竜とともに今を




竜がいた。
大きな大きな、僕の視界いっぱいを埋め尽くしてしまいそうな大きな竜が、じっとどこか遠くを見つめている。
金色の鱗一つ一つがきらきらと光っていて、僕はぼんやりと彼を見つめながら、綺麗だなぁ、と思った。僕の拳くらいに大きなキバを口元からにゅっと生やした竜は、ゆっくりと瞬いた。
「どこ、見てるの?」
聞いても答えてはくれない。言葉が通じているのかも分からない。
「大きいね」 
大きな大きな翼だ。

「それだけ大きかったなら、トランの国にも、きっと行けるんだろうね」


羨ましいな、紋章さん。と僕は竜に     覇王の紋章さんに、呟いた。



   ***


ただの夢だ。
ちゅんちゅんちゅん、と窓からの雀の音を聞きながら、僕はぼんやり眼で瞬いた。よくあるパターンってやつである。なんでまた僕は、あんな大きな、かっこよくって綺麗な竜を、覇王の紋章さんだと思ったんだろう。まったく、竜に失礼である。と考えた後、いつまで経っても紋章さんからのツッコミがなかったので、まあいいや、とベッドから起き上がった。微妙に寂しい。

狭いベッドの中で一緒寝ていたさんは、いつの間にか床に落っこちて、うにゃうにゃ寝言を言っている。半分持っていかれたシーツが寒い。「さん、風邪ひいちゃうよー」 まだ時間が早い。起こしては申し訳ないし、と僕はため息をついて、さんに布団をかぶせた。お礼代わりなのか、うにゃうにゃ、と相変わらずよくわからない言葉をつぶやいている。

床の上に立って、軽く伸びをした後、ベッドの脇に置いていた鞄から手袋を取り出した。フリックさんに買ってもらった、片方だけの、僕の手のひらのサイズに合った手袋。左手を見つめて、鼻の穴をふくらませた。フリックさんに比べたら小さな手だ。「じゃじゃ馬の手綱くらい引いときなよ」「へうっ!?」 思わず飛び跳ねた。

「あ、る、ルックさん、起きてたの。ビックリしたよ」

ルックさんは、部屋の隅っこで杖を抱え込むみたいに座っていた。「ルックさん、早起きなんだねぇ。朝ごはんの時間はまだだけど、お腹すかない?」 にか、と笑ってパタパタと顔の横で手を振ってみても、なんの反応もない。ヨソウのハンチュウである。大体ルックさんとはそんな感じである。(あれ、でも) さっき、ルックさんに話しかけられた。もしかしたら、初めてかもしれない。

「…………じゃじゃ馬って、誰のこと?」 
彼の言葉を思い出して、そっと問いかけた。相変わらずの無視であった。「もしかして、覇王の紋章さん……?」 しかしながら、僕はめげることはなかった。しゃらん、とルックさんが持つ杖が音を鳴らす。ぎくりとして、僕は後ずさった。
そんな僕の前をゆっくりと歩いて、ルックさんはいそいそとベッドの中に潜り込む。寒いのか、さんの布団をべりっと剥ぎとっての二枚重ねのふかふかである。「あ、あれ、うそ、ルックさん、うそ、そこで寝ちゃう? 究極の無視だよ、反応ゼロだよ? さすがの僕でも泣いちゃうよ!?」  なんというゴーイングマイウェイ。「ルックさーん!?」「うるさい」 だめだこれ。

まあ別にいいけどね、と僕は誰に聞かせる訳でもなくため息をついて、窓の外からの景色を眺めた。ぐぴー、ぐぴー。響くさんの寝息が聞こえる。
相変わらず、いい天気だ。




     トラン共和国に行けば、くんに会える気がする。


そう思うのに、トランの国境を越えることが出来ない。
通ってもいいよ、という人だけ国境線のケンモンを越えることができる。昨日の夜、国境ってなに? と聞く僕に、さんはそう説明してくれた。ヒトスジナワではいかない、とはこのことである。うんうん、と考えていた僕に訪れたのは、一つの天啓だ。

     なんだ、お前も船に乗れないのか?

