竜とともに今を






「忘れ物はないか? 大丈夫か?」


フリックさんの言葉に、僕たちはうんと頷いた。ルックさんだけがくあ、とあくびを繰り返していた。
結局、僕たちは何ができた訳でもなかった。グリンヒルの市長代理であるテレーズさんは、僕達への協力を拒絶した。

てくてく、と道を歩く。グリンヒルの街を眺めて、僕たちは無言のままに門へと向かう。これでおしまいだ。そのはずだった。ざわつく声に、シロがふいと顔を上げた。僕は腰につけていた大人用の剣を持ち直して振り向いた。ナナミさんがきょときょとと目を丸くさせて、広場に集まる人達を見る。「なになになに???」 ちょこちょこ、と背伸びを繰り返して、唐突に彼女は表情を凍らせた。

「ナナミさん?」 僕がちょんと首をかしげて、彼女に近づいた。ナナミさんはさんを見た。さんもきつく眉をひそめた。それから何かを言おうとした。


     いいかあ! よく聞けよ!!!」

響いた男の人の、野太い声にぎくりと僕は胸を握った。たくさんの人の向こう側に、ぞろぞろと鈍く輝く王国軍の兜が見える。その真ん中に、男の人がいた。金髪の、いかつい体をした男の人が、喉を震わせて何かをがなった。その人が一声発する度に、聴衆の人たちがざわつく。何を言っているのか、しっかりと聞き取れない。けれども、彼はいけないことを言っている。困ったことを言っている。


テレーズさんを連れてくれば、賞金を渡す。王国での市民権も与える。つまり、彼はそう言っている。お金はともかく、市民権とはどういうことだろう。フオンにざわつく人たちの空気に、僕はひどく困惑した。そうして耳を傾けているうちに、あっ、と彼が言う意味に気づいた。
(テレーズさんを付き出しやすくするためだ)

お金が目的で、街の市長を王国軍に売りつけた。そのことを周りの人たちに知られてしまったら、その人は一生後ろ指をさされて生きて行かなければならないかもしれない。2万ポッチのお金をもらって、肩身を狭くして生きるだなんてばからしい。けれども、ハイランド王国に移住することができれば。

占領された街から逃げ出し、新しい場所で過去を忘れて、大金を手に生きることができる。「ずるい」 勝手に口が動いていた。「そんなのずるいよ!」 賢いやり方だと思った。だからひどく怒った。真っ赤になった耳を押さえて、前を見つめた。「!」 フリックさんに腕を引っ張られた。僕は慌てて彼を追いかけた。
     ピリカちゃんだ!

彼女が唐突に走りだした。小さな体で人ごみをかき分けて突き進んだ。怒ってる場合なんかじゃない。僕は何を考えてたんだろう。「クソ、なんだってんだ……!」 フリックさんが言葉を吐き出すように叫んで、ピリカちゃんを追うナナミさんたちを追いかけた。
がうっ! とシロが吠えた。びっくりして後ずさる人たちの間を、僕たちは走った。「なんだよお前ら!」と男の人に怒鳴られた。「ごめんなさい!」 僕は慌てて頭を下げて、また走った。誰かがこっちを振り返る。「うひゃっ!」 ぶつかりそうになった体を僕はルックさんに引っ張られた。
「あ、ありがとう、ございます……」

ルックさんに手首を掴まれたまま、僕はビックリ半分彼を見上げた。ルックさんは相変わらずどこかつまらなさそうな顔をして、また走る。僕もそれにくっついた。揉める声が大きくなる。誰かがわめいていた。「きさま、!」と、男の人の怒声が響く。王国軍だ。王国軍が、さんの名前を知っている! 「なんなの、ルックさん、フリックさん、どういうこと!?」

よくない状況だ。ただそれだけは理解していた。ナナミさんの金切り声が響いた。「ジョウイ! なんで!」
     ジョウイさん?)

突然駆け出したピリカちゃんの意味が分かった。けれどもそれだけだ。ぽてっ、と僕は彼らの前に膝をついて飛び出した。ジョウイさんだった。彼は真っ白で、綺麗な服を着ていて、さんたちを見た。ちらりと僕を見下ろしたのは一瞬で、すぐさま彼は視線を逸らした。

「こいつらを捕まえろ!」

金髪の、大きな王国軍の兵士の声に、びくりと広場の人が反応した。全身の血がさっと抜けた。まずい、と起き上がろうとした瞬間、誰かの声が響いた。「はやく! はやく捕まえろ! スパイだ、スパイだぞ、捕まえたら金がもらえるぞ!!!」 はやくつかまえろー!!!!!

