ど、どこが?」と涙声で体を屈ませる。ぎいい、と扉が鳴る音がした。その次に、どたっと廊下に響いた音は、ナナミさんが思いっきり飛び跳ねた音だ。ドアの隙間から、きょときょとと瞬きするピリカちゃんを見て、ナナミさんはホッと息をついて、「なんだー、ピリカちゃんーかー」と笑った次の瞬間、ぎいいい、と聞こえたもう一つのドアの音に、「ひぎゃっ!」と再び飛び跳ねた。「ナナミー、さっきからうるさいよー」「な、なんだぁ、かぁ!」

よかったぁ! と顔をほころばせるナナミさんをぼんやり見つめていると、「あ、ち、ちがうよちがうよ」とばたばたとナナミさんが顔と両手を振った。「こ、こここ、怖くなんて、ぜんっぜんないんだからね、そそ、そんな、おばけが出るなんてきいてもっ」「おばけ? ナナミ、おばけが出るの?」「でで、出ないって言ってるでしょ!!」

ピリカちゃんが怖がるから、そういうことは言っちゃだめーっ!! と腕でバッテンを作るナナミさんを見て、「え?」とさんは首を傾げた後、「怖い?」 とピリカちゃんにさんは問いかけた。ううん、と首を振ろうとするピリカちゃんのほっぺを、ナナミさんはがつっと押さえこんだ。何をしているんだろう。

「そうだ。ぼく、シロさんにご飯あげてくるね。お肉とかもらったらいいかなあ」
「うん。それで大丈夫だと思う。キニスンは放っておいても大丈夫って言ってたけど」
「まあ一応。じゃ、行って来るねー」
「えええええっ!!? くん、おおおお、おばけに食べられちゃうかもしれないよ!?」
「そうなったら困っちゃうねぇ」

困っちゃう困っちゃうー、と僕は鼻歌をふんふん歌いながら、とんとこ階段を降りていった。くーん! とこっちを呼ぶナナミさんの声が聞こえるけど、静かにしなきゃだめだよ、とさんが注意する声が聞こえる。あはは、と僕はちょっと笑って、ひょい、と大きめに足を踏み出した。




もらったお肉を持って外に出ると、真っ白い毛並みのわんこが、ぴくりと芝生の上から体を上げた。夜の中で、ぽかんとよく目立つ色だ。
「シロさんシロさん、ごはん持って来ましたよー。……いる?」

まあ、一応もらっとこうじゃないか、と言いたげにシロはふんと鼻をあげた。がぶり、と大きな口でお肉に食いつく。これで噛み付かれたら、ひとたまりもないんだろうなあ、と思いながら、僕はシロの尻尾を人差し指でなぞった。なにをする、とすぐさま尻尾に叩かれた。

もぐもぐ、ごっくん、と食べているシロのご飯風景を見つめて、いると、ふと、校舎の中に“ケハイ”を感じたような気がした。紋章のケハイだ。覇王の紋章さんをちらりと見た後、真っ暗闇の中にぽかんと立つ、大きな校舎を見た。
気のせいだろうか。窓の向こう側で、何かが動いた。ガラスの向こう側は、暗くてよく見えない。けれども、薄い色のついたカーテンはよく見える。
ふわり、とカーテンが揺れた。

僕とシロは、それをじっと見つめた。ゆらゆらと揺れたカーテンは次第に静かになって動きを止めた。ふん、とシロが鼻から息を吹き出したみたいな声を出す。まるで人間みたいだ。僕はよしよし、とシロの頭を撫でた。「おばけが出るんだってさ、シロさん」 彼の真っ赤な瞳が、きょろりとこちらを見つめていた。「僕、別に怖くなんだ。ナナミさんは怖いみたいだけど」

別にもともと、そういうのは怖くないけど、こっちに来てもっとかなあ。とシロの頭をふかふかしながら呟く。「それよりも、もっと怖いものがあるしね」 頬に当たる風が、少しだけ冷たい。

「…………っていうか、吸血鬼もゾンビもいるんだし、おばけって普通にいるものじゃないのかなー?」

僕的には、吸血鬼の方がレア度が高い気がするんだけど、どう思う? と問いかけてみると、シロはめんどくさ気に、あおん、と一つ大きな口を開けてあくびをした。
しょうがないので、よしよし、とシロの頭を撫で続けた。

ついでに、心の中でふほほほほー、と笑う某吸血鬼は、あんぱんちをしておいた。



  

2012/09/07

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