竜とともに今を





そこら中に兵士がいた。僕らは息を吐き出して、植え込みへ姿を消した。彼らはテレーズさんを狙っている。端から倒していくなんてひどく現実味のない話だ。(……逃げないと) けれども、テレーズさん本人がそれを否定している。逃げるにしても、おそらく門は閉鎖されている。
(どっちにしないと、フリックさんたちと合流しないと)

とにかくと慌ててニナさんにくっついてきたはいいものの、僕ひとりじゃ何ができる訳でもない。それに、早くしないとテレーズさんが王国軍にその首を晒してしまう。

「ニナさん、これからどうするの? 何か考えがあるんだよね?」
「そ、そんなの私だって知らないわよ!」

わかるわけないでしょ、と思いっきりに叫ばれた。「えええええ」と僕は口元をパクパクさせて、「わからないってそんな」「だって、私ちょっと紋章が使える程度のただの学生だし! テレーズさんに買い物を頼まれてただけだし!」「ちょ、そ、そんなこと、俺に言われても」
困るよ、と両手を振ると、ニナさんはきょとんとして僕を見下ろした。「……俺?」「ん?」 気づいたら唐突に恥ずかしくなった。僕は口元を腕で押さえて赤面した。フリックさんの言葉がうつってしまったのかもしれない。

「とにかく!」と、声をひそませながら僕は彼女を見据えた。「何かしないと、考えて。ニナさんはグリンヒルの人なんだろ? 僕よりも、この街の色んなことを知ってる。僕は……何もわからないけど、ニナさんを手伝うことならできるから」 大丈夫、と彼女の肩を必死で掴んだ。ニナさんはきゅっと口元をこわばらせた。わかんないわよ、とまた小さく、苦しげに言葉を呟いた。けれども彼女はすぐに首を振った。

「私一人じゃきっとだめ。テレーズさんは、ずっと私達を助けてくれた。確かに、街は王国軍に占領されたわ。でも、ずっとテレーズさんは一人で頑張ってくれてたの」

なんで伝わらないんだろう、とニナさんは鼻をぐずらせた。「なんでこんなに助かって欲しいのに、逃げて欲しいのに、伝わらないんだろう」 泣いてしまうのだと思った。僕と同じく、彼女はぼろぼろ涙をこぼすのだと思った。けれどもニナさんは、パシンっと両頬を自分の手のひらでひっぱたく。いつもの、気丈で、ちょっと怖いけどかっこいいニナさんの顔をして、やっぱりほんのちょっと鼻の頭を赤くして、「だめよね。時間がないのよね。そんなこと言ってる場合じゃない」

そうよ、私一人だからダメなのよ、と声を震わせる彼女は、確認するように僕を見る。「くん、今一番、人がいっぱいいる場所はどこだと思う?」 僕はほんの少し考えた。「……広場だと思う」「うん、私もそう思う」

そうよね、と彼女は頷いた。「テレーズさんを助けたいって思っているのは、絶対に私だけじゃない。みんなみんな、声を出すことが怖いだけよ。わかってるのよ。私達の市長は、テレーズさんしかいないってみんなわかってる」
だから行こう、と彼女は僕の手を握った。冷たくて、かちんかちんで、けれども妙に汗だけかいて震えている。多分僕の手のひらもおんなじだった。うん、と僕は頷いた。「行こう!」





たくさんの人が集まっている。二人一緒に、一心不乱に駆け回る子どもを、何人もの王国軍が見咎めようとした。ニナさんと僕は、お互い手をとって、ひっぱって、滑りこむように広場に逃げた。僕達を捕まえようとした混乱から、まだたくさんの人が、お互いのうわさ話に夢中でざわついている。「たすけて!」

ニナさんが叫んだ。

一回きりじゃ、全然こっちを向いてくれない。僕達2人は、わー! と力いっぱいに喉を震わせて拳を握った。ニナ? と何人かが不思議気な瞳をこっちに向けた。きっとニナさんの知り合いだ。それがいつの間にか広間中に広がる。軍の兵士がこちらを遠巻きに見つめた。何事だとばかりにこっちに歩を進める。僕らは慌てた。ニナさんはぶるりと背筋を震わせた。「私、知ってた!」 ほんの少し、喉の奥が枯れている。「テレーズさんが、どこにいるのか、知ってた!」

兵士の鎧の音が大きくなった。ぎゅうぎゅう詰めの人間の間を、「どけ!」と叫びながら割り込んで、こっちに向かって来る。「テレーズさんは、今も街の中にいるわ! でも、もうだめ、見つかっちゃう!」 ざわめく人たちの中で、ニナさんはまた声を張り上げる。「だからみんな、テレーズさんを助けて!! 私達の市長を、助けて!」


みんながみんな、困ったように顔を見合わせた。嘘だ、市長はもう逃げた。そう呟く声が聞こえる。俺たちを放って逃げた。いいや、まだいる。テレーズさんはいる。王国軍はとっくにテレーズさんを殺したよ。だったら、なんで賞金なんてかけるんだよ。
うわさ話ばかりがぐるぐる回る。駄目だ、と僕は唇を噛んだ。「ニナさん、もう逃げよう!」 ニナさんは動かなかった。「イヤ」 絶対に嫌! と叫んで、ずんと両足を踏みしめて大人たちを見上げる。