王国軍の人の声よりも、もっともっと大きな声だ。わっ! とみんなが悲鳴を上げた。誰かが腕を振り上げた。それにつられるみたいに他の人も叫んだ。ひっぱられて、押し付けられて、ぎゅうぎゅうに押しつぶされた。「うわ、わ、ちょ、ちょ、ちょっと!」「おいお前ら! やめろ! やめろ!」 王国軍の人がまた何かをどなっている。けれどももう遅い。流されるみたいな混乱の渦の中で、僕は誰かに首根っこをひっぱられた。「ひっ!」 体を固くした。けれどもとっさに、逃げないと、と思った。すぐさま体を反転させて、その人の腕をたたき落とした。「おい、!」「フリックさん」

「ばか、にげるぞ! フィッチャーがうまくやりやがった!」
「う、うん」

なんでフィッチャーさん? と考えたのは一瞬だ。とにかく僕はフリックさんの言葉にしたがって必死に両手を動かす。フリックさんは脇にばたばたと暴れるピリカちゃんを抱えていて、なんとも不思議な気分だった。まるであの燃えた傭兵の砦から逃げ去るときみたいだった。ビクトールさんに抱きかかえられて、なんにも出来なかったはずの僕は、今は必死に自分の足で走っている。


すたんっ、とシロが僕の前に跳躍した。「うひゃっ」と驚く僕を横目で見て、ぐんと足を伸ばしてかける。「シロさんも大丈夫だった!?」 勝手に口元が緩んだ。うおん、とシロは軽く吠えた。それから僕と並走しながら、ぱしんと尻尾で僕を叩いた。「え、え? シロさん?」 ぱしん、ぱしん、とまた叩かれる。「し、シロ、なんで?」 やめてよう、と名前を呼ぶと、彼はよしとばかりに頷いて、おんっと一声なく。そしてフリックさんに並んで、彼の荷物を口でかっさらった。「悪いな!」 空いた手のひらで、フリックさんはピリカちゃんを背中に抱え直した。

シロはもう一度僕を振り返った。フンッとくわえて使えない口の代わりに鼻から息を吐き出す。
つまりどういうこと? と僕は混乱しながら、「シロ!」と彼を呼んだ。おんっ、とシロは返事をした。
「なにじゃれてんだよ」とルックさんが呆れたような声を出してほんの少し肩で息を繰り返しながら僕に追いつく。ルックさんの姿と、ナナミさん、さんの姿も確認して、僕はホッと息をついた。

「フリックさん、どこにいくの!?」 後ろから追ってきた兵士をがつんと殴り飛ばしたナナミさんが問いかけた。代わりに、さんが声を振り絞った。

     テレーズさんのところだよ!」


王国軍は、テレーズさんに賞金をかけた。このままじゃ、彼女があぶない。「ああ! なりふり構っていられるか!」 ピリカちゃんを背中に抱えたフリックさんが、お腹の底から声を吐き出す。
「死なせるわけに、いかないだろうが!」



   ***


学園の抜け道を通り、森の中を通り抜ける。さんたちから話には聞いていたけれども、学園の裏手に広がる隠れ場としては、十分すぎるほどだ。ときどきやってくるモンスターの気配を察知して、僕は剣を振りぬいた。スパンッとうごめく植物の腱を断ち切る。ぐしゃりと液体を吹き出しながら、げしゃげしゃ口元を動かして崩れ落ちるモンスターに手刀を縦に切って、こつんと額に手を当てた。

すぐさま剣を鞘に戻して、短い草を踏みにじって走った。「……なんで、ジョウイが……」 ナナミさんが、きゅっと胸に手を当てて、眉を寄せた。誰もの口が重くなる。こうしてテレーズさんの元へ向かうまでに、僕は少しずつ事態をハアクした。


ジョウイさんは、ハイランドの王国軍にカタンしていた。
なぜ彼がその道を選んだのか、僕にはわからない。僕はピリカちゃんを見た。彼女はフリックさんの背中で、今はおとなしく体を丸めて小さくなっていた。「ジョウイは、テレーズさんが生きたままじゃないと、賞金は払わないと言ってた」 さんが荒い息を吐き出す。「それが、ジョウイが決めたことかどうか、僕にはわからないけど。でも」