金髪の、ひょろりと長い背をしていて、にかりと笑う口元が特徴的な男の人。シーナさん。トランの国の、大統領の息子だと言っていた。何かあれば、俺の名前でも出してやってくれや。そう笑って別れたお兄さんだけど、もしかすると、これはかなり有力な突破口なのかもしれない。

シーナさんに頼んで、一緒に国に入れてもらう。ものすごく他人本力で情けない話なのだけれど、僕にはこれ以上の名案は思いつかない。(そうだ、きっとこれが一番いい) だったら、シーナさんは今どこにいるんだろう。彼ともう一度出会わないと、頼めるものも頼めない。(サウスウィンドゥかラダトくらいなら連れて行ってもいい……確かにそう言ってくれたような気がするけど) 目的地、として頼るには、ちょっと不確かすぎる。

(シーナさんが行きそうな場所って、どこだろ……?)
へらへら、という笑い方が似合っていて、宿屋のお姉さんのお尻を見つめて、嬉しげな顔をしていて、ぱっぱらぱー、とキザな台詞を振りまいていたシーナさん。
(美人さんが、多い、ところ……?)

それって一体どこ。



「お姉さんは美人だねぇ……」
はふう、と僕が悩ましげにため息をつうと、学園受付のお姉さんは困ったように口元を笑わせた。黒縁のメガネをかけて、きゅっと後ろで綺麗に髪をまとめたお姉さんは、僕から見てもとてもすごい美人さんなのだということがよく分かる。あとお姉さんが100人くらいいたら、シーナさんの一本釣りが出来たのになあ、とまた僕はため息をついた。

「こら。若いときから、そんな言い方に慣れない方がいいわよ」とお姉さんはツン、と僕の鼻先をつついたのだけれど、よく意味がわからない。「それと、私はお姉さん、と言われるような年じゃないわ」 だったらいくつなの、と訊こうとしてみたのだけれど、女の人に年齢を訊くのはよくないことだ、となんとなくはわかっていた。僕がきゅっと口を閉ざして小さくなると、お姉さんはくすくす笑って、「29よ」「えっ」 僕の考えを見透かしたような言葉だ。

「それよりもあなた。転入生のくんね? まだ見学期間は終わってないから制服でないことはいいんだけど……あなた達のお友達、今日は風邪でお休みって聞いたけど」

うんうん、と僕は頷いた。風邪だと言うのであれば、これで2、3日は授業のサボりの理由に使える。ナイスアイデアである。「そうです。僕以外みんな感染っちゃったみたいで、すごく苦しいって」「あら。その割には、さっき元気に校内を歩いてたみたいだけど」 恐るべき結束の低さである。もっと打ち合わせをすべきだった。

「えっと、あの、それは」
「それは?」
「あー、んんー……気のせいだったってことに……」

駄目ですか? と首をかしげてみると、「まあいいけどね」とお姉さんは苦笑した。「サボるんだったら、もう少し色んな事に気をつけた方がいいかもね」「キモに命じます……」「まあ、あなた達、中々忙しいみたいだし」「そう。忙し……あ、僕は授業でね! みんなは遊ぶのに!」 それ以外まったく何もしてないよ! と僕の必死の言い訳に、そうね。とお姉さんは笑った。なんだかドキドキする。照れてしまてという訳ではなく、もしかしたらこのお姉さん、色々と勘付いているのかもしれない。

そそそ、と僕はお姉さんから距離を取った。のは一瞬で、「そう言えば僕、お姉さんに訊きたいことがあるんだった」「お姉さんじゃなくて、エミリアよ」「エミリアさん」 はい、何かしら。と口元を緩めるエミリアさんは、やっぱりお姉さんな美人さんだ。
「今のところ、小さな彼氏は募集してないわ。せめてあと10年後ね」
「……えっと、その、残念です」
「ふふ、冗談よ」



エミリアさんとのお話の後、僕は鞄の中からお薬が足りなくなってしまったことに気づいた。それがないと、右手のおくすりくんが途端にぶーたれだすので、きちんと補充しておかないといけない。お小遣いはちゃんと持っている。

「おくすり三個……いや、五個……?」 まあいいや、と奮発して六個を手に持つと、僕の隣にニナさんが立っていた。僕のことにはすっかり気が付かない様子で、商品棚を見つめている。鯖の缶詰。おいしそう。でも高い。グリンヒルは食物の自給が苦手な街だ。戦時中の今は、ご飯がものすごくコウトウする。ニナさんは唸った。唸って、手のひらをつきだして、けれどもとカゴに入れた。カゴの中には、その他の食料がちらほらと見える。ついでに歯ブラシと、おくすりと、石鹸。(…………あれ)