「絶対に動かないんだから。あんたたち、しゃきっとしなさいよ。今こそ恩を返すときなのよ、いい大人が、ちびってびびって縮こまってんじゃないわよ     !」

わっ、と悲鳴があがった。「テレーズはどこにいる!」 女の人を突き飛ばして、ぎらぎらと銀色の剣を抱えた王国軍の兵士が足を踏みしめた。僕は即座に反応した。腰の剣を鞘から引き抜き、フッと小さく息を吐き出す。振り回した。その瞬間だ。兵士はガツンと前のめりに倒れた。僕とニナさんは地面に叩きつけられてモンゼツするその兵士を、ぽかんとして見下ろした。視線をあげると、剣の鞘を掲げたまま、はあはあと肩で息を繰り返す男の人がなぜだかびっくりしたみたいな顔をして自分が殴った兵士を見ていた。

しん、と広間は静まり返った。ガツンッ、とまた音が響く。「えいや!」 女の人の声だ。投げつけられた石に、ぎゃっと倒れた兵士が体を丸くした。また別の場所で音が響いた。あっちやこっちで誰かが武器もないままに体当たりを繰り返した。「お、お、おまえら……!」 立ち上がろうとした兵士に、僕はすかさず首を狙ってカカトを沈めた。ぎゃひっと転がりながらまた誰かに叩きのめされたその人は、石が飛び交う広間の中で、ごろごろと転がりながら去っていく。

「俺達はちびってねーぞ!」

ミューズの兵士をなめんなよ! と叫びを上げたのは、この街の人だけじゃない。(ミューズ) 僕は昔、あの人達と戦った。僕は運良くあの街から逃げ去った。でも彼らは違った。一部の兵士は王国軍に捕らえられ、このグリンヒルに放された。そして、グリンヒルの食料を圧迫し、内紛が起こった。この街は戦わずして負けた。「テレーズさまが俺たちを受け入れてくれた恩を、忘れちゃいねえんだ!」 小さな声が、少しずつ集まって大きくなる。

まるで雄叫びのような歓声が広がった。どうする、どうすればいい、俺達はどうすればいい。そんな問いかける声に、ニナさんは一瞬涙ぐんだ。けれどもすぐに鼻いっぱいに息を吸い込んで、顔を真っ赤にさせながら大手を振った。「こっちよ! さっき来たときに、兵士が学園に向かってた! 叩きのめしてやるの、私たちは、今度こそ自分たちの力で、街を守るの!」

おう! と、びりびりと響く返事の声がきこえた。僕とニナさんは顔を合わせた。笑った。やったと手のひらをパチンと合わせた。
けれどもこれで終わらない。本当に大変なのはここからだ。
たくさんの市民が、僕達のあとについた。気づくと、最初よりももっともっと増えていた。道を走るたびに、足音が大きくなって、重なる。


テレーズさんがいる。
シンさんと一緒にあの金髪の王国兵に向き合っている。けれども必死にさんや、フリックさんたちが彼女を守っている。
     フリックさん!」

フリックさんはパッとこっちを見た。振り返った王国兵は、僕達を見て、顔を真っ青にした。「なんだお前ら」と何度も口をぱくぱくさせて、雄叫びをあげる僕らにビクリと肩を震わせる。
実は、ちょっとだけ気分がすっきりした。「テレーズさま!」 男の人の声だ。「テレーズさま、逃げてください!」 お願いだから、とみんなが叫んだ。ごめんなさい、と泣く声もあった。その中で、一番大きいのは、ニナさんの声だった。

「テレーズさん!」

テレーズさんはパッと顔を上げた。ひどく顔を歪めて、口元を両手で覆った。ほんの少し瞳が震えていた。そんな彼女を支えるようにシンさんが飛び出す。「私は……!」 声を枯らして涙をこぼした。

「俺たちの市長は、テレーズさんしかいないんだ!」

誰がそう叫んだのかわからない。熱狂の渦の中で、僕は力いっぱいに息を吸い込んだ。いつの間にか、王国軍とグリンヒルの人たちはしっちゃかめっちゃかになって争った。みんながみんな、逃げてくれと繰り返した。テレーズさんは、遠い視界の中で頷いた。「必ず!」 シンさんの手のひらを握りながら、力いっぱいに喉を震わせた。「必ず、戻ってきます!」 だから、待っていてください!

たくさんの声がする。うぎゃっ、と血を流す人もいる。僕はニナさんを守りながら、フリックさんを探した。フリックさんも僕を探していた。(遠い) かきわけて、彼の中にたどり着くには遠すぎる。駄目だと思った。

「行って!」

はやく逃げないといけない。フリックさんたちはテレーズさんを連れてこの街を去らなければいけない。僕一人が足を引っ張って、彼らをキケンにすることなんて、絶対にできない。「フリックさん、はやく行って!!!」

とにかく叫んだ。フリックさんに聞こえるかどうかなんてわからない。力いっぱいに口を開いて、かき分けるみたいに体を付き出した。「俺は、もう、一人でも大丈夫だから……!!!」


一人きりで泣いて、野菜なんてかじらない。
山の中で小さくなって、震えたりなんてしない。


フリックさんは僕を見た。きっと頷いた。彼はすぐさまマントを翻して背を向けた。僕も、もう彼は見なかった。えいやと剣を振り回す。(覇王の紋章さんは使えない) 人が多すぎて、判断がつかない。ここは学園都市だ。紋章をつけている人間も多くて、敵と味方の判別がしづらい。


だから僕は剣を振るうしかない。
紋章に嫌われる僕は、おくすりくん以外の紋章をつけることはできない。
     ただの剣一本で)

その瞬間、何もかもを忘れていた。バルバロッサ様とか、くんとか、元の世界のことであるとか。
ただ僕は必死に駆けずり回った。殴られた腹から苦しく何度も息を吐き出して、ただ僕は小さな体を使って彼らと戦った。




後になって思えば、これは僕の     俺の。
大きな岐路の、一つであったのかもしれない。




  

2012/11/22

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