まだわからない、と言うように彼は首を振って、僕たちは走り抜けた。



小さな家だった。小屋と言った方がいいかもしれない。ピリカちゃんをシロの背中に乗せて、ゴンゴン、と乱暴に扉を叩いた。それからすぐに扉を開いた。「誰だ!」「悪い、急いでたんでな!」 悪びれもないフリックさんの言葉に、どこか見覚えのある男の人がこっちを睨んでいる。シンさんだ、と気づいたのは、彼の背格好だ。宿舎の暗闇の中で、ぬっとニナさんの部屋の前に立っていた背の高い男の人。

初めて明るい中で見るテレーズさんの付き人というその人は、ひどく彫りの深い顔をしていて、びょっとしたように僕らを見回した。そして彼のすぐ目の前に、2人の女の人がいる。一人はきっとテレーズさん、もう一人は、「ニナ!?」 何人かの声が重なった。なんでここに、ときょとんとして見合っているみんなを見て、「あ」と僕は思い出した。

そういえば、僕はニナさんがテレーズさんの場所を知っていることを、みんなに伝えていなかったのだ。
彼女との夜の話を告げるべきか、どうするべきか随分悩んだのだけれど、これ以上引っ掻き回しても仕方がない。そう勝手に決めて、そのままこの街を去るつもりだった。ニナさんは僕を見た。それから何かを言おうとしてぷいっと視線を逸らした。僕はあちゃあ、と顔を片手で覆った。なんだかややこしくなってしまっている。

「とにかく! テレーズさん、お願いだから逃げて! 大変なことになっちゃってるのよ!」

どうやら僕らが伝える前に、話はニナさんからあらかた聞かされているらしい。金髪の静かな瞳をしたその女性は、きゅっと瞳を細めて小さく息を吐き出す。彼女はゆっくりと首を振った。「あの……!」 勝手に口が動いていた。

みんなの視線が、パッと僕に集まった。僕は恥ずかしくなって思わず息を飲んだのだけれども、すぐに叫んだ。「に、逃げないと! ここの場所、知ってるの、ニナさんだけじゃないんですよね、逃げないと、きっと」 死んじゃいます、という言葉を思わず飲み込んだ。

一人の人間を、一生隠し通せるだなんて、そんなことできる訳がないのだ。絶対にほころびが見つかる。僕がニナさんを、さんたちがこの小屋を見つけたように。ナナミさんが力いっぱいに頷いた。「そうだよ、危ないよ、私達と一緒に逃げなきゃっ!」 
テレーズさんは少しだけ優しげな瞳をして、僕たちを見た。そうね、そうなるでしょうね。まるでそう言っているみたいな顔だ。変だ。
でも何が変なのかわからない。

「テレーズさん。僕たちは、あなたの力になりたい」

もう一度、考えてくれませんか。そう告げるさんの言葉に彼女は首を振った。自分は逃げない。王国軍に捕まり、命を落とすことになろうとも、それで彼らの横暴が収まるというのなら、願ってもいないこと。そう言葉を紡いで、そっとドアに向かって歩く。

(本当に?)
僕は彼女の言葉を、一瞬だけ正しいのかもしれない、と思った。けれどもそうじゃない。人が死んで、他の人が幸せになって、それでいいんだろうか。今度は僕は、自分自身を否定した。僕はもう、殺してしまったじゃないか。
ぐるぐると混乱してフリックさんに目を向けた。

フリックさんはゆっくりと青い瞳を伏せた。そしてふう、と短く息を吐き出して、テレーズさんへと動いた。布の身じろぐ音がする。「     私に触れたら!」 悲鳴のような声だ。

「この命、自ら閉ざします」

射抜かれた彼女の視線に、フリックさんは拳を宙に振り下ろした。「……クソッ!」 こつこつと、足音が響く。「お嬢様、お供をさせて頂きます」 すくりとシンさんは歩を進めた。こくりとテレーズさんが頷く。彼らの背が遠い。「どうして死に急ぎやがる!!」 僕はぎょっとしてフリックさんを見上げた。「生きててこそだろ……!!!」

違うか!? と彼らの背にフリックさんは問いかけた。ひどく、彼は苦しげだった。誰も何も言わなかった。
閉じられた扉の向こう側を見て、フリックさんはバンダナを床に投げつけた。唇を噛んだ。あの人は死ぬ。今から死ぬんだ。(本当に?)