「ニナさん?」
「ひゃっ」

びっくりしたように、ニナさんが飛び跳ねた。ぶら下げていたかごを、さっとニナさんは体の後ろで隠した後、ぱちぱち、と何度か金色の瞳を瞬かせて、「なんだ、くん」と声を落ち着かせた。「ニナさんもお買い物なんだね」「そうよ。授業も終わったことだしね」

僕とニナさんは二人で並んでレジを済ませた。「今日もフリックさんのところに行くの?」「当たり前よ! めげない青春一直線! ……なに、また止めるの?」 だったらくん、容赦しないわよ! とファイティングポーズを決めるニナさんに向かって、僕はうーん、と溜息をついた。「別にいいけど、フリックさんが困ってたら……」 駄目なんだからね、と言おうとして、いちいち僕が口を出すのも変な感じだな、と思った。

僕がつん、としていたからだろうか。ニナさんはちょっとだけ不思議そうに顔を屈ませて、「くんって、フリックさんの何なの?」「なに?」「もしかしてライバルだったりする?」 でも絶対負けないんだからね、ときゅっと眉を釣り上げられても正直困る。「違うよう……僕、フリックさんに拾ってもらったんだ」 山に一人でいるところを、フリックさんが手を伸ばしてくれた。「僕を助けてくれたんだ」 色んな事を教えてくれた。


     、お前は何を守りたいんだ?

ぎゅっ、と左手を握りしめた。
「ふーん。だったらくん知ってる? フリックさんの好きな人」
「ん、あれ、今僕、結構シリアスしてたのに、スルー? そこスルーしちゃう?」
「別に今更フリックさんがかっこいいってことはわかってるの! それよりもほら! フリックさんの! 好きな人!!」
「ししし、知らないよう。なんのことだよう!」
「だから、好きな人! いつも一緒にいた人だって、言ってたの!」
「あうっ。あうっ、あううっ」

誰が相手だって負けないけど、知りたくなるでしょ! とニナさんはぺちぺちと僕のほっぺを連打する。痛くないけど会話にまじりにくいのでちょっとやめて欲しい。「もー、やめてよー!」とニナさんの腕をぐいっと押して、「いつも一緒にいたって」 そんなこと言われても。
かちゃん、と頭の中で剣がこすれる音が聞こえた。

「…………オデッサ」

オデッサ・シルバーバーグ。「え」とニナさんは瞬いた。「……だれ?」「フリックさんの、剣の名前……」「ふう、なんだビックリ……させないのー!」 こらー! とニナさんが僕のほっぺをぶにりと両手で押さえこんだ。ひどい。

「やっぱり駄目ね、まあいいわ。誰が相手であろうと、私の魅力に敵うわけないもの」 やっと満足したのか、肩にかかった髪の毛をさっと後ろに持っていくようなマネをしたニナさんを見上げて、僕はほっぺを両手でガードした。「ニナさんって、本当に一直線なんだねぇ」「あったりまえよ。だってもう、運命の人だもん。かっこよくって、笑顔が素敵で、オトナっぽいのに、ちょっぴり子どもっぽくもあって……」 ああっ! と誰を相手に話しているのか体をくねつかせるお姉さんはちょっと怖い。

「好きな人には、一直線なんだ」
ふうん、と僕が呟いた台詞に、「なによ。なんか文句あんの」とニナさんはまたぶにっと僕のほっぺをつまみ上げた。「べふになひよー」「ふにゃふにゃ言ってんじゃないの!!」「りふじんにゃよー」 まったく。理不尽である。



   ***


からから、と小さな音が聞こえる。
風車が回っている。そう思った。けれども違う。小さな小屋の中に、自身は一人。ぎしりと響く椅子に腰掛けると、ゆらりと静かにスカートが揺れた。
部屋の中を見渡せば、すぐに何があるのか見て取れる。そんな中に、風車などあるはずもない。からから。
けれども聞こえる。
(これは)

憤る民の姿が見えた。

(私の)
心の音。




  

2012/09/08


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