僕には全然わからない。それが正しいことなのか、間違っているのか、わからない。ただフリックさんの言葉を、僕は好きだと思った。僕はフリックさんと違って、この世界に来たばかりで、甘っちょろくて、ひよっこで、きっと何もわかっていない。

いいや、そんなことない。

     俺は生きてる

元気になれる呪文を教えてもらった。

俺は生きてる。




「こんなの……ダメよ!」

ニナさんが唇を震わせた。「絶対にダメ!」 扉を開けて駆け出すニナさんを、僕は慌てて追った。
ニナさんの足はびっくりするほど速い。必死に追いかけているうちに、行きとは道が違うことに気づいた。(そうか) おかしいと思ったんだ。僕達があの広場でもみくちゃにされていた時間は、そう長くはない。けれども同じ演説をきいたはずの彼女は、必死に走ったはずの僕達よりも、ずっと早くに学園の森を抜けていた。森にはモンスターがたくさんいる。彼女とシンさんしか知らない、安全な近道があったのだ。

「もー! なんでくんがついてくるのよー!」
「わ、わかんないよ! ニナさんが走るから……!」

振り返ればフリックさんたちの姿がない。はぐれてしまったことは間違いない。しょうがない、と僕は腹をくくった。「ニナさん、これからどうするの!?」「テレーズさんを助けるのよ!」 でもくんは足手まとい! と彼女は僕を怒ったように睨んで、頬に流れた汗を男らしく片手で拭う。怖い。

「足手まといって! そんなことないよう!」
「何よ、間違ってるっていうの!? 怪我したくないんなら、フリックさんのところに戻って!」
「戻らないよ!」

     彼女が危ないと言うんなら、戻らない。

「そんなこと、できる訳ないだろ!」

喉をからからにさせて、僕は叫んだ。「できるわけないだろ……!」 がちゃがちゃと、腰の剣をむちゃくちゃに揺らして、思いっきり息を吐き出す。ニナさんは、ちょっとだけ押し黙った。「なによ、やっぱりくん、私に惚れてるんじゃないの?」 でも残念でした、と言葉を続けようとしたニナさんが、「きゃっ!」と悲鳴を上げた。

王国兵が、ところかしこに占拠している。混乱が、人々の街中に広がっている。チンアツのためだけだというのなら、ありがたいけれども、実際は違う。(こうしちゃいられない) テレーズさんだ。彼らはテレーズさんの捜索に本腰を入れた。これを機に、一気に彼女の居場所を突き止めてしまうつもりなんだ。
彼女を落とせば、このグリンヒルの街は、あっという間に瓦解する。

「ニナさん!」

え? とニナさんが変な声を出した。「行くよ!」 僕は剣に両手を添えた。ちかり、と紋章さんが僕の左手で唸る。それにコオウするみたいに、右手のおくすりくんも叫んでいる。
     がんばれ


「俺は!」
叫んだ。
     生きてる!」 
彼がこちらに気づくと同時に、僕は勢い良く剣を横に薙いだ。鎧の隙間に、勢い良く剣を叩きつけた。男の人の鈍い悲鳴とともに、鮮血が飛び散った。僕はそのままぐるりと回転した。おもいっきりに鎧の頭をぶったたいた。「ガッ……!」 口から泡をふいて倒れたその人を飛び越えて、「はやく!」 呆然とこっちを見るニナさんに声を張り上げた。彼女はこくこくと頷いて、タッと煉瓦を足で叩きつけるようにジャンプする。


僕に手のひらをひかれたニナさんは、何度も瞳をパチクリさせて、僕を見つめた。「……なに?」「なんでもない!」 彼女はぷい、と不機嫌に顔をそむけて、手のひらを振り払った。「行くよ、くん! もー遅い! はやく!」「わ、わかったから! 僕が最初に行くから!」

ニナさんは飛び出しちゃだめー! と剣を握り直して、僕たちは両手を大きく振り上げた。




  

2012/11/22

ほぼ原作シーンのみで申し訳ない
でも相変わらずびっくりするくらい色々ちがうすみません

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